“永田町のキンプリ”小泉進次郎はいつまで「プリンス」でいられるのか? (urbansea2018/10/27)~マスメディアが持ち上げた政治家は、ほとんどカス。
政治の世界には「プリンス」と呼ばれるおじさんがいる。二世・三世あたり前の華麗なる一族集団・自民党のなかにあって、その称号を得るのは並大抵のことではあるまい。いわばキング アンド プリンスならぬ、キング・オブ・プリンス、キンプリである。そして当世に「プリンス」と呼ばれているのが、小泉進次郎だ。
自民党の総裁候補となるような政治家は、料亭などでの会合で、自然と床の間を背にして座るようになるという。自分から出しゃばらずとも、まわりはその者の器量を認めて上座を空けるようになるのだ。プリンスは将来、そこに座ることが約束されている者である。
総裁選で残した「中途半端さ」
そんなプリンス・小泉進次郎の評判がだだ下がりである。9月の総裁選で投票当日になって石破茂の支持を表明して票を投じるも、安倍陣営への気遣いを感じさせるなど、中途半端さだけが残ることとなった。
プリンスの称号には、家系や経歴を背景にした将来への期待と、苦労知らずのボンボンへの皮肉が背中合わせにある。そして往々にしてプリンスは勝負弱く、叩き上げの胆力や知略に屈する。
たとえば「永田町のプリンス」と呼ばれた加藤紘一は“加藤の乱”で老獪な野中広務らの切り崩しにあい、さらには自らの未熟さから失態をさらして政治生命を失う。あるいは佐藤栄作首相に後継者として期待され、「プリンス」と呼ばれた福田赳夫にしても、田中角栄に総裁選で敗れ、佐藤の期待に応えることは叶わなかった。進退窮まるような権力闘争の局面では、それまで大事にされてきたがために、修羅場の経験の少なさから実力不足を露呈するのであった。
「人気があるというのは、逆にいえば実力がないんです」
そういえばかつて、小泉進次郎はこんなことをいっている。
「人気があるというのは、逆にいえば実力がないんです」、「よく広告塔とか、客寄せパンダとか、実力もないのに人気だけとか言われますけど、ぼくがそのとおりだと思いますもの」(注1)
議員となって2年目(2010年)の、田崎史郎との対談での発言である。1年生議員だった当時にあっては殊勝な言葉に聞こえるが、8年経ったいまとなって読むと、変わらなさに微笑ましくなる。ちなみに同じボンボンでも安倍晋三は、今の小泉進次郎と同じ議員キャリアの年数のとき、内閣官房副長官として北朝鮮を訪問し拉致被害者5人の帰国を実現している。
「ただの男前の青二才」ではない理由
初当選するなり、何の実績もないうちから「将来の総理大臣」との呼び声がかかった小泉進次郎。そこまで期待されたのは若くて、顔がいいからだ。たとえば2年生議員当時、辻元清美は「細野豪志君には『あなたから男前を取ったら何が残る』と時々言っているけど、進次郎さんにも同じことを言いたい」(注2)と評している。
しかしただの男前の青二才ではなく、人を惹きつける技術をもっていた。長く小泉進次郎を取材しているノンフィクションライター・常井健一は、彼のマナー術・処世術をビジネス誌「プレジデント」(2015.5.4号)に書いている。
たとえば名刺交換の際には、相手の名前をしっかり読んで、さらに「この苗字、珍しいですね。どちらの方ですか」などと話題をひろげるという。こうして打ち解けやすくするのだが、記憶の定着もよくなるだろう。また記者相手には「○○さんのその質問に対しては……」などと相手の名前を呼ぶという。実際、週刊文春のバックナンバーを漁ってみると女性記者に「この名字は、政界にも何人かいるけど、もしかしてご親戚?」と話しかけている(注2)。
一番うしろの端っこに座るようにしている
そういえばテキ屋組織の親分・金子政敬は、ひとが生きていくうえで大切なことを聞かれ、「人と会ったら名前を憶えることです。どんな人間でもね。(自分より)下の人間なら特にね。その人たちに挨拶されたら名前を呼んでやることですよ。向うで挨拶して、お疲れさんですったら、オウっていわないことですよね。必らず名前を呼んでやること。それは親分みて教わりました」(注3)と答えている。また自己啓発の古典・カーネギーの『人を動かす』も名前を覚え、呼ぶことの重要さを説くのに紙幅を割く。
名前を覚えてもらったり、呼んでもらったりというのは、自分の存在を認めてもらえたということで嬉しいものである。そうしたテキ屋から鉄鋼王までもが大事だと説くひとの機微を、小泉進次郎は熟知する。
また永田町という嫉妬の世界での生き方を心得ている。たとえば当選1回生の頃は、党の部会では一番うしろの端っこに座るようにしていると述べる(注1)。ただでさえ目立つ存在なのに、前の方に座っては、出しゃばって見えてしまって、無駄に敵を作りかねない。
もっとも、出しゃばらないのは生い立ちに由来するようだ。中学生の頃、三者面談で担任の教師はクラスのまとめ役を期待しているのにやろうとしないと愚痴る。すると父・純一郎は「私も父親が政治家だったから、進次郎の気持ちはよくわかります。何をやっても目立つ。だから、できる限り目立たないようにと、たぶん進次郎はそう思うんでしょう」と返すのだった(注1)。
人々が持つ「父親への記憶」を超えることはできるのか
目立たないようにするというのは“政治家の子供あるある”だろう。小沢一郎や小渕恵三などの評伝にもその手の話が出てくる。そういえば、週刊新潮10月18日号には、話題の片山さつきが「大臣ポストが欲しくて堪らず、安倍首相に直談判」したことがあり、そうした押しの強さに安倍は辟易したのか、一時期「彼女と距離を置くようになっていた」とある。安倍も政治家の子である。出しゃばりは苦手なのだろう。
とはいえ、首相を目指すのであれば、先の総裁選のように身を潜め、方方に気を使って争いを避けてばかりはいられまい。
「坊ちゃんでは政治家としての魅力がない。挫折は人を作る」。山崎拓が鳩山由紀夫にしたアドバイスである(注4)。加藤紘一の盟友だった山崎らしい助言といえる。これはそのまま、小泉進次郎にも通じそうだ。鳩山が母親の資産を背景にしただけの政治家であったように、このままでは小泉進次郎は、人々の父親への記憶を借景とする、顔がいいだけの政治家に終わってしまう。