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フランス・ショート・トリップ ~巴里編 Pt.6~

2009-03-30 | travelog


★3月1日 : パリ(午後)
シャルトルからモンパルナス駅に到着したあと、クレープリーのガレットでランチにすることにした。
ガレットとはブルターニュ地方の料理でそば粉のクレープのこと。中にはお菓子の甘いクレープのようなのをデザートで食べることもあるみたいだが、たいていはいわゆるごはんクレープのことを言うみたい。
モンパルナス界隈には、スタンド形式のお店からレストラン形式のお店までクレープリーがたくさんある。
どのお店にしようかな・・・と歩いていて、一軒の可愛いお店の中をガラス越しに覗いた時、お店のお兄さんに手招きされたのでドアを開けると、こじんまりした小さなそのお店はほぼ満席。私のすぐあとにやってきた3人組のおばさま達は、諦めて出て行った。お兄さんが中央の長テーブルの端に席を作って “ここにどうぞ” と招いてくれた。
メニューはフランス語なので、ちんぷんかんぷん。“Galette” というのを見つけたので、その中から選ぶことにしたが、Fromage(チーズ)以外、具が何なのかわからない。“ケスクセ?(これは何ですか?)” と聞いたものの、フランス語で返ってくるから結局わからない。そこで、メニューのいちばん上のものは定番だろうと思い、それとオレンジ・ジュースを頼んだ。
出てきたガレットは、上にバターが乗っているだけだったが、ナイフを入れると中にはハムが2~3重入っていた。それだけのシンプルなガレットだったが、小食の私には丁度良かった。そして、オレンジ・ジュースは先日飲んで美味しかったPampryl(パンプリル)だったので嬉しかった。ガレットは、バターの染み込んだ香ばしい生地にハムの塩気が混ざって、とても美味しかった。
しばらくすると、満席だった席がだんだん空き、テーブルを片付けているお兄さんと目が合ったので “セ ボン!(おいしい!)” と言うと、“デザートは?” と聞かれたのだが、もうお腹は満たされていたので断った。でも、“コーヒー飲む?” と言ってくれたのでうなずくと、デミタス・カップに入ったエスプレッソを出してくれた。
お勘定の時にそのエスプレッソはサービスだということがわかり、お礼を言って店内の写真を撮らせてもらうと、お兄さんもカメラに視線を向けてくれた。
お店を出る時にもう一度お礼を言うと、調理をしていた男性も顔を出して挨拶してくれて、味も雰囲気も大満足のとっても感じのいいお店だった。お店の名前は 「Creperie La Bigoudenne(クレープリー・ラ・ビグデーヌ)」。
 
Creperie La Bigoudenne

大満足でお店を出たあと、モンパルナス駅前に戻る途中に、絵画ばかりのマーケットが開かれていた。
バスでエッフェル塔の下まで行こうと思い、日曜日は運行していない路線もあるのでバス停で確認してからバスを待っていると、通りの向こうに 「名古屋」 というレストランがあった。何故名古屋?と思いながら見ていると、横には “ヱビスビールあります” の看板まであった。きしめんやひつまぶしなんかがあるのかな・・・なんて思っているとバスが来た。
バスは前から乗るのだが、運転手さんは必ず “ボンジュール!” と挨拶してくれる。日本のバスに “こんにちわ!” と挨拶する運転手がいるだろうか・・・。お互いに挨拶するだけで、気持ちがいい。
バスはメトロと違ってパリの風景を見ながら移動できるので、今回たくさんバスを利用している。途中、アンヴァリッッドのドーム教会の前を通って、エッフェル塔の下に広がるシャン・ド・マルス公園付近で降りた。
 絵画のマーケット、奥はモンパルナス・タワー
 レストラン名古屋

この日は少し曇っていたので、真っ青な空にそびえるエッフェル塔は望めなかったが、シャン・ド・マルス公園の芝生の向こうにそびえ建つエッフェル塔は、凛としてスマートで美しかった。
だんだんとエッフェル塔に近付いて行き、真下から上を眺めると、いろんな太さの鉄骨が細かく張り巡らされているのがよくわかった。アール・ヌーヴォー調に丸くデザインされたのもあり、近付けば近付くほどその繊細な鉄骨が複雑に組み込まれているのがわかり、本当に美しかった。(タイトル写真)
日曜日ということもあって、展望台に昇る入口はとても混んでいて、前の広場のメリーゴーラウンドには子供連れの家族がたくさんいた。
エッフェル塔の真下を通り抜けてイエナ橋を渡り、シャイヨー宮に向かって緩やかな坂道を歩いていると、後ろからシャリンシャリンという音が近付いてきたので、何?と思って振り向くと、怪しい中東系の物売りたちが束ねて持っている小さなエッフェル塔の形をしたキーホルダーだった。彼らはあちこちで、黒い鞄を抱えて全力ダッシュで駆け上がって行っている。いったい何が起こったのか。他の人たちも、何?という感じで見ている。
よく見ると、自転車に乗った警官が、彼らを追いかけるように坂を登っていた。はは~ん、奴らはやはり違法商売なんだな・・・。事の顛末を歩きながら見ていたが、警官は羊飼いのように奴らを追い払うだけで、間近に追い詰めても捕まえることはなかった。きっとこういうことを、毎日やっているのだろう。
パリ初日に、夜のエッフェル塔を見たところと同じところから昼間の姿を見たあと、Trocadéro(トロカデロ)からメトロ9号線に乗った。
 シャン・ド・マルス公園から   自転車ポリス

Strasbourg Saint-Denis(ストラスブール・サン=ドニ)で8号線に乗り換えたのだが、逆方向に乗ってしまい、ひと駅行ったところで乗り換えてSt-Sébastien Froissart(サン=セバスティアン・フロワサール)で下車。目的はピカソ美術館。
ミュージアム・パスは2日間用だったのでもう使えなかったが、毎月第一日曜日は美術館が無料になることを事前チェック済み。無料ということもあって、やはり混んでいた。
真っ先に “青の時代” の部屋に行くと、『ラ・セレスティーナ』 が! 去年、国立新美術館の ピカソ展でいちばん最初に見た作品だ。またこの作品に会えるなんて・・・それもピカソが長年暮らしていたこのパリで・・・と感動。
サントリー美術館で見た 『自画像』 も展示されていた。オルガやドラ・マールの肖像画、シュルレアリスムのオブジェや彫刻など、初期から晩年までの作品が展示されていた。
日本で開催されたのは、この美術館の改装のための世界巡回展の一環だったが、正面の半分がまだ工事中だった。でも、たくさんの作品を見ることができて、ピカソ好きの私は大満足。
美術館を出てヴォージュ広場まで歩いて行った。マレ地区と呼ばれるこの辺りは17世紀頃の面影が残る建物が建ち並び、ヴォージュ広場はその頃の立派な建物に四方を囲まれている。建物の下はアーチ型のアーケードになっていて、レストランや画廊などが並び、たくさんの人で賑わっていた。
広場を抜けて、フランス革命の発端となったバスティーユ広場に向かって行くと、7月革命の記念柱がそびえ建っているのが目に入ってきた。
“バスティーユ” “7月革命” と言うと、「ベルサイユのバラ」 を思い出さずにいられなかった。(笑)
 ヴォージュ広場
 バスティーユ広場、後ろに見えるのはオペラ・バスティーユ

Bastille(バスティーユ)からメトロ8号線でFaidherbe-Chaligny(フェデルブ=シャリニー)まで行き、映画 『Before Sunset』 でジェシーとセリーヌが再会したあとに行くカフェ、「Le Pure Cafe(ル・ピュア・カフェ)」 に行った。イーサン・ホーク好きの私には、アメリのカフェや八百屋を見るよりも楽しみにしていたひとつ。
映画のシーンと同じような視線でカフェを見つけたくて、地図を見ながら角を曲がると、当たり前だが映画で見たのと同じ、赤いカフェがあった。なんか、感動・・・。
窓側の席に着き、とっても感じのいいblur(ブラー)のグレアム似のお兄さんにカプチーノ頼むと、暫くしてからクリームもこもこのカプチーノが! これにはカンゲキした。
パリの中心からは離れているし、メトロの駅からも少し距離があるので、もちろん観光客などいない。お客さんはみんな常連さんのようで、グレアム兄さんと楽しくお喋りしていた。
照明を落とした店内は、木の温かみが感じる落ち着いた雰囲気で、真ん中は丸くバー・カウンターになっていた。
とても落ち着いてゆっくり出来るカフェで、少し足を伸ばして来た甲斐があった。かなりの時間をカフェでのんびり過ごし、厨房のスタッフと一緒に賄い料理を食べていたグレアム兄さんに挨拶して店を出た頃には、外は日が落ちて薄暗くなっていた。
 「Le Pure Cafe」
 クリームもこもこカプチーノ

メトロ8号線でFaidherbe-ChalignyからBastilleまで引き返し、Bastilleで1号線に乗り換えたのだが、1号線のBastilleのホームは、東京メトロ丸の内線の四谷駅のように地上にあった。
St-Paul(サン=ポール)で降り、リヴォリ通りを暫く歩いて賑やかなヴィエイユ=デュ=タンプル通りへと入って行った。
この通りにはたくさんのショップが建ち並び、パリは日曜日がお休みの店が多いと言うが、この辺りはほとんど開いていたので、いろんなお店のショー・ウィンドウを眺めながら歩いているだけで楽しかった。
途中、フローズン・ヨーグルトの店 「my berry」 に立ち寄って店内で食べていると、“ゴメンね、閉店なの” と言いにきたお兄さんはゲイっぽかった。半分外で食べた大好きなフランボワーズ(ラズベリー)のフローズン・ヨーグルトは、とっても美味しかった。
そして、「Oliviers & Co.(オリヴィエ&コー)」 でオリーヴ・オイル・ソープを買った。石鹸は、海外で必ず買うものの3つ目のアイテムである。
 「my berry」
 行列が出来ていたパン屋さん
 バインダー・ショップ

ウィンドウ・ショッピングをしながら歩いていると、やがてポンピドゥー・センターが見えて来た。
ビルの空調などの配管や階段・エスカレーターが全てむき出しになっているその近未来的な建物には、近代美術中心の美術館と公共図書館がある。ここは夜遅くまで開いているし、この日は無料デーなので美術館に行った。エスカレーターで昇って行くにつれ、街の綺麗な夜景が見えてきた。
 ポンピドゥー・センター

広々とした空間に様々な作品が展示されていて、面白いのがたくさんあった。絵画だけでなくオブジェや部屋全体を使ったアートもあり、ピカソ、マティス、ブラック、シャガールなどの作品も数点あった。ここでもピカソの作品を見ることができてカンゲキ。
アーティスト名を控えてくるのを忘れたが、四方八方を黒い曲線模様で埋め尽くした白い小さな部屋の作品があり、中に入るとちょっと平衡感覚がなくなりそうになる不思議な空間だった。
そして、ハンガリー出身のシモン・アンタイ(Simon Hantaï)という画家の、全部細いペンで描かれた作品の細かさは凄かった。
 床も壁もデコボコしている
 シモン・アンタイの作品、これが全体
 至近距離で見るとこうなっている

美術館を出たあと、最上階まで行って夜景を見てた時、突然エッフェル塔のライト・アップが変化して、宝石のようにキラキラ瞬きだした。これには感動!
時計を見ると9時。そう言えば夜の毎正時に、スペシャル・ヴァージョンのライト・アップになるということを聞いたことがある。これだったんだ・・・と、すっかりその美しさに見とれていた。
ビルのガラス越しだったので、綺麗な写真は撮れなかったが、パリ最後の夜に相応しいかのようなその美しい瞬きを見ることができて良かった。
エスカレーターを下りて行くと図書館が見えたのだが、たくさんの人が遅くまで勉強や読書をしていたのには感心。
そして市庁舎まで歩き、ホテル近くのシャンジュ橋(両替橋)からセーヌ河に架かるポン・ヌフやコンシェルジュリーなど、名残惜しいパリの夜景に浸った後、ホテルに戻った。
 宝石のようなエッフェル塔
 公立図書館
 ポン・ヌフの向こうにエッフェル塔とアンヴァリッド


★3/1 : 歩数43.435歩、消費カロリー188.7Kcal、距離64.7km

フランス・ショート・トリップ ~シャルトル編~

2009-03-29 | travelog


★3月1日 : パリ~シャルトル(午前)
この日の午前中は、パリから列車で1時間で行けるシャルトルに行った。
モンパルナス駅に少し早めに着いたので、駅の1階にある 「Pomme de Pain(ポム・ド・パン)」 で軽く朝食を摂ることにした。
「Pomme de Pain」 はセルフ・サービスのカフェ・チェーン店で、安くて美味しい。早くも病みつきになっている、パン・オ・ショコラとコーヒーにした。デニッシュ生地の表面が、パリパリしていて美味しかった。
しかし味は良けれど、場所が悪かった。屋内なのだがすぐそばに入口があり、開けっ放しのドアから入ってくる鳩が飛び回っていたのだ。あちこちに鳩のフンのあともあって、ゆっくり落ち着いて食べていられなかった。
駅の外観でも見ておこうと思い、さっさと食べて外に出ると、目の前にモンパルナス・タワーがそびえ建っていた。高いビルがほとんどないパリで、唯一の高層ビルだ。
 「Pomme de Pain」
 モンパルナス駅
 モンパルナス・タワー

シャルトル行きのきっぷは、2日前にSNCFブティックで発券したもの。TER(テーウーエル : Transport Express Régionalの略)という列車の2等車の2階席に座った。昨日のルーアン行きの列車よりは空いていた。
発車して間もなくひとつ目の駅に着いたのだが、そこはヴェルサイユだった。宮殿内よりも庭が好きな私は、この時期の庭には魅力を感じなかったので、今回ヴェルサイユには行かない。
少しうとうとしていたら、あっという間にシャルトルに着いた。
 TER   SNCFシャルトル駅

シャルトルにもノートルダム大聖堂があり、ユネスコの世界遺産に登録されている。
駅から歩いてすぐのところにシャルトル広場があり、丁度観光バスが着いたところで、団体客が大聖堂の方に歩いて行く姿が見えた。
それを避けるように、先に別のところに行っておこうと思い、サンタンドレ教会を目指した。
街の地図はシャルトル観光局のHPで取り寄せることができ、事前に入手していたのだが、中心部以外は通りの名前が入っていなかったので、別にGoogleマップを印刷して持ってきていた。でも細い道が曲がりくねって入り組んでいて、途中で地図を見てもわからなくなってしまった。
日曜日で人も歩いていない。はて?どうするか・・・と思案していたら、道路の向かい側にある雑貨屋さんのようなお店の前からおじさんが出てきて、煙草を吸い始めた。
“エクスキューゼ・モア(すみません)” と声掛けて地図を見せて “サンタンドレ” とだけ言ったら用件をわかってくれて、地図を指して道順を教えてくれた。
とても古い街並で、うす茶色の石造りの家がちょっとイタリアっぽい感じもして、風情のある路地がたくさんあった。
旧市街は高台にあり、ガイド・マップには載っていない裁判所を見つけてたりしながらだんだん坂を下って行くと、途中見晴らしの良いところがあり、そこからサンタンドレ教会が見えた。
しかし、まだまだかなり坂を下って行かなければならない感じで、そこに行って戻って大聖堂に行くにはちょっと時間がかかると思ったので、その場から教会を見るだけにして引き返した。
 歴史を感じる路地
 飛び出てるのがサンタンドレ教会

路地を入って違う道を行き、大聖堂の高い塔を目印に歩いて行った。
しばらくすると大聖堂の横に通じる細い路地があり、美しい北側廊扉(タイトル写真)の前に出た。その先に美術館があったので入口の門をくぐると、そこは大聖堂の裏の広場だった。
広場は城壁に囲まれた高台になっていて、とんがり屋根の古い家並が並ぶ、のどかな風景を見渡すことができた。
 大聖堂の裏
 大聖堂の裏からの風景

しばらくそこでゆっくりしたあと、ぐるっと南側に回り、脇道に反れて家並を楽しみながら散策。また大聖堂の塔を目印にしながら歩いて行くと、やがて正面横に出た。
左右にふたつの高い塔がそびえるこの大聖堂は、フランス国内において最も美しいゴシック建築のひとつと考えられていると言うのだが・・・。
確かにシンプルでスマートな姿は美しかったが、私にはルーアンの大聖堂があまりにも素晴らしかったので、ちょっと感動が薄かったのだった。
大聖堂内はとても暗く、ステンドグラス以外はあまりよく見えないほど、とにかく暗かった。その暗さは、“シャルトル・ブルー” と呼ばれる青いステンドグラスの美しさを、より一層強調しているかのようだった。
ステンドグラスはとても綺麗だったが、本当に暗かったので、身廊とか天井とか全体を見渡すことができなかった。
 ノートルダム大聖堂  
 “青い聖母” という名のステンドグラス

 
外に出て、ファサードの王の扉や側廊扉の細かな彫刻や装飾をじっくり見たあと、旧市街の中心に向かって歩き、サンテニャン教会に入ったがミサ中だった。
小さな教会だったので、ミサの邪魔をしないようにすぐ外に出ると、横から歩いてきたおじさんが、私の前を“サヨナラ~” と言って通り過ぎた。一瞬えっ?と思って間が空いたが、“サヨナラ~” と返答。
地元の人たちの生活が見え隠れするような、食料品店や日用品のお店が並ぶ通りを歩いて行くと、オベリスクがあるマルソー広場に出た。
 魚屋さん  
 マルソー広場

広場の一角にカフェがあったので中に入ると、そこには美味しそうな小さくて可愛いプティ・ケーキやクッキーがたくさん。いろんな種類のマカロンがあり、あまりマカロンは好きではないのだが、ピスタチオ味があったので食べてみようと思った。
他にカヌレとマドレーヌと名前のわからないバター・ケーキを選び、外で食べることを告げて待っていると、ホイップ・クリームたっぷりのカプチーノには、同じバター・ケーキが付いていた。
プティ・ケーキはどれも美味しく、特にカヌレがすごく美味しかった。マカロンはピスタチオ味なのが良くてそこそこだったが、恐らくこれを最後に私はマカロンを食べないと思う。


シャルトル滞在時間は3時間強、カフェのテラスでくつろいでいると、気が付けば列車の時間まであと30分くらいしかなくなっていた。
それでもすぐ駅には向かわずに、ウール河が流れるところまで急な坂を下って行った。途中には木組みの家と石造りの家があり、それらが上手く街並に溶け込んで調和され、歴史を感じる穏やかな家並の遠くには大聖堂の塔が見えた。
 ウール河にかかる石橋
 木組みの家

列車の時間ギリギリまで街を散策して、駅に着いたのは発車時刻10分前。有意義な3時間だった。
駅の売店でオレンジ・ジュースとチョコレートを買い、きっぷをコンポスタージュしてホームでパリ行きの列車の到着を待った。


★巴里編 Pt.6につづく

フランス・ショート・トリップ ~巴里編 Pt.5~

2009-03-27 | travelog


★2月28日 : パリ(夜)
ルーアンからパリに戻る車中、行きは来なかったきっぷの検札があった。
プリントアウトしたPrem's(プレムス)のきっぷには氏名が印字されているため、パスポートの提示もあり、本人確認があった。
19:10定刻どおり、サン・ラザール駅に到着。メトロ14号線でPyramides(ピラミッド)まで行った。
メトロ14号線は新しい路線のようで、駅のホームは東京メトロ南北線やゆりかもめのホームのように、ホーム側にもドアがあり、入線してきた電車のドアと同時に開くタイプの新型車両だった。
パリのメトロはまだほとんど手動ドアで、その中でもまだまだ旧式のハンドルで開けるタイプの車両が多い。初めてパリに行った時は、まだ完全に停車しないうちにドアを開ける行為に少し驚いたものだった。
改札は、今ではICカードも導入されているので、IC専用改札もあった。入口と出口は別になっているので、出口に改札はない。ホームのデザインは各駅それぞれ異なっていて、同じ駅でも路線によって違う。そして、ホームには駅員などいない。これはこの日の撮影ではないものもあるが、いろんなタイプのメトロのホーム。
 メトロ7号線Tuilerries(チュイルリー)駅 
 メトロ8号線Bonne Nouvelle(ボンヌ・ヌーヴェル)駅 
 メトロ8号線Faidherbe-Chaligny(フェデルブ=シャリニー)駅
 メトロ1号線Concorde(コンコルド)駅

さて、Pyramidesで降りたのは、パリの大手スーパー・チェーン店MONOPRIX(モノプリ)に行くためだった。
オペラ・ガルニエとルーヴルを結ぶオペラ大通りに面するこのピラミッド店は、他の店舗に比べて品数が豊富なのだが、土曜の夜ということもあってか食料品売場はとても混んでいた。そしてレジは長蛇の列、しかも日本人ばっかり。この辺はホテルも多く、日本食レストランが集まっている場所にも近いからなのだろう。
別に絶対ここで買わなければならないという訳ではなかったので、化粧品売場でリップ・グロスだけ買って出た。
Pyramidesから今度はメトロ7号線に乗り、Châtelet(シャトレ)で4号線に乗り換えてSaint-Sulpice(サン・シュルピス)で降り、そこのMONOPRIXに行った。
お土産用と自分用に自社ブランドのクッキーと、海外に行くと必ず買うもののふたつ目のアイテム、ハンド・クリームを購入した。
再びSaint-Sulpiceからメトロ4号線で、Vavin(ヴァヴァン)まで行った。この辺は、モンパルナス界隈。カフェやレストラン、映画館などが集まり、夜でも賑やかなところだった。
モンパルナス界隈は、エコール・ド・パリ時代、芸術家たちの中心だったところで、彼らがあしげなく通い、彼らのナイト・ライフに欠かすことのできなかったカフェが今も営業していて、その代表的なカフェ 「Le Select(ル・セレクト)」 と 「La Rotonde(ラ・ロトンド)」 を見つけた。どちらも派手なネオン・サインがひときわ目立っていた。
 
老舗カフェ「Le Select」 と 「La Rotonde」

夜のモンパルナス界隈を歩き、SNCFモンパルナス駅に行った。翌日ここから列車に乗るのだが、“モンパルナス駅はとても大きくて複雑なので、とてもわかりにくい。かなり早めに行くか下見をしておかないと迷う” という書き込みをたくさん見たので下見に行った。
でも、何のことはない、全然わかりにくくなく、翌日利用するホームもすぐわかり、メトロの駅への連絡もわかり易かった。確かにこの日利用したサン・ラザール駅や以前利用した北駅なんかに比べるととても大きな駅だったが、何をどうやって迷うのか疑問に思うくらいわかり易かった。
あっという間に下見は済んだので、Montparnasse-Bienvenüe(モンパルナス=ビヤンヴニュ)からメトロ13号線でInvalides(アンヴァリッド)まで行った。
ナポレオンの棺が納められている、アンヴァリッドのドーム教会の黄金のドームは、ライト・アップによって更に金色に輝いていた。
アレクサンドルⅢ世橋に近付いて行くと、左側にエッフェル塔が見えてきて、灯台のライトのように青い光がぐるぐる回って遠くまで光を差していた。夜のエッフェル塔は、本当に美しい。
昼間渡ったアレクサンドルⅢ世橋は、欄干にアール・ヌーヴォーの街灯が灯り、セーヌ河に架かる橋でいちばん美しい橋と言われるだけあって、とてもムードがあって素敵だった。
 アンヴァリッド  
 アレクサンドルⅢ世橋とエッフェル塔

橋を渡ったところには、ウインストン・チャーチル通りを挟んでグラン・パレとプティ・パレがあり、ライト・アップされた姿はグラン・パレは現代的で、プティ・パレはノスタルジックだった。
すっかり葉を落としたマロニエの並木道(タイトル写真)をコンコルド広場まで歩き、夜景を楽しんだあと、Concorde(コンコルド)からメトロ1号線でChâtelet(シャトレ)まで行ってホテルに戻った。
かなり遅い夕食だったが、ホテルの部屋でルーアンで買ったパンを食べた。大繁盛していたパン屋さんだけあって、パン・オ・ショコラは中のチョコレートの量加減が丁度良く、プティ・ショーソン・オ・ポムもリンゴの果肉が全部潰されずに残っていて、歯ごたえがあって美味しかった。
でもタルトは、鼻にツーンとくるくらいシナモンがきつすぎて、シナモン好きの私でもちょっとダメで、小さいタルトだったけど3分の2くらいしか食べられなかった。
実は他にもっと美味しそうなタルトがあったのだが、持ち帰ることを考えて、トッピングの平坦な型崩れしなさそうなこのタルトを選んだのだった。気にせずに他のにすれば良かったな・・・。
 夜のコンコルド広場
 ルーアンで買ったパンとタルト


★2/28 : 歩数40.855歩、消費カロリー176.9Kcal、距離60.8km

フランス・ショート・トリップ ~ルーアン編~

2009-03-25 | travelog


★2月28日 : パリ~ルーアン(午後)
サン・ラザール駅はパリのターミナル駅としては最も古い駅で、ガラス屋根のホームには自然の光が差し込み、ノスタルジックな雰囲気が漂っていた。
ルーアン行きの列車のホームを電光板で探したが見つからなかったので、近くにあったインフォメーションで聞いて列車に乗り込んだ。発車時刻約10分前の2等車内はとても混んでいて、なんとか席を見つけて座った。
きっぷは、ネット予約専用のPrem's(プレムス)という割引きっぷを事前に予約していた。これは、プリントアウトしたものがきっぷとなり、コンポスタージュという改札の打刻をしなくてもよく、名前も印字されていた。
予約した時、ユーロのレートが1ユーロ119円という最も安い時だったので、ルーアンまでは片道11ユーロ、日本円にして1.309円でPrem'sを購入することができた。 
 サン・ラザール駅のホーム
 この列車で出発

定刻に発車して暫くすると、本を読んでいた25歳くらいの隣りの男性に声を掛けられた。フランス語はわからないので英語なら・・・と言うと、“次の駅まで眠るので、着いたら起こしてくれないか” とのこと。母国語以外の言葉もスラスラ話せるっていうのは、うらやましい。
次の駅がどこかわからなかったが、私は眠るつもりはなかったので快く引き受けた。でもその男性はすぐには眠らず、それから暫く話をすることに。
旅先での定番質問、どこから来たのか聞かれ、日本からと答えると、その彼は “ホッカイドー、ホンシュー、シコク、キタキューシュー?” と言うではないか。
ビックリして、日本に行ったことがあるの?と聞くと、彼のご両親が2年前に一度行ったことがあるとのこと。
ご両親は東京、京都、北九州に行ったそうで、北九州は九州の北部のことで、全体は “キュウシュウ” と言うんだよと教えてあげた。
新幹線の話や、今までお互いに行ったことのあるヨーロッパの国々の話などをし、彼はパリに住んでいて、アムステルダムの友達に逢いに行くのだと言う。え?オランダまでならタリスとかで行くんじゃないの? 途中でどこかに寄るのか?
聞いてみようと思った時、“じゃあ、寝るから起こしてね” と言われたので、詳しく聞けず終いだった。
ひとつ前の席に座っていたちょっとアウトローな感じの男性が、私のことを意識したのかどうかは定かではないが、席と席の間からわざと見えるように日本語のテキストを開いてiPodで勉強を始めた。(笑) 話しかけて欲しかったのかなぁ・・・。
結局、次の駅というのがルーアンで、私が彼を起こす前に車内放送で起きたので、席を立つ前に “話しができて楽しかった、ありがとう。よい週末を。アムスまで気を付けてね!” “こちらこそ、君もよい旅を!” と会話して別れた。
パリから約1時間で着いたルーアンは、フランスの西部に位置するジャンヌ・ダルクが火刑になった街で、モネが連作で描いたノートルダム大聖堂がある。駅の構内には、その大聖堂の壁画があった。(ノートルダムと名の付く大聖堂は、フランス語圏の街に数多くある。)
 SNCFルーアン駅内

駅前の地図で位置関係を確認したあと、歩いてすぐのところにとんがり屋根の塔が見えた。“ジャンヌ・ダルクの塔” だ。
フランスの英雄となり、最期は悲劇的にその人生を終えたジャンヌ・ダルクが監禁されていたところで、中には彼女のいろいろな似顔絵や像、様々な戦いに関する年表や資料が展示されていた。展示室は明るく改装されていたが、監禁されていたと思われるところは、何だか重々しい空気が漂っていた。
 ジャンヌ・ダルクの塔

まっすぐ行くと大聖堂に辿り着くのだが、その前に遠回りして市庁舎の隣りにあるサン・トゥアン教会に行った。
最初、これが大聖堂?と思ったくらい立派な教会で、外観の豪華さとは反対にとてもシンプルな教会内は、美しいステンドグラスが燦々と差し込む太陽の光によって床や壁に映し出され、幻想的な空間を演出していた。こういう自然の光で明るい教会は大好きだ。
教会の回りは公園になっていて、そこでおじいさんたちがペタンクという球技をやっていた。以前 『SMAP×SMAP』 で高田純次と大竹まことが木村拓哉と香取慎吾相手にこのゲームをやったのを覚えていたので、“あ、あれだ!” とすぐわかった。
そのあと、ノルマンディ地域特有の可愛い木組みの家並を見ながら、サン・ヴィヴィアン教会とサン・マクルー教会に立ち寄ったあと、いよいよ大聖堂へと向かった。
 サン・トゥアン教会
 ペタンクを楽しむおじいさんたち
 サン・マクルー広場

中世の趣きが残る石畳の細い路地を抜けて行くと、左側に大聖堂の一部が見えてきた。そして、大聖堂の前の広場に辿り着くと、“すっげ~!” と声が出てしまった。そこには言葉で言い表すことができないほどの、荘厳で豪華で美しくて力強い、大きな大きな大聖堂が建っていた。素晴らしい・・・!! 大きすぎて全体はカメラにとても収まらない。(タイトル写真)
ゴシック様式の豪華なファサード、突起部の先端まで手の込んだ細かな装飾、そのどれもが目を惹いた。
実は、ルーアン行きの計画を立てた時は、朝から行って午前中いっぱいをルーアンで過ごしてパリに戻るつもりだった。しかし、色々下調べをしていると、午前中の大聖堂は建物の影になってしまうので、ファサードの美しさを見るのは午後がいいということがわかり、大聖堂を始めその他の教会なども午後は2時からオープンなので、その時間に合わせた列車にした。計画を変更して正解だった。
大聖堂前の広場は、土曜日ということもあってたくさんの人で賑わい、内部も結構人がいたが、とても広いので混雑さは感じなかった。
広場を挟んで向かい側にツーリスト・インフォメーションがあり、その2階がモネのアトリエだ。
2階に上がる階段の入口のドアは閉まっていたので、インフォメーションのスタッフに聞くと、冬期は入れないとのこと。残念!モネと同じ目線で大聖堂を見たかったな・・・。
インフォメーションのスタッフは、今まで接したいろんなところのツーリスト・インフォメーションのどのスタッフよりも感じ良く、フランス・アメリカ・スペインの国旗のバッジを付けていた。その国々の言葉が話せるという意味で、全部付いている人とそうではない人がいた。
 大聖堂のファサードと左側の塔
 この2階の右側がモネのアトリエだった

ひとまず広場を後にし、ごった返すほどたくさんの人が行き交う、街でいちばん賑わうグロ・オルロージュ通りを歩き、「Brioche Dorée(ブリオッシュ・ドレ)」 というフランスに多数点在するセルフ・サービスのカフェに入った。
パン・オ・レザンとフランボワーズのタルトに、飲み物は一度は飲もうと思ってエスプレッソにした。
パン・オ・レザン(レザンとはレーズンのこと)はデニッシュ生地がパリッとしていて美味しく、タルトはフランボワーズ(ラズベリー)の甘酸っぱい実が丁度いい甘さのカスタード・クリームに絡んで、これも美味しくて満足。でも、エスプレッソはやっぱり苦くて、普段はノン・シュガーだがたっぷりお砂糖とミルクを入れて丁度良くなった。
 「Brioche Dorée」 のパンとタルト

カフェでツーリスト・インフォメーションで買ったルーアンの小冊子を読むと、もう一度大聖堂に行きたくなったので引き返し、また中に入って見逃していたものなどを見て回った。
外に出て横にも回っていろんな角度で眺め、最後にオルセー美術館で見たモネの絵と同じ角度の大聖堂を写真に収めた。その比較は、フォト・ブログに掲載。こちら
 真横はこんな感じ

大聖堂を後にして歩いていると、店の外まで列を成して繁盛しているパン屋さんを見つけたので、そこでパン・オ・ショコラとプティ・ショーソン・オ・ポムとタルトを買った。
タルトを頼む時、ガラス・ケースの外から “コレください” と丸暗記のフランス語で言ったのだが、指がずれて見えたのかひとつ隣りのものと間違えられてしまい、後ろに並んでいたお兄さんが “○○だよ”(フランス語) とお店の人に言ってくれた。
 人気パン屋さんの店内

木組みの家とたくさんの店が並ぶグロ・オルロージュ通りをさっきより先に進んで行くと、青・赤・金色に輝く大時計が見えてきた。この通りの名前Gros-Horloge(グロ・オルロージュ)とは、この大時計のこと。
街のシンボルとなっている大時計はアーチ型の塔になっていて、くぐり抜けるとそのまま通りは続き、途中で横道に反れると裁判所の前に出た。
尖塔がたくさん施された建物で、裁判所という重圧感はなく、豪華で美しかった。大聖堂にもあったが、ここにも屋根の下の梁の辺りにガーゴイルがいた。ガーゴイルはパリのノートルダム大聖堂だけのものでなく、雨水を排出するため、いろいろな建造物に付いているのだということがわかった。
 大時計   裁判所

裁判所前の通りから、ヴューマルシェ広場へと向かった。この広場にはジャンヌ・ダルクに捧げた教会があり、火刑にされた場所には十字架が立ち、彼女の博物館があり、屋内中央市場があった。
ジャンヌ・ダルク教会は、代々木体育館を小さくしたようなモダンな外観で、中はその外観からは想像できないほど、木の壁一面にステンドグラスがはめ込まれた美しい教会だった。
  ジャンヌ・ダルク教会

約4時間のルーアン滞在。想像以上に素敵な街だったので、是非また訪れたいと思いながら、17:59発の列車に間に合うように、ジャンヌ・ダルク通りを駅まで歩いて行った。
  ジャンヌ・ダルク通りのサイン


★巴里編 Pt.5につづく

フランス・ショート・トリップ ~巴里編 Pt.4~

2009-03-22 | travelog


★2月28日 : パリ(午前)
朝起きてTVを点けると、『ケロロ軍曹』 が放送されていた。やはり、日本のアニメは人気があるのだと実感。しかし、『ケロロ軍曹』 とは・・・。
8時過ぎにホテルを出ると、ものすごく濃い霧で数メートル先さえ見えにくい状態だった。でも、以前プラハでも朝の濃い霧が晴れると、とてもいいお天気になったので、パリでもそうなることを期待して、Châtelet(シャトレ)からメトロ7号線でひと駅、Pont Marie(ポン・マリー)で降りて、マリー橋を渡ってサン・ルイ島に行った。
サン・ルイ島は、ノートルダム大聖堂があるシテ島と並ぶ、セーヌ河に浮かぶ島で、かつては貴族、今でも女優や著名人が暮らす高級アパートが建ち並ぶ閑静なところ。岸恵子さんも、ここに住んでいた。
 霧に包まれたサン・ルイ島

まだパン屋さんとチーズ屋さんくらいしか開店していなく、小さな島なので一通りぐるっと回ったあと、一軒のパン屋さんでパンとプティ・ケーキとオレンジ・ジュースを買った。
そして、島の先端にあるSquare de Barye(スクアール・ドゥ・バリー)という公園の下に行って、セーヌ河岸のベンチで朝食タイムにした。
買ったパンをひと口かじった瞬間、あまりにもの美味しさに “美味しい!” と声を上げたほど。私はデニッシュ系のパンに目がないのだが、このパン屋さんの “パン・オ・ショコラ” のお陰で、この後私はパン・オ・ショコラをひたすら食べるのであった。
ミルフィーユもとっても美味しくて感激! それに、Pampryl(パンプリル)というメーカーのオレンジ・ジュースがめちゃくちゃ美味しかった。
 パン屋さんのプティ・ケーキ
セーヌ河岸で朝食タイム

9時頃までセーヌ河の景色を見ながらぼーっと過ごし、サン・ルイ・アン・リル教会に行って中を見学したあと、ノートルダム大聖堂の塔に上るため、10時のオープンに合わせて左岸に渡ってセーヌ河沿いを歩いて行った。
そして、期待どおりに青空が広がっていいお天気になってきた。
 対岸から見たノートルダム大聖堂の後ろ姿

10:10頃に着くと、塔に上る入口には列が出来ていて、20人くらいずつに区切って誘導されていたが、さほど待つことはなかった。
上手い具合にグループの最後だったので、凱旋門の時とは違って途中の窓から景色を眺めたりしながら、ゆっくりゆっくり螺旋階段を上って行った。
まずお土産屋さんがある北塔の高層広間に着き、そこで暫く待ってから再び上へ。塔の上はとても狭いので、ああやって人数や時間配分をしているのだった。
“キマイラの回廊” と呼ばれる塔の上には、大好きな写真家ドアノーの作品でもよく見た吸血鬼のキマイラが、パリの街を監視するように佇んでいた。その姿は、怪物なのにどこか可愛くて、キマイラと一緒にパリの街を眺めているような気がした。
ガーゴイル(ガルクイユ)というのがその名前だと思っていたが、雨水を排出するための突起部分をガーゴイルと言い、キマイラとは別のものだということが、もらったパンフレットでわかった。
他にもいろんな種類のキマイラがあちこちにあって、美しい街の風景と共にとっても楽しんで眺めることができた。ずいぶん時間をかけて眺めていたので、前の人たちとはかなり離れて、気が付けば次のグループの人たちがやってきた。
 パリの街を見つめる吸血鬼のキマイラ
 いろんなキマイラがいた
 これがガーゴイル

次に南塔の鐘楼に入ると、“エマニュエル” と呼ばれる大きな鐘が置かれていた。この鐘は、カトリックの重要行事の時だけ鳴らされるらしい。
鐘楼を出て進むと、係りのおじさんが私を呼び止め、持っていたパンフレットをよこせと言うようなジェスチャーをするので渡すと、さっき行った鐘楼の図を指差して “ここには行ったか?” と言うので(ジェスチャーでわかった)、“Oui(ウィ)” と答えると、ここで待てと言う。そこから更に南塔の上に行くための誘導だった。
今度は先頭で上って最上部に着いた。下にはセーヌ河と橋々、遠くは少し霞んでいたが美しいパリの街を360度一望することができた。
 南塔最上部からのパリの街

さっきのおじさんに途中で挨拶をして塔を下りると、大聖堂の入口と塔の入口は長蛇の列だったので、中の見学を前日の早朝に済ませておいて良かった、とつくづく思った。
大聖堂の裏に回っていろんな角度から見ると、同じ建物とは思えないほど、様々な造りでそれぞれ違った姿をしているのがよくわかった。
裏は公園になっていて、土曜日ということもあり、観光客や家族連れのパリジャンたちで賑わっていた。
シテ島とサン・ルイ島を結ぶサン・ルイ橋の上では、お洒落なファッションに身を包んだおじさんカルテットがジャズを演奏していて、通行人を惹き付けていた。
 お洒落なおじさんカルテット

海外に行くと必ず買うものが3つあり、そのひとつがキャンドル。橋を渡って再びサン・ルイ島に行って、ロクシタンでアロマ・キャンドルを購入した。
日本には売っていない香りのものがたくさんあるのだが、前に買って気に入っていたシトロン・ブラックベリーは今はもうないとのことだったので、サンプルで香りを試してキャンディ・フルーツにした。イモーテルのクリームのサンプルをふたつ付けてくれたのだが、イモーテルは使っているブランドだったので嬉しかった。
お店を出たあと、セーヌ河沿いを走るバスに乗り、ポン・デザール(芸術橋)で下車。金属製の美しい芸術橋(タイトル写真)を見て途中まで渡ったあと、またバスに乗って、ひとつ先のコンコルド広場で降りた。
お天気が良かったので、コンコルド広場から一直線に伸びるシャンゼリゼ通りの向こうに凱旋門がよく見え、右側にはその先にマドレーヌ寺院が見えた。
 コンコルド広場からの凱旋門とマドレーヌ寺院 

コンコルド広場からアレクサンドルⅢ世橋まで歩いて行くと、キンキラ金の橋塔の手前にはグラン・パレ、橋の向こうにはアンヴァリッドが見えた。
橋を渡って行くと、反対側で何かのロケをやっていた。『のだめカンタービレ』 もここでロケしたので、あんな感じだったのかな、なんて思いながら、アール・ヌーヴォーの美しい装飾を見ながら渡り切った。
 アレクサンドルⅢ世橋とグラン・パレ
 橋の上のロケ隊

このあと、サン・ラザール駅からルーアンという街に列車で行くのだが、ちょっと時間が迫ってきていた。
メトロのInvalides(アンヴァリッド)駅はそこからまだ先のようでよく場所がわからず、サン・ラザール駅に向うバスはその付近からは出ていなかったので、少し早足で今歩いてきた道を引き返して、コンコルド広場からバスに乗った。
そこからサン・ラザール駅までは近いので、バスに乗ってしまえば安心。渋滞もなく、途中車内からマドレーヌ寺院を見ることもできた。駅に着いたのが12:30過ぎで、列車は12:50発、十分間に合った。
 マドレーヌ寺院(バス車内から)
 SNCFサン・ラザール駅


★ルーアン編につづく

フランス・ショート・トリップ ~巴里編 Pt.3~

2009-03-21 | travelog


★2月27日 : パリ(後半)
Charle de Gaulle-Étoile(シャルル・ド・ゴール=エトワール)でメトロを降りてエトワール凱旋門に行くつもりだったが、その前に翌々日行く街への列車のきっぷを受け取りに行くことにした。
日本でネット予約して、現地で受け取る方法を選択していたのだ。駅で受け取ってもいいのだが、券売機では日本のクレジットカードがはじかれることが多いということと、どこもそうだが駅の窓口はとても混み合うので、SNCFブティックというSNCF(フランスの国鉄)の店舗で受け取るつもりだった。
それに、凱旋門は上に上って夜景を楽しむつもりだったので、少し時間も早い。Charle de Gaulle-Étoileでメトロ1号線に乗り換えて、St-Paul(サン=ポール)まで行った。
予め店の場所を調べていたのですぐにわかり、閉店前だったので少し混んでいたが、番号札をもらって順番を待ち、無事に発券。対応した女性はとても親切で、現地で車を使うかとか、大きな荷物はあるかとか聞いてくれた。(もちろん英語で)
外に出ると丁度いい時間、再びメトロでCharle de Gaulle-Étoileまで戻った。1日乗り放題のきっぷモビリスを使っているので、こういう時は本当に便利だ。

2004年に来た時は、エトワール凱旋門の右上部が修復中で布で覆われ、ちゃんとした姿を見ることができなかったが、今回は完璧。
シャンゼリゼ通りの横からその雄姿を見たあと、道路を渡って行けないので、凱旋門の下まで地下道を通って行った。
ナポレオンの戦勝を祝うレリーフや彫刻、碑文が刻まれたアーチは壮大で、その下の無名戦士の墓にはたいまつが灯されていた。
奥の広場では、軍服を着た兵隊が集まって、何か終礼っぽいことをやっていた。
 シャンゼリゼ通りの横から   無名戦士の墓

凱旋門の上へはエレベーターで昇れるという情報があったのだが、入口がわからず結局階段で上った。ミュージアム・パスで中に入り、細い螺旋階段をぐるぐる上って行くと途中で休憩できる部屋があり、そこに着いた時は少しヒザがガクガクした。
更に上って全272段、屋上は全て展望のために開放されていて360度パリの街を望むことができ、エッフェル塔、モンパルナス・タワーがそびえ建つ以外パリには高い建物がないので、放射線状に伸びる道路の先まで見えてとても綺麗だった。
パリはその頃の東京に比べると暖かく、この日の昼間はだいたい11℃くらいで、風は多少あるものの、高い凱旋門の上でも全然寒くなかった。
シャンゼリゼ通りはいちばん明るく、遠くには昼間行ったモンマルトルのサクレ・クール寺院も見えた。
 右がシャンゼリゼ通り

下りの螺旋階段は勢いよく下りると目が回りそうだったので、加減して下りて行ったが、それでも少しクラクラした。
帰国後に調べたら、エレベーターはどうやらお年寄りと足の不自由な方用のようで、受付で申し出なければならないらしい。
ライト・アップされた、また違った姿の凱旋門を、今度はシャンゼリゼ通りを渡る横断歩道の真ん中まで行って見たあと、メトロ1号線に乗ってルーヴル美術館の最寄駅Palais Royal-Musée du Louvre(パレ・ロワイヤル=ミュゼ・ドゥ・ルーヴル)まで行った。
 シャンゼリゼ通りの横断歩道の真ん中から

水曜日と金曜日はルーヴル美術館が夜間オープンされていて、夜10時まで開いているので、この日の夜はルーヴル美術館で締めくくり。
ガラスのピラミッドの入口はいつも混雑しているみたいだが、メトロから直結している入口は空いていた。
セキュリティ・チェックを受けて中に進んで、地下のショッピング・モールに向った。そう、ショッピング・モールに行くだけでも、セキュリティ・チェックを受けなければならないのだ。
パリはお店が閉まるのが早いが、水曜日と金曜日は美術館に合わせて開いている。フード・コートに行ってみたが、美味しそうなところは混んでいて列が長く、あまり時間を費やしたくなかったので、スタバに行ってケーキで軽く腹ごしらえしたあと、ガラスの逆ピラミッドの前を通って美術館入口へと向った。
 逆ピラミッド

昼間行ったオルセーさえ足元にも及ばないくらい巨大なルーヴルは、“ドゥノン” “シュリー” “リシュリュー” と言う3つのセクションがコの字型に分かれていて、その真ん中にガラスのピラミッドがあるという造り。
まずシュリー翼に行ったが、そのひとつのセクションもめちゃくちゃ広い。入口でもらった館内図と途中にある案内図を頼りに、“ミロのヴィーナス” を探した。
ヴェーナスは、通路と通路の間の豪華に装飾された天井の円形状の空間に、さり気なく展示されていた。
ひとつ上の階に行ってドゥノン翼に歩いて行き、フランス絵画の展示スペースに辿り着くと、そこには年代順に展示された巨大な絵画が並び、ドラクロワの 『民衆を導く自由の女神』 や ダヴィッドの 『ナポレオン1世の載冠式』 などがあった。
 左から2番目がドラクロワ 『民衆を導く自由の女神』
 
『ナポレオン1世の載冠式』、大きさを比較するために敢えて人物を入れてみた

さて、ルーヴルに来たからには、アレを見ずしてルーヴルは語れない。『モナ・リザ』 の展示室へと向った。
世紀の一作は、他の絵画とは違って近付けないようにロープが張られていて、ガラス・ケースに覆われていた。この展示室の様子は特集番組などで見て知っていたが、やはり小さかった。
その微笑みはとても上品で、モナ・リザに纏わる様々な説を思い出しながら、しばらくそこに佇んでいた。
 レオナルド・ダ・ヴィンチ 『モナ・リザ』(1503-1506年)
 『モナ・リザ』 の展示室の様子

展示室を出たあと、フェルメールの 『レースを編む女』 は、今東京で開催されているルーヴル展のために出展されているので行っても無駄だと思い、イタリア絵画やミケランジェロの彫刻、ナポレオン3世の居室(かつてルーヴルは宮殿だった)などを鑑賞した。
夜だったので、ルーヴルでは課外授業の子供たちは居なかったが、絵を模写して勉強をしている人たちが居た。特に彫刻の展示室にはいろんな年齢層の画家の卵たちが、デッサンに夢中になっていた。たくさんの彫像は、恰好の題材なのだろう。
閉館ギリギリまで鑑賞し、ガラスのピラミッドの出口から外に出て夜のルーヴルを堪能した。
 デッサン画を描いている人を囲む見学者たち
 輝くガラスのピラミッド

昼間からずっとキッシュを食べたかったので、テイク・アウトしてホテルで食べようと思ったが、ルーヴルの周りには何もなかった。そこで、ちょっと離れていたが、パリの学生に評判のキッシュのお店が11時までだったので、メトロでモンジュ広場まで行った。でもお店は既に閉まっていたので、結局チャイニーズ・デリで焼きそばをテイク・アウトし、ホテルに戻った。
TVを点けると、大好きな今ハマっているドラマ 『CSI :Miami』 が放送されていた。大好きなホレイショ・ケインに、パリで会えるなんて!
フランス語の吹替えなのでセリフはさっぱりわからなかったが、既に見ているエピソードだったので楽しめた。続いて 『CSI :NY』 も放送されたので、暫くTVに釘付けだった。(笑)
 焼きそばを買ったら春巻をおまけしてくれた


★2/27 : 歩数46.751歩、消費カロリー203.3Kcal、距離69.6km

フランス・ショート・トリップ ~巴里編 Pt.2~

2009-03-20 | travelog


★2月27日 : パリ(前半)
この頃のパリの日の出時刻は、7時40分頃。7時半頃にホテルを出ると、まだ薄暗かった。
シテ島のノートルダム大聖堂まで歩いて行く内に、完全に明るくなったが、お天気は曇り。
ノートルダム大聖堂前の広場は、時々人が通り過ぎるだけで誰も居なく、ひとりじめ。大聖堂の西側正面には3つの扉があり、様々な彫像が並び、そのひとつひとつに細かな装飾が施されている。そのひとつひとつに意味があるので、下調べしていたメモを見ながらじっくり鑑賞することができた。
8時のオープンより少し早く扉が開いたので中に入ると、ピーンと張り詰めた冷たい空気が体に伝わり、心が洗われているような気分になった。
南北の立派なバラ窓や主宰壇のピエタを見ながら、左回りに側廊をゆっくり歩いて二周した。
 ノートルダム大聖堂の右扉のタンパン
 主宰壇のピエタ

ひとしきり見学したあと、当初はこの日に大聖堂の塔の上に上る予定だったが、お天気がすぐれなかったので予定を変更し、オルセー美術館に行くことにした。
でも開館時間までまだだいぶあったので、セーヌ河を渡って途中いくつか教会を見ながらサン・ジェルマン・デ・プレ界隈まで歩き、日本にも出店しているパン屋さん 「PAUL」 に入った。
店内には香ばしいパンのいい匂いが漂い、食欲をそそられた。奥のカフェ・スペースに座ると、チャキチャキと動き回っているおばあさんが、“ボンジュール!” と言いながらメニューを持ってきてくれた。
フランスのカフェごはんの定番メニュー、クロック・ムッシュとカプチーノをオーダー。クロック・ムッシュは予想以上に大きく、普段朝食を摂らないので食べれるかなぁと思ったが、美味しくて見事完食。
 朝食のクロック・ムッシュ&カプチーノ

お腹いっぱいになったあと再びシテ島に戻って、ステンド・グラスが見事な教会、サント・シャペルに向った。
途中、郵便局に寄って絵葉書用の切手を購入。フランスの郵便局は、オーストリアと同じく黄色がシンボル・カラー。でも、ウィーンやプラハと違って、街にたくさん点在しているので便利だ。
サント・シャペルは裁判所と同じ敷地内にあるので、入口でセキュリティ・チェクを受けた後、ミュージアム・パスでチケット売場では並ぶことなく入場。階段を上って2階の部屋に辿り着くと、三方を見事なステンドグラスで囲まれた美しい空間が目の前に広がり、思わず “うわ~っ!” と声が出てしまった。(タイトル写真)
太陽の光が差し込んでいたら、もっと輝いていたのだろうけど、それでも自然の光にカラフルなステンドグラスが調和して、本当に美しかった。

教会を出た後、隣りにあるコンシェルジュリーに行こうとしたが入口がわからず、とりあえず入ってみた建物は裁判所だった。
私と同じように行ったり来たりしている女の子が居たので声を掛けて聞いてみると、彼女も探したがわからない、でも多分あっちの方だと思う、とのこと。その “あっち” に行ってみたが、やはりそれらしきところはなかった。
コンシェルジュリーは中に入る予定にはしていなく、ついでだしミュージアム・パスが使えるからと思っていただけだったので、諦めて門を出てオルセーに行くバス停に向かって歩いていると、向こうからさっきの彼女が歩いてきて私に何か言っている。
近付いて行くと、コンシェルジュリーの入口はそこだ、と教えてくれた。サント・シャペルと同じ敷地と思っていたが、一旦外に出ないと入口はなかったのだ。
せっかくだからと思い中に入ったが、大して見応えのある場所ではなかったので、薄暗い独房をサクッと見てすぐ出た。マリー・アントワネットの独房は、人形で再現されていた。
セーヌ河沿いに走るバスに乗ってオルセー美術館に行き、入館のセキュリティ・チェックで少し並んだが、中に入るとミュージアム・パスでスイスイ。
ここはかつて駅舎だったところなので、駅舎時代の大時計もあった。ドーム状のガラスの屋根から光が差し込み、開放的な感じの明るい空間が気持ち良かった。
海外の美術館はどこもとてつもなく広く、全部見るには到底丸一日費やしてもムリ。自分の見たいものを絞って効率良く見て、お目当ての絵がある場所を予めチェックしておかないと、探し回るだけで体力を消耗してしまう。
真っ先に行ったのは、上階にある大好きなロートレックの部屋。たくさんの作品が、照明を落とした暗い部屋のガラス・ケースの中に展示されていた。
そのあと、ルノワール、ゴッホ、モネ、セザンヌ、ドガ、マネと言った、教科書や美術書で何度も見た印象派の作品が目白押し。たくさんの有名な作品を、この目で鑑賞していることに喜びを感じた。
課外授業で来ている子供たちが、絵画の前で先生の話を聞いている姿をたくさん見た。子供の頃からこういう素晴らしい芸術に触れられるというのは芸術の都らしいが、子供たちも真剣に先生の話に耳を傾けている。京都に行く修学旅行の学生たちは、自分も含め、歴史の話などは真剣に聞くことなど殆んどなく、全くと言っていいほど頭に入っていないというのが現実だ。
上階を何度も往復して鑑賞し、1階に戻ってミレーの 『落穂拾い』 を最後に、オルセーを後にした。
 駅舎の名残があるオルセー美術館
 課外授業の子供たち
 ロートレック 『黒いボアの女』(1892年)
 ミレー 『落穂拾い』(1857年)

次に目指すところは、モンマルトル。オルセーの近くSolférino(ソルフェリーノ)からメトロ12号線に乗り、Abbesses(アベス)で降りた。
モンマルトルには、かつてピカソやモディリアーニら芸術家たちが住んでいただけあって、Abbesses駅のホームから地上に出る階段の壁は、アートで埋め尽くされていた。
 Abbesses駅のアート

モンマルトルは、映画 『アメリ』 の舞台となり、先日終了したTVドラマ 『トライアングル』 の初回放送のロケ地にもなったところ。
パリでいちばん高いところで、急な坂道や階段が多いので、行きの上りはモンマルトル・バスというミニ・バスに乗って移動した。小さなバスは、狭くて急な坂道をびゅんびゅん飛ばして走る走る。
年中観光客で日夜賑わうテルトル広場に着くと、乗客の大半が降りて、残ったのは地元のお年寄りと私だけだった。
私はもうひとつ先で降りるつもりだったが、向かいに座っていたおばあさんが、“降りないの?” というようなそぶりをしてフランス語で声を掛けてくれたので、“Non. Merci!” と言って次のバス停で降りた。
そこにはパリ唯一のぶどう畑が広がり、向かいには老舗のシャンソニエ 「オ・ラパン・アジル」 が見えた。
そのままサクレ・クール寺院まで歩いて行くと、ビザンチン様式の白亜の大聖堂がそびえ建ち、曇り空で見晴らしは良くないものの、大聖堂前の階段にみんな座って遠くに広がるパリの景色を眺めていた。
そして、その階段の中腹では、ひとりの男性がギターの弾き語りでoasis(オアシス)の 「Wonderwall」 を熱唱していた。それがなかなかイケていて、若者たちは一緒に歌い、年配の人たちは温かく手拍子を送っていた。その光景が、なんだかとっても微笑ましかった。
 モンマルトルの階段  
 モンマルトルの丘から

テルトル広場には、絵画を売ったりイーゼルを立てて似顔絵を描いている人がたくさんいて、とても賑わっていた。
歩いて坂道を下り、途中モンマルトル博物館に立ち寄ると、そこにはロートレックの絵画があり、黒猫の絵が有名なキャバレー 「ル・シャ・ノワール」 のポスターや、さっき見た 「オ・ラパン・アジル」 の “はねうさぎ” の原画も展示されていた。写真はNGだったので、しっかりとこの目に焼き付けてきた。
“ラデの風車” と “ムーラン・ド・ギャレット” の風車を見たあと、ミュージカルにもなった “壁抜け男” のモニュメントの横を通り、更に坂道を下って行った。
確かこの辺に、『アメリ』 の舞台となった八百屋さんがあったはず・・・と思い、地図で確認して歩いて行くと、店先に 『アメリ』 の写真が飾られた八百屋を発見。当たり前だが、映画のまんまだった。(笑)
 テルトル広場  
 壁抜け男
 『アメリ』 の舞台となった 「オ・マルシェ・ラ・ビュット」

モンマルトルの丘に昇るフニクラーレ(ケーブルカー)の駅があるサン・ピエール広場まで行くと、前に来た時も勧誘をかわすのがウザかった怪しい中東系の物売りたちが、相変わらずたむろしていた。
ササッと避け、サクレ・クール寺院を見上げたあと、窓越しに見たケーキが美味しそうだった広場近くのサロン・ド・テ 「Couderc(クーデルク)」 に入った。
ショーケースにはたくさんのプチ・ケーキが並び、選ぶのに迷ったが、カプチーノ味と思われるクリームにスライス・アーモンドがトッピングされた “aladin” というケーキを選び、お店のお姉さんに奥で食べることを告げ、窓側の生に着いた。
サロン・ド・テなのに、ここでもまたカフェ・クレームを飲んだ。というのも、紅茶はティー・ポットで出てくるので、日本のようにいつでもどこにでもトイレがあるという環境がない海外では、必要以上の水分は取りたくなかったのだ。
ケーキの選択は正解で、カプチーノのほろ苦い風味が口の中に広がり、甘さも丁度良くてとっても美味しかった。店を出る時、そのケーキは売り切れていた。

お持ち帰りと店内飲食では値段が違うので、値段がふたつ書かれている

店を出たあと、Pigalle(ピガール)からメトロ2号線でひと駅先のBlanche(ブランシュ)まで行き、駅前にあるフレンチカンカン発祥のミュージック・ホール 「ムーラン・ルージュ」 の真っ赤な風車を見てから、『アメリ』 好きの友達のために、映画の舞台となったカフェの写真を撮りに行った。
カフェはとっても混んでいて、外から覗くと店内には大きな 『アメリ』 のポスターが貼られていた。
 歓楽の地、ムーラン・ルージュ
 
『アメリ』 のカフェ 「レ・ドゥ・ムーラン」

そして、再びBlanche(ブランシュ)からメトロ2号線に乗って、エッフェル塔と並ぶパリを象徴する建造物、エトワール凱旋門があるCharle de Gaulle-Étoile(シャルル・ド・ゴール=エトワール)まで行った。


★巴里編 Pt.3につづく

フランス・ショート・トリップ ~巴里編 Pt.1~

2009-03-16 | travelog


実は2月末から3月にかけて、パリに行ってきた。
飛行機のマイルが貯まり、9月にその一部の有効期限が切れるので、仕事柄春や夏のいわゆる旅行にいいシーズンは休みが取れないので、この時期にどこかに行こうと決め、思い立ったのがパリ。で、サクッと行ってきた。(だから、最近パリを舞台にした映画をよく観ていたのか・・・というのは半分当たってる。)
特典航空券は燃油サーチャージと空港税だけは必要だが、1月1日のサーチャージ値下げ後に発券したので、かなりお得な額だった。
パリは、2004年にロンドン滞在中にユーロスターで日帰りしただけで、その時はセーヌ河クルーズでひととおりの有名スポットは見たものの、ゆっくりできなかったので、今回は短い滞在ながらもたっぷり時間をかけ、いろいろなところをたくさん見て回ってきた。

★2月26日 : パリ
機内では、丁度アカデミー賞受賞の発表があったばかりの 『おくりびと』 がライン・ナップにあり、早速鑑賞。ANAなので邦画も多く、他に 『容疑者Xの献身』 と 『ハッピー・フライト』 も観た。
チェコに行った時に、機内食が美味しいので完食してお腹一杯になりすぎて苦しくなったので、今回はメイン・ディッシュとデザートのみに手加減しておいた。(笑)
映画の話はまた別の機会にするとして、パリ・シャルル・ド・ゴール国際空港には定刻よりも早く到着した。
エール・フランス便は新しいターミナル2だが、ANA便を始めスターアライアンス便は古いターミナル1に到着。円形のターミナル・ビルをチューブ・エスカレーターが空中交差し、古いとは言えど出来た当時は近未来デザインとして注目されていた。
 空中エスカレーター

空港のインフォメーションで、翌日から使用する美術館や主要施設で使える2日間のフリー券 “パリ・ミュージアム・パス” を購入したあと、ロワシー・バスでパリ市内へと向かった。
約35分でオペラ・ガルニエ(オペラ座)近くに着き、メトロOpéra(オペラ)駅で公共交通機関共通の10枚綴りのカルネと1日乗り放題のモビリスを2枚買い、メトロ7号線でホテルの最寄駅Pont Neuf(ポン・ヌフ)まで3駅移動。
駅から徒歩5分程で、予約していたHotel Flor Rivoli(フロール・リヴォリ)に着き、無事にチェック・イン。
パリのホテルは高級ホテル以外はどこも狭いらしいが、やはりエレベーターや廊下はめちゃくちゃ狭かった。
部屋もちょっと狭かったが、それは大きなダブル・ベッドが置かれていたせいで、シングル・ルームなのだからセミ・ダブルくらいにすればもう少しスペースが取れたであろう。
ここは2つ星ホテルだが、部屋はとても綺麗で可愛くて、シャワー・ルームと洗面所があり、テレビと電話、ドライヤーが備え付けられていた。トイレは共同で、すぐそばにあった。
予約したときに、ドライヤーの有無をメールで問い合わせたところ、とても迅速に返信してくれて印象が良かったのだが、思った通りフロントのおじさんの対応はいい感じだった。
 この大きなベッドに4泊滞在

パリの日没時刻はこの時でだいたい6時半。外はまだ少し明るい。手荷物を整理したあと、早速街に繰り出した。
ホテルはメトロのChâtelet(シャトレ)駅にも近かった。シャトレ広場からバスに乗って、左岸6区のサン・ジェルマン・デ・プレに行った。
サン・シュルピス教会の前でバスを降りると、教会のシンボルであるふたつの円錐状の塔のひとつが修復中。
「ダ・ヴィンチ・コード」 で一躍有名になったこの教会内を見学。小説に登場する “ローズ・ライン” は、実際にはそう呼ばれていないらしい。ドラクロワのフレスコ画は、暗くてちゃんと見えなかったのが残念だった。明るい時なら、自然の光が差してよく見えるのだろう・・・。
 サン・シュルピス教会の主祭壇

その後、2004年に食べてめちゃくちゃ美味しかったパン屋さん、「Poilane(ポワラーヌ)」 へ。ショーソン・オ・ポム(ポムとはリンゴのこと)とクロワッサンと手作りクッキー(持ち帰り用)を購入したあと、お店の人に写真を撮ってもいいかと聞くと(フランス語丸暗記)、快く笑顔でOKしてくれた。
ここ数年でガイド・ブックやクチコミで有名になり、多くの日本人観光客が訪れているようだが、この時も私が店を出るのと入れ違いに、日本人観光客がどやどや入ってきた。ひと足先で良かった・・・。
その後、サン・ジェルマン・デ・プレ教会の外観を見に行ってから、買ったパンをサン・シュルピス広場のベンチで食べた。確かに美味しいのだが、前に食べたタルトレット・オ・ポムの方がもっと美味しかったので、同じのにしておけば良かったとちょっと後悔。
 ショーソン・オ・ポム(左)とタルトレット・オ・ポム(右)
 サン・ジェルマン・デ・プレ教会

すっかり日も暮れ、エッフェル塔のライト・アップを見に行くために、Saint-Sulpice(サン・シュルピス)駅からメトロを乗り継いで移動。
エッフェル塔はシャイヨー宮のところから見るのがとても綺麗なので、Trocadéro(トロカデロ)駅が最寄なのだが、ひとつ手前のIéna(イエナ)駅で降りて少し歩くことにした。
パレ・ド・トーキョーと呼ばれる美術館の前を通り、シャイヨー宮の広場まで行くと、たくさんの人が夜のエッフェル塔を堪能していた。
“これぞ、パリ!” という風景が目の前に広がり、その美しさにうっとり・・・。遠くに、アンヴァリッドの金色のドーム屋根も光って見えた。(タイトル写真)
前に来た時は、帰りのユーロスターの時間が迫っていて、チャッチャと写真だけ撮って去ったが、今回はたっぷり浸ってきた。
その後、外のテラスがたくさんの人で賑わう、トロカデロ広場の老舗のサロン・ド・テ 「CARETTE(カレット)」 に入って休憩。
テ(The)とは紅茶のことで、サロン・ド・テは主に紅茶を飲むところ。でも、コーヒーが飲みたかったので、カフェ・クレームとピスタチオのケーキをオーダーした。オーダー前にケーキを見て選ぶことができなかったのだが、ただのピスタチオ味のパウンド・ケーキだった。う~ん、味はイマイチだった。スポンジもパサパサしてたし・・・。
しかも、観光客で賑わう場所なので高い! カフェ・クレームは6.5ユーロ、ケーキは4.5ユーロもした。でもコーヒーはポットに入っていて2杯半くらいあったので、元は取れたかも・・・。(笑)
店内には美味しそうなパンが並び、パンにしておけば良かった・・・でもさっき食べたばかりだし・・・とブツブツ心の中でつぶやいていた。
中は空いていたし、コーヒーもたっぷりあったので、落ち着いて翌日からのプランをノートに書いたりしてゆっくりと時間を潰すことができた。
私はマカロンは好きではないのだが、カラフルなマカロンが目を惹いたので、帰り際にオーナーとおぼしきムッシュに写真を撮ってもいいか聞くと、わざわざカウンターから出てきてくれて、肩をたたいてニッコリとOKしてくれた。
 しめて11ユーロ(約1.400円)也
 美味しそうなパンとカラフルなマカロン

9時半過ぎに店を出てメトロでChâtelet(シャトレ)まで戻り、シャンジュ橋(両替橋)を渡ってノートルダム大聖堂まで歩いて行った。
橋の途中から見た、マリー・アントワネットが幽閉されていたコンシェルジュリーは、夜のしじまに黄金色にライト・アップされ、なんだか怪しい雰囲気が漂っていた。
ノートルダム大聖堂を真正面から見るのは初めて。美しいゴシック建築の左右にそびえる鐘楼が、で~んと目の前にそびえ建って圧巻だった。
ホテルまで15分ほど歩いて戻り、シャワーを浴びて飛行機移動と街散策の疲れを癒して深い眠りについた。
 コンシェルジュリー  
 ノートルダム大聖堂



★1ユーロ=127円で計算
★2/26 : 歩数23.865歩、消費カロリー102.9Kcal、距離35.5km(空港での移動等含む)

Rod Stewart @Nippon Budokan, Tokyo 03/12/09

2009-03-13 | performance


来日の発表があった時のトピでうだうだ言っていたが、やはりずっと気になっていたRod Stewart(ロッド・スチュワート)の来日公演。
後ろ髪を引かれ続け、追加公演が発表され、ケーブルTVで放送された昔のライヴ映像を見たらもう気持ちは固まった。あとは仕事のスケジュールだけ。
サイアクは大阪まで行ってしまおう、とまで考えていたが、上手い具合に予定が立ち、本日の追加公演に行ってきた。
チケットは2月末に購入。SS席はちょと手が出なかったが、ぴあで座席表を見て2階の納得の行く席(S席13.000円)を入手。
そしてこの私、かなりワクワクしていた。こんなにコンサート前に胸湧き躍るのは、なんだか久しぶりだった。
思えば中学生の頃にRodを知り、飛び抜けて・・・というほどではなくても、同じテンションでずっと好きなのだから、ワクワクするのも仕方ない。(笑)
先日の旧渋谷公会堂もめちゃくちゃ久しぶりだったが、武道館も95年のPearl Jam(パール・ジャム)以来。
昨日の公演は満員だったというから、きっと追加が出たのだろう。九段下の地下鉄の階段を上がると、“チケット譲ってください” という紙を持った人が何人かいた。今日も満員か・・・と思った。


しかし、いざ行ってみると、1階席2階席ともに空席が目立つ。3階席に至っては、真ん中部分は黒い布で覆ってふさいでいた。アリーナ席もブロックとブロックの間がやけに広い。こんなことなら、追加はNHKホール辺りでやれば良かったのに・・・。
ステージは白を基調とし、床にはRodご贔屓のセルティックFCのエンブレムが描かれていた。


定刻の7時に客電が落ち、映画 『God Father』 をもじって 『Rod Father』 というタイトルの昔のRodの映像が流れ、バンド・メンバーが登場。
やがて、光沢のあるショッキング・ピンク(!)のジャケットに身を包んだRodが登場。
1曲目は 「Some Guys Have All The Luck」、“キターーーーー!!” という感じだ。大好きな曲で幕開け。
軽やかなステップを踏み、おちゃめなポーズを取ったりと、1月で64歳になったとは思えないRod。声も良く出ているし、高音部分をアレンジしてオリジナルとは違う低いメロディで歌ったりはしていたが、それでも昔と比べてもさほど差はない。白いマイク・スタンドを振り回し、あのセクシーなハスキー・ヴォイスは健在。
間に 「Infatuation」 を歌ったが、他は 「This Old Heart of Mine」 や 「Rhythm of My Heart」 など緩やかなノリの曲が続き、ジャケットを脱いで椅子に座って歌ったのは 「Downtown Train」。
でも、じっとしていられないのか、座ったままでも足は細かくステップを踏んでいて、結局立ってハンド・マイクで歌った。間奏が終るとRodや他のメンバーは一旦はけ、ツイン・ドラムの掛け合いになった。
再び出てきた時は、シルバーのタキシード・ジャケットに衣装チェンジ。「Downtown Train」 のサビに戻り、歌い終わったあとにドラムスのふたりを紹介。その内のひとりが、元ABCのDavid Palmer(デイヴッド・パーマー)。ABC、懐かしすぎる! 「The Look of Love」 のワン・フレーズが頭をよぎった。
“座って聴いてね” と促し、スクリーンに可愛いアニメーションが映って 「The First Cut Is The Deepest」、「Tonight's The Night」 と続いたあと、Jeff Beck(ジェフ・ペック)の名前がRodの口から・・・。えっ!?やるの?あの曲・・・。
Rodが “1986・・・” と言って流れてきたイントロは、まさしく 「People Get Ready」 だった。あぁぁぁ、感激・・・。
できればJeff Beckのスライド・ギターの音色とともに聴きたかったけど、そんな贅沢は言ってられない。そしてメロディを追うように、あのビデオ・クリップの映像が目に浮かんできた。
そのあと、21歳の娘さん(Ruby Stewart / ルビー・スチュワート)が出てきて、2曲歌った。
彼女を紹介した時のRodは、親バカっぷり発揮でデレデレ。ブロンドの髪にスレンダーなボディ、目がクリッとしていて可愛く、キュートな声の持ち主だった。
パパが再びステージに戻ってきて歌ったのは、CCRの 「Have You Ever Seen The Rain」。いい曲だな~とつくづく思った。
なんと、ここで10分休憩。コンサートで休憩を挟むなんて、初めての体験だ。もう既に10曲以上はやっているのに、まだまだ続くなんて嬉しい限り。チケ代なんて、全然もったいなくない。(笑)

休憩中に、セルティックのユニフォームを着て最前列のド真ん中で横断幕を掲げている人たちに双眼鏡で目をやると、外国人グループだった。というより、その列はほとんど外国人だった。海外からやってきたのかな・・・? 
入場の際、カメラ・チェックがなく、フラッシュが光っても注意されている様子はなく、撮り放題だった。携帯のカメラでは遠すぎてムリ、デジカメを持ってくれば良かった。1曲くらいムービーを録りたかったな・・・でもまあきっと誰かがYouTubeにUPするだろう。
さて、第二部。白いシャツ&ジーンズ姿に着替えたRod、バンド・メンバーやコーラスの3人の女性も皆ラフな衣装になって、「Sweet Little Rock'n Roller」 でスタート。
Rodも一緒にスクリーンに映った犬が可笑しい動きをするのを見たり、若かりし頃のRodのちょっぴり恥ずかしい写真を見たりと、和気藹々。
「You're in My Heart」 のイントロが流れてきた時は、邦題 “胸につのる想い” の如く、胸がつのった。
コーラス隊のひとりがティナ・ターナーの曲 「Proud Mary」 を歌ったあと、客電が点いて明るくなり、「Hot Legs」 を歌いながらサッカー・ボールを客席に蹴るわ蹴るわの大サービス。アリーナのいちばん後ろや1階席の奥まで届く脚力は凄い。80年代に同じこの武道館で見た時も、ステージの上でボールを転がしてたっけ・・・。
1階席にセルティックのユニフォームを着たグループがいて、そこに向けてとても正確なシュートをするのだが、どうしても受け取る時に跳ね返ってしまってなかなかお目当ての人が受け取れなかったけど、3回目にしてやっと成功。
「Maggie May」 にはやられた。この曲はいろいろ思い出が詰まっているので、ウルウル・・・。
最後は 「Da Ya Think I'm Sexy?」 で盛り上がり、アンコールは 「Sailing」。ずーっと一緒に歌ってた。
アンコールでは娘さんがコーラスで再び出てきて、横に行ったRodに何やら耳打ち。そして腕を組んで、“こうするのよ” とでも言っているかのように、ステップを揃えて踏む姿が微笑ましかった。そして先に親子ふたりが、ステージを去って行った。

Rodは本当によく動き、細い足にキュッと引き締まったヒップはセクシーでカッコ良かった。
近い内にFaces(フェイセズ)の再結成も実現するかも知れないし、世間で “懐メロおやじ” と言われようが、私にとっての最高のロック・ヴォーカリストRod Stewartはまだまだ健在。
20曲以上も歌い、約2時間。こんなにたくさんの曲が聴けるだなんて思ってもいなかったので、すごく楽しかった。最近のライヴはとても短いので、若者たちも見習ってほしいものだ。
懐かしい曲、大好きな曲がたくさん聴けて、やっぱり行って良かった。

『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』

2009-03-12 | cinema & drama


最近劇場で観るのはミニ・シアター系の作品ばかりだったが、久しぶりに大作を観に行ってきた。
『ベンジャミン・バトン 数奇な人生 / The Curious Case of Benjamin Button』、ブラッド・ピット主演の話題の映画。
167分という長編だったが、全くその長さを感じず、観終わったあと、何とも言えない不思議な気持ちになった。
時計が逆回りして行くように、80歳の姿で生まれて成長するにつれて若返って行くという、自身に課せられた運命を受け止め、一生を終えて行くひとりの男の姿が、とても丁寧に描かれていた。
実父に捨てられて、育った環境が老人施設だったということもあり、ベンジャミンは周囲から異様な目で見られることもなく、たくさんの人と触れ合いながら淡々と時は流れて成長して行く。
心を通わせた女性デイジーとの普遍的な愛。彼女はどんどん老いて行く一方、彼はどんどん若返って行く。ケイト・ブランシェット演じるデイジーのジレンマは、同じ女性としてとても共感した。同様に、ベンジャミンも精神と肉体のジレンマに苦しむ。
ベンジャミンが出会う多くの人は皆とても温かく、中でも最初に出会った育ての母親クィーニーの存在がとても大きかった。

監督はデヴィッド・フィンチャーで、ブラッド・ピットとは 『セブン』、『ファイト・クラブ』 に次いてタッグを組んだ。
先日発表されたアカデミー賞では、美術、メイクアップ、視覚効果の3部門を受賞したが、技術の進歩とは言え、老いた姿や若返った姿はとても自然だった。
先ごろ来日した時にブラッド・ピットは、若返った姿はCGのお陰さと笑いながら言っていたが、昔懐かしい “カッコいいブラピ” がそこに居た。
ヨットでセイリングしている姿やバイクに乗っている姿は、若かりし頃のLEVI'S501のCMを思い出させた。そして、ケイト・ブランシェットはとてもとても美しかった。
登場人物の中でツボだったのが、7回も落雷に遭ったというおじいさん。そのことを何度もベンジャミンに話し、その度に被害に遭ったシーンが無声映画のようなモノクロの早回しの映像で流れて、思わずクスッと笑わせてくれた。
人とは違った運命を背負いながら、生きることの喜びや悲しみ、人との出会いと別れを経験していくベンジャミンの姿の中に、“人生は後戻りすることができない” というメッセージが込められた、魅力あるステキな作品だった。