明日の講演の資料を作り、さあ印刷しようと思ったら、プリンターの調子がわるい。カラー写真がずれて、うまく印刷できません。
ヘッド位置調整の機能を使い、ずれを修正しても全くだめ……。
やむなく近くのジョーシンに行き、安い機種を買いました。
一番安い機種はインクカートリッジが一体型で、本体は安くても、インク代が高くつきます。
今使っている機種は、調子がわるいのをだましだまし使っていました。
自分の著作のチラシを10,000枚近く印刷しているので、もう限界かもしれません。
今回は『幻影2 荒原の墓標』24回目の掲載です。
3
その夜、仕事が終わってから、なじみのファミレスに恵、美貴、裕子、美奈の四人が集まっていた。オアシスには盆休みがなかった。多くのコンパニオンが盆の時期には休みを取るので、今はコンパニオンが手薄だ。アドバイザーの玲奈も、いつでも行けるようにスタンバイしている。玲奈は三〇代後半とはいえ、後輩のコンパニオンが羨ましがるほど若々しい体つきを保っている。
「お姉さん、まだ現役で行けるんじゃない?」
玲奈はコンパニオンたちから冷やかされていた。玲奈はコンパニオンたちから慕われており、このような軽口も言い合える間柄だ。
「裕子さんのお兄さんのことはまだわからないけど、警察は大岩さんを詐欺グループの一員としてマークしたわ」
オーダーをしてから、美奈が三浦から聞いたことを裕子に報告した。恵と美貴も、おおやまと名乗る男が裕子の兄を知っているようだということを聞いている。
「お兄さん、やっぱり詐欺グループの一員だったのかしら」
「それはまだわからないわ。今は希望を捨てずに行きましょうよ」
「ううん、私はもう最悪のことを覚悟しているわ。兄は予告される前に、最初に殺されたのかもしれない。最悪を考えていれば、何があっても驚かないから。でも、兄にはやはり生きていてほしい」
「そうよ。お兄さんはきっと生きているよ。そう信じようよ」
美貴が裕子を力づけた。
「そうですね。たとえ兄が詐欺グループのメンバーだったとしても、生きてさえいれば、これからいくらでもやり直しはできるのだから」
しかし美奈はあまり楽観できなかった。美奈としては、事件を引き起こしている怨念霊の位置に、裕子の兄を置いていた。その予感が外れていますように、と祈ることしかできなかった。
オーダーしたものが全員分届いた。
「みんな、暗い話はもう終わりにして、食べようよ。ずっと仕事をしてて、おなかぺこぺこ。おなかの虫が、はよ食わせろ、と鳴いてるよ」
恵がさくらの口調を真似たので、みんなが笑った。
「そういえば、この前背中の龍を彫りに、さくらのところに行ったら、さくら、今男の人の背中一面に、ラオウを彫ってるんだって。途中までの写真を見せてもらったんだけど、すごい迫力。さすが元漫画家志望。めちゃうまかった。トヨさんも感心してたよ」
「ラオウって、北斗の拳の?」 と美貴が恵に訊いた。
「もち。カップ麺のラ王じゃないわよ。お客さんは最初、黒王に跨がったところを希望していたそうだけど、それだとラオウが小さくなって見栄えしない、とさくらがアドバイスして、背中一面にラオウの戦闘ポーズになったんだって。黒一色で濃淡つけて彫ってあったけど、ほんと、漫画から抜け出したみたいだった。かっこよかったな」
「あたしも男だったら、ラオウ彫ってもらいたいんだけどな。『我が生涯に一片の悔いなし』なんて、かっこいい」
「美貴にはラオウより『ひでぶ』のハート様のほうが似合ってるんじゃない?」
「ひでぶだなんて、メグさん、ひっどーい。あたしは南斗水鳥拳のレイがいいかな。源氏名と同じアイリのお兄さんだもん。それともベルばらのオスカルとか」
ベルサイユのばら以外は、美奈にはついていけない話題ではあったが、恵と美貴のやりとりを見ていた裕子は、愉快そうに笑った。場が和んでよかったと美奈は思った。かつてのさくらのように、今は美貴がムードメーカーとしての役割を担っている。
美奈は最近、さくらが女性の背中に彫った、ミュシャの『ダンス』を見せてもらったことがある。原画よりカラフルな色使いだが、ミュシャの雰囲気がよく出ていて、すばらしいと思った。美奈はミュシャの絵が好きだ。さくらはもう一人前のタトゥーアーティストだ。最近客が増えてきた。収入もオアシスでコンパニオンをしていたときには及ばないとはいえ、平均的なOLより、ずっと多いそうだ。来月発売の『タトゥーワールド』という専門誌で、“美貌の新進女性アーティスト”として、トヨと共にさくらが紹介される予定だ。
その号には、さくらが恵の背中に龍を彫っている写真が掲載されることになっている。取材のときには美奈もその場にいて、昨年の秋に会った、カメラマンの長谷川と再会した。タトゥーワールドの女性編集長、熊谷(くまがい)にも会った。熊谷には以前、タトゥーワールドで、美奈のタトゥーを二ページにわたって紹介させていただきたいという、挨拶の電話をもらったことがあった。熊谷は姉御肌の、さっぱりとした感じの女傑だった。今回もまた美奈のタトゥーが撮影された。さくらが彫った脚の龍や、胸の牡丹などの写真も掲載するという。
トヨとさくらが力をつけ、卑美子が産休、育休に入っても、二人で十分卑美子ボディアートスタジオの看板を背負っていくことができる。
「メグさんの背中、まだ半分ぐらいですね」 と美奈が尋ねた。
「うん。まだ少しかかるみたい。龍はかなり色が入ったけど、牡丹がまだ全然だしね。週一で三時間以上も施術を受けるのはけっこう辛い。早く完成しないかな。さくらも彫るのが早くなったけど、来月いっぱいはかかりそう」
「裕子も腰に大きな鯉入れちゃったし、あたしもまた、さくらに何か彫ってもらおうかな。さっき言ってたオスカルもいいね」
美貴も口を挟んだ。美貴は腰の蓮以外に、もう一つタトゥーを増やすつもりでいる。
最初は暗い話題だったが、最後にはみんなが笑顔になった。
「裕子さん、お兄さんのことで、三浦さんから何か情報が入ったら、メールか電話しますね」
「お願いします。でも、三浦さん、すてきな男(ひと)ですね。とっても優しそうで、刑事さんだとはとても思えないです」
一時間ほどで会合をお開きにした。美奈は恵と裕子を車で家に送った。美貴は今も原付で通勤している。明日(正確には今日)は裕子と美奈は公休日だ。盆の期間中、美奈が休みにしたのは、その日だけだった。
翌朝、遅い朝食をすませてから、美奈は作品の補筆でパソコンに向かった。『幻影』は一応完成しているが、美奈は全体的に手を入れていた。入力ミス、変換ミスや、文法上の間違い、作品の中で矛盾した記述なども点検し、見つけたら修正している。完成したら、見せてほしいと北村弘樹が言っている。出来栄えがよければ、出版社や評論家に紹介してくれるそうだ。最初は仮題のつもりだった『幻影』も、使っているうちに気に入ったので、正式なタイトルにした。
『幻影』は、千尋や繁藤の実際にあった事件をモチーフにはしているが、事実そのままではなく、大きく創作を加えてある。名古屋の繁華街、錦三のクラブに勤める、背中に大きな大日如来のタトゥーを入れた、如月美穂(きさらぎみほ)という女性が探偵役として活躍する。美穂は三歳で亡くなった美奈の姉の名前だ。姓を如月にしたのは、姉が生まれたのも亡くなったのも、二月だからだった。美奈は姉を作品の中で、元気に活躍させたかった。
美奈は午後、『幻影』の原稿をB5のコピー用紙に両面印刷して、JR中央本線の神領駅近くのNという喫茶店に行った。CD-Rに焼いてもよかったが、印刷しておいたほうが、相手には便利だろうと思った。そこで最近知り合った高校生の河村彩花と待ち合わせをしていた。
Nに着くと、彩花はもう来ていた。
「ごめんなさい、遅くなっちゃって」
「いいえ、私の家、このすぐ近くだし、それにさっき着いたばかりですから。まだオーダーもしていません」
「今日は私がおごるから、何でも好きなもの注文して。こう見えても、私、高給取りだから」
「え、いいんですか? それじゃあ、お言葉に甘えて、フルーツパフェ頼んじゃってもいいですか? ここのパフェ、おいしいんです」
「はい、どうぞ。それなら私、マロンパフェにしようかな」
二人はお互いのことを話し合った。彩花は少し前に、高校の部活動の研究で、奈良の方に行ってきたという話をした。卑弥呼(ひみこ)の墓ではないかと言われる箸墓(はしはか)古墳の近くに行ったということも話題にのぼった。美奈は 「私にタトゥーを彫ったのは、卑美子先生というすてきなアーティストさんなのよ」 と話した。
今年は一月に亡くなった彩花の父親の初盆だという。寺の娘である美奈は、盂蘭盆会(うらぼんえ)について少し説明をした。目連(もくれん)尊者と、餓鬼道(がきどう)に堕ちた母親の話だ。
美奈は彩花が自分とよく似ていると思った。登山も共通の趣味だ。まるで自分に妹ができたようだ。彩花は美奈のことを、作家としてのペンネームで未(み)来(く)さんと呼んでいる。オアシスでの源氏名でもあるが、改めて彩花から作家のペンネームである未来さんと呼ばれると、面はゆい気がする。同じミクという発音なのに、不思議だなと思った。しかしそれもすぐに慣れた。
彩花と話していたら、あっという間に三時間が過ぎた。彩花に印刷した『幻影』の原稿を渡したら、とても喜んでくれた。原稿用紙に換算すれば、六〇〇枚を超える長編だ。彩花も自分が書いた短編、中編を五作、 「これ、読んでみてください」 と美奈に手渡した。
美奈は車で家まで送ろうか、と言ったが、彩花は 「私の家、このすぐ近くですから。あのへんの、内津川(うつつがわ)のすぐ手前の家です」 と家の方向を指し示して、遠慮した。
「私の友達も未来さんに紹介したいんですけど、いいですか?」
「はい。いつでもどうぞ。私は週に二日ぐらい、休みを取れるので、またメールください」
そう言いながら二人は別れた。
その夜は三浦が美奈の家を訪ねた。そして捜査の状況などを、支障がない範囲で美奈に話した。もっとも、三浦は美奈を全面的に信頼しているので、わかったことはほとんど報告していた。
大岩には小幡署の柳と戸川が張り付いている。今のところは、これといった動きはないようだ。仲間と直接会うこともしていない。もちろん、殺人予告されているので、護衛もしっかりしている。大岩も監視されていることを知っているので、うかつに動くこともないだろう。
ただ、大岩は警察が詐欺グループの存在に気付いていることまでは、知らないようだ。警察は自分を殺人予告から護っているだけだと油断している。だから、いつかはボロを出すことを期待している。
三浦は北村のことも美奈に話した。しかし北村が月に一度か二度、オアシスで美奈の接待を受けていることを考えると、三浦は少しばかり心が乱れる。美奈もそのことがわかるだけに、いくら仕事だとはいえ、心苦しい。やはり早くオアシスは辞めるべきかもしれない。
オアシスを辞めると言ったときの、恵の涙を美奈は思い浮かべた。美奈が辞めれば、仲良し四人娘は、恵一人になってしまう。けれども恵は、美奈の立場をきちんと理解していてくれる。それに、新しい仲間もできた。恵も、長くてあと二年で、三〇歳前には今の仕事を辞め、新しい生活を始めたいと言っている。かなりお金を貯めたので、バーか料理屋、喫茶店などを買い取って、店でも開こうかと考えている。その場合は美奈も従業員として協力するつもりだ。
「美奈さんが言ったとおり、北村先生はやはり南木曽岳で、不思議な体験をしているそうですね」
「はい。そして、そのとき北村先生に『死ぬな』と呼びかけた霊が、今回の事件を起こしていると思うんです。その霊が、この前一緒に会った裕子さんのお兄さんじゃないか、と私は懸念しているんです」
「千尋さんがそう言っているのですか?」
「いいえ、千尋さんはそこまでは断言していません。ただ、怨恨を残して死んだ霊が関わっているのではないか、ということは言っています。たぶん私たちに先入観を与えないためだと思うんですが、私には裕子さんのお兄さんが、仲間の人たちに殺害され、復讐しているんじゃないかと考えているんです。私の勘でしかありませんが」
千尋は何もかも教えてしまっては、美奈が自ら思案し、行動する力を失ってしまうのではないかと考えて、あまり美奈に干渉しすぎないようにしている。必要以上に干渉しすぎるのは、守護霊としての役目を果たすどころか、千尋に頼り切るようになり、逆に美奈をスポイルしてしまうことになる。それでもときどきヒントになることを教えてくれるのは、美奈にとってはありがたかった。
「そうですか。でも、霊が関係していることがわかっただけでも、北村先生を誤認逮捕せずにすむのでありがたいですが。もちろん捜査本部では霊の存在など認めるはずもなく、北村先生を逮捕するべきだという意見は根強いです。鳥居さんと僕がまだ確証がつかめない以上は逮捕は時期尚早だと、何とか押さえています。実際北村先生が事件に関与しているという具体的な証拠は、作品に名前が挙がっていること以外、全く見つかっていませんので」
「はい。北村先生は、事件には何の関係もないので、それ以外の証拠は見つからないはずです。私はそう思います」
「ただ、徳山、山下、佐藤の三人の名前を挙げたこと自体が、紛れもない証拠とされていますが。さらに大岩も実在していることがわかりましたし。まあ、この事件は霊が相手では警察はお手上げなので、詐欺グループ、大岩の側から攻めていくしかないでしょうね」
結局今の段階では、これ以上のことはわからなかった。秋田との関係も、まだわかっていない。
三浦はその晩も美奈のところに泊まっていった。
ヘッド位置調整の機能を使い、ずれを修正しても全くだめ……。
やむなく近くのジョーシンに行き、安い機種を買いました。
一番安い機種はインクカートリッジが一体型で、本体は安くても、インク代が高くつきます。
今使っている機種は、調子がわるいのをだましだまし使っていました。
自分の著作のチラシを10,000枚近く印刷しているので、もう限界かもしれません。
今回は『幻影2 荒原の墓標』24回目の掲載です。
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その夜、仕事が終わってから、なじみのファミレスに恵、美貴、裕子、美奈の四人が集まっていた。オアシスには盆休みがなかった。多くのコンパニオンが盆の時期には休みを取るので、今はコンパニオンが手薄だ。アドバイザーの玲奈も、いつでも行けるようにスタンバイしている。玲奈は三〇代後半とはいえ、後輩のコンパニオンが羨ましがるほど若々しい体つきを保っている。
「お姉さん、まだ現役で行けるんじゃない?」
玲奈はコンパニオンたちから冷やかされていた。玲奈はコンパニオンたちから慕われており、このような軽口も言い合える間柄だ。
「裕子さんのお兄さんのことはまだわからないけど、警察は大岩さんを詐欺グループの一員としてマークしたわ」
オーダーをしてから、美奈が三浦から聞いたことを裕子に報告した。恵と美貴も、おおやまと名乗る男が裕子の兄を知っているようだということを聞いている。
「お兄さん、やっぱり詐欺グループの一員だったのかしら」
「それはまだわからないわ。今は希望を捨てずに行きましょうよ」
「ううん、私はもう最悪のことを覚悟しているわ。兄は予告される前に、最初に殺されたのかもしれない。最悪を考えていれば、何があっても驚かないから。でも、兄にはやはり生きていてほしい」
「そうよ。お兄さんはきっと生きているよ。そう信じようよ」
美貴が裕子を力づけた。
「そうですね。たとえ兄が詐欺グループのメンバーだったとしても、生きてさえいれば、これからいくらでもやり直しはできるのだから」
しかし美奈はあまり楽観できなかった。美奈としては、事件を引き起こしている怨念霊の位置に、裕子の兄を置いていた。その予感が外れていますように、と祈ることしかできなかった。
オーダーしたものが全員分届いた。
「みんな、暗い話はもう終わりにして、食べようよ。ずっと仕事をしてて、おなかぺこぺこ。おなかの虫が、はよ食わせろ、と鳴いてるよ」
恵がさくらの口調を真似たので、みんなが笑った。
「そういえば、この前背中の龍を彫りに、さくらのところに行ったら、さくら、今男の人の背中一面に、ラオウを彫ってるんだって。途中までの写真を見せてもらったんだけど、すごい迫力。さすが元漫画家志望。めちゃうまかった。トヨさんも感心してたよ」
「ラオウって、北斗の拳の?」 と美貴が恵に訊いた。
「もち。カップ麺のラ王じゃないわよ。お客さんは最初、黒王に跨がったところを希望していたそうだけど、それだとラオウが小さくなって見栄えしない、とさくらがアドバイスして、背中一面にラオウの戦闘ポーズになったんだって。黒一色で濃淡つけて彫ってあったけど、ほんと、漫画から抜け出したみたいだった。かっこよかったな」
「あたしも男だったら、ラオウ彫ってもらいたいんだけどな。『我が生涯に一片の悔いなし』なんて、かっこいい」
「美貴にはラオウより『ひでぶ』のハート様のほうが似合ってるんじゃない?」
「ひでぶだなんて、メグさん、ひっどーい。あたしは南斗水鳥拳のレイがいいかな。源氏名と同じアイリのお兄さんだもん。それともベルばらのオスカルとか」
ベルサイユのばら以外は、美奈にはついていけない話題ではあったが、恵と美貴のやりとりを見ていた裕子は、愉快そうに笑った。場が和んでよかったと美奈は思った。かつてのさくらのように、今は美貴がムードメーカーとしての役割を担っている。
美奈は最近、さくらが女性の背中に彫った、ミュシャの『ダンス』を見せてもらったことがある。原画よりカラフルな色使いだが、ミュシャの雰囲気がよく出ていて、すばらしいと思った。美奈はミュシャの絵が好きだ。さくらはもう一人前のタトゥーアーティストだ。最近客が増えてきた。収入もオアシスでコンパニオンをしていたときには及ばないとはいえ、平均的なOLより、ずっと多いそうだ。来月発売の『タトゥーワールド』という専門誌で、“美貌の新進女性アーティスト”として、トヨと共にさくらが紹介される予定だ。
その号には、さくらが恵の背中に龍を彫っている写真が掲載されることになっている。取材のときには美奈もその場にいて、昨年の秋に会った、カメラマンの長谷川と再会した。タトゥーワールドの女性編集長、熊谷(くまがい)にも会った。熊谷には以前、タトゥーワールドで、美奈のタトゥーを二ページにわたって紹介させていただきたいという、挨拶の電話をもらったことがあった。熊谷は姉御肌の、さっぱりとした感じの女傑だった。今回もまた美奈のタトゥーが撮影された。さくらが彫った脚の龍や、胸の牡丹などの写真も掲載するという。
トヨとさくらが力をつけ、卑美子が産休、育休に入っても、二人で十分卑美子ボディアートスタジオの看板を背負っていくことができる。
「メグさんの背中、まだ半分ぐらいですね」 と美奈が尋ねた。
「うん。まだ少しかかるみたい。龍はかなり色が入ったけど、牡丹がまだ全然だしね。週一で三時間以上も施術を受けるのはけっこう辛い。早く完成しないかな。さくらも彫るのが早くなったけど、来月いっぱいはかかりそう」
「裕子も腰に大きな鯉入れちゃったし、あたしもまた、さくらに何か彫ってもらおうかな。さっき言ってたオスカルもいいね」
美貴も口を挟んだ。美貴は腰の蓮以外に、もう一つタトゥーを増やすつもりでいる。
最初は暗い話題だったが、最後にはみんなが笑顔になった。
「裕子さん、お兄さんのことで、三浦さんから何か情報が入ったら、メールか電話しますね」
「お願いします。でも、三浦さん、すてきな男(ひと)ですね。とっても優しそうで、刑事さんだとはとても思えないです」
一時間ほどで会合をお開きにした。美奈は恵と裕子を車で家に送った。美貴は今も原付で通勤している。明日(正確には今日)は裕子と美奈は公休日だ。盆の期間中、美奈が休みにしたのは、その日だけだった。
翌朝、遅い朝食をすませてから、美奈は作品の補筆でパソコンに向かった。『幻影』は一応完成しているが、美奈は全体的に手を入れていた。入力ミス、変換ミスや、文法上の間違い、作品の中で矛盾した記述なども点検し、見つけたら修正している。完成したら、見せてほしいと北村弘樹が言っている。出来栄えがよければ、出版社や評論家に紹介してくれるそうだ。最初は仮題のつもりだった『幻影』も、使っているうちに気に入ったので、正式なタイトルにした。
『幻影』は、千尋や繁藤の実際にあった事件をモチーフにはしているが、事実そのままではなく、大きく創作を加えてある。名古屋の繁華街、錦三のクラブに勤める、背中に大きな大日如来のタトゥーを入れた、如月美穂(きさらぎみほ)という女性が探偵役として活躍する。美穂は三歳で亡くなった美奈の姉の名前だ。姓を如月にしたのは、姉が生まれたのも亡くなったのも、二月だからだった。美奈は姉を作品の中で、元気に活躍させたかった。
美奈は午後、『幻影』の原稿をB5のコピー用紙に両面印刷して、JR中央本線の神領駅近くのNという喫茶店に行った。CD-Rに焼いてもよかったが、印刷しておいたほうが、相手には便利だろうと思った。そこで最近知り合った高校生の河村彩花と待ち合わせをしていた。
Nに着くと、彩花はもう来ていた。
「ごめんなさい、遅くなっちゃって」
「いいえ、私の家、このすぐ近くだし、それにさっき着いたばかりですから。まだオーダーもしていません」
「今日は私がおごるから、何でも好きなもの注文して。こう見えても、私、高給取りだから」
「え、いいんですか? それじゃあ、お言葉に甘えて、フルーツパフェ頼んじゃってもいいですか? ここのパフェ、おいしいんです」
「はい、どうぞ。それなら私、マロンパフェにしようかな」
二人はお互いのことを話し合った。彩花は少し前に、高校の部活動の研究で、奈良の方に行ってきたという話をした。卑弥呼(ひみこ)の墓ではないかと言われる箸墓(はしはか)古墳の近くに行ったということも話題にのぼった。美奈は 「私にタトゥーを彫ったのは、卑美子先生というすてきなアーティストさんなのよ」 と話した。
今年は一月に亡くなった彩花の父親の初盆だという。寺の娘である美奈は、盂蘭盆会(うらぼんえ)について少し説明をした。目連(もくれん)尊者と、餓鬼道(がきどう)に堕ちた母親の話だ。
美奈は彩花が自分とよく似ていると思った。登山も共通の趣味だ。まるで自分に妹ができたようだ。彩花は美奈のことを、作家としてのペンネームで未(み)来(く)さんと呼んでいる。オアシスでの源氏名でもあるが、改めて彩花から作家のペンネームである未来さんと呼ばれると、面はゆい気がする。同じミクという発音なのに、不思議だなと思った。しかしそれもすぐに慣れた。
彩花と話していたら、あっという間に三時間が過ぎた。彩花に印刷した『幻影』の原稿を渡したら、とても喜んでくれた。原稿用紙に換算すれば、六〇〇枚を超える長編だ。彩花も自分が書いた短編、中編を五作、 「これ、読んでみてください」 と美奈に手渡した。
美奈は車で家まで送ろうか、と言ったが、彩花は 「私の家、このすぐ近くですから。あのへんの、内津川(うつつがわ)のすぐ手前の家です」 と家の方向を指し示して、遠慮した。
「私の友達も未来さんに紹介したいんですけど、いいですか?」
「はい。いつでもどうぞ。私は週に二日ぐらい、休みを取れるので、またメールください」
そう言いながら二人は別れた。
その夜は三浦が美奈の家を訪ねた。そして捜査の状況などを、支障がない範囲で美奈に話した。もっとも、三浦は美奈を全面的に信頼しているので、わかったことはほとんど報告していた。
大岩には小幡署の柳と戸川が張り付いている。今のところは、これといった動きはないようだ。仲間と直接会うこともしていない。もちろん、殺人予告されているので、護衛もしっかりしている。大岩も監視されていることを知っているので、うかつに動くこともないだろう。
ただ、大岩は警察が詐欺グループの存在に気付いていることまでは、知らないようだ。警察は自分を殺人予告から護っているだけだと油断している。だから、いつかはボロを出すことを期待している。
三浦は北村のことも美奈に話した。しかし北村が月に一度か二度、オアシスで美奈の接待を受けていることを考えると、三浦は少しばかり心が乱れる。美奈もそのことがわかるだけに、いくら仕事だとはいえ、心苦しい。やはり早くオアシスは辞めるべきかもしれない。
オアシスを辞めると言ったときの、恵の涙を美奈は思い浮かべた。美奈が辞めれば、仲良し四人娘は、恵一人になってしまう。けれども恵は、美奈の立場をきちんと理解していてくれる。それに、新しい仲間もできた。恵も、長くてあと二年で、三〇歳前には今の仕事を辞め、新しい生活を始めたいと言っている。かなりお金を貯めたので、バーか料理屋、喫茶店などを買い取って、店でも開こうかと考えている。その場合は美奈も従業員として協力するつもりだ。
「美奈さんが言ったとおり、北村先生はやはり南木曽岳で、不思議な体験をしているそうですね」
「はい。そして、そのとき北村先生に『死ぬな』と呼びかけた霊が、今回の事件を起こしていると思うんです。その霊が、この前一緒に会った裕子さんのお兄さんじゃないか、と私は懸念しているんです」
「千尋さんがそう言っているのですか?」
「いいえ、千尋さんはそこまでは断言していません。ただ、怨恨を残して死んだ霊が関わっているのではないか、ということは言っています。たぶん私たちに先入観を与えないためだと思うんですが、私には裕子さんのお兄さんが、仲間の人たちに殺害され、復讐しているんじゃないかと考えているんです。私の勘でしかありませんが」
千尋は何もかも教えてしまっては、美奈が自ら思案し、行動する力を失ってしまうのではないかと考えて、あまり美奈に干渉しすぎないようにしている。必要以上に干渉しすぎるのは、守護霊としての役目を果たすどころか、千尋に頼り切るようになり、逆に美奈をスポイルしてしまうことになる。それでもときどきヒントになることを教えてくれるのは、美奈にとってはありがたかった。
「そうですか。でも、霊が関係していることがわかっただけでも、北村先生を誤認逮捕せずにすむのでありがたいですが。もちろん捜査本部では霊の存在など認めるはずもなく、北村先生を逮捕するべきだという意見は根強いです。鳥居さんと僕がまだ確証がつかめない以上は逮捕は時期尚早だと、何とか押さえています。実際北村先生が事件に関与しているという具体的な証拠は、作品に名前が挙がっていること以外、全く見つかっていませんので」
「はい。北村先生は、事件には何の関係もないので、それ以外の証拠は見つからないはずです。私はそう思います」
「ただ、徳山、山下、佐藤の三人の名前を挙げたこと自体が、紛れもない証拠とされていますが。さらに大岩も実在していることがわかりましたし。まあ、この事件は霊が相手では警察はお手上げなので、詐欺グループ、大岩の側から攻めていくしかないでしょうね」
結局今の段階では、これ以上のことはわからなかった。秋田との関係も、まだわかっていない。
三浦はその晩も美奈のところに泊まっていった。
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