きょうを生きて living in a moment アドラムの洞窟

できることに集中すると美しさが生まれる。

その美しさを感じて息を吸おう。

詩編142編3節から

2012-11-15 13:44:58 | 日記
詩編142編が中途になっていましたので

続きを考察してみます。

1週間アドラムの洞窟について考えていたので

表題の 彼が洞窟にいたとき  のワンフレーズがすごく親近感を覚えます。

3節

右の方に[目を]向けて,ご覧ください。
わたしを認めてくれる者がだれもいないのを。
わたしの逃げ場はわたしから滅びうせました。
わたしの魂について尋ねてくれる者はだれもいません。

Look to the right hand and see
That there is no one giving any recognition to me.
My place for flight has perished from me;
There is no one inquiring for my soul.

暗い洞窟の中ダビデは、右を見ます。そして左を見ます。

かつていた仲間は今はどこにもいなくなっています。

特に当時のイスラエル組織の反逆者または逃亡者として

ダビデを認めてくれる人あるいは認識してくれる人は今は一人もいません。

あのサウルは千を倒し、ダビデは万をもてはやしたひとや

親しかった仲間はいまはいません。

窮状に陥ったダビデを心配してわざわざ危険をお冒して尋ねてくれる人は

いなかったのです。

どんなに才能のあったダビデは悲しい思いをした事でしょう。

いろんな意味で孤立し、

右にも左にもかつての自分の友達がいない状況や

自分が認めれていないように感じるとき

ダビデと同じように表現してみるとそこに沈黙の余韻が生じてくると思います。

ダビデががっかりした要因は、

右と左を見て評価しようとしたところです。

上を見る事を忘れていました。

5節


エホバよ,わたしはあなたに助けを呼び求めました。
わたしは言いました,「あなたはわたしの避難所,
生ける者の地におけるわたしの受け分です」と。


I called to you, O Jehovah, for aid.
I said: “You are my refuge,
My share in the land of the living ones.”


ここで、神のことを  YOU で呼んでいます。

特に助けを呼んでいます。

人間をSHAREしてがっかりするのでなく


神を MY SHARE にする知恵に気がついたのです。