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中高年自殺―その実態と予防のために、高橋祥友

2016年07月19日 | BOOK(売却した本)

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中高年自殺―その実態と予防のために、高橋祥友

ちくま新書、412

2003年5月10日第1刷発行

定価(本体価格700円+税)   
  

第1章 日本の自殺の現状
第2章 世界の自殺、日本の自殺
第3章 こころの病とその治療法
第4章 働き盛りの自殺を防ぐには
第5章 不幸にして自殺が起きてしまったときに

   

〇芥川 龍之介(1892年3月1日 - 1927年7月24日)は、日本の小説家。俳号は我鬼を用いた。

その作品の多くは短編で、「芋粥」「藪の中」「地獄変」「歯車」など、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』などの古典から題材をとったものが多い。「蜘蛛の糸」「杜子春」など、童話も書いた。

1927年7月24日未明、友人にあてた遺書に「唯ぼんやりした不安」との理由を残し、服毒自殺。35歳であった。後に、芥川の業績を記念して菊池寛が芥川龍之介賞を設けた。(Wikipedia

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〇太宰 治(だざい おさむ、明治42年(1909年)6月19日 - 昭和23年(1948年)6月13日)は、昭和を代表する日本の小説家・作家。1948年(昭和23年) 『人間失格』を発表。山崎富栄と玉川上水の急流にて入水心中、38歳没(満年齢)。ふたりの遺体は紐で固く結ばれていたが、太宰が激しく抵抗した形跡が歴然と残っていた。このため一部では「太宰は決行直前になって気が変わったが、山崎が強引に水の中へ引きずり込んだのだ」との説や、最初から死ぬ気のなかった太宰を、富栄が強引に引きずり込んだともささやかれた。

作品

晩年(1936年、砂子屋書房)

虚構の彷徨、ダス・ゲマイネ(1937年、新潮社)

二十世紀旗手(1937年、版画荘)

愛と美について(1939年、竹村書房)

女生徒(1939年、砂子屋書房)

皮膚と心(1940年、竹村書房)

思ひ出(1940年、人文書院)

走れメロス(1940年)

女の決闘(河出書房)

東京八景(1941年、実業之日本社)

新ハムレット(1941年、文藝春秋新社)

千代女(1941年、筑摩書房)

駆込み訴へ(1941年、月曜荘)

風の便り(1942年、利根書房)

老ハイデルベルヒ(1942年、竹村書房)

正義と微笑(1942年、錦城出版社)

女性(1942年、博文館)

富嶽百景(1943年、新潮社)

右大臣実朝(1943年、錦城出版社)

佳日(1944年、肇書房)

津軽(1944年、小山書房)

新釈諸国噺(1945年、生活社)

惜別(1945年、朝日新聞社)

お伽草紙(1945年、筑摩書房)

パンドラの匣(1946年、河北新報社)

薄明(1946年、新紀元社)

冬の花火(1947年、中央公論社)

ヴィヨンの妻(1947年、筑摩書房)

斜陽(1947年、新潮社)

人間失格(1948年、筑摩書房)

桜桃(1948年、実業之日本社) (Wikipedia)

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〇山口 二矢(やまぐち おとや、1943年2月22日 - 1960年11月2日)は、日本右翼活動家であり、テロリスト東京都生まれ。文化史家の村上信彦は伯父に当たる。1960年日本社会党委員長浅沼稲次郎を刺殺、その後自殺した。(wikipedia)

 

高野 悦子(たかのえつこ、1949年1月2日 - 1969年6月24日)は20歳で自殺した大学生。遺著『二十歳の原点』(はたちのげんてん)で知られる。1949年、栃木県那須郡西那須野町(現・那須塩原市)出身。栃木県立宇都宮女子高等学校を卒業後、立命館大学文学部史学科日本史専攻に入学する。3回生であった1969年6月24日、山陰本線の貨物列車に飛込み、鉄道自殺を遂げた。死後(1971年)、20歳の誕生日から自殺にいたるまでの内面の葛藤を綴った日記が父親の手によって纏められ、新潮社から『二十歳の原点』というタイトルで出版され、広く読まれた。(wikipedia) 

 

 〇三島由紀夫割腹自殺~1970年11月25日、作家の三島由紀夫は右翼「楯の会」のMら4人とともに陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入、東部方面総監を人質に取った。三島らは自衛隊員らを集め、クーデターを訴える演説を行ったが、隊員から罵声を浴びるだけだった。演説終了後、総監室で三島、Mは自ら腹を割き、後から介錯を受けて自殺した。(http://www.geocities.jp/hyouhakudanna)

作品 

短篇「酸模(すかんぽう)~秋彦の幼き思ひ出」1938年

詩「九官鳥~森たち、第五の喇叭、独白、星座、九官鳥」1939年

短篇「彩絵硝子(だみえがらす)」1940年

中篇「花ざかりの森」1941年

短篇「苧菟(おっとう)と瑪耶(まや)」1942年

中篇「世々に残さん」1943年

短篇「夜の車」1944年(のち「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋」と改題)

短篇「エスガイの狩」1945年

短篇「煙草」1946年

短篇「夜の仕度」1947年

長篇「盗賊」1948年

短篇「魔群の通過」1949年

長篇「仮面の告白」1949年

長篇「青の時代」1950年

長篇「禁色」1951年~1953年

海外紀行「アポロの杯」1952年

短篇「ラディゲの死」1953年

長篇「潮騒」1953年~1954年(第1回新潮社文学賞)

評論「小説家の休暇」1955年

長篇「金閣寺」1956年(第8回読売文学賞小説部門)

戯曲「鹿鳴館」1956年

一幕戯曲集「近代能楽集」1956年

長篇「美徳のよろめき」1957年(よろめきという言葉は男女の不倫を指す流行語となった)

戯曲「薔薇と海賊」(週刊読売新劇賞)1958年

長篇「鏡子の家」1958年~1959年

評論「不道徳教育講座」1958年~1959年

随筆「文章読本」1959年

戯曲「熱帯樹」1960年

戯曲「十日の菊」1961年(第13回読売文学賞戯曲部門)

短篇「憂国」1961年

長篇「美しい星」1962年

長篇「午後の曳航」1963年(フォルメントール国際文学賞第2位)

写真集 「薔薇刑」1963年

短篇「剣」1963年

評論集「私の遍歴時代」1964年

長篇「絹と明察」(第6回毎日芸術賞文学部門)1964年

戯曲「サド侯爵夫人」1965年(文部省芸術祭賞演劇部門)

長篇「複雑な彼」1966年

短篇「英霊の聲」1966年

評論「太陽と鉄」1967年

評論「葉隠入門」1967年

評論「文化防衛論」1968年

戯曲「わが友ヒットラー」1968年

短篇「レター教室」1968年

小品「F104」1968年

戯曲「癩王のテラス 3幕7場」1969年

短篇「蘭陵王」1969年

戯曲「椿説弓張月 3幕8場」1969年

対談集「尚武のこころ」1970年

長篇「豊饒の海」1965年~1970年 (Wikipedia)

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川端 康成(かわばた やすなり、1899年(明治32年)6月14日 - 1972年(昭和47年)4月16日)は、日本の小説家。大阪市北区此花町(現在の天神橋付近)生れ。東京帝国大学国文学科卒。菊池寛に認められて文壇入り。横光利一らと共に『文藝時代』を創刊し、新感覚派の代表として活躍。『伊豆の踊子』『雪国』『千羽鶴』『古都』など日本の美を表現した作品を発表し、1968年に日本人初のノーベル文学賞を受賞した。1972年、ガス自殺した。(wikipedia) 

〇沖 雅也、1952年6月12日-1983年6月28日、大分県別府市出身の俳優である。過密スケジュールに加え、ノイローゼ躁鬱病などから、度々ドラマを休演することがあった。そのため、最終的には病死という形で劇中から降板することになった。1983年6月28日、『おやじ、涅槃でまってる』という遺言を残して新宿京王プラザホテルの最上階(47階)より飛び降り自殺を行い、31歳の若さでこの世を去る。(wikipedia)

  

〇岡田 有希子(おかだ ゆきこ、1967年8月22日 - 1986年4月8日)は、日本の80年代のアイドル歌手の一人。本名は佐藤 佳代(さとう かよ)。愛知県名古屋市熱田区出身(出生は同県一宮市)。名古屋市立向陽高等学校堀越高校卒業。1983年オーディション番組『スター誕生!』の第46回決戦大会チャンピオンとなり、芸能界入りする。1984年4月21日に『ファースト・デイト』でアイドル歌手としてデビュー。同年、日本歌謡大賞及び日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。新人賞を吉川晃司と共に全て獲得する。1986年1月カネボウキャンペーン・ソング『くちびるNetwork』がベストワンとなったが、同年4月8日、自宅マンションで手首を切りガス自殺未遂。治療の直後、所属事務所であるサンミュージックが入居しているビルの屋上から飛び降り、全身を強く打って即死。その後若者の後追い自殺が相次ぎ、衆議院文教委員会で取り上げられる社会問題になった。(wikipedia) 

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〇可愛 かずみ、1964年7月9日 - 1997年5月9日)は日本の女優。本名 久我知子(くが ともこ)。1996年、川崎との破局後に芸能人との間に一度交際の噂が出ている。その相手の芸能人の言動が原因という説もあるが、この頃から急激に体調が悪化、周囲に「死にたい」と漏らすようになる。1997年5月9日、女優としてこれからという時、自らの可能性を絶つことになる。この日、午前中に手首を切り自殺を図っており、この時のためらい傷は3箇所にも及んでいたという。また、この時「また手首を切ってしまった」という内容の電話を婚約者にしている。リストカットによる自殺未遂は1996年12月、1997年1月に続いて3回目ではあったが、夜には食事に出されたドリアを全部食べており、周りも落ち着いたように見えて安心していたという。その後、留守番の女性に「咳がでるから病院に行く」と言って出かけ、午後7時10分頃、川崎の住んでいた目黒区駒場のマンション7階から飛び降り、帰らぬ人となる。(wikipedia)  

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〇戸川 京子(とがわ きょうこ、1964年8月13日 - 2002年7月18日)は、東京都新宿区出身の女優、タレント、ミュージシャン。都内の自宅マンションで首をつって死亡しているのを所属事務所スタッフが見つけ、110番通報した。連絡が取れないことを不審に思ったスタッフが、管理人に錠を開けてもらい発見した。自宅のドアや窓は施錠されており、遺書はないものの、警視庁世田谷署は自殺とみて調べている。戸川さんはテレビの旅番組の収録に向かうため、この日午前7時30分に都内で所属事務所スタッフと待ち合わせをしていた。時間を過ぎても現れず電話連絡も取れないため、不審に思ったスタッフが東京都世田谷区内の自宅マンションを訪ねた。応答もないため、管理人立ち会いのもと部屋に入ったところ、首をつって自殺している戸川さんを発見、午前9時すぎに110番通報した。

世田谷署の調べによると、戸川さんは家具にひもを掛け、パジャマ姿で死んでいた。死後数時間経過していたという。死因は窒息死とみられている。自宅のドアや窓は施錠されており、外傷もなかった。遺書は見つかっていない。(ZAKZAK)

    

〇麻生美由樹(あそう みゆき、1987年12月23日 - 2008年4月18日)は、日本のグラビアアイドル、AV女優。東京都出身。血液型A型。2008年4月18日、都内の自宅マンションで硫化水素を発生させ自殺をはかり急逝。翌日に撮影を控えていた。(ZAKZAK)    

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〇NHKの人気アニメ「おじゃる丸」の原案者で漫画家・エッセイストの犬丸りんさん(48歳)が2006年9月10日に東京都武蔵野市内の自宅マンション屋上から飛び降り自殺をしていたことが11日、分かった。自宅には遺書が残されており、警視庁武蔵野署によると、母親に「仕事ができない」などと話していたという。仕事上の悩みが原因とみられている。との報道。(ZAKZAK) 

犬丸りんさんの作品

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〇子供から電話が来る。高校時代の友達が自殺したとのこと、9月に誕生祝をした際、すごく元気だったと。神戸で仕事があるので、顔だけ見たいと16日に行くとのこと。その子は、よく自宅に遊びに来ていた。小学校から高校まで一緒だった子供の友達の自殺に驚く。若者の自殺。冥福を祈る。知っている人の自殺に、少し考える。(2007年9月16日) 

 

〇「負けないで」などのヒットで知られる人気ユニット「ZARD」の坂井泉水(さかい・いずみ、本名蒲池幸子=かまち・さちこ)さんが、2007年5月27日午後3時10分、脳挫傷のため東京・新宿区の慶応大病院で死去したと、所属事務所が28日発表。40歳だった。警視庁四谷署によると、坂井さんは26日早朝に同病院の非常階段から転落し、後頭部を強打した。坂井さんは昨年6月に子宮頸(けい)がんを患い闘病生活を送っていた。一時は回復に向かっていたが、今年3月に肺への転移が見つかり、再び入院生活を送っていた。坂井さんは26日早朝に非常階段の約3メートルの高さから転落し、後頭部を強打。集中治療室に入ったものの27日午後3時10分、両親や親族が見守る中、帰らぬ人となった。四谷署は事故と自殺の両面で調べを進めている。との報道。(朝日新聞) 

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〇自宅近くの草地が燃える。付近から老女の遺体が。自殺であった。知り合いのSさんの実母であった。躁うつ病らしい。冥福を祈る。知っている人の自殺に、驚く。(2008年4月29日) 

  

〇元TBSアナウンサーで、現在はフリーアナとして活躍していた川田亜子さんが2008年5月26日に自殺した。との報道。ブログには「仕事の合間が一番苦痛です」「言葉が…出ないので」などと記載あり。鬱(うつ)病か。有名人の自殺に驚く。川田亜子さんのプロフィール~金沢市出身、1979年1月17日生まれ、没2008年5月26日(満29歳没)、白百合女子大学文学部卒業、元TBSアナウンサー、才色兼備、冥福を祈る。(産経新聞)

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〇仕事で、病院に行く。21歳の女性の自殺企図者が救急車で搬送された。心肺停止状態。年間の自殺者は、何人か。気になる。(2008年5月28日)

 

〇社会評論家の故草柳大蔵氏の長女で、テレビキャスターなどで活躍した草柳文恵さん(54)が2008年9月9日午前5時50分ごろ、東京都中央区佃の自宅マンションで首をつっているのが見つかった。草柳さんは病院に搬送されたが、約2時間後に死亡が確認された。室内から遺書のようなものが見つかったことから、警視庁月島署は自殺とみている。
調べでは、草柳さんは母親と同居。草柳さんの姿が見当たらないことから、母親らが探していて、ベランダの支柱を使って首をつっているのを見つけた。草柳さんはパジャマ姿だったという。
草柳さんは、大学在学中の昭和49年にミス東京コンテストで1位に選ばれ、その後、ラジオやテレビのリポーター、司会として活躍。昨年ごろから、体調を崩していたという。(net news)
 

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〇2008年12月24日午後3時半ごろ、東京都渋谷区桜丘町の自宅マンションで、元タレントの飯島愛=本名・大久保松恵=さん(36)が死亡しているのを芸能事務所の関係者が発見し、119番通報した。警視庁渋谷警察署で死因を調べている。

調べでは、事務所関係者は数日間、飯島さんと連絡がとれないのを心配し、マンションを訪問。管理人に部屋の鍵を開けてもらい、うつぶせで倒れている飯島さんを発見したという。

昨年3月31日付で芸能界を突然引退した。(net news)

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飯島愛の行政解剖したが、自殺か病死か、判明せず。(net news)

昨年12月24日に都内の自宅で死亡しているのが発見された元タレント飯島愛さん(享年36)の死因が、肺炎だったことが2009年2月4日、分かった。警視庁渋谷署が明らかにした。発見当初、自殺の可能性も指摘されたが、発見から1カ月以上が経過して病死と断定された。(net news)

 

〇飯島愛について、頭の回転も良く、コメントを聞いても気の引く回答、裸だけを売りにしては、テレビ業界では、生き残りは出来ない。引退、死亡を残念に思う。