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『マネとモダン・パリ』

2010-09-05 | art


9月に入ったというのに、まるで真夏のような毎日。日が暮れるのが早くなり、日に日に秋に近付いているはずなのだが、体感で味わうことができない。
職場では涼しい空間で働けているが、外での仕事の方々には申し訳なく思うほど今年の夏は異常だ。
お休みの日の昼間はすっかり図書館通いが日課になり、お陰でこの夏は読書や勉強がはかどっている。
さて、ここらでちょこっと復活。今日は、既に暑くなっていた7月上旬のお話。

丸の内に新しくオープンした三菱一号館美術館。それは丸の内で最初のオフィス・ビル三菱一号館を復元した建物で、そこが美術館となった。
その開館記念展として開催されたのが、『マネとモダン・パリ』。
戦前の建物を復元しただけあって、レトロな雰囲気の館内。従来の美術館の概念を大きくぶち破った構造となっていた。
2階と3階が展示室になっていて、まず3階から順に廻るようになっていた。窓こそないが廊下や仕切りがあり、大広間があったり暖炉が備え付けられている小部屋なんかもあって、古い大きな洋館を巡っているようだった。
大きく3つの時代に分けられていて、まず最初は “スペイン趣味とレアリスム : 1850-60年代”。この時代は、ベラスケスの影響が大きいらしい。
印象的だったのは、元々はサロン用の大きな絵だったものを、スペイン趣味だの遠近法だのといろんな批判が集まったために結局ふたつに切ったという絵のひとつ、「死せる闘牛士(死せる男)」。黒の色使いがとても心に残った。これはワシントンからの出展だが、もうひとつの 「闘牛のエピソード」 はニューヨークにあるらしい。
 「死せる闘牛士(死せる男)」(1863-64・1865切断と改変)

エミール・ゾラというマネの友人の肖像画のバックには、浮世絵や同じ展示室に飾られていた 「オランピア」 という作品の絵が描かれているのが面白かった。
 「エミール・ゾラ」(1868)
               その背景部分と 「オランピア」(1867)   

このセクションでいちばん惹かれたのは、この作品。大広間にあったのだが、ひと通り見たあと再び戻って、暫くこの絵の前でじっと眺めていた。なんだか気持ちが安らいだ。
 「街の歌い手」(1862頃)

次のテーマは “親密さの中のマネ : 家族と友人たち”。
色使いがだんだん明るくなっていくのが分かる。オランダ旅行やヴェネチア滞在中の制作を機に、インディゴブルーやエメラルドグリーンを確立したのだそうだ。
マネの弟とマネの妻を描いた 「浜辺にて」 の、空0.5、海2.5、砂浜7.0の割合が絶妙なバランスをかもし出す。
 「浜辺にて」(1873)

後に弟の妻となるベルト・モリゾの肖像画が5点あり、弟と結婚する前と後では彼女の表情が違うのが感じ取れるところから、マネとモリゾはお互いに惹かれ合っていたのだろう。きっとお互いにその気持ちを打ち明けないままで・・・。
タイトル写真のチラシの絵は 「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」。私は5点の中では唯一全身の姿が描かれているという 「バラ色のくつ」 が気に入った。
 「バラ色のくつ(ベルト・モリゾ)」(1872)

このセクションでいちばん心惹かれたのは、「燕」 という作品。その燕は右側の草の部分に小さく二羽いるだけなのに、作品のタイトルとなっている。
のどかな田園風景の彼方に見える風車や村の様子がほのぼのとしていて、女性ふたりの洋服の色が対照的なのも印象に残った。
 「燕」(1873)

2階に下りて、今回のメインでもある3つめのテーマ “マネとパリ生活” では、マネ以外のアーティストの作品もあり、19世紀のパリの街の人々を描いた様々な絵が展示され、その中には聖堂の設計図案やパリのオペラ座の彫像なんかもあった。
この頃は、サロンで認められてこそ価値があると言われていた時代。華やかなパリの人々の生活が見え隠れする作品がたくさんあった。
 「オペラ座の仮面舞踏会」(1867)

マネの日本趣味の影響が漂う、エッチングで描かれた猫シリーズはとってもキュートだったし、晩年のマネは静物をたくさん描いていたということを知ることもできた。
           「猫たち」(1868)   「レモン」(1880)

なんか美術館で鑑賞したというより、前途したように古い洋館に飾られている絵のコレクションを見て廻ったという印象が強く、とても趣があってアットホームなゆったりとした気分で鑑賞することができた。かの有名な作品 「笛を吹く少年」 はなかったが・・・。
お気に入りの美術館がひとつ増え、この美術館、その中でもひょっとしたらいちばん好きになったかも・・・。

ストラスブール美術館所蔵 『語りかける風景』 コロー、モネ、シスレーからピカソまで

2010-07-30 | art


Bunkamuraザ・ミュージアムは、好きな美術館のひとつ。こじんまりしているが、展示の仕方が見やすくて好きだ。
今回行ったのは、ストラスブール美術館所蔵の作品展。ストラスブールとはフランスの都市で、ドイツとの国境近くのアルザス地方にある。そして、その地方の10の市立美術館・博物館を総称してストラスブール美術館と呼ぶらしい。
ピカソの絵があるということで行ってみたのだが、展覧会のタイトルが示すとおり、いろいろな風景画がずらり。美しい風景画が多くて、癒された。
6つにテーマ分けされていて、最初のテーマは、遠近法で描いた作品が5点並ぶ 「窓からの風景」。会場にも実際に窓のようなセットを造り、雰囲気を出していた。
続いて 「人物のいる風景」。農民など、自然と一体化した人物を描いた作品が中心。ここにピカソがあったのだが、人物にしか興味のなかったピカソの好奇心の対象は、風景の中の人物だったそうだ。そう言われてみると、ピカソの描く風景だけの絵はないかも・・・。
でも、これを風景画と呼ぶのはちょっと無理があるような・・・・・。
 パブロ・ピカソ 『闘牛布さばき』(1956)

ここでのお気に入りは2点。ひとつはアルザス地方の画家ルイ=フィリップ・カムの 『刈入れ』。もうひとつはこれ。優しい色使いの点描画で、農作業の合間に食事をしている老夫婦の穏やかな表情がゆったりとした気持ちにさせてくれる、ほのぼのとした作品だった。
 モーリス・エリオ 『年老いた人々』(1892)

次は19世紀のヨーロッパの街の情景が並ぶ 「Ⅲ-都市の風景」。まるで絵葉書のような、風情のあるヨーロッパの街が描かれている。一度でもヨーロッパの古都を訪れたことがある人なら、きっとどこか懐かしい気分にさせられるだろう。
特に惹かれたのは、この2点。雰囲気ありすぎで、旅に出たい気分を掻き立てられた。
                             
ジョージ・ジョーンズ 『ストラスブールのグーテンベルク広場』(1827)     ロタール・フォン・ゼーバッハ 『雨の通り』(1895)

海や河、池を題材にした 「Ⅳ-水辺の風景」 では、明るく爽やかな色使いのものから、逆にダークで重い色使いのものまで、時間や場所や天候などによって様々な表情をする自然の様子を柔らかく描かれている絵が多かった。
コローの絵は、彼が描く特徴的なモコッとした木々と、時が止まったように静かな水面に浮かぶボートの構図がステキだった。
 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 『ヴィル=ダヴレーの池』(1860-63頃)

                      
フリッツ・トーロフ 『ソンム河の古い工場、夕暮れ』(1886-87頃)     イポリット・プラデル 『ガロンヌ河畔の風景』(制作年不詳)

更に、大自然の広大な情景が並ぶ 「Ⅴ-田園の風景」 へと続く。
中でも、空の面積が4分の3を占めるアンリ・ジュベールの羊の群れの絵に、とても惹かれた。果てしなく広がる大地と全てを包み込むかのような大空を見ていると、心の奥底から洗浄されて行くようなすっきり感があった。
コローの弟子であるアントワーヌ・シャントルイユの 『太陽が朝露を飲み干す』 は、彼が大自然の中に初めてイーゼルを立てて描いた作品なのだそう。
間もなく夜が明けるのを、ひっそりと息を潜めて待っているかのような森の様子が伺える。左下に、朝日を待とうと明るくなりつつある空をじっと見つめる鹿がいるのも印象深い。
                  
アンリ・ジュベール 『ヴュー=フェレットの羊の群れ』(1883)     アントワーヌ・シャントルイユ 『太陽が朝露を飲み干す』(制作年不詳)

このセクションには惹かれる作品が結構多く、ショップで売っていたポストカードの中にもネットでの画像にもなかったので作品自体は紹介できないが、同じタイトルでもアドルフ・キルスタインの 『雷雨』 は、雲の間からの黒い線がハッキリ描かれていて、いかにも雷雨と言った感じで、ジョルジュ・ミシェルの 『雷雨』 は、どんよりした雲が今にも動き出しそうで、似ているようで全く違うふたつの作品を見比べるのは、なかなか面白かった。
何度もイタリアを旅したというドイツの画家オスヴァルト・アッヘンバッハの 『古代ローマ遺跡のある風景』 では、突然降り出した雨に急ぎ足で行き来する人や、明るい空の方へ走って行く人々の姿が、とても躍動的に描かれていたのが印象的だった。
あとはこの2点もお気に入り。
                          
ヨハン=フリードリヒ・ヘルムスドルフ 『キンツハイム城の眺め』(1830頃)     ジョルジュ・ミシェル 『風車のある風景』(1820頃)

実は知らない画家の作品がほとんどだったが、それぞれの画家の目を通して描かれた様々な自然の風景に、すーっとした心地良い風を感じながら、安らかな気持ちで鑑賞することができた。

生誕150年記念 『アルフォンス・ミュシャ展』

2010-07-26 | art


アール・ヌーヴォーを代表する画家アルフォンス・ミュシャの展覧会が、7月4日まで三鷹市美術ギャラリーで開催されていた。
私はチェコ語の発音のムハと呼んでいるが、フランス語の発音のミュシャの方が一般的に知られているので、今回はミュシャで・・・。
それにしても、ミュシャは日本人にとても人気があるのに、どうしてこんなマイナーな場所で開催したのだろうか。そのことは、行く前も行った後も疑問だった。しかも生誕150年という節目の記念展なのに・・・。展示品の80%が堺市所蔵のものだったので、そのことと関係があったのだろうか?

展示内容は、「パリ時代」 「アメリカ時代」 「チェコ時代」 の3つに大きく分けられていた。
まず第1章 「パリ時代」。中に入ると・・・とにかく狭い! 普通の廊下のような幅の両側の壁に展示されているので、さほど混んでいないのに両側で二人重なるともう隙間がなくなって先に進めないので、渋滞してしまうという始末。そんなジレンマに少々イラついたが、気を取り直して作品に集中集中。
“絵画とデッサン” のセクションにあった 『犠牲』 という水彩画は、当時のチェコの実態を彷彿させるかのような重い絵だった。
“ポスター” のセクションに入ると、ミュシャがポスター画家としての地位を確立した 『ジスモンダ』 をはじめ、サラ・ベルナールを描いたポスターが多数展示されていた。
『ジスモンダ』 にはやはりと言うか、一斉に人が群がっていたが、私はこの前の 『ロートレック・コネクション』 で既にじっくり鑑賞したので、他の作品を重点的に見ることにした。中でも気に入ったのは、サラのために描いた5番目の作品という 『メディア』。すごくカッコいいポスターだった。
巻きタバコ用の紙の宣伝ポスター 『JOB』 では金が使われていて、なんとなくクリムトを思い出させた。
 『ジスモンダ』(1894)   『メディア』(1898)   『JOB』(1896)

ルフェーヴル=ユティル社のビスケットの缶や箱のデザインは、お菓子の箱には贅沢すぎる豪華なデザイン。


“装飾とパネル” のセクションでは、『四季』 『四つの花』 『四芸術』 『四つの星』 といった連作シリーズが続いた。中でも惹かれたのは、詩・ダンス・絵画・音楽のテーマが描かれた 『四芸術』。とても繊細で優しくて、それでいて妖艶なミューズが素敵だった。
『つた』 と 『月桂樹』 の2作品が対になった作品は、とても美しくてうっとりするくらいだった。
 『四芸術 : 音楽』(1898)   『つた』 『月桂樹』(1901)

この辺りから次のセクション “デザイン” に展示されている作品は、多くのグラフィック・デザイナーやイラストレーターに多大な影響を与えたんだろうなーと思わせる作品が並んでいた。
ここでの私のお気に入りは 『黄道十二宮』 というラ・ブリュムのカレンダーで、下絵もあった。でも並べて展示してくれればいいものの、手前のセクションにあったので、比べて鑑賞するには行ったり来たりしなくてはならなかった。
 『黄道十二宮』(1896)

そのあとは本や雑誌の装丁や挿絵、工芸品などがあり、第2章の 「アメリカ」 では、8点のみ展示。
そして、最後の第3章 「チェコ時代」 に入ると、ガラっと雰囲気が変わった。
商業的に成功を収めたミュシャは50歳の時に故国チェコに戻り、完成まで20年かけた20点の連作 『スラヴ叙事詩』 を制作するのだが、その合間に祖国のためにフェスティバルや宝くじやイベントのポスターを制作していたものが展示。
最初に展示されていた2点 『少女の像』 と 『チェコの心』 に鳥肌が立った。殺伐とした痛々しい時代背景の悲しさに溢れているのだが、その表情には生き抜いて行くという強い意思さえ感じられ、とても感動させられる作品だった。
 『少女の像』(1913)   『チェコの心』(1917)

スラヴ民族への愛情が感じられる作品が並び、『プラハ聖ヴィート大聖堂 ステンドグラスの窓のプラン』 もあった。実際に聖ヴィート大聖堂にあるステンドグラスのデザインとは違い、ヴァーツラフ1世の幼い頃の姿も描かれていなかった。
 『聖ヴィート大聖堂 ステンドグラスの窓のプラン』(1931)   実際のステンドグラス

そして圧巻だったのが、プラハ市民会館市長ホールの原画。実際は天井近くの高いところに装飾されているので、間近で見ることができる機会はまずない。何度も往復してじっくり鑑賞。その連作の中では、『公正 教父ヤン・フス』 と 『スラヴの連帯』 が印象に残った。

前半がかなり窮屈だったので、もう少しじっくり鑑賞したかったというのはあったが、来場者の殆んどが 「パリ時代」 に集中していて、「チェコ時代」 はサクッとほぼ通過状態で見て行く人が多かった。なので、逆に 「チェコ時代」 を楽しみにしていた私にとってはじっくりゆっくり鑑賞することができたので、お腹いっぱい大満足。
それでも、やはりこの場所での開催は、勿体ないなーと思った。
ショップで売っていたポストカードも全部 「パリ時代」 のもので、「チェコ時代」 のものは1枚もなかったのが残念だった。日本人に人気のあるミュシャは 「パリ時代」 に代表される一連の作品・作風なのだから仕方ない。でも、敢えてこういう作品展での販売だからこそ、レアなものを作ってほしかった。
それと、クリアファイルやマグネットなんかよりも、ビスケット缶のレプリカとかあれば良かったのになと思った。

『モーリス・ユトリロ展』 -パリを愛した孤独な画家-

2010-07-02 | art


少し前になるが、身近なパリの風景を中心に描いたフランス人画家、モーリス・ユトリロの作品展を観に行った。
今回の展示作品は、日本初公開作品を集めたものとのことで、兼ねてから日本での人気が高いユトリロ。平日の昼間にもかかわらず、かなり混んでいた。

ユトリロは10代でアルコール中毒になった時に、リハビリで医師に勧められたのがきっかけで絵画を始めたのだが、その初期の作品を集めた “モンマニーの時代” の3枚の絵からスタート。
最初の治療を終えたあと暮らした、母方の祖母がいたところがモンマニーで、フランス北部にある町。
一般的に知られているユトリロの作品とは違い、油彩の絵の具が盛り盛りの、かなり重い印象の作品だった。
続く “白の時代” が後に傑作と評される作品を次々と描いた数年で、アルコール依存症だった頃。そしてユトリロと言えばモンマルトルと言えるほど、パリのモンマルトルの風景を独特の白を使って描いた。
ユトリロがこだわったその白は、モンマルトルの建物の外壁の漆喰。その材質を抽出するために、絵の具に石灰を混ぜたり、はたまた鳩の糞や朝食に食べた卵の殻などを混ぜたのだそうだ。
そんな “白の時代” の作品の中には、ユトリロが生涯通して何度も何度も描いたモンマルトルのシャンソニエ 「ラパン・アジル」 が2枚展示されていた。
ラパン・アジルの外壁には、まだあの “はねうさぎ” はないんだ・・・とか、自分のこの目で実際に見て歩いたことのある、モンマルトルの建物や通りを描いた作品を鑑賞するのはとっても楽しかった。
 『ラパン・アジル、モンマルトル』(1914)   『バイアン通り、パリ』(1915頃)

今回の出展は、続く “色彩の時代” からの作品がほとんどだったのだが、“白の時代” の作品に比べるとやはり何かが違う。
ステキなのもたくさんあったのだが、気になったのが人物。題材はあくまでも風景や建物なのだが、通りを歩く人々を必要以上に描いていて、それがなんとも幼稚というかやたらとお尻の大きい婦人がたくさん歩いているのが多く、私はそれらの人物が絵を台無しにしていると感じた。多くの画家が描いている肖像画こそないが、ユトリロは人物を描いてはいけないとさえ思った。
また、“白の時代” から30年後に描かれたラパン・アジルはとっても雑な感じがしたし、同じく何度も描いているサクレ=クール寺院もなんだか子供っぽい感じだった。
他にも線が太すぎてバランスの悪いものや、色使いが多いものはぬり絵のようにベタベタしていて、逆にやたらと淡白すぎるものなど、だんだんと魅力が薄れていくのが目に見えて感じた。
後に初期の “白の時代” の作品が高く評価されるようになるのは、同じものを描いた作品を比べてみると明らかだった。
 『パリ北部の城壁群』(1925)   『モンマルトルのサクレ=クール寺院』(1933)  

とは言え、後期の作品の中にも “白の時代” を思わせるものもあり、そんな中でこの2点は特に気に入り、とても惹かれた。
 『雪の通り、モンマルトル』(1936頃)   『サン=リュスティック通り、モンマルトル』(1948頃)


★『モーリス・ユトリロ展 -パリを愛した孤独な画家-』 は、新宿の損保ジャパン東郷青児美術館で7月4日(日)まで開催。割引券の付いたしおりが、紀伊国屋書店のレジ・カウンターに置いてあり、100円引き(大人900円)になる。


                        現在のラパン・アジル(2009)

『ルノワール』 ~伝統と革新

2010-05-02 | art


上野で 『ボルゲーゼ美術館展』 を見たあと、乃木坂に移動して国立新美術館に行った。この日は、美術館のハシゴだった。
『ボルゲーゼ美術館展』 同様1月から開催されていたが、その終了間際に行ったのは、『ルノワール ~伝統と革新』 と題された印象派の代表格ルノワールの絵画展。
日本人に人気があるルノワールの作品展は、これまでもいろんなテーマで何度も開催されているが、機会があれば何度も見ておきたいという気持ちになる。
国立新美術館は、外観はあまり好きではないが展示室は明るいし比較的自由に廻れるので、国内の美術館ではいちばん好きかも・・・。この日は特に、先に行った東京都美術館が手元の作品リストさえ見ることができなかったくらいあまりにも暗かったので、こっちの展示室の中に入るとなんとなくホッとした。

第Ⅰ章から第Ⅳ章まで、4つのテーマで巡るようになっていた。第Ⅰ章は “ルノワールへの旅”。
『パリ郊外、セーヌ河の洗濯船』 という作品が最初だったのだが、茶系の色使いがとても優しくて、柔らかな気持ちになった。そしてこの感覚は最後まで続き、どれもこれもあったかいな~と感じる優しい作品ばかりでとても癒された。
 『パリ郊外、セーヌ河の洗濯船』(1871)

ルノワールと言えば女性、特に少女の肖像画が多いが、今回の展示作品の中では画家マネの弟の娘ジュリー・マネを描いた、もの憂げな瞳の長い髪の少女がいちばん印象に残っている。
日本の工芸品に興味を持っていたそうで、『団扇を持つ若い女』(タイトル画像のチラシの絵) ではその名のとおり日本の団扇と菊のような花が描かれている。
ダンスをしている男女の絵も多く、今回は 『ブージヴァルのダンス』 が出展。そしてこの女性が、ユトリロの母親だったということを初めて知った。
点描画の 『シャトゥーのセーヌ河』 や、妻アリーヌの故郷エッソワを描いた風景画は、本当に優しくてステキだった。
そんな優しい色使い作品の中で異彩を放っていたのが、ルノワール最後の肖像画 『闘牛士姿のアンブロワーズ・ヴォラール』。死の2年前に描いたという画商アンブロワーズの肖像画で、立体的に描かれた服が特徴的だった。
 『ジュリー・マネの肖像』(1894)      『ブージヴァルのダンス』(1883)
 『シャトゥーのセーヌ河』(1881)   『エッソワの風景、早朝』(1901)  

次なるテーマは “身体表現”。ここでは、「光学調査で探るルノワールの絵画技法」 という実験結果と共に鑑賞。
例えばルノワールがよく使っている緑色の絵の具の分析や、X線調査や赤外線調査による、画の下に隠された下絵をもとにルノワールの絵画技法を分析して行くという興味深い試み。
デッサンや下絵と完成画を並べて比較したり、映像による実験結果を見たり、絵の具の分析のグラフを見たりと、ちょっと化学的な空間だった。
また、ここでは水浴の裸婦像が数点展示されていて、「水浴」 というタイトルの絵はいろんな画家が描いているが、ルノワールの描く女性は特に体の線がやわらかだなーと思った。
このセクションで印象的だったのが、この対照的な2点。イラストのような少女のふわりとした優しい絵と、赤い洋服の胸元がはだけた女性の情熱的な絵。
 『麦わら帽子の少女』(1885)   『花飾りの女』(1906-19)

第Ⅲ章は “花と装飾画” で、ダークな色の中の赤い花が、ひと際アクセントになって惹きつけられた花の絵と、珍しくブルーを基調とした少女の肖像画が印象に残っている。
また、城壁の戸口上部を飾る装飾画としてワーグナーの楽劇の一幕を描いたものや、装飾パネルのデザインなど、ひと味違った作品を見ることができた。
また、リヨン市のタペストリーのデザインとして描かれたものの、結局没になってしまったという、ローヌ河とソーヌ河のふたつの河の合流を人で表した寓意画は、優しさと力強さが融合した躍動的な絵だった。
 『花瓶の花』(1866頃)   『テレーズ・ベラール』(1879)
 『タンホイザーの舞台(第3幕)』(1879)  
 『ローヌの腕に飛び込むソーヌ』(1915)

最後のテーマは “ファッションとロココの伝統” で、最もお洒落な空間だった。女性のドレスや帽子や髪飾りを通して、新しいファッションが次々に誕生して行ったパリの流行が垣間見えた。
父親が仕立屋で母親がお針子という両親の影響もあってか、ルノワールにとって女性のファッションは昔から身近な存在だったのかも知れない。
圧倒的に女性の絵が多いルノワールだが、自分の息子さえ女の子のように描かれているのは気のせいだろうか?
 『レースの帽子の少女』(1891)   『花飾りのある帽子』(1897)
 『りんご売り』(1890頃) ※右の青い服を着ているのが、後に俳優となる長男ピエール


同展 『ルノワール ~伝統と革新』 は、現在大阪で開催中。
国立国際美術館
2010年04月17日(土)~06月27日(日)
午前10時~午後5時(金曜日は午後7時まで)
毎週月曜休館(5月3日は開館)

『ボルゲーゼ美術館展』 GALLERIA BORGHESE

2010-04-29 | art


桜の花が咲き始めた3月の終わり、上野にある東京都美術館に行って 『ボルゲーゼ美術館展』 を鑑賞した。
いいお天気だったので、上野恩賜公園の五部咲きくらいの桜のトンネルを抜けて、上野動物園の前を通って行った。平日だったが、春休みということもあって結構な人出で、お花見をしている人たちもたくさんいた。
  上野の桜と東京都美術館 

東京都美術館には初めて行ったが、目的の展覧会以外に公募展なども行なわれていて、いくつかの会場に分かれていた。
書道の展覧会が行なわれていたようで、ロビーには年配の方の姿が多く、ロッカーも満杯だった。脱いだコートを手に持ったままは嫌なので、暫くうろうろしていると、ロッカーを開けるのに手間取っていたおじいさんがいたので開けるのを手伝い、そのあとを使うことができた。
ボルゲーゼ美術館はローマのボルゲーゼ公園にあり、ボルゲーゼ家歴代の美術コレクションを展示している。3年前にローマに行った時には行かなかったので、今回楽しみにしていた。
出品作品は、世紀別に分けたコンセプトで4つのセクションに展示されていた。
まずは “序章~ボルゲーゼ・コレクションの誕生”。ボルゲーゼ美術館の紹介と言った感じのイントロダクション。
夏の別荘として建てた建物の正面や庭の景観図、当時の芸術家のパトロンでもあった別荘を建てたシピオーネ・ボルゲーゼの大理石の胸像などが展示されていた。その胸像は、バロック彫刻の巨匠ベルニーニによるもので、大理石に生命を与えたと言われているように、その表情はリアルだった。
 ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ 『シピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の胸像』(1632)

最初の時代は、“15世紀・ルネサンスの輝き” というセクション。
まず目を惹いたのは、『ヴィーナスの誕生』 で知られるフィレンツェの画家ボッティチェリの作品。イタリア・ルネサンスと言えば、やはりこの人だろう。
宗教画、神話画などを多く残しているボッティチェリらしい聖母の、トンドと呼ばれる円形の絵。キリストを抱くマリアが左手にザクロを持っているのだが、このザクロは宗教画に多く用いられているモチーフで、種が多いところから 「子孫繁栄」 の象徴とされているのだそうだ。なるほど・・・。また、キリスト教では 「再生」 や 「希望」 の象徴とされているとのこと。
とても温かみのある優しい色使いで、人物の体の線の繊細さと穏やかな表情が、すーっと気持ちを落ち着かせてくれる何かを放ち、自然と見入ってしまった。
 サンドロ・ボッティチェリとその弟子たち 『聖母子、洗礼者ヨハネと天使』(1488頃)

そして次の部屋で待っていたのが、この展覧会の目玉、ラファエロの 『一角獣を抱く貴婦人』。
実はこの絵、元々は全く違う絵だったということが、解説によって知った。解説のところにあった当時の絵を見ると、女性の両肩にはマントが羽織られていて、手に持っていたのは車輪だった。
1933年に修復した時はまだ一角獣は犬だったが、X線撮影によって一角獣が現れたらしい。ラファエロは何故一角獣を隠し、女性の肌を隠したのだろうか・・・。私はそのことが気になった。そして、この過程を暴く現代技術の凄さにも驚いた。
ちなみに、一角獣(ユニコーン)は 「貞節」 の象徴なのだそうだ。そして見てわかるように、明らかにダ・ヴィンチの影響を受けているのがわかり、『モナ・リザ』 が浮かんでくる。
 ラファエロ・サンティ 『一角獣を抱く貴婦人』(1506頃)の修復後と修復前

左手に地球儀を持った 『祝福のキリスト』 は、どう見ても女性だった。
 マルコ・ドッジョーノ 『祝福のキリスト』(1505頃)

またこのセクションには、江戸時代に慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパまで渡航した仙台藩士・支倉常長(はせくら つねなが)が、ローマ市民権を得たことを証明する書類も展示されていた。

2階に行くところにスクリーンがあり、ボルゲーゼ美術館を紹介する映像が映し出されていた。スクリーンの前は人だかりになっていたが、「2階からも見ることができますよ」 と案内係の人が言っていたので、上からゆっくり見たあと、第二のセクション “16世紀・ルネサンスの実り -百花繚乱の時代” に入った。ここで印象に残ったのが、これ。
 ジョヴァンニ・ジローラモ・サヴォルド 『若者の肖像』(1530頃)
この左手の描写が寂しげな表情と合い重なり、とってもステキだった。ポストカードがなかったのは残念だったが・・・。
他に、ジローラモ・ダ・トレヴィーゾ・イル・ジョーヴァネに帰属という、雲も体も全部丸々としていた 『眠るヴィーナス』 や、女性のような(↑の) 『祝福のキリスト』 と同じ対象を描いたとはとても思えない、疲れ果てた顔がちょっと怖いゼバスティアーノ・デル・ピオンボ作の 『十字架を担うキリスト』 や、整いすぎる顔のヴィーナスの後ろに色黒の天使がいたブレシャニーノ作の 『ヴィーナスとふたりのキューピッド』 などが印象に残っている。

最後のセクションは、“17世紀・新たな表現に向けて -カラヴァッジョの時代” で、ここに展示されていた作品がいちばん好きだったかも・・・。
ラファエロの 『一角獣を抱く貴婦人』 と並んで目玉とされていたカラヴァッジョの 『洗礼者ヨハネ』 は、妖艶な表情で横たわるように座るヨハネの肌の色と赤い布がとても美しかった。
解説によると、この作品はカラヴァッジョが病死した38歳の時に、殺人を犯して逃げる途中で描いた作品とのこと。そういう事情を知ると、余計切羽詰った感が伝わってきた。
 カラヴァッジョ 『洗礼者ヨハネ』(1609-10)

『ゴリアテの首を持つダヴィデ』 の “捕ったぞー” と言わんばかりに大きな首を持つ得意げな美少年ダヴィデは、おおよそ人の首をはねそうもない綺麗な顔とグロテスクな首がミスマッチ。
愛犬の甘える声や父親と息子の会話が聞こえてきそうな 『放蕩息子』 なんかも、イタリアっぽくて印象に残っている。
 バッティステッロ 『ゴリアテの首を持つダヴィデ』(1612)   グエルチーノ 『放蕩息子』(1627-28頃)  

『ロートレック・コネクション』 愛すべき画家をめぐる物語

2010-03-30 | art


去年の12月、もう3ヶ月以上前のことだが、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催されていた 『ロートレック・コネクション』 のことを振り返ってみようと思う。
ロートレックに関する展覧会は、何らかの形で毎年と言っていいくらい日本で開催されている。去年、サントリー美術館で開催された 『ロートレック展』 にも行った。
今回は、ロートレックの作品はもちろん、36年という彼の短い生涯の中で交流のあった画家たちの作品が一緒に展示された。

3つの時代がテーマになっていて、まず最初のテーマは “画学生時代 -出会いと影響-”。
最初の絵は、ロートレックが美術の道に進もうとしたきっかけとなった最初の師、ルネ・プランストーの作品。ルネ・プランストーは馬の絵を専門に描いた画家で、師匠と似た題材の馬の絵を、ロートレックも描いている。
ロートレックがコルモンの画塾に入って出会った、ルイ・アンクタンやエミール・ベルナールらの絵がたくさん紹介され、後に画塾に入ってきてロートレックと親しくなるゴッホのステキな絵が、このセクションの最後を飾っていた。
 フィンセント・ファン・ゴッホ 『モンマルトルの丘』(1886)

次のテーマは、“モンマルトル -芸術の坩堝(るつぼ)-”。恐らく、ロートレックがいちばん輝いていた時代であろう。
ここで最初に目を惹いたのは、お馴染みスタンランのキャバレー 「黒猫」 のポスター。モンマルトル美術館でも見たが、作品リストの所蔵先が川崎市市民ミュージアムだったのには驚いた。
 テオフィル=アレクサンドル・スタンラン 『シャ・ノワール巡業公演』(1896)

その後は、続々とお馴染みのロートレックのリトグラフが続いた。大好きな作品がたくさん展示されていたので、ワクワクした。
キャバレー 「ムーラン・ルージュ」 のポスターは、第一作目はジュール・シュレが制作して大好評を得たが、第二作目を手がけたロートレックも大成功を収めた。
彼のリトグラフには、彼が浮世絵に巡り会い、虜になり、熱心に研究したという影響が現れている。
 ジュール・シュレ 『ムーラン・ルージュの舞踏会』(1889)
 アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック 『ムーラン・ルージュのラ・グーリュ』(1891)

実はこの 「ムーラン・ルージュ」 のポスターが、ロートレックが描いた最初のポスター。真ん中で踊っているのは、人気ダンサー、ラ・グーリュで、手前のシルエットは、彼女とコンビを組んでいたダンスの名手 “骨なしヴァランタン”。ポスターには、「ムーラン・ルージュ」 の判が押されていた。
「カフェ・コンセール」 の開店用のポスターは、数ある好きな作品の中でも特に好きな作品。タイトルの 『ディヴァン・ジャポネ』 を訳すると、“日本の長椅子”。モデルはダンサーのジャヌ・アヴリルで、彼女を描いている他の作品も展示されていた。
このふたつは構成が似ていて、斜めの線とコントラバスの上部が共通している。
 『ディヴァン・ジャポネ』(1893)と、『ジャヌ・アヴリル』(1893)

とても興味深くて良かったのが、その 「カフェ・コンセール」 に寄せたリトグラフの連作。
 『アリスティッド・ブリュアン』 『ポランの歌を聞く婦人』 『奇妙なイギリスのコメディアン』(1893)

最後のテーマは、“前衛集団の中で”。ロートレックをリトグラフの道に導いたと言われている、ピエール・ボナールの作品から始まった。
ロートレックやゴッホ同様、浮世絵に多大な影響を受けたというドガやドニ、アール・ヌーヴォーを代表するムハ(ミュシャ)の作品はとても綺麗で妖艶で、惹きつけられた。
 モーリス・ドニ 『ランソン夫人と猫』(1892)   アルフォンス・ムハ 『ジスモンダ』(1894)

この頃のロートレックの作品は油彩画が多く、特に肖像画が印象に残った。モデルの婦人の個性が表現されている 『マルセル』 や、横向きでの立ち姿の肖像画 『アンリ・ディオー氏』、そしてポスターを手がけることで親しくなったという英国の自転車製造メーカー、シンプソン社のフランス支社総代理人の肖像画 『ルイ・プグレ氏』 は、英国紳士の気品さが滲み出ていた。これら3作は、色合いも似ている。
 『マルセル』(1894)、『アンリ・ディオー氏』(1891)
 『ルイ・プグレ氏』(1898)   『シンプソンのチェーン』(1896)

とってもステキだったのが、「ルヴュ・ブランシュ」 という雑誌のために描いたポスター。モデルは、雑誌の創設者タデ・ナタンソンの妻で、人々のあこがれのミューズ、ミシア。
 「ルヴュ・ブランシュ」 誌のためのポスター(1895)

ロートレックは、とても由緒ある大貴族の嫡男として生まれ育ったが、幼年期に両足を二度骨折し、それが原因で上半身は成長するも、下半身は発育不良のままという異常な容姿だった。しかしそれは骨折だけが原因ではなく、両親が従兄妹同士という家系内での血族結婚がもたらした悲劇とも言えよう。
世間から差別的視線で見られていた彼は、極めて背の高い人を好み、自分を冗談の種にしていたという。そして、ダンスホールや酒場などに出入りするようになり、娼婦や踊り子ら夜の世界の女たちに共感し、彼女らを描くことに情熱を費やしたのだった。

『THE ハプスブルク』 と 『やすらぎのオーストリア』

2009-10-30 | art


去年、チェコとオーストリアを旅行する前に、いろんな本を読んでそれぞれの国の歴史なんかを勉強した。
世界史は苦手だったのに、人は興味を持つと面白いくらいに頭に入るものだ。(笑)
そして、特にその中で頻繁に登場する “ハプスブルク帝国” に興味を持ち、今もハプスブルクに関する本をいろいろ読んでいる。
ハプスブルク帝国は、“幸いなるオーストリアよ、戦いは他の国に任せるが良い。汝は結婚せよ” という家訓が示すように、結婚政策によって領地を増やし、600年以上同じ家系が続いたヨーロッパ最長の王家である。
そんなハプスブルク家のお宝コレクションが、現在東京の国立新美術館で開催されていて、ウィーンの美術史美術館とハンガリーのブダペスト国立西洋美術館所蔵の絵画や工芸品が出展されている。
ウィーンでの滞在期間中は美術館に行ってゆっくり鑑賞する時間がなかったので、「日本オーストリア交流年2009」 のイベントの一環の、とても楽しみにしていたこの 『THE ハプスブルク』 と題された展覧会に、先週行ってきた。
朝一で行けば空いているかなと思い、開館時間を少し過ぎた頃に乃木坂に着き、荷物をロッカーに預けて入場。列が出来るほどではなかったが、それでも場内はもう既にたくさんの人で混み合っていた。(実はこの朝一で行ったのが失敗だった。理由は後ほど・・・)

まず最初に、このうりざね顔のルドルフ2世がお出迎え。何となく愛嬌のあるこのお顔が好き。ルドルフ2世は、教養に富んでいたが政治的には無能だったらしく、何となくわかるような気がする。
その横には、栄光のハプスブルク家の家系図が掲示されていた。興味を持ち出した当初は、同じ名前で1世とか2世とか付くだけなので、どれが誰なのかさっぱり分からなくて覚えるのにひと苦労したが、今ではだいたい把握できるようになった。
 ハンス・フォン・アーヘン 『神聖ローマ皇帝ルドルフ2世』(1600~03頃)

で、いきなりハプスブルク家の肖像画の部屋。見渡すと、大勢の人が群がっていたのはシシィの愛称で知られる絶世の美女、皇后エリザベートの肖像画の前だった。日本ではシシィ・ファンが多いようなのだが、私は断然マリア・テレジア派。
“女帝”、“国母” と呼ばれているマリア・テレジアは、マリー・アントワネットのお母さん。
父親カール6世の肖像画の隣りに、11歳とはとても思えぬそれはそれは美しい彼女の肖像画はあった。
キリッとした眼差し、凛とした表情、可憐な指先、細いウエストetc...その全てに目を奪われた。23歳で相続したマリア・テレジアの肖像画は、どちらかと言えば肝っ玉母さんのようなふくよかな姿のものが多いので、この絵は珍しいのかも知れない。
 アンドレアス・メラー 『11歳の女帝マリア・テレジア』(1727)

シシィの肖像画前は塊りのような人だかりだったが、ひときわ大きな絵だったので、少し離れたところからでもちゃんと見ることができた。
ひととおり見たあと、再びマリア・テレジアの前に行ってじっくりと鑑賞したあと、次のセクションへ。ハプスブルク家の肖像画の中に、皇帝マクシミリアン1世がなかったのは残念だった。
次のセクションは “イタリア絵画”。チラシや公式サイトなどでピック・アップされているジョルジョーネの 『矢を持った少年』 よりも、私のお気に入りはラファエロの 『若い男の肖像』 だった。素朴な青年だが、なんとなく気品のある表情が魅力的。ラファエロは、これに似たような肖像画をたくさん残している。
 ラファエロ・サンティ 『若い男の肖像』(1503頃)

それからこちら。宗教画に多い 『受胎告知』 なのだが、この絵の天使ガブリエルがとても美しく、背景の色使いにも惹かれた。
天使が持っている白いユリの花は、マリアの処女性を表しているのだそうだ。
 ベルナルド・ストロッツィ 『受胎告知』(1643~44頃)

ナポリの巨匠ルカ・ジョルダーノの 『物乞い』 は、この男性の優しくて淋しげな目が印象的で、今でも心に残っている。
 ルカ・ジョルダーノ 『物乞い』(1650頃)

フィレンツェのシニョーリア広場を描いた絵があり、まるで写真のように忠実かつ鮮明に描かれたその風景に、旅の思い出が蘇るようだった。
次のセクションに行く前に、映像コーナーでちょっと休憩。「芸術を愛した王家の物語」 と題された20分ほどの映像で、今回出展されている作品以外のものも紹介され、絵にまつわる話を知ることができた。
次は “ドイツ絵画”。ここではアルブレヒト・デューラーが中心だったのだが、最初に展示されていた 『バラ冠の祝祭』 という絵に惹かれた。作者は不明のようで、“アルブレヒト・デューラーに倣う” となっていた。たくさんの宙を舞う天使の表情が何とも言えず、思わず笑みがこぼれた。この画像ではわからないが、クシャッとした笑顔がパッと見ちょっと不気味なのだが、ずっと見ているとそれが逆に可愛くて可愛くて・・・。
その天使が、バラの花で作った冠をみんなの頭に載せている絵で、聖母の優しそうな表情と天使の可愛さにほのぼの。聖母の右隣りにいるのは、皇帝マクシミリアン1世。
 作者不明 『バラ冠の祝祭』(1606~12頃)

次のセクションの入口が列になっていた。何だろう?と見ると、今回特別に出展された、明治天皇がフランツ・ヨーゼフに贈った蒔絵や画帳の展示。
壁に掛けられているのではなく、ガラス・ケースに入った棚に置かれ、覗き込むようにして見るようになっていたのだが、列が進みそうにない。
じっくり見るのは諦めて、隙間からチラ見して、同じ部屋の “工芸と武具” を鑑賞。
カエサルやソクラテス、プラトンらの胸像や、甲冑や盾、食器などが展示されていた。
中でも目を惹いたのは、貝殻のカメオで出来た 『シャーベット用センターピース』。パール・ピンクの貝殻の器が天秤のようにぶら下がっていて、とてもステキだった。
盾の細かい装飾も素晴らしかった。戦いの時に持つにはさぞかし重かっただろうに・・・という感じだったが・・・。

ここでふたつ目の映像コーナーに立ち寄り、「ハプスブルク物語」 という10分ほどの短い映像を鑑賞。シェーンブルン宮殿やブルク公園などの映像を見ていると、ウィーンにまた行きたいという気持ちがつのった。
次のセクションは “スペイン絵画”。ここでは、ベラスケスのふたつの肖像画が群を抜いて素晴らしかった。
ひとつは、お人形のようなおすまし顔の、スペイン王女マルガリータ・テレサの肖像画。マルガリータは幼い頃からレオポルト1世のいいなずけだったので、未来の皇后の成長を肖像画で記録し、ウィーンに送っていたらしい。
もうひとつは、女の子みたいな王子フェリペ・プロスペロの肖像画。この王子は生まれた時から病弱で、4歳で亡くなったらしい。病弱ゆえ、白いエプロンに悪霊祓いの鈴や、伝染病除けのハーブ入れなどがぶら下がっている姿に胸が痛んだ。
先日この展覧会の特集番組が三輪明宏のナビゲーターで放送され、これらの絵に込められている事柄を知ったのだが、そういう内容を知った上で見ると、より一層感慨深かった。
 ディエゴ・ベラスケス 『皇太子フェリペ・プロスペロ』(1659)

この部屋で、今回いちばん好きになった絵に巡り会った。大天使ミカエルを描いた作品で、色使いと大天使ミカエルの表情が鳥肌が立つほどステキで、かなりの間その絵の前に立ち尽くして眺めていた。
その素晴らしさは言葉で表現するには難しいが、とにかく大天使ミカエルに吸い込まれるようだった。
 バルトロメ・エステバン・ムリーリョ 『悪魔を奈落に突き落とす大天使ミカエル』(1665~68頃)

最後のセクションは “フランドル・オランダ絵画”。出展数は多かったが、さほど印象に残る作品はなかったのでサクッと回り、最後にもう一度マリア・テレジアの肖像画を見ておきたくて、最初の部屋まで戻った。
じっくりとこの目に焼き付けた後、ここに載せたお気に入りの絵をもう一度見ながら回り、再び大天使ミカエルの前に行ってから会場を出た。
出たところにあるミュージアム・ショップは激混み。やっとのことで、お気に入りの絵のポストカード数枚と、マリア・テレジアの肖像画のポートレートなどを購入。
最初に朝一で行ったのが失敗だったと言うのは、殆んどと言ってもいいくらい年配の人ばかりで、しかも私語の声が大きくてうんざりだったから。
話しをするなとは言わない。でも、近所の公民館にでも来ているような感じで、大声で世間話しているのが背後から聞こえてくるのは我慢ならなかった。
おまけに立ち止って見ているところを、後ろから来てまともに被るように前に立ちはだかられる始末。こういうことが多々あった。
加えてショップでの押し合いへし合い、我先にという割り込み。久しぶりに “オバタリアン” という死語を思い出した。平日だし朝一で行くと空いてるだろうなと思ったのだが、年配の方たちは朝が早いんだった・・・ということを忘れていたのだった。

最後のショップでの超満員に少しぐったりしてしまったが、渋谷に行ってよく行くお店でパスタ・ランチをしたあと、向かったのは公園通りにあるたばこと塩の博物館。
もう何百回というほどこの前は通っているが、中に入ったのは初めて。今ここで、『やすらぎのオーストリア ~カフェとたばこにみるウィーンの文化史~』 という特別展をやっている。入場料が300円という安さ!
まず、その会期中のイベントである映画上映に参加。DVDの映写だったが、『プリンセス・シシー』 という1955年のドイツ映画を鑑賞した。シシィと言えば、姑との確執や最愛の息子の死など、悲劇的なことが頭に浮かぶが、この映画はフランツ・ヨーゼフ1世と出会って恋に落ち、結婚するまでを描いた作品だったので、ハッピー・エンドで終わった。
映画鑑賞のあと、特別展を鑑賞。王宮で使用された家具や食器、皇帝や皇妃の肖像の入った調度品、皇帝愛用のシガーホルダー、ウィーン万博に出品された見事な装飾のパイプなど、貴重な品々を見ることができた。
ベートーヴェンの肖像入りのスナッフ・ボックス(嗅ぎタバコを入れるケース)は、なんと髪の毛入りだった。
 フランツ・ヨーゼフ1世肖像付金製スナッフ・ボックス(1908頃)
 ベートーヴェンの肖像・巻毛入り張り子スナッフ・ボックス(1830頃)


『THE ハプスブルク』
東京国立新美術館
12月14日(月)まで開催
午前10時 ~午後6時(毎週火曜日休館・金曜は午後8時まで)
※11月3日(火・祝)は開館、翌4日(水)休館

京都国立博物館
2010年1月6日(水)~3月14日(日)
午前9時半 ~午後6時(毎週月曜日休館・金曜は午後8時まで)
※1月11日(月・祝)は開館


『やすらぎのオーストリア ~カフェとたばこにみるウィーンの文化史~』
東京渋谷たばこと塩の博物館
11月3日(火)まで開催(月曜日休館)
午前10時 ~午後6時

クリムト、シーレ 『ウィーン世紀末展』

2009-10-06 | art


日本とオーストリアの修交140年を記念して、今年、「日本オーストリア交流年2009」 と題されたイベントが、両国で開催されている。
そのイベントのひとつ、ウィーン・ミュージアム所蔵の作品展が7月にまず札幌で開催され、現在東京日本橋の高島屋の中にあるアート・ギャラリーで開催中。
知名度と日本での人気度からか、クリムトとシーレの名前が付いた作品展だが、実際クリムトの作品は少なかった。
当然ながらクリムトのあの大大代表作 「接吻」 は、ベルヴェデーレ宮殿のオーストリア絵画館所蔵のものなので、今回の作品群の中にはなく、私には初見の作品が多かった。

5つのテーマからなり、まず第一章は “装飾美術と風景画”。
プラーター公園やウィーン郊外の風景画などが展示されている中、印象に残ったのがライムント・フォン・シュティルフリートの 「ザンクト・シュテファン大聖堂(St. Stephan)」 と フーゴー・ダルナウトの 「シュトゥーベントーア橋(Die Stubentorbrücke)」。特にシュティルフリートのシュテファン大聖堂は、実際に自分が訪れたことのあるところということもあってか、とても現実的に見てしまい、大聖堂の中に居るかのような錯覚を感じさせるくらいだった。
上に向かって高く伸びるゴシック様式の柱やヴォールトの天井の模様がとても繊細で、厳かで美しい大聖堂の内陣が丁寧に描かれていた。
 フーゴー・ダルナウト 『シュトゥーベントーア橋』(1901)

第二章は “グスタフ・クリムト”。
クリムトの作品の他に、弟エルンスト・クリムトと友人フランツ・マッチェの作品があった。
弟のことは、ここに来るまで知らなかった。クリムトと言えば金箔をあしらった画法が特徴だが、弟は後に彫金師となって兄の作品を飾る額の設計をしていたそうで、弟の作品にも金箔が使われていた。
「宝石商(Der Juwelenhändler)」 という作品はまるで写真のようで、宝石を手に取る女性の指先がとても美しかった。
兄の作品は、初期の “古典主義的” と言われる 「寓話(Fable)」 や 「牧歌(Idylle)」 もあり、自分が知っている官能的で煌びやかなイメージとは違い、イタリア美術的な感じがした。
「愛(Liebe)」 は本当に美しくて切なげで、それでいて官能的でうっとり・・・。クリムトが生涯追い続けたであろう “愛” と “輪廻” と “美” が、狂おしいくらいに表現されていた。
本展の目玉とされていた 「パラス・アテナ(Pallas Athene)」 は、力強くて迫力があったがさほど感動はなし。
 グスタフ・クリムト 『寓話』(1883)
 グスタフ・クリムト 『愛』(1895)

続いて第三章は “エゴン・シーレ”。
シーレの作品は、画集やウェブ上の画像などでしか知らなかったが、実はそれまで目にしていた彼の作品は、個人的にあまり好きではなかった。彼の苦悩や欲望がむき出しに表現されたエロティシズムに、私は美しさを感じることができない。しかし、今回実際にこの目で見たあとその印象が少し変わった。
“私の自画像はない、絵の対象としては自分自身に興味がない” と言ったクリムトとは対照的に、自画像が多いシーレ。
その自画像にはあまりグッと来なかったのだが、「イーダ・レスラー(Ida Roesler)」 という作品に惹かれた。
シーレの絵は茶色や灰色のイメージが強かったが、それはハッキリとした大胆な色使いで、ツンとした気取った感じの婦人の表情を、目や唇の細かな柔らかなタッチで素晴らしく表現されていた。
シーレはこの女性のポートレートをたくさん描いている。美術評論家で、シーレの良き理解者だったらしい。
他に 「ウィーン工房のハガキ(Postkarte Wiener Werkstätte)」 という絵葉書のシリーズがあり、今回シーレの作品を見て変わったという私の印象は、この絵葉書シリーズによる。タッチが繊細で、これまで彼の作品では感じなかった美しさが感じられ、素晴らしかった。ハガキ・サイズでは物足りないくらいだ。
 エゴン・シーレ 『イーダ・レスラー』(1912)
 エゴン・シーレ 『ウィーン工房のハガキ』(1910)

第四章のテーマは、“分離派とウィーン工房”。
まず最初に目に入ったが、1900年にセセッシオンで開催された 「第6回ウィーン分離派展 “日本特集” のためのポスター」。それは、浮世絵版画が組み込まれたポスターだった。
ここでは、建築家オットー・ワーグナーの 「シュタインホーフの教会[草案](Kirche am Steinhof [Vorprojekt])」 があり、彼が手がけたアム・シュタインホーフ教会の貴重な原案画を見ることができた。
ウィーン工房を設立したコロマン・モーザーの作品が多く、ここにもメラ・ケーラーとマリア・リカルツの 「ウィーン工房のハガキ」 シリーズがあり、特にメラ・ケーラーのアール・ヌーヴォー調のドレスに身を包んだ麗しい貴婦人たちは、当時のファッション誌から飛び出してきたかようだった。
コロマン・モーザーは、オットー・ワーグナーが設計したアム・シュタインホーフ教会の祭壇やステンドグラスも手がけた人だそうで、「“フロメのカレンダー”のためのポスター(Plakat für "Fromme's Kalender")」 という作品が気に入った。フロメって何だろう、お店か何かの名前だろうか・・・。
オスカー・ココシュカの石版画 「夢みる少年たち(Die träumenden Knaben)」 という作品が面白く、8枚組でそれぞれ物語風になっていて、まるで絵本のようだった。色使いがステキで、右側に書かれているドイツ語が読めたらもっと楽しかったのに・・・と思った。
 オスカー・ココシュカ 『夢みる少年たち』(1908)の一部

最後のテーマは “自然主義と表現主義”。
ここでは、12音技法を確立した音楽家のアーノルト・シェーンベルクと、マックス・オッペンハイマーが印象に残っている。オッペンハイマーのエゴン・シーレの肖像画は、特に手の辺りがまるでシーレが描いたかのような画風だった。
 マックス・オッペンハイマー 『エゴン・シーレ』(1910)

まだまだ知らない画家の作品をたくさん鑑賞することができ、そして、またウィーンに早く行きたいという気持ちに駆り立てられた。
“作品を保護するために照明を暗くしています” というのは、日本の美術館によくあることだが、絵を照らしている照明が反射して見辛く、正面から見ると光って見えないので、しゃがんだり横から見なければちゃんと見えない作品がたくさんあったのが残念だった。
○○美術館とかでの開催ではないので、街中でもポスターなどの告知は見かけず、なんとなくひっそりと開催されているような感じでとても空いていた。
ステキな作品がたくさん展示されているのにもったいないなーと思いながら、ショップで気に入った作品のポストカードを買って(ないのもあったのが残念)、同時開催されていた “オーストリア・フェア” に立ち寄ると、カイザー・ゼンメル(パン)を見つけて心が躍った。
迷わず購入してヴルスト・ゼンメル(ソーセージ・パン)を作って食べたが、ゼンメルの味がイマイチだった。


ウィーン・ミュージアム所蔵 『クリムト、シーレ ウィーン世紀末展』
東京日本橋高島屋8階アートギャラリー
10月12日(月)まで開催
午前10時 ~午後8時(最終日は午後6時まで)

大阪サントリー・ミュージアム天保山
10月24日(土)~12月23日(水)
午前10時半 ~午後7時半(会期中無休)

生誕125年記念 竹久夢二展 「ふたつのふるさと ふたつのコレクション」

2009-09-08 | art


竹久夢二と聞くと、“大正浪漫” という言葉が自然と浮かぶ。
明治・大正・昭和を駆け抜け、和とモダンを融合させたかのような “夢二式美人” と呼ばれる美人画を数多く世に残した画家であり、詩人でもある竹久夢二。
今年で生誕125周年ということで、それを記念した展覧会があった。
よく行く新宿高島屋の特設会場に、岡山市にある夢二郷土美術館と群馬県渋川市にある竹久夢二伊香保記念館から、選りすぐりの作品が約400点も展示された。
岡山は夢二が生まれ故郷、伊香保は夢二が46歳の時に創作活動のために滞在していたところで、両方とも夢二ゆかりの地である。

はんなりとたおやかで優しいタッチの絵を眺めていると、ふわっとした肌触りの心地良いシルクの布に、優しく包み込まれているような気分になった。
夢二の作品は、いろんなところで目にする。京都に行けば夢二の絵をモチーフにした小物を扱う専門店もあるし、岡山と伊香保以外にも東京や金沢に美術館がある。
着物姿の美しい女性だけでなく、丁度明治維新後の時代が影響し、和文化と西洋文化が見事に調和した、ステキな “夢二ワールド” を堪能することができた。
繊細なタッチのロマンティックで切ない女性の表情は、アール・ヌーヴォーの画風を思わせ、眺めているだけでうっとり・・・。
また、絵本や挿絵や本の装幀のグラフィック・デザインは、可愛くてカラフルで英語も散りばめられていて近代的だった。
様々な展示作品の中でも圧巻だったのは、スケッチブックと手帖。特に晩年に渡欧した時のスケッチブックには感動した。
そして彼もまた、世の芸術家たちの類に漏れず、多くの女性と浮名を流した人生であったことも、作品を通して知ることができた。
絵画だけでなく、雑誌の表紙画や絵本、浴衣や手ぬぐいのデザイン、人形劇の衣装のデザインなど、幅広い分野で作品を残し、大衆に支持されていた夢二だったが、もっと海外で評価されてもよさそうなのに・・・と思った。


いちばん好きな夢二の絵。
「雪の風」 『婦人グラフ』 12月号表紙(1924年木版)