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中欧の旅・番外 ~ドイツ、フランクフルト編~

2008-12-30 | travelog


★11月5日 : フランクフルト(Frankfurt)
ウィーンから約2時間のフライトで、フランクフルト・マイン国際空港に順調に到着。3月に利用したばかりなので、勝手は知れていた。
フランクフルトの街までは、Sバーンで約12分。空港地下のSバーンの駅まで足早に歩き、フランクフルト中央駅に着いた時は、夕方5時少し前だった。コイン・ロッカーに荷物を預けて外に出ると、既に薄暗くなってきていた。
成田行きの飛行機は20:45発なので、19:30までにまた中央駅に戻ってくればいい。約2時間半の街歩きのスタート。
フランクフルトは、ドイツでも屈指の経済産業発展都市で、高層ビルが建ち並ぶ都会だが、レーマー(Römer)という旧市庁舎があるレーマー広場の一角だけは、旧市街のままの姿を残している。
駅前のトラム乗り場で、レーマー広場行きを待つこと約15分。フランクフルトのトラムはとても近代的だった。
 フランクフルト中央駅  
 トラム 

レーマー広場に着いた頃には、すっかり暗くなっていた。広場はほとんどライト・アップされていなく、少ない街灯と店の灯りでかろうじて見えるという程度だったので、あまりいい写真は撮れなかった。
広場の中心にあるユステシアの噴水に向かって歩いていると、何やらやたらと関西弁が聞こえてきた。学生服姿の男子学生のグループが、ワイワイガヤガヤと記念写真を撮っていて、シャッターを押して欲しいと頼まれた。
聞くところによると、大阪の男子高の生徒たちで、修学旅行だそうだ。ドイツに修学旅行とは、なんともうらやましい。
レーマー広場は、木組みの可愛い形をした建物で囲まれていて(タイトル写真)、旧市庁舎の前にはまだ飾りつけのない大きなクリスマス・ツリーがあった。ここは、もうすぐクリスマス・マーケットで賑わう場所なのだ。
そして、広場の一角にある、シンプルな外観のニコライ教会に入った。
 レーマー(旧市庁舎)とクリスマス・ツリー
 ユステシアの噴水   ニコライ教会

教会の中を見学していると、ひとりの青年から “ステキな教会ですね” と声を掛けられた。言ってみればナンパだ。(笑)
暫くフランクフルトに滞在しているというその青年は、ケルンから来たと言うので、ケルン大聖堂のことを話してみた。もう随分前になるが、ケルンに行った時、中には入らなかったが、その素晴らしく荘厳な姿に感動したものだった。
そういう話をしていると、この近くに美しい大聖堂があるので行かないかと誘われ、どっちみち行く予定のところだったし、地図を頼りにしなくてもいいと思い、連れて行ってもらった。
約2時間の乗継時間を利用して観光しているので、ゆっくりできないと言っていたので、早足で歩きながら連れて行ってくれた。
途中、北野武の映画の話になり、私が好きな 『Dolls』 が彼もいちばん好きな映画だと言ったので話は盛り上がり、「北野武はコメディアンだって知ってる?」 と聞くと、目を丸くして驚いていた。
丁度首相が麻生氏に交代したばかりの時で、そういう日本の政治情勢もちゃんと知っていた。
レーマー広場からすぐのところにあるドーム(Dom)という大聖堂は、神聖ローマ皇帝の選挙と戴冠式が行われた歴史あるバロックの聖堂で、高い塔が特徴。
昼間は塔の上に登ることができるということをその彼は知らなかったので、翌日行ってみると言っていた。そして、聖堂内の壁に飾られたレリーフの意味などを説明してくれた。
他に行きたいところはあるかと聞かれ、悪い人ではなさそうだったので、この際だからガイドしてもらおうと思い、マイン河に架かるアイゼルナー橋と詩人ゲーテの記念館 “ゲーテ・ハウス” に連れて行ってもらった。
アイゼルナー橋には、マイン河が何度か氾濫した時の水位を刻んだ碑があり、色々説明してくれて、橋から見る夜景は綺麗だった。
ゲーテ・ハウスはもう閉まっていたが、窓の隙間から中を少し見ることができた。
 アイゼルナー橋からの夜景
 ゲーテ・ハウスの看板

彼は、その後もまだ一緒に行動したそうだったが、ちょっとひとりになってあてもなくブラブラしたかったし、もうあまり時間もなかったので、渋る彼にお礼を言って別れた。
まあ本音を言うと、あまりタイプの男性ではなかったからなのだが、もしタイプだったら、メール・アドレス交換くらいはしていただろう・・・。(笑)
ひとりになった後、公園の立派なゲーテ像を見たり、教会に立ち寄ったりしながら街をブラブラしていた。
偶然見つけたチョコレート・ショップにアイスクリームがあったので、店内に入ってみると、なんとも美味しそうなケーキやチョコレートがずらり。
でも店内でゆっくりケーキを食べる時間はなかったので、ホワイト・チョコチップ・アイスクリームを買って、歩きながら食べた。
 ふた口ほど食べたあとの写真

やがて戻らなければならない時間になったので、中央駅に地下鉄で行ってコイン・ロッカーの荷物を出し、再びSバーンで空港に行って、帰国の途についた。
機内では、当時まだ公開前だった 『X-FILES THE MOVIE』 で、懐かしのモルダー&スカリー・コンビを観て過ごした。


プラハ5泊、ウィーン4泊の旅は、天候による計画まるつぶれがあったり、列車の遅れやスーツケースの鍵の事件など、いつになく波乱の多い旅だったが、思わぬグルメな旅にもなり、とっても充実した10日間だった。
いちばん印象に残っているのは、シェーンブルン宮殿の庭園歩きで、いちばん良かったところは、オーストリアのデュルンシュタイン。
プラハは歩いているだけでいろんな発見があって、とてもステキな街だったし、ウィーンもまだまだ見足らないので、また絶対行きたい! ブダペストは、その内また行きたいと思うようになるかどうかは定かではない。 
そして、帰国から約2ヶ月経った今でも、ケーキが恋しくてたまらない。(笑)


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年内に旅行記を仕上げなくては・・・と思い、滑り込みでやっと完了しました。
長々と続きましたが、読んで頂いた方々、ありがとうございました。
ここで紹介しきれなかった写真は、別館のフォト・ブログで紹介しています。
自分の記録としての旅行記ですが、これから中欧に旅行する人がこれを読んで、少しでも参考になることがあれば幸いです。
それでは、よいお年をお迎え下さい!!

『マルタのやさしい刺繍』

2008-12-29 | cinema & drama


CDでジャケ買いをすることがあるが、フライヤーに惹かれ、裏に書かれてあったあらすじも読まずに観に行ったのが、『マルタのやさしい刺繍』 というスイスの映画。
スイスの映画を観るのはもちろん初めてだし、公用語となっている言語も数種類あるので、何語の映画なのか検討も付かなかったが、シネスイッチ銀座は金曜日がレディース・デーで900円で観れるので、とにかく観てみようと思い、行ってきた。
観に行って良かった。それはとっても温かくて可愛くて、そしてパワーをもらえるステキな映画だった。

80歳のマルタおばあちゃんが主人公。(左からふたり目)
愛する夫に先立たれ、自分も早く “あっち” に行きたいとばかり考え、夫の残した店を継いでいるものの、すっかり意気消沈の日々を送っていた。
息子には、店をたたんで何か新しいことを見つけろと言われていた。そんなある日、マルタの友達のひとりが彼女の部屋で箱に入った手作りのランジェリーを見つける。
それはマルタが若い頃作ったもので、夫に反対されて封印していた裁縫だったが、友達の賛辞と懐かしい作品を見て、“自分でデザインをして刺繍をしたランジェリーを売る店を開きたい” という若かりし頃の夢を思い出す。
みんなに内緒でこっそりランジェリーを作り、不安な気持ちでオープンしたものの、やはり周りの人々の目は冷たかった。
保守的な村人からはハレンチだと後ろ指を指され、マルタには他に2人友達が居たが、最初はその2人も “いい歳をして” といい顔はしなかった。しかし、その2人もそれぞれ抱えている悩みがあった。
唯一背中を押してくれた友達リージは、みんなより少し若くてシングル・マザーとして生きてきて、訳あってアメリカかぶれだったこともあり、大の理解者だったが、牧師である息子は、リージにそそのかされているとまで言って、色々手を回して母親の夢を壊そうとする。
一時は息子に聖書の会の場所に占領されて閉店に追い込まれた店だったが、2人の友達も次第にマルタを応援し、一緒に手伝って、夢を現実のものにするために動き出す。

夢と希望に向かって行くおばあちゃんたちのパワーがもの凄くて、観ている者にもそのパワーと感動を与えてくれて、とても心温まる作品だった。
おばあちゃんたちの前向きな姿勢は、同じ後悔でも何もやらずに後悔するのと、やってみてから後悔するのとでは大きく違うこと、そしてそれはきっと自分にプラスになる・・・ということを感じさせてくれた。
スイスの大自然の村の風景は美しく、生地を買いに4人で街に行ってカフェでお喋りしながらパフェを食べる姿や、ハイジのようなチロルの民族衣装に身を包んだおばあちゃんたちは、とっても輝いていて可愛かった。






★公式サイトはこちら

中欧の旅 ~オーストリア、ウィーン編 Pt.4~

2008-12-28 | travelog


★11月5日 : ウィーン(Wien)
旅の最終日、帰国の日。飛行機の時間まで、午前中いっぱいはまだまだ観光できるのが嬉しい。
朝早くにホステルをチェック・アウトして、ウィーン・ミッテ(Wien Mitte)駅に向かった。そこにはCAT(シティ・エア・ターミナル)があり、オーストリア航空とスターアライアンスの航空会社のチェック・インが、フライト時間の24時間前からできる。
私は機内に持込するので別に空港に行ってからチェック・インしてもいいのだが、空港に行ってからバタバタしたくなかったので、先にチェック・インだけ済ませておくことにした。
ウィーン・ミッテ駅は工事中で、地下鉄の駅からCATまでぐるっと大回りして行かなくてはならなかった。
セルフ・チェク・インを済ませたあと、コインロッカーはないかと案内デスクの人に聞いたところ、ここにはないので南駅に行けばあるよ、と教えてくれた。
 CATのチェック・イン・カウンター

CATの駅から空港までエア・ポート・トレインでノン・ストップで行けるのだが、Sバーンという近郊電車でも行けるしその方が安いので、当初はチェック・インだけしてSバーンを利用する予定だった。
しかし、ウィーン南駅まで行く途中に利用したSバーンが途中で何度か停まってしばらく動かなかったりしたので、前日のブダペストのこともあり、空港へは大事を取って確実なエア・ポート・トレインで行くことに決めた。
南駅のコインロッカーに荷物を預け、トラムで市立公園に行き、ワルツ王ヨハン・シュトラウスⅡ世のキンキラ金の像や、シューベルトの像などを見て公園を散歩した。ヨハン・シュトラウス像の横に “ウィンナー・ワルツ” というカフェ・テラスがあり、そのまんまの名前にちょっと受ける私。(笑)
市立公園を出て少しのところに、今度はベートーヴェンの像があり、天使に囲まれた像はとても立派で威厳があった。そのベートヴェン像の横には、ギムナジウム(ヨーロッパの中等教育機関)があり、卒業生であるシューベルトやハンス・ケルゼン、リーゼ・マイトナーらの碑文が外壁に掲げられていた。
 ヨハン・シュトラウス像   ベートーヴェン像

地下鉄でシュテファンズプラッツまで行き、グラーベンを歩いてペーター教会に入ったあと、何度か通っていたHimmelpfortgasse(天国の門小路)にある、ちょっと気になっていた 「Café Frauenhuber(フラウエンウーバー)」 で朝食を摂ることにした。
フリタッテンスッペという、細切りのヌードルと細かく刻んだ野菜がたくさん入った、ウィーン名物のスープとメランジェを美味しく戴いた。
お店の人も感じ良く、クラシックな落ち着いた雰囲気のいいカフェでは、常連さんが2~3人新聞を読みながらゆっくり過ごしていた。
 Café Frauenhuber

カフェを出たあと、最終日のメイン、ホフブルク(王宮)内にある世界一美しい図書館と言われる国立図書館に行った。(タイトル写真)
図書館入口に行く階段から荘厳な雰囲気で、扉を開けるとそこはとても図書館とは思えないほどの豪華絢爛な広い空間が目の前に広がった。プラハのストラホフ修道院の図書館もメルクの修道院の図書館も素晴らしかったが、ここまで広くはなかったので、その豪華さに圧倒されてしまった。
入口にいたおじさんは、満面の笑顔で 「コンニチワ~」 と日本語で挨拶したあと、写真はフラッシュなしで撮って下さいと英語で言いながら、図書館の解説が書かれたプリントを渡してくれた。
天井まで両側に果てしなく本がぎっしりと棚に並んでいて、見上げると見事な天井のフレスコ画があり、ひんやりとした空気と静かな館内を隅々までじっくり見ながら過ごした。
所々に彫像が置かれていて、古い地球儀もあった。途中からお年寄りの外国人団体客がやってきてからは館内はガヤガヤしてしまったが、十分満足の行く鑑賞ができた。
 国立図書館の一部   棚は二重になっている

ウィーンには観光用の馬車がたくさんあり、王宮広場の馬車乗り場付近はちょっとした馬の臭いが漂っている。
旧市街の中を走るミニ・バスで次の場所まで移動したのだが、この馬車がクセモノだった。馬車はバスと同じ道を通り、バスの前を行っていたので、バスはのろのろ進むしかなく、そのためちょっとした渋滞を招いていた。
やがて馬車がバス通りから外れた瞬間、溜まっていたストレスを発揮するかのように、バスは細い道をビュンビュン飛ばして走った。
 馬車はウィーンの街並によく似合うのだが・・・

二日前の夜に行った岸辺のマリア教会の中を見学してからアム・ホフ広場に行ったあと、チェーン・ストアの “BILLA” というスーパーで大好きなKinderのチョコ菓子を買い込んだ。
もうカフェに入ってゆっくりするほどの時間はなかったので、オレンジ・ジュースをスーパーで買い、ウィーンにたくさん点在するパン屋 “ANKER” で、クラプフェンという菓子パンとカイザー・ゼンメルというパンを買って、ヴォティーフ教会前の大きな公園のベンチで食べた。
名残惜しくウィーンの街に別れを告げ、南駅に行ってコインロカーの荷物を出し、CATから約16分でウィーン国際空港に到着。
ウィーン国際空港では各ゲートごとで荷物検査をするので、とても効率が良いなと思った。他の空港もこういう風にすると混雑を避けられるのに・・・。
少し時間に余裕を持って来た上、フランクフルト行きの便は20分遅れの案内が出ていたので、最後にやっぱりケーキをと思い(笑)、ゲートの前のカフェに入った。
クレーム・ブリュレのケーキがカフェ・オ・レとセットで安くなっていたので、それをオーダーし、時間を潰していると、同じカフェに私が乗る便のルフトハンザの乗務員たちもやってきて、彼らも時間を潰していた。
 Café Melangeのケーキ・セット
 右側にいるのがルフトハンザ航空の乗務員たち

やがて時間になり、乗継のフランクフルト行きの便に搭乗した。フランクフルトでは、リベンジが待っている。何のリベンジなのかと言うと、3月にローマに行った時もフランクフルト乗継で、その乗継時間を利用してフランクフルトの街に出る予定だったのだが、悪天候で大幅にフライトが遅れたため行けなかった。
今回、それを再び計画していたのだ。そのため、乗継の時間を多めに取っていた。最初20分遅れの表示を見た時は “またかよ” と思ったが、20分くらいならリベンジは実現できそうだ。


★「番外:フランクフルト編」 につづく。

中欧の旅 ~ハンガリー、ブダペスト&センテンドレ編~

2008-12-27 | travelog


★11月4日 : ブダペスト(Budapest)&センテンドレ(Szentendre)
ウィーンからハンガリーのブダペストまでは、列車で約3時間で行けるので、日帰り旅行に出かけた。しかし、この日の旅が今回の滞在でいちばん苦い一日になるとは思ってもいなかった。
ブダペスト行きのきっぷは、ウィーンに着いた日に購入していた。オーストリア連邦鉄道では、座席数限定で各方面片道10ユーロという格安の “Spar Schiene” というきっぷがある。しかし、当初計画していた6:25発の列車はEN(ユーロナイト)なので、その対象ではないとのことだった。一本前のは5時台で早すぎるし、ENは35ユーロとのことなので、結局7:52発の列車にし、ブダペスト到着は10:53。計画していたのより、1時間半遅い到着となった。
ブダペスト東駅(Budapest Keleti)に降り立ってまず感じたのが、駅がとても汚くて埃っぽかったということ。造りは立派で駅舎の外観も伝統的なのだが、鳩がバタバタ飛び交い、ゴミゴミしていた。
 ブダペスト東駅

オーストリアと比べると、ハンガリーの方が物価が安いので、帰りのきっぷはブダペストで買うつもりにしていた。ところが、どこを探してもきっぷ売場らしきところや案内板がない。あちこち歩いてやっときっぷ売場を表す、小さなピクトサインを見つけたので地下に行くと、窓口のおばさんに 「インターナショナルは上だ」 と言われた。上って、上のどこよ!って感じだ。聞いてみたが、おばさんは英語が分からず、とにかく上だとゼスチャーで示すだけ。仕方ないので再び上に行ってみたものの、端にそんなものはなく、飲食店や怪し気な露店が並んでいるだけ。とりあえずその近くに行ってみると、飲食店の奥に埋もれるように窓口がふたつだけの小さなきっぷ売場があり、クレジットカード会社のステッカーが貼ってあったので、“ここだ” と思い並んでいた。順番がきたので、乗りたい列車をプリント・アウトしていたものを見せると、ここでもまた 「インターナショナル?」 と言って反対側を指す。あっちってどこよ!って感じだ。その女性も英語が分からず、それ以上詳しく聞けなかったので、反対側に行ってみた。でも、どこをどう見ても、きっぷ売場なんぞない。汚い露店が並び、ピザ・スタンドがあるだけ。
駅員に聞いてみたら、やはりその辺りだと指す。何度聞き返しても、そっちへ行けというようなゼスチャーしか返ってこなかった。
ゴミゴミした店の間に通路があったので、そっちに行ってみると、外に出てしまった。とりあえず駅舎の周りを歩いてみると、奥にきっぷ売場があった。しかし、ここまで来る途中に、一切の案内板がなかった。
チェコでウィーン行きのきっぷを買った時は、ちゃんと国際列車のきっぷ売場はどこかとわかる案内標識があり、迷うことなどなかった。ブダペスト東駅も国際列車の発着駅なのに、なんて不親切なんだろう。
その売場はレトロな雰囲気だったが、ちゃっかり番号札があった。そして、驚いたことに、きっぷは手書きだった。でも、ウィーンでの発売額35ユーロよりうんと安く、6095HUF(ハンガリーフォリント:約3000円)だったのは有難かった。
ガイドブックを持っていたら、きっと書いてあったのかも知れないが、そんなこんなで帰りのきっぷを買うまでに40分もかかってしまった。それでなくても当初の計画より遅い列車で来たから、このあとの時間がなくなって行く一方。
次に両替。観光局のサイトでも、行ったことがある人の体験記でも駅の両替はレートが悪いので、駅前の銀行で両替するのがいいとの情報だったので、駅の近くに2件銀行を見つけ、近い方に行った。その日のレートが表示されていて、チェコの紙幣が余っていたので、両替に使うつもりだった。
列の前のおじいさんがなかなか終らず、15分ほど待たされた後に返ってきた言葉が、「今日は出来ない」。 はぁ~??だ! 何故だと聞いても、「私、英語わからない」 とカタコトの英語で言って、駅で出来ると言う。そんなこと知ってるし、出来ないのならどうしてレートを表示しているんだ!と腹が立つだけ。その内私の前を離れて、同僚と私語を始めた。あきれた私はその銀行を出て、もう1件の銀行に行き、そこではすんなりと無事両替が出来た。
これで、更にタイム・ロス。まず、ブダペストから郊外電車で、センテンドレという街に行く予定だったので、その電車の駅まで地下鉄で行かなければならなかった。しかし、今度は地下鉄の乗り場がわからない。プラハでもウィーンでも、ローマでもロンドンでも東京でも、地下鉄の駅に向かう入口のところには、必ずそのマークの付いたポールなどが立ってあるものだが、その標識がないのだ。“ブダペストはドナウの真珠です” なんていうコピーで、観光を大々的に宣伝しているわりには、観光客にとっても不親切なところだ。これはあくまでも個人的主観だが、まだまだ社会主義の名残がある国なんだなとつくづく思った。
結局駅の外でビラ配りをしていた人に聞いて、地下鉄駅の階段に行くと、階段天井の側面に地下鉄のマークがあった。こんなとこにあったって外から見えやしない。
そんなこんなでHÉV(ヘーフ)という郊外電車のBatthyány tér(バッチャーニ広場)駅まで行ったら、電車が出たばかり。
次の電車まで20分あったので、往復のきっぷを買ってから外に出てみると、ドナウ河越しに国会議事堂が見えて、遠くにはくさり橋も見えた。
そして、バッチャーニ広場の駅の入口には、東駅にはなかった地下鉄のマークがちゃんとあった。
 国会議事堂

HÉVで約40分、センテンドレに着いたのは午後2時前で、当初計画していた時間を遥かに過ぎていたが、小さな街なのでゆっくりと散策することができた。
街はもの凄く細い路地が迷路のようにたくさんあって、あちこちの路地を探検するように歩くのが楽しかった。
 体の幅ほどしかないいちばん細かった路地

ハンガリーはユーゴスラビアと隣国ということもあり、中でもここセンテンドレは、かつてオスマン・トルコ支配から逃れて来たセルビア人が多く住んでいて、セルビア教会がたくさんある。唯一見学ができるセルビア正司教教会に行くと、庭にいたおじさんに、セルビア博物館と共通のチケットで見学できると案内され、離れにある博物館にチケットを買いに行った私を待っていてくれたおじさんは、ヴァイオリンくらいの大きさの重そうな鍵で、教会の扉を開けてくれた。
中には煌びやかな黄金のイコン(神や天使や聖人を象徴とした模写絵や像)の祭壇があり、これまでいろいろ見てきたカトリック教会にはない豪華さが眩しいくらいだった。
 
セルビア正司教教会とイコンの祭壇

じっくり見学したあと博物館に立ち寄り、再び街を散策したり、ドナウ河べりを歩いたりしておいしい空気をたっぷり吸って歩いた。
可愛い家や、オシャレな看板がたくさんあり、歩いているだけで楽しかった。
ハンガリーはパプリカの産地として有名で、可愛い袋に入ったパプリカ・パウダーがたくさん売られていて、お店の外にはシシトウのような形のパプリカが、たくさん吊り下げられていた。
 パプリカがいっぱい!

中央広場のすぐ横の観光客用レストランのテラスには、日本人のツアー客が固まって食事やお茶をしていたが、もちろんそういうお店には入らない。中心部を少し離れたところにあった、「Kedves Kavezo」 というカフェで休憩。そこは、地元の人しかいなかった。
とっても感じのいい綺麗なお姉さんの手作りだというチョコレート・ケーキと、ラテ・マキアートを戴いた。ケーキは丁度いい甘さでほろ苦く、しっとりとした口当たりで美味しかった。
 

もうひとつ、ここセンテンドレで盛んに作られているのが、マルチパン(マジパン)と言うお菓子。
最後に、そのマルチパンで作った作品を展示している、マルチパン博物館に行ったのだが、これらが全部お菓子で出来ているなんて!と驚くばかりの作品だった。
日本のレストランの店頭にある、メニューの蝋細工も凄いと思うが、マルチパンの作品も素晴らしかった。何と言っても、その作品の全部が食べられるというのが凄い。そして、実演風景も見ることができた。
 
マルチパンの作品、マイケルは等身大!
 マルチパンで製作中

2時間ほどセンテンドレで過ごし、再びHÉVでブダペストに戻った頃には、もうとっくに日が暮れてしまっていた。
とりあえず王宮の丘に行くためのバス乗り場があるMoszkva tér(モスクワ広場)に行ったが、バス乗り場がたくさんあって、どれが王宮の丘行きのバス乗り場なのか全くわからない。案内板や見取図なんていうものはなく、何番のバスかはわかっていたが、乗り場が見つからなかった。
事務所のようなところから出てきた制服を着たおじさんに聞いてみたのだが、なんせ英語が通じないので、地図を見せて紙に書いたバスの番号を示しながら、身振り手振りでやっとのことで王宮の丘に行くバスのことだということが通じ、駅の反対側だと教えてくれて、途中まで一緒に行ってくれた。しかし、反対側もまたたくさんの乗り場があって、どれだか検討も付かなかった。
既に東駅で痛感していたが、ここでも私の頭の中は、“なんなのよ!ブダペストって!” というマイナスな気持ちが大きくなっていた。
待ち合わせをしているみたいな女性がいたので、英語がわかるかと尋ねると、少しならとのことだったのでバス乗り場を聞いてみたところ、たぶんその広場の後側の上だと思うという曖昧な答えだったが、上に行ってみた。しかし、またもやそこもたくさんの乗り場・・・はぁ・・・。
バス停ではないところに停車していたバスが目的の番号のバスだったので、ホットドッグを食べていた運転手さんに聞いてやっとのことで乗り場がわかり、ようやく王宮の丘に向かうことができた。
漁夫の砦のところでバスを降り、もう時間外だったので無料で入れて、そこからドナウ河越しのペスト側の夜景を鑑賞し、王宮の方に歩いて行く途中からも、綺麗な夜景を楽しむことができた。
“ドナウの真珠” と言われる夜景は、確かに宝石のように輝いていて、特にくさり橋が綺麗だった。
 漁夫の砦
 王宮の丘から見たくさり橋

王宮の丘から下のくさり橋まで丘の道を下り、くさり橋を渡ってペスト側に行った。橋の途中から王宮を見ると、黄金に輝く王宮の横に半月がくっきりと見え、真っ黒な空に映えていた。(タイトル写真)
夕方6時半くらいだったのだが、道路の車の渋滞が東京以上のもの凄い渋滞だったのにびっくり。
帰りの列車は20:10、もうあまりいろんなところに行く時間はなかったので、歩いて行ける聖イシュトヴァーン大聖堂に行ったが、教会コンサートのため、中を見学することができなかったのが残念。
もう一ヶ所、作曲家リストの音楽院があるところに行こうと思ったが、ここまでことごとくいろいろ惑わされてきたので、帰りの列車は最終列車で翌日は帰国だったし、乗り遅れては大変なので、冒険はせずに、東駅に行く地下鉄のDeák Ferenc tér(デアーク広場) 駅近くのカフェ 「ENTO」 に入って、チョコレート・ソースがたっぷりかかったパラチンタとラテ・マキアートで時間を潰した。パラチンタは、甘いソースにオレンジの酸味がマッチして、なかなか美味しかった。


ブダペストの地下鉄の駅はとても深く、長いエスカレーターを下りて行かなければならないので、その分の時間も移動時間に入れなくてはならないくらい。車両もとても古く、プラハやウィーンの地下鉄とは違い、日本の電車のように窓に沿った横長の座席だった。
驚いたことに、これだけ深いところを走っているのに、車内で携帯電話が繋がっていた。こんなところだけ進歩しているのか?とつい毒を吐いてしまう私・・・。
 地下鉄駅のエスカレーター

結局東駅で予定外のタイム・ロスをしてしまったため、行きたかった殆んどの所に行けず、センテンドレは大満足だったが、ブダペストでは王宮の丘とくさり橋と聖イシュトヴァーン大聖堂だけ。しかも夜景のみ。
しかし、トラブルはまだ終っていなかった・・・。東駅には列車の発車時刻の20分ほど前に着いたのだが、ホームの案内表示に30分遅れという表示があった。こんなことなら、まだ他の所に行けたのに・・・と思ったが、こればかりは予測できない。
最終のEN(ユーロナイト)を逃す訳には行かないので、念の為列車の横にいた駅員にきっぷを見せて、この列車でいいかと聞くと、“Next Train” と言う。えっ?!Next Trainって・・・である。案内板にはこの列車がウィーン行ENだと表示されているし、そんなはずはない。よく考えてみたら、ENはいわゆる寝台車だが、私が持っているきっぷは椅子席の車両のきっぷなので、きっとNext TrainではなくNext Carのことを言っているんだと判断し、いちばん前の車両の中にいた男性にウィーンに行くかどうかを確かめ、乗り込んだ。
しかし、遅れの30分経っても、全く動く気配はなく、アナウンスもない。だんだん心配になってきた。帰ってから荷物をパキングしなければならない。飛行機の時間は午後なので、万が一このまま運休になってもサイアクは翌朝戻れればいいのだが、やはり気が気でなかった。おまけに、iPodが突然動かなくなって、音楽で気を紛らすこともできなかった。(帰国後に復活)
それでも、車内にいた人たちは平気な様子。海外の列車が遅れるのは当たり前のことなのだが、幸いにもこれまで私はさほど大きな遅れに遭遇したことがなかった。
デッキまで行って時々外を見ても、先頭の動力車すら連結されていない。暫くすると車内の電気が消えた。夜行列車だから、電気を消すのか?これで発車か?と思ったが、やはり全く気配なし。そしてまた電気が点き、さすがに他の人も心配になってきたようで、外に行って様子を見に行ったりし出した。
やがて、作業服を着た人が数人線路沿いに歩いて行く姿が見えて、ガチャンという大きな音と振動がした。どうやら動力車が連結されたっぽい。
結局、予定時刻を1時間50分遅れてようやく発車した。当然のように車内アナウンスなどなく、検札に来た車掌も何も言わなかった。
プラハからウィーンに行った時の列車では、たった10分の遅れでも3ヶ国語でお詫びのアナウンスがあったから、チェコ鉄道と比べると、ハンガリー国鉄はまったく・・・と思うばかり。
ウィーン西駅に着いたのは、深夜1時を過ぎていた。列車を降りると、おばさんが怒り口調で話しかけてきた。ドイツ語は話せないと片言のドイツ語で言うと、申し訳なさそうな表情になったが、おばさんの口調で列車の遅れのことを言っているのだというのがわかったので、私は英語でおばさんはドイツ語でという奇妙な会話で文句を言い合った。遅れに慣れている人たちも、さすがに堪忍袋の尾が切れたようだった。
足早にホステルに戻り、急いでシャワーを浴び、パッキングが終った頃にはもう3時を過ぎていた。
殆んど観光らしい観光ができなかったブダペストだが、こういうことがあり、今は “また行けばいいし・・・” という気持ちはない。


★この日の万歩計の成果 : 歩数24.953歩、消費カロリー449.3Kcal、歩いた距離11.2km

中欧の旅 ~オーストリア、ウィーン編 Pt.3~

2008-12-21 | travelog


★11月3日 : ウィーン(Wien)
ウィーンに着いて3日目。この日はまるごとウィーンの日。朝早く起きてホステルを出ると、まだ外は少し薄暗かった。
西駅から地下鉄でまず向かったのは、フォルクス庭園。早朝のガーデン歩きは本当に気持ちいい。お天気もよくなりそうな空模様。
フォルクス庭園には、シシィの愛称で知られる絶世の美女と言われたオーストリア皇后、エリザベートの像があり、上品に座った姿と真っ白な像からも彼女の華麗さが伝わってくるようだった。
フォルクス庭園の向かいにある国会議事堂と、少し離れてその隣にある市庁舎は、2日前の夜には見えなかった彫像や建物の細かい部分までハッキリ見ることができた。
市庁舎前の広場は、毎年11月中旬からクリスマス・マーケットが盛大に開催され、ウィーンの名物にもなっているが、リースの飾り付けや屋台の設置など、丁度その準備が始まっていた。
 エリザベート像

それからいつも夜しか通っていなかった王宮に入り、カール大公やオイゲン公の騎馬像などを見ながら王宮広場を抜け、オペラ座まで行って地下鉄に乗る前に地下のトイレを見に行った。
ちょっとした名物にもなっているオペラ座地下の公衆トイレの名は、“Opera Toilet”。中からクラシック音楽が聴こえてきて、看板がなかったらトイレだとは思えないほど。女子トイレは大したことないとのことなので、有料だし入らなかったのだが、男子トイレは赤や青・オレンジ色の唇の口を開けた形の便器が歌い出すらしい。
 Opera Toilet

地下鉄でこの日の最大の目的地、シェーンブルン宮殿へと向かった。シェーンブルン(Schönbrunn)駅は工事中で封鎖されていたので、ひとつ先のヒートツィンク(Hietzing)駅で降りて、トラムひと駅で宮殿前近くに着いた。
信号を渡ると、クリーム・イエローの宮殿が目の前に広がった。大きすぎて宮殿全体を写真に入れようとすると、そこからしか撮れなかった。
 最初に目にした宮殿の姿

9時過ぎの宮殿は、まだ人もまばらだった。しかし広い・・・広すぎる。東京ドーム約36個分らしいが、想像できない。
シェーンブルン宮殿は、ハプスブルク家の歴代君主が離宮として使用していたが、中でもマリー・アントワネットの母マリア・テレジアの存在が大きく、彼女が財政の状況に応じて外壁に金を塗ろうとしたのを止め、黄金に近い黄色にしたことで、この色は “マリア・テレジアン・イエロー” と呼ばれている。
しかもこの宮殿は、今では観光客に公開されている2階部分以外は、賃貸住宅として一般に貸し出されているというのだから驚きだ。
宮殿の裏に回ると、遥か彼方に宮殿と向かい合う丘の上に、グロリエッテという建物が見えた。(タイトル写真)
私は宮殿内部の見学よりも、果てしなく広がる宮殿の庭に興味があったので、宮殿内には入らずに、庭を端から端まで隅々を歩きながら、噴水や泉や彫刻を見ながら、丘の上のグロリエッテまでたっぷり時間をかけて往復した。
フランス式庭園の両脇にある広葉樹の並木は、見事に綺麗な黄色に色づき、木漏れ陽を浴びながら歩くのはとても気持ちが良かった。
並木の中にはリスがたくさんいて、これがまた人懐っこく、近寄って行っても全然逃げず、足元でじっとこっちを見つめるリスは、本当に可愛かった。
 庭の並木とリス

庭は市民に開放されているので、ジョギングやウォーキングをする人たちもいた。こんなステキなところを毎朝散歩できるのは、羨ましい限り。
グロリエッテのテラスからは、ウィーンの街全体を見晴らすことができて、自分がいかに広い庭を遠くまで歩いて来たかを実感することができた。
 宮殿からのグロリエッテ  
 グロリエッテからの宮殿とウィーンの街

庭の散策に大満足したあとは、トラムで地下鉄の駅前まで戻り、「Café Wunderer(ワンダラー)」 に入ってひと休みした。
ショーケースの中に、ケーキは一種類しかなかったが、メニューを見るとパラチンタがあったので、マロン・クリームのパラチンタとメランジェをオーダーした。チェコではこのクレープのデザートを “パラチンキ” と言うが、ウィーンでは “パラチンタ” と言う。クリームは甘さ控えめで、生地はオムレツみたいだったので、軽食にもってこいだった。
ウィーンのカフェは煙草吸い放題なのだが、このカフェは珍しく分煙されていた。
 トラムの停留所もマリア・テレジアン・イエロー
 Café Wunderer

地下鉄で次の目的地に向かう途中、壁面をアール・ヌーヴォー風の花模様で美しく飾られた、オットー・ワーグナー作のマジョリカ・ハウスを見るために途中下車したあと、トラムに乗り換えてベルヴェデーレ宮殿に行った。
ベルヴェデーレ宮殿は庭園を挟んで上宮と下宮に分かれていて、上宮は現在美術館になってる。そしてそこには、クリムトの最高傑作 『接吻』 が展示されているが、以前日本で見たことがある私は、美術館には入らず、ここでも庭を散策。上宮前の池には、真っ青な青空が映り、シンメトリーに宮殿が映る姿がとても美しかった。
残念なことにものすごく風が強かったので、池の水が波立ち、完璧なシンメトリーは見れなかった。それでも、その青さは眩しいくらいに輝き、うっとりとするほどだった。
同じようにひとり旅をしていたポーランド人の女性とお互いの写真を撮り合って、このあとシェーンブルン宮殿に行くと言った彼女に、私が撮ってきた写真を少し見せて、おすすめスポットを教えてあげたりした。
 ベルヴェデーレ宮殿上宮

ベルヴェデーレ宮殿のあとは、再びトラムでカールスプラッツ(Karlsplatz)まで行って、カールス教会とオットー・ワーグナーが設計したカールスプラッツの旧駅舎を見に行った。
カールス教会には見事な天井画があるのだが、ウィーンの教会では珍しく有料で、観光客目当てとしか思えなかったので、中には入らなかった。
カールスプラッツの旧駅舎は、前述のマジョリカ・ハウス同様、花模様の装飾が綺麗だった。
そのまま歩いてブルク庭園に行くと、入口のすぐそばにガイドブックやいろんなところで何度も見たことのある風景、ト音記号の花壇の奥に立つモーツァルト像が見えた。
前夜通った美術史博物館と自然史博物館がすぐそばだったので、昼間の姿を見に行くと、夜はハッキリ見えなかった建物の装飾や、暗くてよく見えなかったマリア・テレジアの像もちゃんと見ることが出来た。
再びブルク庭園の前を通った時に目にした、日本人観光客がモーツァルト像の真下に雛壇の形になって団体記念写真を撮っている姿を見た時は、ちょっとぞっとした。
 ブルク庭園のモーツァルト像

王宮広場を抜けて、途中いろんな教会を見学したあと、シュテファン大聖堂に入ってじっくり見学した。主祭壇のフレスコ画や、立派なパイプオルガン、歴代のローマ教皇の胸像が付いた説教壇など、見どころたくさんで、広い聖堂内は多くの訪問者で結構混んでいた。
歴代皇帝の儀式が行なわれ、地下にはハプスブルク家の内臓を納めたカタコンベがあり、モーツァルトの結婚式も行なわれた場所に自分が居るということに、感慨深くなった。
シュテファン大聖堂には、北塔と南塔というふたつの塔があり、どちらも上ることができる。北塔の方が低いがエレベーターで行けて(有料)、南塔は階段で上る(無料)。内部見学を終えた私は、北塔を選んだ。それは、下からは見えない屋根のモザイクが見たかったからだ。
 右が修復中の南塔、左奥が北塔

エレベーターの前に並んでいたが、エレベーターはとても狭く、大人3~4人で満員。私は次の便になり、後ろに誰も並んでいなかったので、結局ひとりで乗った。とっても陽気なおじさんが運行していて、料金は中でそのおじさんに払う。ドイツ語で挨拶すると、「コンニチワ~!ニホンカラデスカ?」 と日本語で返され、鼻歌を歌いながら上まで連れて行ってくれた。別れ際にも日本語で、「タノシンデキテネ~」 と言ってドアを開けてくれた。
外に出ると、ハプスブルク家の紋章 “双頭の鷲” のモザイクが大迫力で迎えてくれ、そこだけ見ていると、大聖堂の屋根だとはとても思えないくらいカラフルでモダンだった。側面の精巧で細かな装飾は素晴らしく、間近で見ないと味わうことのできない驚きがたくさんあった。
下を見ると人は小さく、ウィーンの街を見渡すと、遠くにはプラター遊園地の観覧車も見えた。
 双頭の鷲のモザイク屋根
 精巧な装飾、道行く人は豆粒
 左端に見えるのがプラター遊園地の観覧車

大聖堂を出たあと、旧市街をいろいろ散策していた時、絵葉書を出していないことに気付いた。しかし、地図を見ても郵便局の印はないし、ここ何日間か街を歩いていても、郵便局は見かけなかった。
日本のようにあちこちにはないというのは確かだが、それでもアメリカやイギリスでは、探さなくてもどこかに必ずある。チェコもそうだったが、郵便局の数が少ないのだろうか・・・。それでも、前日ハイリゲンシュタットから戻る途中、1ヶ所だけトラムの中から見た記憶があった。ちょうどその近くに居たので、同じ路線のトラムに乗ったら、ひと駅で郵便局を見つけた。
そこは中央郵便局で、無事に母親と友達に絵葉書を出すことができた。日本以外にロンドンとカナダにも出したのだが、ヨーロッパ内は均一料金で、日本とカナダは同料金だった。
 
ウィーンの郵便局は黄色で統一、CDや文具も売られていた
 
郵便局の入口にあった可愛い標識、直訳すると “我々を入れてはならぬ”(笑)

郵便局探しで思わぬ時間のロスがあり、外に出るとすっかり暗くなってしまっていた。
夕飯にはまだ少し早かったが、バイスル(大衆食堂)でウィーン名物ウィンナー・シュニッツェルを食べようと思い、予め下調べしていたところに行ったのだが、別の店に変わってしまっていて、ひとりでは入りにくそうだったので、グラーベン(Graben)辺りまで戻り、とりあえずカフェに入った。
「Café Hawelka(ハヴェルカ)」 というカフェは、かつてウィーン幻想派の画家達とその周辺の人達の溜まり場だったところで、今でもその名残りがあり、芸術家や学生の溜まり場という雰囲気で、これまで入ったカフェとは違い、狭くて雑然としていて壁には演劇や映画のポスターが隙間なく貼られていた。
ここには、食べものはサンドウィッチくらいしかなかったので、メランジェだけ頼んだ。
 Café Hawelka

やっぱりウィンナー・シュニッツェルは食べなくちゃと思ったのだが、レストランの外に出ているメニューのシュニッツェルは大き過ぎて私にはムリ。調べてあったファースト・フード感覚で食べられる店に行くには、少し遠かった。でも偶然、シュテファン大聖堂の近くに、セルフ・サービスの 「Duran」 という店を見つけたので、迷わずそこに入った。
ウィンナー・シュニッツェルとは、豚肉の薄いカツのこと。大きさも丁度よく、注文してから揚げるので熱々で、お肉も柔らかくて美味しかった。それに、付け合せのポテトがフライドポテトのところが多く、揚げ物だらけになってしまうのだが、その店のポテトは、酸味のある味付けだったのが嬉しかった。
安くて美味しくて大満足!
 「Duran」 のウィンナー・シュニッツェル

まだ8時過ぎ。再び旧市街散策に繰り出した。ウィーンの街は、街灯が少なくてほのかにオレンジ色に照らされているだけの、かなり暗い路地が多く、大通りを外れると人通りもなく静かだが、怖いという感覚は全くなかった。逆に風情ある石畳の路地を楽しんで歩いた。
途中訪れたウィーン最古のルプレヒト教会の中は、とてもシンプルだった。そして、街中にあるのに “岸辺のマリア教会” という名前がずっと気になっていた教会まで行ってみた。
何故岸辺なのか? 言語での名はMaria am Gestadeで、直訳すると “岸の上にあるマリア” となるが、これはこの教会が昔ドナウ河の岸壁に位置していたために付けられたそうだ。そして、教会の前にはマリア階段(Marienstiege)と呼ばれる階段があるのだが、その階段が、長い年月の果てに切り立った、ドナウ河の岸壁の名残らしい。 
 岸辺のマリア教会

トラムでホステルに戻るために地下鉄のシュトゥーベントーア(Stubentor)駅に行ったのだが、そこでデザートのケーキを食べたくなり(←懲りない・笑)、「Café Prückel(プリュッケル)」 に寄り道した。
このカフェは、時々ライヴなども行なわれたりしている、明るくて活気のあるカフェ。ウィーンのカフェには必ず新聞が置かれていて、今は無線LANの設備も充実しているので、ゆっくりと長居する人が多い。ここも長居するのに快適そうな、感じの良いカフェだった。
もうすっかり私も定番化したメランジェと一緒に、ショーケースから直感でオーダーしたケーキの名前は忘れたが、期待通りでとっても美味しかった。
閉店時間の10時ギリギリまでカフェでゆっくりしたあと、歩きまくった一日を終えた。
 Café Prückel


★この日の万歩計の成果 : 歩数53.287歩、消費カロリー971.8Kcal、歩いた距離23.9km(旅行中最高値)

The Rolling Stones 『Shine A Light』

2008-12-18 | cinema & drama


今年の4月にロンドンの友達がプレミアム・ショーに行ったという報告を聞いてから半年以上、楽しみにしていたThe Rolling Stones(ローリング・ストーンズ)のライヴ・ドキュメント映画 『Shine A Light』 を観に行ってきた。
観終わった感想をひと言で表すと・・・「シビレた~!」。ホンットにカッコ良くて素晴らしかった。やってくれました、マーティン・スコセッシ監督。
監督自身がストーンズの大ファンで音楽通ということもあり、ツボを押さえまくり。もう、映画という枠を超えていた。
2006年の秋に、ニューヨークのBeacon Theatre(ビーコン・シアター)で行なわれたライヴで、もう今ではスタジアムでのツアーが当たり前のストーンズを、3000人弱のキャパシティの劇場スタイルでフィルムに収めているので、臨場感は溢れんばかり。
ライヴが始まるまでのイントロダクションが面白かった。そしてそのイントロダクションで、これは映画であって映画でないというのが垣間見えた。
撮影の打ち合わせはほとんどなく、スコセッシ監督にセット・リストが渡されたのは、一曲目の 「Jumping Jack Flash」 でキース(Keith Richards)がギターをかき鳴らすのと同時だった。
ライヴが始まると、その音に鳥肌が立ち、涙さえ浮かんできてしまった。カッコ良すぎる・・・。
それにしても、ミック(Mick Jagger)はもはや人間ではないのでは・・・と思わせるばかり。とても65歳(撮影当時は63歳)とは信じられない。スリムのブラック・ジーンズに身を包み、スレンダーでセクシーなプロポーション。短いTシャツから覗くお腹はキュッと引き締まって、お尻はプリプリ。
そして若い頃以上に、動く動く。相変わらず変なダンスだが踊りまくって走り回る。決して息切れはしない。それどころか、逆にだんだんと声に艶とハリが増して行く。恐るべし!!
キースの茶目っ気ぶりとチャーリー(Charlie Watts)のジェントルマン気質は変わらずで、何度笑わせられたことか・・・。
キースがロニー(Ron Wood)の肩に身を寄せてニコニコしている姿がとても可愛くて、肘をサッと挙げてオープン・チューニングで弾くお馴染みのスタイルにカンゲキ。自由気ままにステージを楽しんでいるという感じが、キースらしくて微笑ましかった。
途中、黒のロング・コートを羽織って煙草片手に 「You Got the Silver」 と、続けて 「Connection」 と2曲ソロで歌ったのだが、キースのVo.もちっとも廃れていない。かつてドラッッグの影響で歯が全部抜けて生まれ変わった辺りから、彼もまた人間という域を超えているのかも知れない。
ミックが、ドラムの目の前で猛烈にチャーリーにアピールしているのに、チャーリーは殆んど目を合わそうとせずに時折フッと笑い、最後にカメラ目線でほっぺを膨らませてふーっとため息をつく姿には笑わされた。タイトル写真の、チャーリーの服装にも注目したい。
ロニーは相変わらずいい男っぷりを発揮していたし、「Faraway Eyes」 でペダル・スティールの前に座り、ミックに “変な楽器、弾けんの?” と言われてニマッと笑い、完璧にカントリーの世界を作り出すところは見もの。
キースの12弦アコギだけで歌った 「As Tears Go By」 には、再び鳥肌が立った。
曲間に時々昔のインタビュー映像が挿入されていて、これがまた笑いを誘う編集で、監督の愛が感じるステキで粋な構成だった。
ゲストで登場したThe White Stripes(ホワイト・ストライプス)のJack White(ジャック・ホワイト)と、Christina Aguilera(クリスティーナ・アギレラ)とのそれぞれのデュエットもとっても良かったが、圧巻だったのが、「Champagne & Reefer」 で登場した名ブルーズ・ギタリスト、Buddy Guy(バディ・ガイ)。ギターはもちろんのことだが、その声はとても渋くて迫力満点だった。そんな渋いブルーズ・マンは、水玉ギターとお揃いの水玉ストラップという可愛い一面も・・・。
歌い終わったあと、キースが自分の弾いていたギターをバディ・ガイに渡し、“プレゼントだ” と言うのが可笑しかった。
「Brown Sugar」 では、スクリーンを見ながら “フーッ!” と叫びそうになったし、私を含め、一曲終るごとに小さく拍手していた満員の観客も、最後には皆大拍手。自分もライヴに参加している気分にさせてくれる作品だった。
ライヴが終り、カメラはステージから袖を通って外に出ると、そこに居た監督が “上へ上へ!” と叫び、カメラはニューヨークの夜の街をパーンして上空から捉え、空には満月。そしてその満月がストーンズのベロ・マークに変身すると言う粋なラスト・シーンだった。
余談だが、観客はステージにかぶりつき。最前列はほとんど女性で、それがまた綺麗な女性ばかりだった。アレはやはり仕込みだろうか・・・。(笑)

この作品はもはや、21世紀のロックのマスター・ピースと言えるだろう。
グルーヴィでブラックで、そしてファンキーなストーンズは、その名の通り、転がり続けている。
DVD化されたら、買わずにいられない。もう一回くらいは生のステージを見てみたい・・・できれば国外で・・・。


★日付が変わったので・・・Happy Birthday, Keith!!

中欧の旅 ~オーストリア、ウィーン編 Pt.2~

2008-12-16 | travelog


★11月2日 : ウィーン(Wien)
ドナウ河のヴァッハウ渓谷の景勝地巡りの帰り、ウィーン市内郊外のハイリゲンシュタット(Heiligenstadt)に立ち寄った。
ここには、偉大な作曲家ベートーヴェンが、音楽家として聴覚を失うという苦悩から自殺を考え、『ハイリゲンシュタットの遺書』 を書いた家がある。
ベートーヴェンは引越魔だったそうで、ウィーン中を転々とし、このハイリゲンシュタットに住んでいた時に “遺書” を書くことによって、再び生きる決意をして更なる芸術への道を究めた、ベートーヴェンゆかりの土地である。
IC(インターシティ)を降りると、ハイリゲンシュタットの駅はとても綺麗で近代的だった。駅前からバスに乗り、ハイリゲンシュタット教会の前で降りた。
何の変哲もないシンプルな古い教会だが、ベートーヴェンはこの教会の鐘の音が聞こえなくなった為に自殺を考えたと言われている。
 ハイリゲンシュタット教会

そこからすぐのところに、「ハイリゲンシュタット遺書の家」 というそのまんまの名の家があり、かつてベートーヴェンが暮らし、今は博物館になっている。
入口を入るとパヴラッチェンという中庭に面したバルコニーがあり、2階に上がると “ベルを鳴らしてください” という札が掛かったドアがあった。ベルを鳴らすと中から品のいいマダムが出て来て、隣のドアの鍵を開けてくれた。入館料を払って更に中に入ると、マダムがかけた 『交響曲第8番』 が大音量で流れてきた。
中には “遺書” のほか、ベートーヴェンが弾いていたピアノや、直筆の楽譜、手紙や写真などが展示されていて、日本語で書かれた解説も置かれていた。
途中からブロンド・ヘアの美しい母娘が入ってきたので会釈し、いろいろなゆかりのものを鑑賞した。先に部屋を出た私は、マダムから日本語に訳された “遺書” を購入したあと、反対側にある博物館に入った。そこには、ベートーヴェンの髪の毛が展示されていた。
 ハイリゲンシュタット遺書の家
 ベートーヴェンのピアノ
 ベートーヴェンの髪の毛

“遺書の家” を出たあと、かつてベートーヴェンが住んでいた家で今は 「Mayer(マイヤー)」 という有名なホイリゲの前を通り、ベートーヴェンガング(Beethovengang:ベートーヴェンの散歩道) を抜けてウィーン中心地に向かうトラムD線の停留所まで歩いた。
“ベートーヴェンの散歩道” は、ベートーヴェンが周辺の自然を散策しながら 『交響曲第6番田園』 の構想を練ったという道で、当時の面影はないながらも、道の脇に小川が流れ、黄色く色づいた木々や緑が豊かな、とてものどかな小道だった。
 ホイリゲ 「Mayer」
 ベートーヴェンの散歩道

ウィーン旧市街に戻った頃には、観光するにももうすっかり陽が落ちていたので、美術館に行くことにした。
トラムを降りたショッテントーア(Schottentor)から、フライウンク(Freyung)の前にあるショッテン教会の外観だけを見て、その向かいの老舗カフェ 「Café Central(ツェントラル)」 があるフォルステル宮のアーケードを通り抜けて、地下鉄の駅があるヘレンガッセ(Herrengasse)まで歩いた。
 ショッテン教会   フォルステル宮の中の噴水

旅行前の下調べで、ウィーンのアート地区MQ(ミュージアム・クォーター)の中にある現代美術専門の美術館Kunsthalle Wien(クンストハレ・ウィーン)で、私の大好きなエドワード・ホッパーのアート展があることを知り、“ウィーンでホッパーが見れるなんて!” とワクワクしていた。
実は、そこでチケットを切った係りの女性のことは、今でも思い出すと腹が立つ。その女性は友達らしき二人組とずっと話をしていて、私が目の前に行っても目と手で “ちょっと待って” という合図をするだけだった。少しすると話しながら手を出してチケットを取り、ビリッッッ!と切取線を全く無視して破ったのだ。そのチケットは、ホッパーの絵が入っていて記念になるチケットだったので、ガッカリ・・・。よっぽど文句を言ってやろうかと思ったが、大人気ないので我慢した。
中は美術館というより、大きなギャラリーという感じで、現代美術専門というだけあって、とってもお洒落でモダンな造りだった。
ホッパー以外にもモダン・アートやオブジェがたくさん展示されていて、美術やデザインを専攻しているような感じの学生たちが、絵の前で熱く語り合っていたり、ビジュアル・アート・セクションでも皆熱心に見入っていた。
ニューヨークやシカゴにはなかった初めて見るホッパーの作品もあったので、大満足。
 クンストハレ・ウィーン

MQを出たあとは、すぐ近くにある美術史博物館と自然史博物館が向かい合って対で建っている間を歩き、更に王宮(タイトル写真)を通り抜けて、ミハエル広場にある 「Café Griensteidl(グリーンシュタンドル)」 に入った。
ここは、かつて多くの作家や文化人たちが愛したカフェだったが、長い間営業しておらず、1990年に同じ場所に復元されたカフェ。王宮前と言うこともあり、観光客もたくさんいて繁盛していた。
もちろんケーキをオーダー。ショーケースで見てひと目で “これはきっと美味しいはず!” と直感したトップフェントルテと、飲みものはやはりメランジェ。
ケーキは期待どおり、いや、それ以上で、レア・チーズケーキに似た味と食感にオレンジ・ピールが混ざっていて、それはそれは美味しかった。メランジェのミルクのフォームにも感激!
 
最高に美味しかったトップフェントルテとカフェ店内

美味しいケーキに大満足したあとは、オレンジ色の街灯に染まった旧市街の趣のある細い路地を散歩しながら、翌日の散策に備えて土地勘を掴み、シュテファン広場に出て地下鉄でホステルに戻った。
 バル小路(Ballgasse)


★前半のメルク&デュルンシュタインを含めたこの日の万歩計の成果 : 歩数28.576歩、消費カロリー530.2Kcal、歩いた距離12.8km


tokyo PICASSO 「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡」

2008-12-13 | art


先日のサントリー美術館 「巨匠ピカソ 魂のポートレート」 に続いて、国立新美術館で同時開催中の 「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡」 展に行ってきた。こっちはサントリー美術館の約3倍の作品が展示されている。
今日は暖かい日だった上、美術館の中は暖房が効きすぎていた。コートが邪魔になったので、ロビーのコインロッカーを使い、チケットだけ持って手ぶらで鑑賞した。

まず中に入ってずぐ、いちばん最初に目にしたのがこの絵。“青の時代” の作品 『ラ・セレスティーナ(Celestina)』。
白内障で左目を患っている老女の、ストイックなまでの見据えるような表情に、引き込まれてしまった。
 『ラ・セレスティーナ』(1904)

“○○の時代” と呼ばれているように、ピカソほどめまぐるしく作風が変化している画家はいないだろう。決して同じような作品はない。
まだまだ知らない作品も数え切れないくらいあるが、初めて出会う作品は、見る度に驚きと感動を覚える。
絵画だけではなく、彫刻はもちろん、ブリキ板や新聞紙などを貼り付けたコラージュ作品や挿絵もたくさん展示されていた。
ピカソと言えば、目がチグハグに離れていて、変なところから手が出ていて・・・という作品ばかりと思っている人が少なくないだろうが、それはひとつの時代の作品だけのこと。確かにキュビズムを極めた頃の作品が代表作として挙げられることが多いので、ポピュラーになっているが、決してそれだけではない。
例えば1918年のこの作品。ピカソの最初の妻、オルガの肖像画だ。優しいタッチでとても繊細。そして何よりも愛を感じる。
 『肘掛け椅子に座るオルガの肖像』(1918)

ピカソのその作風の変化には、いつの時代も愛する女性が影響していると言っても過言ではないと思う。妻や愛人が彼の芸術創造のミューズであり、それは晩年になっても描き続けられている。
エロティックで情熱的なピカソの生涯を、作品を通して垣間見ることができたような気がする。そして、何かしらのエネルギーをもらえたような気分。詳しくなくても美術鑑賞は楽しいし、安らぎと刺激を与えてくれる。
私は初期キュビズム時代の作品が好きで、今日見た作品の中でいちばん気に入ったのが下の絵。キュビズム革命の発端ともなった 『アビニヨンの娘たち』(ニューヨークのMOMA所蔵なので、今回の展覧会には展示されていない) に繋がるものがある。でも、残念ながらポスト・カードにはなっていなかった。
 『“森の中の水浴の女たち” のための習作』(1908)

10月4日から始まった展覧会も、あさって12月14日で終了。平日にもかかわらず、たくさんの来場者で中は混雑していたが、初めて行った新国立美術館は、照明が明るくて、とても見易く展示されていたので、そんな混雑もあまり苦にはならなかった。
やはり外観は、私にはどうしても素晴らしい建築デザインとは思えないが・・・。
 新国立美術館

中欧の旅 ~オーストリア、ヴァッハウ渓谷編~

2008-12-12 | travelog


★11月2日 : メルク(Melk)&デュルンシュタイン(Dürnstein)
ウィーンに着いて2日目、まだほとんどウィーン市内を見ていないが、理由があってこの日はドナウ河の景勝地巡りに出かけた。
西駅から7:44発のザルツブルク方面行きIC(インターシティ)に乗り、途中ザンクト・ポルテン(St. Pölten)駅でローカル線に乗り換えて、ヴァッハウ渓谷のメルクという街に行った。
オーストリア連邦鉄道のICは、2列シートが向い合せになってテーブルがあり、各テーブルにパンフレットが置かれていた。中を見てみると、途中停車駅の到着時刻と発車時刻、及び各駅からの乗換列車の情報が載っていた。オーストリア連邦鉄道の行き届いたサービスに、ちょっと感動。
ザンクト・ポルテン駅で乗り換えたローカル線で検札に来た車掌さんが、私がメルクで降りることを覚えてくれていて、デッキに行くと “次ですよ” と言って着いたらドアを開けてくれた。(ヨーロッパの列車は自分でドアを開ける)
メルクに着いたのは定刻の8:52、私のほかに降りたのは、地元の人らしきおじさんひとりだけ。
メルクという街はとても小さな街だが、ここには世界遺産にも登録されている、とっても美しいベネディクト派のメルク修道院がある。実は一般公開はこの日が最後で、冬の間はドイツ語のガイド・ツアーだけになるので、ギリギリ・セーフで来ることができたのだ。
駅を出ると、目の前の丘の上にそびえる修道院が見えた。一応地図を見たが、どこからでも修道院が見えるので、道がわからなくても自然に辿り着ける。
“修道院への道” という意味のStiftswegという、とても風情のある細い路地を上って行くと、途中にある家の庭に可愛い猫がいた。少し戯れてから先に進むと、修道院と同じクリーム・イエローのアーチが見えてきた。
別の道から何人かの人が同じく修道院に入って行く。あとからわかったのだが、この人たちは観光客ではなく、教会の日曜日のミサに行く人たちだった。
 修道院への近道

メイン・ゲートを入るとまず綺麗な庭があり、その横の建物でチケットを購入したあと、更に建物を抜けて行くと、建物に四角く囲まれた広い中庭があった。
ここは、かつてマリー・アントワネットがフランス国王ルイ16世のもとに嫁ぐため、ウィーンからパリへの移動の途中で宿泊に利用し、モーツァルトが滞在したこともある由緒ある修道院。
 メイン・ゲート
 それを抜けると庭があり・・・
 更に抜けると広い中庭に着く

修道院の中に入ると、まずギャラリーがあった。中学生くらいの学生のグループが先生に引率されながら、ギャラリーを見学していた他は、見学者は誰もいなかった。子供の頃から、こんな素晴らしいところを見学できるというのはうらやましい。
先に進むと “マーブル・ホール” という大理石の間があり、淡い色使いが綺麗な天井のフレスコ画に見とれながら、その美しい広間にたったひとりで佇んだ時の気持ち良さと言ったら・・・。
マーブル・ホールのドアを開けると、そこはテラスになっていて、メルクの街やドナウ河の自然溢れる景色を堪能することができた。誰も居なかったので、セルフ・タイマーで自分の写真を撮ったりしながら(笑)、しばらくそこでゆっくり過ごした。
 マーブル・ホール  
 テラスからの景色

テラスを挟んでマーブル・ホールと対になっている建物に入ると、そこは美しい図書館。プラハのストラホフ修道院の図書館といい、ここの図書館といい、中世に造られたヨーロッパの図書館の、贅沢なまでの豪華な美しさに目を見張るばかり。
ここも天井のフレスコ画の色が綺麗で、奥にある小図書館の窓からは、緑豊かな風景が広がっていた。
 マーブル・ホールからテラスを通って図書館へ  
 修道院図書館

図書館を出たあとは、アール・ヌーヴォー調のステキな手すりのらせん階段を下りて修道院教会へ。教会ではミサの真っ最中。後ろでそ~っと見学して外に出ると、そこは丁度さっきのテラスの下の中庭だった。
 修道院教会、ミサ中   教会の外観
 中庭の像、後ろに見えるのがテラス

修道院を出て左側にあるガーデンに入り、奥にあるパビリオンの中のガーデン・カフェでお茶でも・・・と思ったのだが、次の街に移動するバス停の近くまで行っておいた方がバスの時間を気にせずゆっくりできると思ったので、美しい内装の中だけ見て立ち去り、街の中心まで戻った。贅沢な気分でお茶できそうだったので、ちょっと後ろ髪を引かれたが・・・。
中央広場の横のホテルの人にバス停の場所を教えてもらってからドナウ河の方に歩いて行くと、丘の崖の上にせり出す様に建っている修道院が見えた。
 美しい内装のガーデン・カフェ
 丘の上にそびえ建つ修道院

そのあとバス停近くの 「Café Central(ツェントラル)」 に入って、メランジェでひと休み。昔ながらのカフェで、壁に掛かったモノクロの写真がいい雰囲気を作り出しているステキなカフェだった。
 Café Central

バスの時間になったので、カフェをあとにした。5分ほど遅れてきたバスは、誰も乗っていなかった。運転手のおじさんに行き先を告げて料金を払い、貸切状態でドナウ河沿いを走る景色を見ながら、列車に乗り換えるシュピッツ(Spitz)駅まで行った。
夏のシーズンは、メルクからドナウ河を下る観光船のクルージングで、渓谷の景色を見ながら移動するのが定番のルートだが、もうこの時期は船の運航が終っていた。何とか移動方法はないものかとオーストリア連邦鉄道のHPで調べたら、バスと列車を乗り継いで行けることがわかり、バスの時刻も調べることができた。
 ドナウ河、バスの車窓から

この辺りは、ヴァッハウ・ワインの生産地で、可愛いシュピッツ駅の駅舎には、ぶどうが生っていた。駅のホームというものがなく、線路が2本あるだけだった。どっちの線路に着く列車に乗ればいいのかを、バスの運転手のおじさんに聞いたあと、回りの景色に見とれながら写真を撮っていると、いつの間にか列車が到着していて、心配したおじさんが駅舎の裏にいた私に声を掛けてくれたので、無事に乗り過ごすことなく乗れた。もし乗り遅れていたら、次の列車まで1時間待たなければならない。
 Spitz駅   シュピッツの街並

列車が動き出すと、おじさんは手を振って見送ってくれた。一両編成単線のローカル線の車内はとっても綺麗で、地元の人が2~3人乗っているだけ。車窓からは再びドナウ河ののどかな景色を楽しむことができ、反対側にはぶどう畑が一面に広がっていた。
 駅員さんと話しているおじさん(左)、ありがとう!
 綺麗な車内   ぶどう畑

目的地デュルンシュタインに近付いてくると、この街のシンボル、水色の教会が見えてきた。デュルンシュタイン駅は無人駅で、ここもホームはなかった。夏の間はたくさんの観光客で賑わう街だが、ほとんどの人は船を使うので、駅前には小さなお店が少しあるだけだった。
 デュルンシュタインの水色の教会が見えてきた
 このままここで列車を降りた

ぶどう畑の間を抜けて街に向かって歩いて行くと、山の上に城の砦が見えてきた。(タイトル写真)
砦まではハイキング・コースになっていて、30分くらいで歩いて行けるが、そこには行かず、まずは水色の教会、聖堂参事会修道院教会を目指した。
中を見学することはできないので、街中からドナウ河岸に下りて行き、崖の下から水色と白で彩られたその珍しい配色の美しい姿を眺めた。周りにあしらわれた天使の彫像も美しく、水色という色のせいか、なんだか夢の中にいるような錯覚にすらなった。
 街からドナウ河岸への道  
 聖堂参事会修道院教会

近くには観光船の船着場があり、教会下の広場にはレストランなどがあったので、きっとシーズン中は多くの観光客でごった返すのだろう。
ドナウ河沿いに道が続いていて、散歩を楽しむ地元のお年寄りたちの姿も見えた。河岸のベンチに座って広大なドナウ河を見ながら小休憩したあと、洞窟のような崖の道を上って街のメイン・ストリートに行くと、そこそこ人通りもあり、おみやげ店やレストランやホイリゲ(ワインの造り酒屋)が賑わっていた。
ヴァッハウ・ワインの中でも、ここデュルンシュタインはオーストリアの最高級ワインの産地として有名で、ホイリゲはもちろんのこと、レストランの店先にもワインがたくさん並べられていた。美味しいと評判のチェコ・ビールといい、この街のワインといい、私はアルコールが全くダメなので、その味を堪能することができないのが残念。
またこの街は、ウィーンのレストランや東京のオーストリア大使館にも冷凍輸送されているヴァッハウアー(Wachauer)という小さな丸いパンが有名なのだが、そのお店シュミードル(Schmidl)も日曜日で閉まっていたので、パンを買うこともできなかった。メルク修道院の見学の都合でこの日しか来れなかったので、日曜日は開店していないことは知っていたが、やはり残念である。
 教会下から街の中心へ   店先に並んだワイン

横道に入ったり、おみやげを買ったりしながら時間を過ごしたあと、カフェに入って軽く何か食べることにした。
カフェと言えど、外のテーブルでは皆ワインを嗜んでいた。何を食べようかと考え、カイザーシュマーレン(オーストリアのパンケーキ)はないかと聞いたがそこにはなく、ではヴルストゼンメル(ソーセージ・パン)は?と聞くと、気の良さそうな女主人は笑顔で腕まくりをし、“OK!” と言って早速作り始めてくれた。
ゼンメルとは表面がパリッと、中はふんわりとしたパンで、ヴルストとはソーセージのこと。ソーセージはどれにする?とプレーン・ソーセージとサラミを冷蔵庫から取り出して聞いてくれたので、両方挟んでほしいと頼み、飲みものはカプチーノにした。
実はこのヴルストゼンメル、オーストリアに来たら絶対に食べなくちゃと思っていたもの。ウィーンが舞台の大好きなドラマ、『Kommissar REX』 のREXの大好物なのだ。
ゼンメルは香ばしい味のパンで、ケチャップやマヨネーズも何も挟んでいないのに、ソーセージ2種の味とよく合ってシンプルながらも美味しかった。
アットホームな店内のカウンター越しに、気さくな女主人とここでもREXの話をした。共通の話題があるというのは、面白いことだ。


駅に戻る途中、ぶどうの木にぶどうが生っているのを発見。これが美味しいワインになるのだな(飲めないけど・・・)、なんて思いながら、ゆったりと楽しんだのどかなデュルンシュタインの街に別れを告げた。
再びローカル線でKrems(クレムス)駅まで行き、そこでウィーン行きのICに乗り換えて、ウィーン市内郊外のハイリゲンシュタット(Heiligenstadt)で降りた。
 ぶどうの木  
 駅の線路越しの景色
 
Krems駅で乗り換えたICはサッカーのイベント・カーだった


★「ウィーン編 Pt.2」 に続く。

中欧の旅 ~オーストリア、ウィーン編 Pt.1~

2008-12-10 | travelog


★11月1日 : ウィーン(Wien)
プラハからウィーンまでは、EC(ユーロシティ)で4時間半。2等車で料金は942CZK(チェココルナ)、日本円で約4,800円。安い!
3人掛けシート向い合せのコンパートメントで、おじさんがひとり同席。プラハを出発してすぐに検札がきた。
途中、駅でも何でもないとろこで停車して、チェコ語、英語、ドイツ語と3ヶ国語で、“信号トラブルのための一時停車につき、絶対に列車を降りないでください” と車掌さんのアナウンスがあったのだが、これには感心した。日本の新幹線なんて、英語のテープを流すだけだし・・・。
10分くらい停車したあと無事動き出し、その後も停車駅を発車する度に、遅れたことを詫びる放送があった。
のどかな車窓はとても綺麗で、だんだんと太陽が沈んで行く様子を見ながら、やがて国境手前のBřeclav(ブジェツラフ)駅に着いた。
 
チェコ第2の都市ブルノ(Brno)の駅を出てすぐ見えた聖ペテロ&聖パウロ教会
 車窓からの綺麗な夕焼け

ここで、プッシュプル方式の動力車がチェコ鉄道からオーストリア連邦鉄道に交換、車掌さんも交代である。
シェンゲン協定によって加盟国間の行き来には、今はもうパスポート・コントロールはない。でも、改めてオーストリア連邦鉄道による検札があった。
同室のおじさんは物書きをしながら仕事をしていて、私はiPodで音楽を聴きながら、いつの間にか眠っていた。
目覚めた時、すっかり外は暗くなっていて、あと1時間ほどでウィーンに着く予定。おじさんに声を掛けられ、そこから話が弾んだ。おじさんはウィーンの人で、プラハに仕事で行っていたらしい。美味しいお菓子の店の地図を書いて教えてくれたり、私がノートにドイツ語で書いていた食べものの説明をしてくれたり、行く予定のところを解説してくれたりした。私が、『Kommissar REX』 の話を持ち出して、日本で見てたと話したら、オーストリアのドラマが日本で放送されているなんて!と、とても驚いて、しばしREXの話で盛り上がった。
ウィーンのひとつ手前の駅で降りたおじさんにお礼を言って別れ、その後間もなくウィーン南駅(Wien Südbahnhof)に到着した。
 
オーストリア連邦鉄道(ÖBB)の真っ赤な車体がカッコいい!
 ウィーン南駅

ウィーン市内の公共交通機関共通の24時間チケットを買ってトラムに乗り、ウィーン西駅(Wien Westbahnhof)近くのホステルに行ってチェック・イン。
プラハではホテル泊だったが、ウィーンでは宿泊代を押さえるため、ホステルを利用。「Happy Hostel」 というホステルは、各階にオートロックのドアが何個かあり、中に入ると綺麗なキッチン、バス、トイレがあって、その奥に4部屋という造りだった。部屋もとても綺麗でTV付き。プラハではTVがなかったので、それが嬉しかった。そして、とても大きなクローゼットがあった。
ひとつ難を言えば、余分のコンセントがなかったこと。充電したりドライヤーを使う時は、ベッド・スタンドのコードを抜いて使わなければならなかった。
 Happy Hostelの部屋

少し休憩したあと、まず西駅に行って、ウィーン滞在中に行くドナウ渓谷沿いの街とハンガリーのブダペスト行きのきっぷを買った。
そして、地下鉄U3でウィーンのシンボルでもあるシュテファン大聖堂がある街の中心地、シュテファンズプラッツ(Stephansplatz)まで行った。
外に出ると、目の前にで~んと大聖堂がそびえ建っていた。でも、ライト・アップはあまりされていなくて、南塔は相変わらず修復中のようで、幕で包まれていた。
Platzというのは、広場という意味。大聖堂のある広場から、グラーベンとケルントナー通りという2本の大通りが伸びていて、人通りも多く賑わっていた。
 暗い夜空にそびえるシュテファン大聖堂

とりあえずお腹も空いたことだしと思い、早速ウィーンのケーキを戴くことにした。ウィーンは “カフェ文化” と言われるくらい、カフェが街の文化や人々の生活になくてはならないもの。だから、至る所にカフェがある。
大聖堂そばの、少し喧騒からそれた静かな通りに面した 「Café Diglas」 に行った。お店に入ると、まず 「Grüß Gott!(グリュース・ゴット:ドイツ語でこんにちは)」 というのが礼儀。お店のスタッフもすかさず 「Grüß Gott!」 と返してくれる。
大繁盛のそのカフェは、雰囲気のいいインテリアで、想像していたウィーンのカフェのイメージのまんまだったのが嬉しかった。そして、ショーケースには美味しそうなケーキがたくさん並んでいる。好きな席に勝手に座っていいので、窓側の席についた。
ウィーンにはただのコーヒーというものはなく、メランジェというフォーム・ミルクが半分入った、カフェ・オレのようなコーヒーが定番。しばらくすると感じのいいウェイターのお兄さんが笑顔でやってきて、注文を聞きに来た。メランジェを頼んでからケーキを選びたいと言うと、ケーキのショーケースまで一緒に行ってくれて、なんと私はケーキを2個オーダーしてしまった。めちゃくちゃ美味しそうで、お腹も空いていたので、ご飯代わりにしちゃえ!って思ったから・・・。(笑)
ショコラ・ケーキと、表面が焼かれたメレンゲがのったクリーム・ケーキを戴いたのだが、もう至極の幸せ♪ チェコも美味しかったが、ウィーンも最高に美味しい!
地元の人は、メランジェにたっぷりとお砂糖を入れるが、私はノン・シュガー。ほど良い甘さのケーキが丁度いい。以前アメリカで食べたケーキが死ぬほど甘かったので、外国のケーキは甘いという固定観念があったが、今回食べたケーキはどれも皆丁度いい甘さでくどくなく、こんな大きなケーキ2個でもペロリだった。
店内ではピアノの演奏もあり、本当に雰囲気のいいカフェだった。お店を出る時は、「Wiedersehen!」(Auf Wiedersehenアウフ・ヴィーダーゼーエンの略でドイツ語でさようなら。でも、ネイティヴの発音を聞くと、“ヴィダーシェン” という感じ )と声を掛けて去るのが礼儀。そして、「Wiedersehen!」 と返してくれる。
 Café Diglas

美味しいケーキに満足したあとは、夜の街散策。ウィーンの中心部は、かつての市壁と堀の趾を都市計画によって道路や構築物で囲んだ環状道路が走っていて、その道路はリンクシュトラーセ(Ringstraße:通称リンク)と呼ばれている。
そのリンクをトラム#1と#2が外回り内回りでぐるっと一周走っているのだが、実は私がウィーンに行く一週間前に、このルートが変更になった。変更前は、トラムで一周すれば、リンク沿いの名所・旧跡・建物を網羅することができた。それが、途中で乗り換えたりしなければならなくなったので、変更の情報を知ってからプランを立て直し、新しくなったルートを確認しておいたので、スムースにトラムを使用することができた。
シュテファンズプラッツから王宮広場を抜けて、スタート地点はオペラ座。ライト・アップされたオペラ座は、シャンペン・ゴールドに輝いてとても綺麗だった。(タイトル写真)
トラムを一駅だけ乗ったり、一駅分歩いたりしながら、国会議事堂、ブルク劇場、市庁舎、ウィーン大学、ヴォティーフ教会、証券取引所、ウラニア天文台、と見て周り、楽友協会から歩いて “金色のキャペツ” セセッシオンを少し離れたところから見て、オペラ座近くのカールスプラッツ(Karlsplatz)から地下鉄とトラムを乗り継いでホステルに戻った。
 国会議事堂  
 市庁舎
 証券取引所  
 セセッシオン

カールスプラッツ駅のエスカレーター横のガラスに貼ってあったピクト・サインがユーモラスだったので、写真を撮っていたら、“この子はいったい何を撮っているんだろう・・・?” というような不思議な目ですれ違う人に見られてしまった。(笑)
 “ぶつかるよ!”
 
Karlsplatz駅は中心地の駅だが、東京と違って23時過ぎは人もまばら 


★前半のプラハを含めたこの日の万歩計の成果 : 歩数32.572歩、消費カロリー594.2Kcal、歩いた距離14.6km