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『ロートレック・コネクション』 愛すべき画家をめぐる物語

2010-03-30 | art


去年の12月、もう3ヶ月以上前のことだが、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催されていた 『ロートレック・コネクション』 のことを振り返ってみようと思う。
ロートレックに関する展覧会は、何らかの形で毎年と言っていいくらい日本で開催されている。去年、サントリー美術館で開催された 『ロートレック展』 にも行った。
今回は、ロートレックの作品はもちろん、36年という彼の短い生涯の中で交流のあった画家たちの作品が一緒に展示された。

3つの時代がテーマになっていて、まず最初のテーマは “画学生時代 -出会いと影響-”。
最初の絵は、ロートレックが美術の道に進もうとしたきっかけとなった最初の師、ルネ・プランストーの作品。ルネ・プランストーは馬の絵を専門に描いた画家で、師匠と似た題材の馬の絵を、ロートレックも描いている。
ロートレックがコルモンの画塾に入って出会った、ルイ・アンクタンやエミール・ベルナールらの絵がたくさん紹介され、後に画塾に入ってきてロートレックと親しくなるゴッホのステキな絵が、このセクションの最後を飾っていた。
 フィンセント・ファン・ゴッホ 『モンマルトルの丘』(1886)

次のテーマは、“モンマルトル -芸術の坩堝(るつぼ)-”。恐らく、ロートレックがいちばん輝いていた時代であろう。
ここで最初に目を惹いたのは、お馴染みスタンランのキャバレー 「黒猫」 のポスター。モンマルトル美術館でも見たが、作品リストの所蔵先が川崎市市民ミュージアムだったのには驚いた。
 テオフィル=アレクサンドル・スタンラン 『シャ・ノワール巡業公演』(1896)

その後は、続々とお馴染みのロートレックのリトグラフが続いた。大好きな作品がたくさん展示されていたので、ワクワクした。
キャバレー 「ムーラン・ルージュ」 のポスターは、第一作目はジュール・シュレが制作して大好評を得たが、第二作目を手がけたロートレックも大成功を収めた。
彼のリトグラフには、彼が浮世絵に巡り会い、虜になり、熱心に研究したという影響が現れている。
 ジュール・シュレ 『ムーラン・ルージュの舞踏会』(1889)
 アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック 『ムーラン・ルージュのラ・グーリュ』(1891)

実はこの 「ムーラン・ルージュ」 のポスターが、ロートレックが描いた最初のポスター。真ん中で踊っているのは、人気ダンサー、ラ・グーリュで、手前のシルエットは、彼女とコンビを組んでいたダンスの名手 “骨なしヴァランタン”。ポスターには、「ムーラン・ルージュ」 の判が押されていた。
「カフェ・コンセール」 の開店用のポスターは、数ある好きな作品の中でも特に好きな作品。タイトルの 『ディヴァン・ジャポネ』 を訳すると、“日本の長椅子”。モデルはダンサーのジャヌ・アヴリルで、彼女を描いている他の作品も展示されていた。
このふたつは構成が似ていて、斜めの線とコントラバスの上部が共通している。
 『ディヴァン・ジャポネ』(1893)と、『ジャヌ・アヴリル』(1893)

とても興味深くて良かったのが、その 「カフェ・コンセール」 に寄せたリトグラフの連作。
 『アリスティッド・ブリュアン』 『ポランの歌を聞く婦人』 『奇妙なイギリスのコメディアン』(1893)

最後のテーマは、“前衛集団の中で”。ロートレックをリトグラフの道に導いたと言われている、ピエール・ボナールの作品から始まった。
ロートレックやゴッホ同様、浮世絵に多大な影響を受けたというドガやドニ、アール・ヌーヴォーを代表するムハ(ミュシャ)の作品はとても綺麗で妖艶で、惹きつけられた。
 モーリス・ドニ 『ランソン夫人と猫』(1892)   アルフォンス・ムハ 『ジスモンダ』(1894)

この頃のロートレックの作品は油彩画が多く、特に肖像画が印象に残った。モデルの婦人の個性が表現されている 『マルセル』 や、横向きでの立ち姿の肖像画 『アンリ・ディオー氏』、そしてポスターを手がけることで親しくなったという英国の自転車製造メーカー、シンプソン社のフランス支社総代理人の肖像画 『ルイ・プグレ氏』 は、英国紳士の気品さが滲み出ていた。これら3作は、色合いも似ている。
 『マルセル』(1894)、『アンリ・ディオー氏』(1891)
 『ルイ・プグレ氏』(1898)   『シンプソンのチェーン』(1896)

とってもステキだったのが、「ルヴュ・ブランシュ」 という雑誌のために描いたポスター。モデルは、雑誌の創設者タデ・ナタンソンの妻で、人々のあこがれのミューズ、ミシア。
 「ルヴュ・ブランシュ」 誌のためのポスター(1895)

ロートレックは、とても由緒ある大貴族の嫡男として生まれ育ったが、幼年期に両足を二度骨折し、それが原因で上半身は成長するも、下半身は発育不良のままという異常な容姿だった。しかしそれは骨折だけが原因ではなく、両親が従兄妹同士という家系内での血族結婚がもたらした悲劇とも言えよう。
世間から差別的視線で見られていた彼は、極めて背の高い人を好み、自分を冗談の種にしていたという。そして、ダンスホールや酒場などに出入りするようになり、娼婦や踊り子ら夜の世界の女たちに共感し、彼女らを描くことに情熱を費やしたのだった。

安らかに...Alex Chilton

2010-03-19 | music : other


またひとり、偉大なアーティストが天に召された。
数々のアーティストに影響を与え、熱く支持されていたAlex Chilton(アレックス・チルトン)が、17日に心不全で亡くなった。享年59歳、早すぎる・・・・・。
Alex Chiltonは、10代でThe Box Tops(ボックス・トップス)というブルー・アイド・ソウル・グループのリードVo.を務め、「The Letter / あの娘のレター」 が大ヒット。
でもそれは後から知ったことで、私が最初に知ったのは、70年代に活動した元祖パワーポップ・バンドBig Star(ビッグ・スター)だった。
Big StarとAlex Chiltonは、パワーポップ / ギターポップ等オルタナ界に多大な影響を与え、そんなBig Starチルドレンは、リスペクト満載のカバーをしている。
The Bungles(バングルス)の 「September Gurls」 は有名だが、 私はTeenage Fanclub(ティーンエイジ・ファンクラブ)がAlex Chiltonと一緒にやった 「September Gurls」 が大好き。そして同じくTFCの「Free Again」<Alex Chiltonソロ>と 「Jesus Christ」、gogolo aunts(ジゴロ・アンツ)の 「I am the Cosmos」<The Posies(ポウジーズ)も同曲をカバーして両A面シングルになっている>は、数多いカバーの中でも特にお気に入りだ。
USガレージ・ロック・バンドThe Replacements(リプレイスメンツ)に至っては、カバーだけではなく、「Alex Chilton」 というそのまんまのタイトルの曲をアルバムに収録している。
Big Starは93年にThe Posiesのふたりを加えて再結成し、94年には来日もした。もちろん見に行った。Big Starとしてだけではなく、eugenius(ユージニアス)とのジョイント・ライヴもあり、両バンドが終結したステージは、カリズマティックなオーラが溢れていたことを記憶している。

RIP

列車で周る英国の旅 Day11(last day)

2010-03-16 | travelog


【絶対君主ヘンリー8世の軌跡を辿る】 07/12/09 : ハンプトン・コート~帰国

ついに帰国の日。フライトは19時発だったので、空港に行くまでの時間を有意義に過ごした。それが目的で、13時発のヴァージン・アトランティック航空ではなくANAにしたのだった。最終日は友人の提案もあって、ロンドンから短時間で行けるハンプトン・コート宮殿に行くことにした。
ハンプトン・コート宮殿は英国王ヘンリー8世が使用していて、2009年はヘンリー8世の即位500周年を記念したイベントなども行なわれていた。
丁度、ケーブルTVで放送中の 『THE TUDORS~背徳の王冠~』 を見ているということもあって、ヘンリー8世に関係することに興味があった。
8日間のブリット・レイル・パスは前日で終了だったので、きっぷは前日事前に買っておいた。この日もLondon Waterloo(ロンドン・ウォータールー)駅からSouth West Trains(サウス・ウエスト・トレインズ)で出発。最後の列車の旅だ。
 途中、かのWimbledon(ウィンブルドン)を通過し、約30分ほどで到着したHampton Court駅は、ひっそりとした小さな駅だった。
             
                          
駅を出るとすぐにテムズ河があり、向こう側にハンプトン・コート宮殿が見えて、橋を渡ってすぐのところに正面入口があった。昔はテムズ河を上って船で行き来することもあったそうだが、今でも夏のシーズンには船で行くことができるようだ。

門をくぐると左手にインフォメーションがあり、そこで入場チケットを購入。入ったところはこんな感じ。 
右手にスケートリンクと  即位500周年イベントの看板があり、  ずんずん進むとほどなく正面ゲートのアン・ブーリン門に辿り着いた。
   振り返るとこんな感じ。 

無料貸し出ししているオーディオ・ガイド(日本語あり)を借りに行き、見学スタート。まず最初に行ったのは、テューダー・キッチン。
 Fish Court(フィッシュ・コート)という細長い中庭は、日当たりが悪いことを活かした食料貯蔵室が並ぶスペース。そこを抜けると、大食漢だったヘンリー8世の頃のままをの台所が、それぞれの調理目的別に分かれて忠実に再現されていた。
          
 容器として使ったパイは600人分   炭火調理器
肉用のグレイト・キッチンと実演    

テューダー・キッチンを出たあと行ったチャペルの中庭Chapel Court(チャペル・コート)の、王や王妃を例えたカラフルな動物が花壇の杭の上に付いているのが、とても興味をそそられて面白かった。
 リチャード1世のライオン   アン・ブーリンの雌豹   ジェーン・シーモアの豹

そのあと、ハンプトン・コート宮殿のハイライトとも言える、ヘンリー8世のステート・アパートメンツに足を踏み入れた。まず最初に入るのは、ステンドグラスが特徴のグレイト・ホール。    ここは、いわゆる大広間・大食堂。いろんな宮殿や城にこのグレイト・ホールというのがあるが、ここは他と違い、実際に椅子に座ってテーブルに向かうことも出来た。ステンドグラスには、ヘンリー8世と6人の妻の名前と家系も記されている。
               ヘンリー8世像とアン・ブーリンの名が記されている部分 
グレイト・ホールの隣りの部屋は、謁見の大広間。見事なタペストリーが飾られ、ステンドグラスにはウルジー枢機卿の姿が・・・。
  この辺り、ウルジー枢機卿についてはドラマを見ているので、なかなか興味深かった。続いて、5番目の妻キャサリン・ハワードの幽霊が出て、廊下で悲鳴が聞こえるといわれるホーンテッド・ギャラリーへ。ここには、ヘンリー自身を筆頭に肖像画が飾られていて、家族の肖像画もあった。結構明るかったということもあり、幽霊が出るという不気味さはなかったが・・・。
ホーンテッド・ギャラリー    家族の肖像画 

ハンプトン・コート宮殿では、中世の衣装に身を包んだ人たちによる無料のコスチューム・ガイド・ツアーがあり、そろそろその時間が近付いてきたので、集合場所のクロック・コート(中庭)に向かった。
このふたりがガイド。  15人くらい集まり、男性ガイドはチューダー・キッチン、女性ガイドはグレイト・ホールと二手に分かれ、私は女性ガイドに付いて行った。歩いている途中、みんなにどこから来たのか質問した彼女は、私に “ハジメマシテ。ヨウコソ。ゴキゲンイカガデスカ?” と言ったので、彼女の発音を褒めると、“本当?でもそれだけしか知らないの” と言っていた。他にはドイツやカナダやオーストラリアからの人たちが居て、今日はいつもよりもワールドワイドだわーと言っていた。建物の入口で皆でお揃いのローブを羽織って中に入り、  グレイト・ホールに行って説明を聞き、隣りの謁見室に入ったら姉だという人が来てそこから寸劇が始まった。
妹は姉の侍女とのこと    ヘンリー8世登場! 
王は姉がお気に入り    逆らう妹を叱責する王  
なんだかヘンリー王が本物に見えてくるほど、板に付いてたお芝居だった。その場にいた人たちや課外授業の子供たちも交え、  場はかなり盛り上り、終わった時には大拍手が沸いた。お芝居が終わったところでコスチューム・ガイド・ツアーは終了。私はその後、噴水のある中庭ファウンテン・コートに出て(タイトル写真)、クィーンズ・ステート・アーパートメンツとジョージアン・ルームズを見学。今はもう王室関係者は滞在しないので、写真も自由に撮ることができた。
クィーンズ・ステート・アーパートメンツには、バロック建築を英国に取り入れたクリストファー・レンがデザインしたメアリー女王の寝室があり、  絵画で飾られたクィーンズ・ギャラリーは圧巻だった。 
ジョージアン・ルームズは、当時のキャロライン王妃が使用した寝室などのプライベート部屋が見どころだった。
 寝室    浴室    ダイニングルーム 

ひととおり宮殿内を見学したあと、庭に出たがお天気が崩れてきて風が強く、雨も少し降ってきたので、あまり奥の方まで行かなかった。なので、ここの名物であるMaze(メイズ:迷路)も見に行かず。
   英国式庭園のThe Pond Garden 

とは言え、かなり広い敷地の庭園、いい運動になった。朝から何も食べていなかったので、空港に行く前にここで何か食べておこうと思い、テューダー・キッチンの横にあるセルフ・サービスの 「Privy Kitchen Cafe」 に入った。本日のシチューのビーフシチューにしたのだが、お肉はとろけるくらいに柔らかく、とても美味しくて量も多く、おなかいっぱいになった。
              本日のシチューとくるみパン

列車の時間までまだ少しあったので、再び建物の中を散策していると、ヘンリー王に遭遇。なんだか本当に王様に遭遇した気分になり、思わず大きくお辞儀をした。写真を撮らせてもらったのだが、彼はいつ何時もヘンリー8世を貫き通していた。 


もう一度庭に出て、世界最古ということでギネスブックに載っているというぶどう畑The Great Vine(グレイト・ヴァイン)を見に行ったのだが、収穫の季節は過ぎているので枯れ枝だけだった。
当初4時間の予定だったのだが、意外や意外、なかなか面白くて興味深いものが多く、予定よりも1時間長く居た。
ロンドンに戻った後は当然もうどこにも行く時間はなく、Waterloo駅に預けたスーツケースをピック・アップしてヒースロー空港に向かった。
ANAは出発前にWebチェックインができるので、既にチェックインは済ませていたが、荷物を預けに行くと、“本日、エコノミー・クラスが非常に混み合っておりまして・・・” と・・・。げっ!?嫌な予感?オーバーブッキングか?などと一瞬の間にいろんなことを考えてしまったが、その後に続いた言葉は、“同じ窓側のお席でビジネス・クラスのお席をご用意しました” だった。うっほほ~い!ラッキー! 快適すぎるほどの快適なフライトと、美味しい食事を満喫して帰国した。

これが、その豪華なビジネス・クラスのお食事♪
 ウェルカム・スナック    前菜と小鉢   
 メインディッシュ    デザート


もう帰ってきてから3ヶ月も経ってしまい、おまけにこの旅行記を終える寸前のところで次の旅にも出かけてしまったが、振り返ってみると行くとこ行くとこに青空を連れて行き、列車は1本だけ10分遅れただけであとは全てオンタイム、帰りの飛行機はグレード・アップと、何だか全てを味方にした旅だった気がする。
次にまたUKに行くのは5年後かな・・・。   

ボチボチ音楽話も復活させねば・・・

2010-03-12 | others


ずいぶんと更新が滞ってしまった。
約1ヶ月のハードな新人教育を終え、最終日の翌日は機上の人。UKの旅行記も終えぬまま、息抜きに一週間旅行してきた。
写真は成田空港出国時の様子。この飛行機が、今回初めて利用したオーストリア航空。行き先はザルツブルクとインスブルック。雄大なアルプスの山々に、毎日癒されていた。

一段落したところで、早くUK旅行記を仕上げなければ・・・。あと残すとこ、最終日のみ。そして、まだアップしていないライヴレポやアルバムレビューもある。絵画展のことも映画もある。
当分ネタは尽きないが、時間が追いつかないので、まあボチボチと・・・。