売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

『幻影2 荒原の墓標』第32回

2014-08-22 10:39:07 | 小説
 広島市で豪雨のため、大変な災害が起こっています。
 私の彼女も現在広島県に住んでいますが、彼女のところは大丈夫でした。
 最近は1時間に100mm以上の豪雨は珍しくなくなったようです。
 先日、うちのすぐ近くの名古屋市守山区でも100mmの雨量を記録したとのことです。数年前に庄内川が氾濫し、このときは多くの住宅に浸水しました。
 国や自治体は災害に対し、十分な備えをする一方、私たち一人一人もいざというときに、適切な行動がとれるよう、常に心の準備をしておくべきだと思います。

 今回は『幻影2 荒原の墓標』32回です。


            3

 九月六日はさくらの誕生日だ。さくらの星座は乙女座である。恵は 「さくらはとても乙女座だなんて思えない」 と憎まれ口を叩いた。
 その日はちょうど水曜日で、卑美子ボディアートスタジオは休みだ。恵、美貴、美奈も公休日にしている。夕方、今池にあるレストランの一室を借り、卑美子がさくらの誕生日パーティーを開いてくれた。今池は名古屋屈指の繁華街で、卑美子のスタジオから地下鉄で一駅だ。歩いてもたいした距離ではない。パーティーにはトヨも参加した。
 葵もわざわざ静岡から出てきてくれた。秀樹のヴィッツを借り、静岡から東名高速道路を飛ばしてきた。葵は昼間、さくらに腰の左側に、牡丹の花を二輪彫ってもらった。色は鮮やかな赤と渋い紫だ。赤い牡丹がメインで、紫はやや小さめだ。将来子供と一緒にプールに入れるよう、水着で隠れる場所でなければならない。葵は当分の間、これ以上はタトゥーを増やさないつもりだ。もし増やすなら、子供が成人してからだと考えている。
 さくらと仲がいい、皐月タトゥースタジオの鬼々も誕生日会に参加した。鬼々は初対面の葵、恵、美貴、美奈に名刺を渡して挨拶をした。鬼々は美奈のことは、以前にさくらから聞いており、またタトゥー雑誌にも載っていたので、知っていた。鬼々も今はプロのアーティストとして活動している。スタジオの事務室の一部をパーティションで区切ってもらい、自分のブースとしている。さくらと鬼々は、友であると同時に、切磋琢磨するよきライバルでもあった。
 まずみんなでさくらの二四歳の誕生日を祝って、乾杯をした。卑美子が乾杯の音頭を取った。車で来た葵も、今夜は恵のマンションに泊まるので、ワインで乾杯した。車は美奈が借りている、オアシス近くの駐車場に入れてある。美奈は今日はJRで来ている。
 さくらは作品を記録するデジタル一眼レフカメラを欲しがっていたので、葵を含めたオアシスの仲間でお金を出し合って、カメラをプレゼントした。誕生日会に参加できない裕子からもお金が届いていた。機種は美奈が選定し、なじみのカメラ屋で安くしてもらった。卑美子と同じ、ニコンのカメラだ。美奈もニコンのD50を愛用している。さくらには、発売されたばかりの上位機種、D80を贈った。
「ありがとう、みんな。こんないいカメラを。大事にするね。裕子にもお礼の電話しとくわ。いい作品をどんどん彫って、これで作品を記録するわ。いつか作品集を出したいな」
 さくらはみんなからのプレゼントに、大いに感激した。
 みんなは次々と運ばれてくる料理に舌鼓を打った。
「裕子、大変ね。私も裕子から電話もらって、びっくりしちゃった。今日会えなくて、残念」
 主役のさくらが、裕子のことを話題にした。
「裕子、親父さんにタトゥーを消せって言われたそうだけど、私に彫ってもらったタトゥーは絶対消さない、と言ってくれて、嬉しかった。もっとも病院でも、きれいに消すのは無理だと言われて、親父さんも諦めたそうだけど。早く事件が解決して、また裕子も交えて会えるといいね」
 話題はしばらく裕子のことになった。葵も久しぶりに裕子に会いたがっていたので、裕子の欠席を残念がった。裕子の兄の不幸についてはすでに連絡を受けていた。
 一昨夜、裕子が兄宏明らしい霊を見た、ということも話題にのぼった。
「あたいは親に会うときは、さすがに顔の桜はファンデで隠してますよ。でも、タトゥーの仕事をやってること知っているから、もう顔の桜のことは気付いてますけどね」
 鬼々は不退転の決意を表明するために、左のこめかみに桜の花を入れた。鬼々はなぜ顔に消せないタトゥーを入れたのかを、美奈たちに説明した。
「すごいわね、鬼々さん。さくらも鬼々さんを見習って、顔に何か入れたら? おでこに肉とか」
 恵がいたずらっぽくさくらを促した。
「私も前にトヨさんに、ほっぺいっぱいに桜を彫られそうになって、焦ったことがあるの」
 トヨと鬼々が卑美子のスタジオで一夜を明かしたときの出来事を、さくらはみんなに語った。トヨはニヤニヤ笑ってさくらを見ていた。
「うちのスタジオでは、目立つところには、本人のよほどの決意がない限り、彫らないようにしていますからね。だから、さくらの顔に彫る、ということは許可しませんでした。殺鬼には殺鬼の考えがあるので、口出ししませんが。裕子さんも目立つ手首に入れたいというので、一緒に相談に乗りましたけど、裕子さんにはリスカのいやな思い出を振り払って、強くなりたいとの決意が強かったから、私も賛成しましたよ」
 卑美子がスタジオの考え方を説明した。
 卑美子は少しおなかが目立ってきた。もう二〇週になる。最近は胎動もあり、新しい命への慈しみが実感できる。子供は男の子だ。卑美子の体つきも全体的に丸く、ふっくらしてきている。今は新規の予約は受け付けず、すでに予約を受けている客や、大きなものを彫っていて、継続中の客だけにタトゥーを彫っている。スタジオの主役はトヨとさくらに移行している。さくらはまだプロとなって二ヶ月とはいえ、口コミやネットで名前が広がり、客も増えてきた。全国的に知名度が高い、卑美子ボディアートスタジオ所属のアーティストというネームバリューも大きい。まもなく発売される『タトゥーワールド』に、トヨとさくらの特集が掲載される予定だ。それにより、さらに客の数は増えるだろう。
 少し前に、卑美子に背中一面に水滸伝(すいこでん)の豪傑、“波切り張順(ちょうじゅん)の水門破り”の絵を彫ってもらっていた男性客がいた。その客は、まもなく産休に入る卑美子は、もう当分タトゥーを彫ってくれないと早とちりして、和彫りを専門にしている彫瑠(ほりりゅう)という彫り師のところで、続きを彫ってもらった。その客は彫り物ならどこで彫っても同じだと考えていた。
 ところが、彫瑠は機械彫りではなく、昔ながらの手彫りで、卑美子とは作風が大きく異なっていた。だから仕上がりが、卑美子に新たに描き下ろしてもらった下絵とは、全く違うものになった。あと少しで完成というところだったのに、せっかくの美しい図柄が、台無しになってしまった。
 彫瑠は客に彫りながら、さんざん卑美子の悪口を言った。
「卑美子の絵は彫り物になっていない。女に彫り物の神髄など、わかってたまるか。伝統の彫り物とは、こういうものだ」
 彫瑠はそううそぶいて、彫り物の伝統の美を語った。彫瑠の口車に乗せられ、客は卑美子ではなく、最初からその和彫りの彫り師にお願いすればよかったと後悔した。
 日本伝統の彫り物の絵は、確かに卑美子が描く精緻な絵に比べ、おおざっぱで稚拙に見える。だが、その稚拙に見える絵に、浮世絵のような、深い味わいがある。図柄を詳細に描き込むと、年数を経れば、線がぼけてきて、何を描いてあるのかわからなくなってしまうことがある。人間の肌は生きているので、皮膚に刺し入れられた色素が少しずつ移動し、にじんでしまうのだ。その点伝統の彫り物の絵は、大まかなようでも、経年による図柄の劣化の影響が少なく、また遠目にも引き立って見える。
 しかし、女性らしい感性を取り入れた卑美子の絵は、繊細で優美でありながら、五年一〇年と年月が経ち、輪郭が多少にじんできても、それなりに見栄えがするように、工夫されている。また、卑美子が引く輪郭は、長い年月が経っても、にじみにくい。日本伝統の彫り物とは趣が異なるが、卑美子の作品は、日本だけではなく、世界中のタトゥー愛好家に紹介され、高く評価されている。
 彫瑠の絵は、伝統の彫り物といいながら、ただ下手以外の何物でもない。彫る技術はまずまずではあるが。かつて名人と称された彫り師たちが彫った絵のような、味わい深い趣はない。卑美子の精緻で美しい絵とは、比べるべくもなかった。彫瑠は自分の稚拙な絵こそ、日本伝統の彫り物の絵だと勘違いしていた。
 また彫瑠は、卑美子ほどには衛生管理を徹底していなかった。高温高圧滅菌器オートクレーブを導入しているものの、針を使い捨てにせず、洗浄し、オートクレーブにかけて再利用していた。自分で組んだ手彫りの針だから、そうおいそれとは使い捨てにできないというのだ。それでいて、客には消耗品はすべて使い捨てをアピールしていた。彫瑠は針は消耗品ではないと考えていた。オートクレーブで滅菌すれば、感染のリスクはかなり減るだろうが、万全を期すために、針は使い捨てにするべきだ。卑美子は衛生管理に関しては、経費や手間を惜しむなと、トヨとさくらに指導している。
 その客は背中の絵が、あまりにひどく改変されたことに驚いた。せっかく卑美子に美しく彫ってもらっていた絵が、見るも無惨なものに変わっていた。作者を示す卑美子の銘まで、黒く塗りつぶされてしまった。しかし彫瑠の仕事場には、一目で暴力団関係者とわかるような人たちも出入りしているので、怖くて苦情を言うことができなかった。彼は卑美子に泣きついたが、もはやどうしようもなかった。
「現在継続中のお客様には、最後まで責任持って仕上げます、と言っているのに、なぜしっかり確認してくれなかったのですか?」
さすがに温厚な卑美子も、その客の軽はずみな行動には腹が立った。卑美子もその作品には、産休前に仕上げる最後の大きな仕事として、思い入れが強かった。それを台無しにしてくれたのだ。いきなりほかの彫り師のところに行くのではなく、せめてトヨかさくらにでも一言相談してもらえれば、そんなことにはならなかった。卑美子は客や彫瑠の個人名は出さず、そんなエピソードを披露した。
 続いて、話題は美奈の結婚のことになった。
 結婚といっても、一緒には住むけれど、しばらくは籍を入れない内縁の関係でいくつもりだと美奈は言った。だから結婚式なども挙げない。いれずみがある元ソープレディーと結婚したということになれば、三浦が警察で何かと不利な状況に陥ることは明らかだ。
 三浦は昇進の道が閉ざされてもかまわない、一刑事として犯罪を追いかけていくつもりだから、入籍しよう、と言ってくれる。しかし、それでは美奈の気がすまなかった。私は俊文さんのことを信じているから、内縁の関係でも大丈夫です、と美奈は譲らなかった。結婚といっても、結局は婚姻届一枚のことだ。法律上のことがどうであろうと、愛の絆さえあれば、それで十分だ。
 子供が生まれれば、認知の問題などがあるので、いずれは正式に入籍することになるだろうが、今は三浦の足を引っ張りたくない。
 三浦も高蔵寺の自然が好きなので、美奈と一緒に、高蔵寺近辺の、賃貸か安い中古のマンションを探している。そこに二人で住む予定だ。県警までの通勤は遠くなるが、どうせしょっちゅう事件であちこち走り回らなければならない。
 美奈はそんなことをみんなに話した。
「結婚式を挙げないなんて、いくら何でも寂しいよ。私たち仲間内だけでも、式の真似事をしようよ」
 恵がみんなに提案した。全員がそれに賛成した。美奈はそんな友の気持ちがありがたかった。
「三浦さんなら絶対の折り紙付きだと、鳥居さんが言ってますよ」
 卑美子が美奈を冷やかした。
「へぇ、美奈さんの彼氏って、刑事さんなんですか? ひょっとして、前に冥先輩のところに来た、あのすてきな刑事さん?」
 鬼々が美奈に尋ねた。確かあのとき、三浦と鳥居だと名乗っていたように記憶している。鬼々はけっこう記憶力がいい。鳥居に関しては、殺鬼がニコチャン大王にたとえたのが印象に残っている。
「三浦さん、前の美奈の事件も解決してくれたし、今度もきっと裕子のお兄さんの事件、解決してくれるよね」
 美貴が感情を込めて言った。いつもコンタクトレンズを使用している美貴だが、今日はしゃれた大きなメガネをかけていた。
「はい。直接は上松署の事件ですけど、三浦さんの事件とは関連があるようだから、きっと犯人を逮捕してくれますよ。もう犯人のめどはついたみたいです」
 美奈は確信を持って頷いた。
「でも、美奈はおめでたいことだから、しかたないとして、もし裕子までオアシス辞めることになったら、寂しいね」
 美貴がぽつりと言った。
「大丈夫よ。たとえどんなことになっても、私たちはずっと友達だからね。ここにいるみんな、そして裕子も仲間なんだから」
 恵が力強く宣言した。
 さくらの誕生日パーティーは三時間ほど続いた。女性ばかりということで、けっこうきわどい下ネタも飛び出し、美奈は顔を赤らめた。
 美貴はさくらに、以前雑談で出たベルサイユのばらのオスカルを、背中か太股に入れてみたい、という相談をした。さくらはだいたいの希望のイメージを聞いて、近いうちに見本の絵をいくつか描いておくと約束した。ただ、漫画やアニメのキャラクターを入れる場合、自分が五〇歳、六〇歳と年をとったときでも、その絵に納得できるかをよく考えて、とアドバイスした。以前、腕にキティちゃんを入れてほしいと依頼した二二歳のバーのホステスに、 「若い今はかわいいけど、お婆ちゃんになったときにキティちゃんでいいですか?」 と助言して、結局赤いハイビスカスの花と蝶に変更したことがあった。そのことも美貴に話した。
 以前ラオウを彫った男性客の友人が、ラオウの出来栄えに 「おお、すげえ」 と目を見張り、背中にケンシロウを彫りに来ている。彼のガールフレンドが 「背中は大きすぎるから、あたしは太股にユリアを入れようかな」 と迷っているそうだ。さくらは 「タトゥーは一生ものだから、いっときの勢いで入れるんじゃなく、よく考えてからにしてください、と彼女に言っておいてね」 とアドバイスした。
「さくらは漫画のキャラクターがうまいんだから。私じゃあ、ちょっとかなわないわね」
 トヨがさくらに脱帽した。アーティストにも得手不得手がある。デッサン力はさくらが勝っているが、和風の絵に関してはトヨに一日の長がある。鬼々は洋風な絵柄を得意としている。
 それから近くの喫茶店で二次会をして別れた。葵と美奈は恵のマンションに泊まった。方向が一緒なので、美貴もタクシーに同乗し、アパートまで送ってもらった。鬼々はトヨ、さくらと卑美子ボディアートスタジオまで歩いていった。トヨも久しぶりにスタジオの自分の部屋に泊まって、さくら、鬼々と遅くまで語り合った。



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