net news 格差の超簡単な解決策は最低賃金引き上げだ 「適正水準は1300円」とアトキンソン氏 (東洋経済オンライン 2018/05/16)~労働者の味方の政党が存在していない。
格差の超簡単な解決策は最低賃金引き上げだ 「適正水準は1300円」とアトキンソン氏
日本でもようやく、「生産性」の大切さが認識され始めてきた。
「生産性向上」についてさまざまな議論が展開されているが、『新・観光立国論』(山本七平賞)で日本の観光政策に多大な影響を与えたデービッド・アトキンソン氏は、その多くが根本的に間違っているという。
34年間の集大成として「日本経済改革の本丸=生産性」に切り込んだ新刊『新・生産性立国論』を上梓したアトキンソン氏に、真の生産性革命に必要な改革を解説してもらう。
低所得層の増加こそが「格差」の本当の問題
「格差社会」が問題視され始めてから、もう長い時間が経ちました。最近ではこの言葉を聞く機会も減ってきましたが、統計を見る限り、状況が劇的に改善しているわけではありません。日本では格差がなくなったのではなく、格差が「当たり前」になってしまったということでしょうか。
とはいえ、私は日本の「格差社会」は人為的につくられたものであり、解決するのはそう難しくないと考えています。今回は本連載でも取り上げた「最低賃金」というテーマに戻って、格差社会と最低賃金の関係について考察を加えていきたいと思います。
さて、改めて言うまでもなく、格差社会とは収入の多い上位層と少ない下位層の差が著しく開いてしまった社会のことを意味しています。
格差がどれくらい開いているかを測るために使われる代表的な指標に、「ジニ係数」があります。この係数が高ければ高いほど格差が開いていることを指します。
CIAの直近のデータによれば、日本のジニ係数は37.9。先進国の中で3番目に高いのです。確かに、日本のワーキングプア比率は米国とほぼ同水準です。つまり日本はすでに、米国と同じような格差社会になってしまっているのです。
なぜ格差がこれほど開いてしまったのでしょうか。格差社会の原因を探求する際、特に米国を見るときは、収入上位の層の存在がその原因であるかのように語られるケースが多くみられます。つまり、一部の富裕層に富が集中してしまうのが、格差社会の原因であるという理屈です。
しかし改めて分析してみると、格差の指標との相関が最も強いのは、収入の上限ではなく下限、つまり最低賃金であることがわかります。日本は高給取りが非常に少ない国であるにもかかわらず、ジニ係数が高い格差社会となっていることを考えると、感覚的にも納得できる結果です。
ということは、格差社会は最低賃金と深い関係があると言ってもよいでしょう。
最低賃金は「平均」と比べてどれだけか
先進国の場合、「1人・1時間当たりGDPに対する最低賃金の割合」と格差を表す指標「ジニ係数」の間に、84.4%もの相関が認められます。先進国以外の国も含めた25カ国でみても、69.0%とかなり高い相関がみられます。
「『低すぎる最低賃金』が日本の諸悪の根源だ」の記事の中でも指摘しましたが、「1人・労働時間1時間当たりGDP」に対する最低賃金を見ると、日本の数値は約27.7%。これは、中国や米国とほぼ同じで、極めて低い水準です。
一方、1人・1時間当たりGDPが日本に近いドイツ、フランス、英国などの欧州の先進国の場合、最低賃金は「1人・労働時間1時間当たりGDPの約50%」と、高い水準に設定されています。これら欧州各国では、ジニ係数が低く抑えられている、すなわち社会の中での収入格差が小さい点で、日本とは対照的です。
1人・1時間当たりGDPに対して、最低賃金を50%と設定すれば、格差の幅は小さくなる。27%と設定すれば、収入の格差は広がる。当たり前といえば当たり前です。つまり、格差社会の行方は最低賃金をどう設定するかにかかっていることになります。日本の格差社会の主因は、最低賃金が異常に安く設定されており、最低賃金しかもらっていない層が増えていることにあるのです。
反対派は「年収170万円」で生活してみよ
最低賃金が低く抑えられていることが大きく影響し、日本国民の収入は世界標準に照らし合わせると、極めて低い水準になってしまっています。
国連が計算している購買力調整済み労働者年収を見ると、日本人の平均は3万9113ドル。欧州の約90%、米国の約65%しかありません。日本の技術力や高い教育水準を考慮すると、今の状態は誰がどう考えても理解できない、おかしな低水準です。
日本が中国や米国のような格差社会になってしまっているのは、極めて低い最低賃金と深いかかわりがあるのは間違いありません。つまり、格差社会を解消したいと考えるのであれば、最低賃金を引き上げるのが最も有効なのです。
現在、日本の最低賃金(加重平均)は854円です。この水準の給料の人は、年間2000時間、まじめに働いても、年収はたったの170万円にしかなりません。しかも、この少ない年収から、社会保障費や税金を支払わなくてはいけないのです。
欧州と同じように1人・1時間当たりGDPの約半分と設定するなら、2020年までに日本の最低賃金を1300円にする必要があります。現時点で計算しても、1200円です。理論値まで最低賃金を引き上げていけば、年収は70万円増え、240万円となります。
「『低すぎる最低賃金』が日本の諸悪の根源だ」の記事は大変たくさんの人に読んでいただき、250を超えるコメントをいただきました。多くのコメントが私の主張に賛意を表明するものでしたが、中には最低賃金の引き上げに反対のコメントもあってビックリさせられました。
最低賃金の引き上げに反対の人には、額面170万円の年収で、実際に生活してみてほしいと思います。それと同時に、日本の技術力の高さや国民の勤勉性に誇りを持っているのに、同じ日本人にたった時給1200円すら払いたがらない理由を教えていただきたいです。
今、最低賃金、もしくはそれに近い水準の給与をもらっている日本人は、技術力もなければ勤勉でもないというのでしょうか。この層はそれなりのボリュームがあり、理屈上は日本人全体の平均値に大きく影響しますので、日本人全体も勤勉でもなければ、技術力もないという結論を受け入れなければならなくなります。彼らの年収を170万円のまま据え置くべきだという主張をどう正当化するか、非常に興味があります。
倒産を理由にした反対は「甘え」だ
以前も紹介しましたが、英国では1999年から20年かけて、最低賃金を当初の2.1倍に引き上げました。この政策が導入される前、エコノミストや企業経営者から大反対の声が上がりました。やれ「倒産が増える」「失業者が増える」と、それはそれは大騒ぎになったものです。
しかし、彼らの心配は杞憂に終わりました。失業率の大幅上昇などの予想された悪影響はいっさい確認されなかったのです。
その理由は、低所得者の場合、所得が少ないので欲しいものや本来必要なものも買わずに我慢しながら生活しており、収入が増えるとその大部分を消費に回すので、経済にプラスの効果が表れやすいためだと言われています。
同じ現象は日本でも起こることが予想できます。今、年収170万円で生活している人は、いろいろな面で非常に切り詰めた生活を強いられています。最低賃金を引き上げ、彼らがもう70万円手にできるようになれば、これまで我慢していたものを買うようになり、消費が活発化することでしょう。
先に紹介した英国の例と同様に、日本でも最低賃金の引き上げには、中小企業の経営者から反対の声があがることでしょう。しかし、私に言わせれば、年収170万円の労働者をこきつかえないとやっていけないような会社には、そもそも存続する意味がありません。
こういう会社に貴重な労働力を浪費させるのは、これから急速に生産年齢人口が減少する日本にとってはマイナスでしかありません。もっと高い年収の払える、生産性の高い会社に移ってもらうべきなのです。
「おカネじゃない」という妄想
日本では「サービス料を払ってもらえない」「お客に価格転嫁ができない」などを理由に、 最低賃金の引き上げができないという経営者の声を聞くことがあります。また、「日本人はおカネばかりを目的に働いているわけではない」「だから賃金を上げる必要はない」とうそぶく経営者までいます。私に言わせれば、まったくのナ・ン・セ・ン・スです。
最低賃金には理論値があり、しかるべき水準であるべきなのです。しかし、日本では政府が(理論値の存在を知ってか知らずか)、理論値をまったく無視し、理論値を大幅に下回る最低賃金を設定しています。その結果として、国民が理論的にもらうべき水準の給料がもらえていないのです。
「デフレによって価格が下がって、何が悪い」「見返りを求めないおもてなしこそ日本独特な文化で、すばらしい」などと言う人がいます。これはただの妄想です。
実際には、国はインフラの整備・維持、年金・医療費などの社保障の負担を負わなくてはいけません。見返りを求めない、最低賃金が低い、価格転嫁できないなどの理由で国民の所得が増えなければ、払うべき税金を納められない状態が続くだけです。その結果、国の借金としてその分が蓄積されていきます。
「日本には、おカネ以外に見えない価値がある」「日本型資本主義だから」と非現実的なことを言う人がいまだにいます。しかし、他の先進国並みにインフラや社会保障制度が整備されている日本では、これらの「見えない価値」はただ単に、国の借金という「見える形」で積み増されていくだけです。非現実的な「日本型資本主義」のコストは、国の借金という形できちんと勘定されています。日本人の甘え・妄想・非現実性が、国債という形でそのまま積み上がっているのです。
経済合理性を否定する「論者」が多いこの国では、この事実が理解されていないのです。