売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

校正

2012-07-26 18:37:02 | 小説
 新作『幻影2 荒原の墓標』の校正もほぼ終わりました。

 明日には出版社に原稿を発送しようと思います。

 今最後の見直しをしています。

 昨日、大谷山(425m)に登りました。午前中、眼科に行き、時間がなかったので、大谷山のみに登りました。

 先週、南木曽岳に登り、かなり脚を痛めましたが、もう回復しました。

 今日は隣の多治見市で38℃になったそうです。山に登るときにも、熱中症対策が必要です。

 今日は多少セミが鳴いていましたが、まだ例年より少ないようです。

 今回は『幻影』7章を掲載します。

 プロローグに示した場面で、いよいよ『幻影』のタイトルになった“霊”が登場します。これから物語も急展開です。



 
          


「さあ、これで完成です」
「やったー、ついに完成ですね。ありがとうございます」
 全裸の美奈は立ち上がり、大きな姿見の前に、後ろ向きに立った。そして、体をねじって、鏡に映った自分の背中を眺めた。
「わあー、きれい。本当に素晴らしいです。先生、ありがとうございました」
 美奈は椅子にかけてたばこを箱から取り出そうとしている卑美子に、丁寧に頭を下げた。
「ミク、やったね。すごくきれいだよ」
 今日で完成の予定だというので、施術を見学するためについてきた親友のルミも、美奈の美しく彩られた背中に目を見張った。
「一度、千尋さん、といわれるのですか。私と同じ図柄を彫っている人に、ぜひお会いしたいです」
「そうねえ。彼女どうしているのかしら。もうあれから一年半になるけど、まだ連絡ないんですよ。けっこうまめな感じの人だったから、赤ちゃんが産まれれば産まれたで、電話か手紙で、連絡ぐらい来そうなもんですけどね」
 美奈は同じ図柄を彫っているという理由だけで、千尋という女性に親近感を覚えた。
 ルミも千尋の背中の写真を見せてもらい、「ほんと、ミクの騎龍観音とそっくりだ」と言った。
「私もいつか、背中にきれいな天女、彫ってもらおうかな。そのときは、先生、よろしくお願いします」
 ルミはもし自分の背中に彫るのなら、天女の絵と決めている。美奈の背中の完成したばかりの騎龍観音を見ていると、ルミは自分の背中も美しく飾ってみたいという欲求に駆られた。しかし今すぐ彫ろうという決心は、まだつかなかった。
「彫る決心がついたら、いつでも連絡してくださいね」と卑美子がルミを促した。
 卑美子は新たに描き下ろした下絵を、記念にと、美奈にくれた。美奈はその絵を大切に保管している。

 最後の施術のかさぶたもきれいに剥がれ、美奈の背中の絵も、ずいぶんと落ち着いてきた。
 背中一面にタトゥーを彫ったことに対する、客の反応もわるくはなかった。ミクは人気ではどうしても店のトップクラスには食い込めなかった。それでもそれに次ぐ程度の成績はあげていた。人気ランキングでは、常にベストテン入りしていた。客によるアンケートでは、「背中に大きなもんもん背負いながらも、ミクちゃんの素朴な感じが好きだ」という意見に代表される、ミスマッチな好感度が意外と高かった。
 特に指名がないフリーの客には、タトゥーオーケーということで、初めてミクをあてがわれ、背中一面の騎龍観音にびっくりした男性も多い。それでも、その何割かはリピーターとして、またミクを指名してくれた。
 自分の恋人や配偶者には、大きなタトゥーはあってほしくないが、一時のプレイとして、華やかなタトゥーがある女性を相手にするのなら、非常に刺激があっていい、というのだ。
 また、ホームページや店に置いてあるアルバムを見て、タトゥーに惹かれて指名してくれる客も多かった。ミクを指名してくれる客は徐々に増え、人気では上位に迫りつつあった。
 背中のタトゥーが完成し、事務用機器の商社も辞めたため、美奈には自由になる時間が増えた。それで、出勤日を火木土日の週四日とした。それ以外の曜日に出勤することも多い。特に金曜日に出勤することが多く、四日連続しての勤務は、若い美奈でもさすがに疲れた。そして、人気が高まるにつれて、美奈の収入もぐんと増えた。

 加藤と名乗る男が、初めての来店でミクを指名した。ゴールデンウィークの連休が終わった頃だった。加藤はオアシスのホームページで背中のタトゥーを見て、ミクを指名したと言った。背中の騎龍観音が完成してから、ホームページの女の子紹介のコーナーで、一枚だけ、背中を写した写真を掲載していた。
 加藤自身はまったく身体に墨を入れていないが、高倉健などのやくざ映画を観て、いれずみに興味を持った、と言った。たまたまオアシスのホームページを見てミクを見いだし、きれいないれずみをしたミクの身体に、非常に惹かれたので、指名したのだ、と気持ちを吐露した。
 加藤の態度は、親切で穏やかだった。帰りがけ、ミクが名刺を渡すと、またぜひ指名します、と言って帰っていった。
 その日は七人の指名があった。七人も相手をすれば、へとへとだった。休憩できる時間はほとんどない。マルニシ商会を退職しても、週四、五日出勤するようになってから、きつく感じるようになった。一日の勤務の拘束時間は、実質一〇時間近かった。休みの日は、何もしないで、部屋でごろごろしていることが多くなった。趣味の山歩きも以前ほど頻繁には行かなくなった。もう少し稼いだら、身体を壊さないうちに辞めるべきかもしれない。
 夜遅くなり、帰りの電車がなくなってしまうので、美奈は今は車で通勤している。中村区の店から高蔵寺まで、夜中は道路が空いているので、五〇分ほどで走れる。しかし疲れて眠くなることも多いので、運転には気をつけなければならない。

 高蔵寺の団地の自宅に着いて、風呂には入らず、洗顔と歯磨きだけして、美奈はベッドに入った。接客で何度も入浴しているので、新たに入浴し直す必要も感じられなかった。汗ばんだときは、ざっとシャワーを浴びる。寝る前に、寝付きをよくするため、少しだけ白ワインを飲んだ。
 眠っていて、何だか胸に圧迫感を感じる。少し息苦しい。何かに全身を押さえつけられているようだ。手足をばたつかせようにも、ぴくりとも動かない。
 金縛り。それとも夢を見ているのだろうか?
 ふと足元に目をやると、白っぽいものが見える。幽霊? そんな。
 美奈は霊的存在を信じている。人間は死ねばそれでおしまい、土に還るだけで、何も残らない、という考え方には、まったく同意できなかった。人間ほどの高い精神性を持った存在が、無から生まれ、死ねば何も残らない、なんてことは、絶対あり得ない。必ず肉体のコアになる精神的なもの、すなわち〝魂〟があるはずだ。美奈はそう信じている。
 それでは、自分の足元の白っぽいものは……? やはり幽霊?
 怖いながらも、なぜか美奈の目は、足元の白いもやのようなものに釘付けになった。
 じっと見ていると、白っぽいものがだんだん人間の形になってくる。目鼻立ちが徐々に整ってくる。胸のあたりに赤いものがあった。
 金縛りで、悲鳴すらあげることができなかった。
 目のピントが徐々に合ってきた。はっきりした顔が現れた。どこかで見たことがある顔。そうだ、美奈が一度会ってみたいと考えている、同じ絵を背中に彫っている……。そう。千尋さんだ。胸に赤いバラのタトゥーがある。
 しかしなぜ? なぜ千尋さんがこんなところにいるのだろうか?
 幽霊。またその言葉が頭に浮かんだ。身体はまったく動かない。全身から脂汗がにじみ出る。
「千尋さん?」やっとの思いで、美奈は口からその言葉を絞り出した。その瞬間、幽霊は消えた。美奈の身体は動くようになった。
 今のは何だったのだろう? 顔は間違いなく、卑美子のところで見た千尋だった。胸に赤いバラのタトゥーもあった。前しか見えなかったが、背中には、きっと美奈と同じ、騎龍観音のいれずみがあるのだろう。
 顔立ちがはっきり見えたのだが、美奈の視力では、足元にいる人の顔が、あんなにはっきり見えるはずがない。両眼とも〇・一を大きく下回る美奈の裸眼では、足元に立っていれば、ほとんど目鼻立ちがわからないのだ。今はメガネをかけていないし、コンタクトレンズは最近使用していない。
 接客中にコンタクトレンズを落として、なくしてしまって、あわてたことがあり、今ではコンタクトレンズを使っていない。店の模様には十分慣れたから、裸眼のままでもあまり不便はない。
 それに今は小さなナツメ球さえ点灯していないので、外から差してくるごくわずかな光があるだけの闇だった。それなのに顔やタトゥーがあんなにはっきり見えたのだ。
 やはり幽霊か。でなければ、夢?
 美奈は恐怖におののいた。

 美奈の実家は真宗系の寺で、怪談話には事欠かなかった。
 しかし僧侶であった美奈の亡き父親は、「この世に霊魂など存在しない。お釈迦様も霊の存在ははっきりと否定されている」と常々語っていた。
 霊魂は実在しないのなら、なぜ死後西方浄土で阿弥陀様に救われるのか? ありもしない霊魂を慰霊するために、少なからぬお布施を受け取って、法要を営むなんて、詐欺じゃないの?
 もっとも、美奈の生家の宗派も、死後の生を認めていないわけではない。人は亡くなれば、阿弥陀如来のお力により、念仏を唱えていた人はすぐに浄土に往生するため、霊魂という形で中有(ちゅうう)で迷うことはないと説いている。しかしそれでは、念仏に帰依していなかった人はどうなるのだろうか。浄土に行けず、霊としてさまよっているのではないか?
 美奈はいつもそのことに疑問を感じていた。それで、生家のお寺という〝職業〟が大嫌いだった。私は絶対にお寺の跡継ぎはしない、と心に決めていた。
 美奈は以前、ある新興宗教に分類されている教団の管長が書いた本を何冊も読んだ。
 それらの本には、釈尊入滅後、何百年も経ってから創作された、偽の経典に依って成立した、今の日本の伝統仏教には、本当の釈尊の教えはない、本当の釈尊の仏法は、釈尊直説の経典である阿含経(あごんぎょう)にしか説かれていない、と書かれていた。
 その教団の管長の話は、美奈に新鮮な感動を与えた。
 その管長の説によれば、釈尊は霊の存在をはっきりと認めておられる、という。阿含経には、霊についての記述も数多くあるそうだ。漢訳の阿含経典には「霊」という訳語は使っていないが、「異陰(いおん)」という言い方で釈尊は霊の存在を説いておられる、というのだ。
 また、その教団では、釈尊直説の阿含経にある成仏法を修行しない限り、人は絶対に成仏できない、と説いていた。
 南無阿弥陀仏を唱えるだけで、死後阿弥陀様がおられる西方浄土に往生できる、という生家の宗派の教えは、美奈にはいかにももの足らなく思えた。それで、父親にその教団の管長が書いた本を示し、問い質したら、ふだん温厚な父が、烈火のごとく怒りだした。
「そのようなインチキ教団によるでたらめな教えのことは二度と口にするな。その管長のTという男は、前科があるのだぞ」
 父はそのでたらめな教えには何ら反論することもせず、ただ頭ごなしに怒鳴り、何冊もの本を美奈から取り上げた。
 その管長に前科がある、ということは、著作にも書いてあり、美奈も承知していた。その罪を犯したことを心から悔い、罪障を滅するため、世の中の人を救いたいと、血みどろ、汗みどろになって修行したというその管長に、美奈は共感を抱かずにはいられなかった。
 美奈はもうその教団のことは二度と口にしなかったが、心の中では、その教団のほうが正しいと信じていた。
 その父も、その後しばらくして、交通事故で母とともに亡くなった。車を運転していて、居眠り運転で対向車線に飛び出したトラックに正面衝突されるという、悲惨な事故だった。
 寺はその後、九歳年上の兄が引き継いでいる。

 美奈は霊の存在を信じていた。お寺の怪談めいた霊がらみの話もよく聞いた。だが、これまで美奈は霊に会ったことも見たこともなかった。せいぜい子供のころ、恐怖心に駆られ、幽霊のようなものを見た程度だった。まさに〝幽霊の正体見たり、枯れ尾花〟であった。
 翌日、夜中に見た千尋のことを考えた。あのときは、それ以上考えるのが恐ろしく、もう何も考えないようにした。早く眠ってしまおうと思いながらも、明け方近くまで、眠れなかった。目を開ければ、また出てきそうな気がしたので、しっかり目をつむっていたが、眠ろうにも眠れなかった。
 幽霊。または夢。そのどちらか。
 しかし、夢ではなかった、という確信がある。ならば、幽霊しかない。
 卑美子はもう二年近くも千尋から連絡がない、と言っていた。まめな千尋の性格からいえば、子供が産まれれば、通知ぐらいはしてくれるはずなのに、それすらもしないのは、ちょっと腑に落ちない、とも言っていた。
 もう千尋さんはこの世にいない。私のところに現れたのは、私が千尋さんに会いたがったので、思いの架け橋が架かってしまったから。もしくは、同じ図柄のいれずみを彫ったので、それに感応した? そういえば、あのときの千尋さん、なぜか悲しそうな顔をしていた。
 美奈は千尋の悲しげな表情を思い出した。

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