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犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

ミャンマー文字の入力

2017-01-07 23:14:44 | ミャンマー
 ミャンマー語は、独自の文字を持つ言語です。 角張った感じのハングルとは対照的に、丸っこい文字が特徴的。視力検査用の記号を思わせます(リンク)。 私がミャンマー語の勉強を始めたのは3年ほど前ですが、ある程度勉強が進むと、自分なりに単語リストなどをエクセルで作ってみたくなる。 しかし、ミャンマー文字のパソコン入力は、なかなか手強かった。ミャンマーは長らく鎖国政策をとっていて、世界の情報化の流れからも . . . 本文を読む
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ミャンマー・レストラン

2016-11-30 23:02:33 | ミャンマー
 東京出張で、夜8時過ぎに東京駅に着きました。 夕食をしていなかったので、高田馬場のミャンマーレストランへ。 ミャ・ミィンモ(ミィンモ山のエメラルド)です。 ここは、モン族のお店で若いご夫婦がやっています。奥さんは、かなりお腹が大きい。「予定日はいつですか?」「12月の20日です」「初めてのお子さん?」「そうです」「男の子か女の子かわかっているの?」「男の子です。だんなは女の子をほしがってるけど。 . . . 本文を読む
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タイ国王崩御の夜

2016-10-18 23:30:03 | ミャンマー
 この10月から、東京の職場にタイ人男性が入社しました。高校卒業後、来日し、日本語学校に通ったあと、東京外大で学部、大学院まで出た優秀な経歴です。「新しいタイ料理屋を見つけたんだけど、行かない?」 前の週に発見したばかりのタイ料理屋に誘いました。 話してみると、都内のタイ料理はあらかた行ったことがあるようでした。「池袋のビラウ・カーオがいいよね」「市ヶ谷のティーヌンもまあまあですよ」「でもあそこ、 . . . 本文を読む
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オウン・ノウッ・カウッスエー

2016-10-15 23:18:20 | ミャンマー
 ミャンマー語のレッスンのとき、先生が、自分が作ったといって、オウン・ノウッ・カウッスエーを持ってきてくれました。「チェーズーティンバーデー!(ありがとう)。ザニーネェ・アトゥードゥー・サーメー(妻と一緒に食べます)」)「えっ? ウー・ティンアウンリンさん(私のミャンンマー語名)、今日は東京に帰るんですか?」「はい、午後の新幹線で帰ります」「大丈夫かな? ココナッツミルクは傷みやすいから」「ヤーバ . . . 本文を読む
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ミィンモ山のエメラルド

2016-10-12 23:08:04 | ミャンマー
 出張で東京駅に着いたのが夜9時。夕食を食べていなかったので、高田馬場のミャンマー料理やへ。 いつも行くマノーミェーというミャンマーレストランには、そば焼酎がキープしてあったはずです。このそば焼酎というのは、ミャンマー、タイ、ラオスの国境地帯に広がる黄金の三角地帯のケシ栽培を撲滅するために、代替作物として導入されたそばを原料にしたもの。 駅前の交差点を渡ったところに、見慣れないミャンマー文字の看板 . . . 本文を読む
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大塚のミャンマーバー、シエル

2016-09-22 23:33:48 | ミャンマー
 ずいぶん前に、東京・大塚のミャンマーバーを紹介したことがあります(→リンク)。 大阪に転勤してから足が遠のいていたのですが、久しぶりに行ってみました。このお店は、カラオケもあって、週末、特に日曜日にカラオケを歌いに来るミャンマー人で賑わうと聞いていました。平日の仕事で疲れた労働者、留学生たちが、一週間のストレスを発散しにくるのだとか。 日曜日の夜、テーブル席に2グループ、そしてカウンタ . . . 本文を読む
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異国に生きる

2016-08-31 23:34:31 | ミャンマー
 フランス旅行から帰ったあとの土曜日、知り合いと高田馬場のミャンマー料理店に行きました。どこに行くかは決めていませんでしたが、知り合いが「ルビーという店に行ってみたい」と言うので、そこに行くことに。 最近、ある「国際理解教育」の集まりで、ルビーのご主人の日本での活動が映画化されたという話を聞いたそうです。「私も一度、お昼ごはんを食べたことがありますよ。たしか、奥さんが日本人にミャンマー語を教えてい . . . 本文を読む
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池袋のミャンマー人

2016-06-19 23:35:04 | ミャンマー
 当ブログのコメンテーターのスンドゥプさんと、1年以上振りで飲みました。 場所は池袋。 茶室のにじり口を思わせる極小の入り口をくぐって入る、「てしごとや」という和食のお店。看板も目立たないため、店に気づかずに通りすぎてしまいました。 人気のある店らしいのですが、運良く待たずにカウンター席に通されました。 東北地方の地酒を中心に、日本酒の品揃えが豊富。とりあえず生ビールとお造り盛り合わせを注文。 お . . . 本文を読む
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文玉珠のミャンマー語

2016-02-16 23:02:32 | ミャンマー
 文玉珠(ムン・オクチュ)さんは、慰安婦問題が騒がれ始めた初期のころに名乗り出た元慰安婦で、1991年の裁判の原告の一人になった人です。 彼女の証言は複数ありますが、もっとも詳しいのが『文玉珠 ビルマ戦線楯師団の「慰安婦」だった私』という本にまとめられたもの。 この本をまとめたのは、森川万智子さんという日本人のライターで、2年以上に渡って文さんを取材し、証言の中に出てきた土地を訪ね歩いて裏をとって . . . 本文を読む
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水を運ぶ

2016-02-13 23:28:47 | ミャンマー
 ミャンマー語のレッスンは、先生が12月いっぱい調査のためにミャンマーに帰国していたため、しばらくお休みでした。 先生の専攻は植物学で、森林保護が研究テーマだそうです。ミャンマー北部の森林を、京都大学の指導教官といっしょに調査してきたそうです。 レッスンは1月に再開。そのとき、ミャンマーで入手したというミャンマー語のテキストをもってきてくれました。 ミャンマーには外国語大学が二つあって、一つはヤン . . . 本文を読む
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ボージョー・アウンサン伝(5) 独立、そして暗殺

2015-11-20 23:32:40 | ミャンマー
軍服を脱いだアウンサン 1945年5月、英軍はラングーンを奪還し、日本はモールメインに退却した。英国はラングーンに軍政を敷いた。 8月、日本は無条件降伏、10月になると、インドに避難していたビルマ政庁が復帰した。 英国政府は、戦後のビルマ統治の方針を立てたが、それは次のようなものだった。今後3年間は総督による直接統治を行う。その後、戦前と同じビルマ統治法による体制を復活させ、自治領化の準備をする。 . . . 本文を読む
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ボージョー・アウンサン伝(4) 対日武装蜂起

2015-11-18 23:29:27 | ミャンマー
抗日への決意 戦争長期化にともない、ビルマ経済は疲弊し、人々の生活も悪化した。主要産業の米は、英植民地時代にはインド、アフリカへの輸出が盛んだったが、日本の占領により輸出先を失い、農家は大打撃を受けた。日本軍による牛馬の徴発、村民の労働者としての徴用も人々を苦しめた。特に泰緬鉄道には多数の労働者が動員され、万単位の犠牲者を出した。また、日本兵士の振る舞い(ビルマ人への平手打ち、全裸での水浴びなど) . . . 本文を読む
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ボージョー・アウンサン伝(3) 独立義勇軍

2015-11-16 23:25:12 | ミャンマー
日本連行 アウンサンは逮捕を逃れるため、そして中国共産党にもう一度接触するために、変装して貨客船に乗り込み、厦門(アモイ)に渡った。ところが、中国との接触を果たす前に、厦門の日本租界で日本人憲兵によって逮捕され、東京へ連行されてしまったのである。 これを指示したのは、日本陸軍の謀略機関に属する鈴木敬司大佐であった。 鈴木は、援蒋ルートのうちビルマ経由のルートを遮断するためにビルマで謀略活動を行って . . . 本文を読む
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ボージョー・アウンサン伝(2) 政界進出

2015-11-14 23:21:52 | ミャンマー
タキン党員として 1938年、アウンサンは、文学士号を得て卒業したあと、ウー・ヌとともにタキン党に入党した。入党後すぐ党中央執行委員会の書記長に抜擢され、油田労働者のラングーン行進(ビルマ暦1300年事件)や全産業のゼネストを指導した。ビルマ北部には英国資本の大油田があった。 ゼネストの結果、バモオ首相の不信任決議が可決し、首相は失脚したが、それ以外に目立った成果は上げられなかった。タキン党内には . . . 本文を読む
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ボージョー・アウンサン伝(1) 出生から学生時代

2015-11-12 23:19:09 | ミャンマー
 11月8日に投票が行われたミャンマーの総選挙で、アウンサンスーチーが党首を務めるNLDが大勝し、政権交代が確実になりました。 アウンサンスーチー女史は、ミャンマー(ビルマ)建国の父、ボージョー・アウンサン(ボージョーは「将軍」の意)の娘です。アウンサン将軍について、少し前に『ビルマ独立への道―バモオ博士とアウンサン将軍』(根本敬著、2012年彩流社刊)という本を読みましたので、その本に沿ってアウ . . . 本文を読む
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