BOOK、CDなど

1 BOOK、CDなどを断捨離、コンサート、リウマチ(膠原病)などのメモ
2 失念防止のためのメモ

職場の戦争、J・ヘッセ、H・C・シュラーダー、関根伸一郎訳

2007年09月20日 | BOOK(本棚・右)

職場の戦争、J・ヘッセ、H・C・シュラーダー、関根伸一郎訳

丸善ライブラリー新書207

平成8年9月20日発行

定価780円(本体757円)

 

〇ドイツの格言集~「おお神よ、同僚から我々をお守りください」

〇シモーヌ・ヴェーユ~「世の中で、労働の喜びの喪失ほど、埋め合わせることの出来ないものはない」

〇職場の雰囲気の悪さの原因~策謀・陰謀、上司への告げ口、同僚への妬み、不機嫌な上司、正当な評価を欠く、怠惰な同僚、忙しい環境、職場への不安、過当競争、同僚の出世欲の順

〇就労者にとって大切な要素~チームワーク、自立した就労、上司が正しく評価する、同僚との強調、上司から部下への情報、連絡、決定への参与、同僚同士認め合う、就労時間を守る、職場環境の順

 


職場砂漠、岸宣仁

2007年09月20日 | BOOK(本棚・右)

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職場砂漠、岸宣仁

朝日新書、058

2007年7月30日、第1刷

2007年9月20日、第2刷

700円+税

 

〇体験談などが記載、具体的に悲惨さを紹介しているのでわかりやすい。

自殺する姿は哀れだが、身を守る方法はなかったのか。

私なら、攻撃の資料を収集、上司に反撃、損害賠償の裁判を提訴する。

いまどき会社を信頼するのは、無知。

会社を利用する知恵を、身に付ける必要がある。

人生を狂わされないよう、法律を学ぶこと。

敵の出方論。

人生は、ギブ・アンド・テイク。

良くしてくれたら、善意で対応。

反対であれば、悪意、報復。

人生は、ある面、戦いであり、戦争と認識。

戦いの方法を、私ならどうすると考える。

録音、録画、写真など、客観的な資料の収集、裁判例の研究。

他山の石。


日常生活の法医学、寺沢浩一

2007年09月20日 | BOOK(本棚・右)

日常生活の法医学、寺沢浩一

岩波新書、新赤版687、2000年8月18日、第1刷発行

定価(本体660円+税)   

第1章 人が死ぬとどうなるか
第2章 解剖に附すか
第3章 死因を推定する
第4章 事故死か病死か
第5章 現代の医療と法医学
第6章 法医学のこれから

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〇下山事件~1949年7月5日、自宅から出勤途中の下山定則国鉄総裁(49)が、三越本店に買い物に入ったまま行方不明になった。翌日午前0時25分、常磐線の綾瀬・北千住間の線路付近で下山総裁の轢殺死体が発見された。轢いたのは0時20分頃に同所を通過した下り貨物列車であると推定された。
 当時、GHQから国鉄職員の大量整理を迫られていたことから、警視庁捜査一課は自殺説を唱えた。慶応大学の中館鑑定も、生体轢断説を支持した。一方、警視庁捜査二課は謀殺説をとり、左翼勢力によって自殺を装われたと推定した。東京大学の古畑鑑定は、死後轢断説を支持した。自殺か他殺か意見が分かれたままだったが、12月に入り、警察は自殺と断定、捜査本部を解散した。(www.geocities.jp/hyouhakudanna) 

  

〇三鷹事件~1949年7月15日21時過ぎ、国鉄中央線三鷹駅構内で無人列車が突然動き出して暴走し、民家に突入。死者6名、重傷者20名以上を出した。この日、国鉄職員大量人員整理に対し、組合側が断固闘争を宣言した日でもあった。最終的に10人が起訴。このうち9人が共産党員、三鷹電車区検査係の竹内景助のみが非共産党員だった。竹内の供述は、捜査・公判段階を通じて無罪、単独犯行、共同犯行と、何度も供述を変転させたが、一審最終陳述で単独犯行を主張。結局竹内のみ無期懲役、他被告全員無罪となった。この供述は、共産党シンパであった竹内が、弁護士に「10年後には、共産革命が起きて人民政府ができる。そうすれば君は英雄として迎えられ、高いポストにつくことができる」といわれたことが大きかった。しかし、控訴審では竹内死刑判決、他被告全員無罪となった。最高裁では、15名の裁判官による大法廷での審理となり、結局8対7という一票差で「検察、被告各上告を棄却」。こうして竹内は1955年に死刑確定囚となった。そんな竹内に共産党からは何の援助も、釈放運動すら起きなかった。その後、竹内死刑確定囚は無実を訴え再審請求を行ったが、1967年1月18日、脳腫瘍により獄中死。享年45。病状が進んでも、当局は一切の治療を行わなかった。(www.geocities.jp/hyouhakudanna) 

   

〇トリカブト保険金殺人事件~1986年5月20日、沖縄旅行中の神谷力被告(46)と三度目の妻であるA子さんは、A子さんが半年前まで池袋のクラブで働いていたホステス時代の仲間3人を那覇空港に出迎えた。神谷被告は急用があると空港に残り、女性陣は予定どおり石垣島行きの飛行機に乗った。島に着いた正午過ぎ、A子さんは多量の発汗、悪寒、手足麻痺で苦しみ、3時に死亡した。死因は心筋梗塞とされた。
 1991年、神谷被告は別の横領容疑で警察に逮捕されたが、その取調中にA子さんの変死事件が浮上した。A子さんは神谷被告を受取人として1億8500万円の生命保険金に入っていた。死亡後、神谷被告は保険金を請求したが、死因に不審を抱いた保険会社は支払いを保留。神谷被告は訴訟を起こすものの、取り下げていた。同年7月1日、警察は殺人と詐欺未遂で再逮捕した。証拠らしい証拠はなかったが、A子さんの検視医が不審を抱いて心臓や血液を保存しており、血液からトリカブト毒、さらにフグ毒が検出された。
 神谷被告は全てを否認しアリバイを主張。さらにトリカブト毒の即効性により自分に殺害は不可能であると主張した。状況証拠はあるが、直接証拠はない事件である。一審・東京地裁は、被告がトリカブトを大量に購入していたことや、妻に1億8500万円の保険をかけていた事実などを積み重ねて有罪と判断。二審・東京高裁も一審の結論を支持し、被告の控訴を棄却していた。2002年2月21日、最高裁は神谷被告の上告を棄却、無期懲役が確定した。(www.geocities.jp/hyouhakudanna) 

   

〇山下事件~1984年3月23日、かねてから不治の病を患っていたN子さんが布団のなかで死んでいるのが発見された。警察は他殺の疑いを持ち、夫・山下某(当時45歳)を警察署に連行、また嘱託医は解剖で「頸部圧迫による窒息死」と誤診。このことにより、山下さんへの取り調べが強められ、山下さんを自白、緊急逮捕した。1987年11月10日、横浜地裁、弁護側の主張をほぼ全面的に認め、山下さんに無罪判決。検察側は控訴を断念し、無罪が確定した。(www.geocities.jp/hyouhakudanna) 

   

〇地下鉄サリン事件1995年3月20日東京都地下鉄カルト新興宗教団体オウム真理教が起こした化学兵器を使用した無差別テロ事件である。毒ガスサリンが散布されて死者を含む多数の被害者を出し、日本の社会に大きな衝撃を与えた。(Wikipedia)