ランド・オブ・ザ・デッド(LAND OF THE DEAD)
980円、ブックオフ網走店、定価1500円
アーシア・アルジェント(Asia Argento)
ジョン・レグイザモ(John Leguizamo)
デニス・ホッパー(Dennis Hopper)
ロバート・ジョイ(Robert Joy)
サイモン・ベイカー(Simon Baker)
ジョアンネ・ボランド(Joanne Boland)
ジョージ・A・ロメロ監督
2005年、アメリカ=カナダ=フランス、93分
『ゾンビ』『死霊のえじき』など、“ゾンビ”の第一人者として知られるジョージ・A・ロメロ監督による最強のゾンビ映画が誕生。主演は『トリプルX』のアーシア・アルジェントと『ザ・リング2』のサイモン・ベイカー。ロメロ監督が描く“進化したゾンビ”はこれまでのゾンビ映画とは一線を画し、新たなゾンビキャラクターを生み出した。
ある日突然、世界は変わった。宇宙線の影響か、それともウイルスなのか…。原因は不明だが、地獄があふれ出したかのように死者が甦り、ゾンビになって人間に襲いかかって新鮮な肉を食らい始めた。かみつかれた者は数時間内に死亡し、そして甦って、おぞましい“リビングデッド=ゾンビ”の仲間となっていく。ゾンビは増殖し、この世をゆっくりと、しかし確実に地獄に変えていった。地球を支配しているのは、もはや人間ではない…。すでにゾンビは、人間の予想をはるかに超えた「進化」を遂げようとしていた。
この世で人間は、常に死ととなり合わせ。それでも金持ちの支配階級の人間たちは、かつての幻想を抱き、小都市を作った。ゾンビが入ってこないよう川に挟まれた地形を生かし、陸続きの部分は塀で覆った。まるで要塞のような小都市の中心には、フィドラーズ・グリーンと呼ばれる超高層タワーがそびえたち、そのペントハウスからカウフマン(デニス・ホッパー)が、この地を統治していた。彼をはじめとする裕福な者たちは、金の力を使ってぜいたくな生活を送っていたのだ。
そんな要塞都市の支配者の命令で、ゾンビがあふれる危険地域からぜいたくな食糧や物資を調達してくるのが、探知機や重火器を備えた強力な装甲車デッド・リコニング(死の報い)号を駆使する傭兵グループだった。そのメンバーには、ライリー(サイモン・ベイカー)、彼の右腕チョロ(ジョン・レグイザモ)、ライリーの良き理解者チャーリー(ロバート・ジョイ)らがいた。ライリーはこの仕事で金を稼ぎ、“塀のない世界”と自由を約束する北への逃亡資金を貯める目的があった。一方のチョロは、フィドラーズ・グリーンの上流階級の生活を密かに狙っていた。
そしてタワーの中心には貧しい者たちがひしめき合うように生活し、1つの貧困社会を形成していた。そこでは、ギャンブルやドラッグなどがはびこっていた。ライリーはそこで、勝ち気な娼婦スラック(アーシア・アルジェント)の危機を目撃し、彼女を助けて仲間に加える。
3年間もカウフマンのためにゾンビの世界に飛び込み働いてきたチョロは、今の生活に嫌気がさし、カウフマンに上流階級への生活を求め出した。だがカウフマンは、街には理事会と資格委員会があり、彼らの許可が必要だと言って断り、彼を用済み要員のリストに加えるのだった。
その頃、ゾンビたちに変化が起きていた。1人の黒人ゾンビの行動によって他のゾンビたちも武器を使うことを覚えるなど、徐々にではあるが進化を見せ始めた。そしてはるか遠くに見える超高層タワーに目を向け、ゾンビたちは群団を結成し、要塞都市へと迫っていく。
そしてデッド・リコニング号に乗る傭兵グループはチョロと対峙しつつ、ゾンビたちの攻撃を阻止しなければならなかった。小さな要塞都市の支配権を巡り、人間VS進化したゾンビたちとの壮絶なサバイバル・バトルが展開していく…。
〇アーシア・アルジェント(Asia Argento)~イタリアの映画女優、映画監督。
イタリアの首都ローマにおいて、ホラー・シネマ界の巨匠、ダリオ・アルジェントと女優ダリア・ニコロディの間に生まれる。姉のフィオーレ・アルジェントも女優。9歳にして、セルジオ・チッティ監督のテレビドラマ『Sogni e bisogni』で女優デビューを果たし、86年には父親のダリオ・アルジェントが製作・脚本を務めた『デモンズ2』で映画初出演。
94年の「Perdiamoci di vista!」と96年の『雨上がりの駅で』でイタリアのアカデミー賞といわれるデビッド・デ・ドナテッロ賞の最優秀女優賞を二度受賞している。
ダリオ・アルジェントの監督作では『トラウマ/鮮血の叫び』『スタンダール・シンドローム』『オペラ座の怪人』に出演。98年にはマイケル・ラドフォード監督によるイギリス映画『Bモンキー』で主人公ベアトリスを演じた。2002年の『トリプルX』でハリウッドに初進出し、現在では活動の場をアメリカにまで広げている。
1994年には、オムニバス映画『DeGenerazione』で初監督をこなし、2000年の『スカーレット・ディーバ』では脚本と出演も兼ねて長編初監督を果たした。2004年には長編では2作目となる『サラ、いつわりの祈り』で監督・脚本・出演をこなした。
私生活では一児の母親である。(Wikipedia)