ボンバーのいろいろな日々。

自己満足でしか書いてませんが、お時間がありましたら見てくださいな。

横須賀から新宿までの話をたっぷりどうぞ。

2017-11-08 08:35:09 | さるさる日記
7時20分起床。
徐々にでいいから体が慣れてくれたらいいなって願うばかりですよ。昨日は昼から眠くてたまらずほぼお手上げと書いてもいいぐらいやった。今日はそんなことはないと思いたいが、ここまで眠くてたまらんもいつ以来?と思い出したら、2月のインフルエンザになった時以来。あの時は14時すぎから目が充血してたけど今回はそんなことがなかったとはいえ、移動中は寝てたのは書くまでもなかったし昨日の川崎で行われたローレル賞も見てないですよ、ええ。今日の川崎は重賞レースなロジータ記念が行われるが、なぜここまで黙ってたのか…。もしかしたら今日が重賞レースとして行われるから?としか思えないですわ。
<「女傑」ロジータ死す/89年南関東3冠&東京大賞典制覇>
<川崎競馬組合は、89年南関東3冠(当時は羽田盃・東京ダービー・東京王冠賞)を獲得し、89年東京大賞典も制覇。「女傑」と呼ばれたロジータ(牝、父ミルジョージ、母メロウマダング)が昨年12月に30歳で死んでいたと発表した。余生を過ごしていた高瀬牧場の馬房の中で立てなくなり息を引き取った。スピードとスタミナを兼備し、3歳時は桜花賞を制した後、牡馬相手のクラシック路線を歩んで3冠獲得。89年の秋には中央芝のレースにも挑戦してオールカマーでオグリキャップの5着。ジャパンカップは15頭立て15着に終わったが、東京大賞典を快勝し、南関東の頂点に立った。15戦10勝で故郷の高瀬牧場へと戻ると、優秀な産駒が続々と誕生。イブキガバメント(朝日チャレンジカップ、鳴尾記念)、カネツフルーヴ(帝王賞、川崎記念)を出し、孫世代からもレギュラーメンバー(川崎記念、JBCクラシック)を出した。>
去年の12月に亡くなって、その発表を今日まで引っ張ってた理由は何だろうか…。そこからして疑問になったけどロジータのことはもちろん知ってたとはいえ主戦騎手は誰?とか聞かれてもわからず、調べたら野崎武司元騎手だった。89年の馬を見たらオグリキャップがいた時代だったことに「そんな時代だったんや」とつい呟くのであった。ロジータよ、今までありがとう!これから天で川崎を見守ってくださいね。
昨日の夜に少し続きを書いたけど、今日は少しだけになりそうな気がるけど書けるところまで書こう。山下公園を出て伊勢崎市内にある駐車場まで歩いてたら、再び横浜スタジアムへ。時計を見たら16時で開門直後で流れるファンを見ながら「今日は勝ってほしいよな」と思いながら関内を通過し、そしていつの間にか伊勢崎市に入っててエクセル伊勢佐木でトイレを済ませて駐車場へ。知り合いの車に乗って横須賀市へ。知り合いの顔馴染みな店へ行く途中から急に風が強くなり寒くなっていた。横須賀と書けば基地もあるし、三笠公園を車の中から見るけど強風で海もしけていた。大きな船を見てから知り合いの顔馴染みな店で約1時間ほど話をして新橋へ。横須賀~新橋まで車で1時間ぐらいも、途中で渋滞もあったりでやや遅くなったものの、首都高から見る六本木・渋谷、さらには国会議事堂前を見ながら新橋に到着。「2日間ありがとうございました!」と握手してお別れして、ホテルに到着。
日本シリーズを見ながら、スマートフォンを少しだけ充電してると「悔いだけは残すなよ!」と“天の声”も聞こえれば、このままジッとしてるのも面白くないし、六本木に続いて今日も散歩しよう!の流れになり選んだ場所は3年ぶりの新宿へ。閉店間際にルミネtheよしもとへ行き「この部分だけ撮ってもいいですか?」と受付の人に(無理な)お願いをして4枚ほど撮って出る。雰囲気だけ味わいたい願いだけがあれば、見れただけでも満足になった。ルミネtheよしもとを出てから、ルミネ新宿の建物をしばらく眺めながら「出演者がな…」って嘆くも、ルミネtheよしもとへ行ってたら横浜にも行けなかった!?ことなどを思うとやや複雑になったけどや、気が済むまで新宿を堪能して新橋に帰るのであった。