きょうを生きて living in a moment アドラムの洞窟

できることに集中すると美しさが生まれる。

その美しさを感じて息を吸おう。

新世界訳の日本語訳を苦労した人たち

2012-08-29 23:41:27 | 日記
ヘンシェル兄弟を握手をかわし、当時 勘当されて疎遠になっていた姉を訪ね、

そのあとに沼津ベテルに行ってみたいと思いました。

そこに、新世界訳を翻訳している兄弟がいると聞いたからです。

一通り案内してもらった兄弟は、神を求めている人でした。

その兄弟はトイレの掃除をするとき、そこに神が見ているように感じ取りながら

人に見られてないtころをきちんとしようと努力している人でした。

見学をおわった時、新世界訳の日本語訳をしている人に合わせてほしいと頼みま

した。

すると、織田信次兄弟に会いました。

織田正太郎兄弟の弟です。

独特のきりっとした目つきで前向きなことをバンバン言うのが印象的でした。

そして、三浦勉兄弟に会いました。

現代の新世界訳のトランスレーションサービスは英語の特定の表現から

早く訳せるような重訳めいたところがあります。

翌日本語の新世界訳は、重訳という批判があります。

しかし、その当時の三浦 勉兄弟はヘブライ語から日本語に沿う意味合いを伝

得るか悩んでなかなかすすめられないといっていました。

たとえば、ノアが酒に酔うという表現をあげ、ヘブライ語ではノアがワインに

酔うという表現だそうです。日本語にワインに酔うという直截の言葉がないた

めどうしたらいいか悩んでいました。

そのような会話ができたことに神に感謝し、三浦勉兄弟とわかれて

沼津ベテルを出ようとした時、後ろから声がします。

上を見上げると、三浦 勉兄弟が 3階から

(何か たべるものが  ありますか~~?)

という声がするではありませんか。

5合の5個のおにぎりを食べつくし、空腹を味わっていた私は

上を見上げ

(ありませ~~ん!!)

と答えました。

すると驚いたことに一食分だと言って

三浦勉兄弟が ベテルのサンドイッチを手渡してくれました。

よっぽどみすぼらしかったのだと思います。

そのサンドイッチの暖かさがいまだの覚えています。

熱海駅で降りて泣きながら食べました。

ヘンシェル兄弟の思い出

2012-08-28 23:54:01 | 日記
若かったころ、ヘンシェル兄弟が所沢球場で地帯訪問の話があった時

二〇代前後前後だった自分は、地方でいてもたってもいられなくなりました。

朝のパートの仕事してる時も、ヘンシェル兄弟に会いたい気持ちでいっぱいでした。

実際に会いにゆくと会衆の経験のある兄弟姉妹に話したら、

みんなして止められました。

統治体を偶像崇拝してはいけないと彼らは言います。

でも、ヘンシェル兄弟に会いたい気持ちが勝ちました。

それで、全財産をはたいて東京にむかいました。

何十時間もかける旅です。

5合のありったけのお米を炊き、一つ1合のお結びを5個作りかばんにいれて

一人夜汽車にのりました。

所沢の西武ライオンズの球場についたときに涙が出そうになりました。

2メートル近くある長身のヘンシェル兄弟がサングラスをかけたまま

センターにたち話します。

通訳は杉浦兄弟だったように記憶しています。

ヘンシェル兄弟は中学しか学歴がありません。

早くベテルに入るためにヘンシェル兄弟は18歳になっていないのに

年齢を偽って、ブルックリンベテルに入ったようです。

そのヘンシェル兄弟がサングラスをかけたまま

コリントの聖句を読みます。

(WHERE IS WISE MAN ?)

球場が反響し、

ワイズ マン? ワイズ マン? ワイズ マン?

とこだまします。

すごくかっこいいなぁと思いました。

話が終わり、ヘンシェル兄弟を捜しました。

イズラブ兄弟がペテロのように日本の兄弟姉妹からあいされたことばかけられ

ている上方に背の高いヘンシェル兄弟を見つけました。

その横には護衛にあたった相撲取りのみよぶだにが恭しく頭を垂れあいさつ

していました。

ヘンシェル兄弟が言ってくれた言葉は

(May Jehovah be with you.)

でした。

その言葉を何度も何度も覚えて帰途につきました。

帰りにおかねはほとんどなくなり

JRの駅うどんを食べたくてもお金がなく

持っていた20円をうどんのおばさんに差し出し

これで、汁だけでももらえませんか?

と聞きました。

うどんのおばさんは足の先から頭の先を見かえし

あったかい汁をなみなみについで、天かすを山ほど浮かばせてそっと

差し出してくれました。

あのときの人の暖かさは忘れません。

一文なしで借家にもどったとき、封筒が扉をあけると落ち

会衆のだれかがⅠ万円をしのばせてくれていました。









旅の途中で見た昔の漫画

2012-08-26 08:33:38 | 日記
ひょんなところから、宿が取れずに人生で初めてユースホステルに宿泊した。

風呂とトイレが食堂が共用だけど、駐車料金のも無料だし

意外と便利が良かった。

その食堂に多量の手塚治虫の昔の漫画に出くわした。

その昔の漫画にユフラの樹という漫画があった

そこに エホバの名前がでていた。

えほば島という地名で出ています。

内容は善悪の知識の樹が、日本のエホバ島に生き残っていて

それを食べると超人に的な知識を持つのだけど

それが果たして幸せになるかというテーマでした。

手塚治虫の漫画はあの時代によく聖書のテーマ

永遠性や神の存在を追求していて好きです。

ある漫画では

主人公が宗教上の争いを見て神を見失い、コンピューターこそ全てと信じていましたが、宇宙で宇宙の動きを観察してゆくうちにこの大きな宇宙を動かしている神の力に気がつき始めるといった内容もありました。

旅の途中に思わぬ時間が与えられ、懐かしい時間を過ごしました。


初めて聖書を手にした日

2012-08-18 14:54:33 | 日記
今日は、船の旅をしています。
船に揺られながら、昔のことをかいてみたいと思いました。

中学のころ、片道30分のバス通学だった。

中学一年生の頃、人を笑わすことに一生懸命だった。
自分をみた人は面白がり、三年生までわざわざ教室にみにきたほどだ。

そんなありる日、学校から帰りお風呂にはいると顔がしぶっ~っと、萎んでゆくのを感じた。

無理してつくった笑いしわが顔にできていたのだ。

その瞬間中学の少年の心に初めて人生の虚しさを悟りはじめました。

自分が不安で人に認められる努力をすることが

意味がないように感じられました。

それから、だれとも口をきかなくなり、ただ只管人生の意味について考えはじめました。

そんなとき、聖書に不思議なことが、書いてあると耳にしました。

自分の親友が、ラジオで聖書を無料でもらえることを知り、一冊を自分用に

プレゼントされた。


翌日から、バス通学は、聖書の論議の場所になった。

一日一章読んでくる約束だ。

はじめは、不思議な文章をさがしていたけど、


そのうちに、イエスの単純明快な言葉に感動するようになり、新約聖書は赤のボールペンと赤のボールペンで

いっぱいになった。


修学旅行にもこっそり聖書を持ってゆき

トランプに興ずる友達を尻目にひとり夜汽車のデッキで

マタイ7章の狭い門を通るべきか

広い道を歩むべきか真剣に夜汽車から暗闇に向かってといかけた。

その選択の重圧にひとり泣いていた。






池畑兄弟の話を聞いて

2012-08-13 21:38:28 | 日記
好意にしていただいてる方から大会中の実況中継を庭でガーデニングの仕事を

して庭のベンチに座って何年振りか聞きました。

相変わらずの口調で、サタンに絶対負けるわけにはゆかない口調で

人を奮い立たせていました。

池畑兄弟は本当に憎めない人柄です。

昔は何度でも彼の言うことに元気が出たものです。

でも、今になっては彼がいうことに100%のせられないなぁとしみじみ。

実際霊的にほとんど彼は進歩してないようにも感じます。


池畑兄弟はフランズ兄弟から直接助言されたことをはっきりと心にとめ

実行していると思います。

フランズ兄弟は池畑兄弟に

(話は火で燃え立たせるべきである!

燃え立たせない話は火にくべなさい!!)

とわかりやすい言葉で池畑兄弟に教えました。

どんな短い言葉でも彼は全力で表現します。

その分繊細なことをどう組み出してゆくかができたらいいなぁと思います。

池畑兄弟は偉そうな態度を決してとりません。

大会の司会者席でふんぞり返るのが嫌いです。

いつも聴衆の席からプログラムを聴きます。

そして、時間がある時はみんなが去った大会会場に一人戻って

ゴミがおちてないかあのメガネを下から皿のように見渡して

一人ごみをひらっていたのを今でも思い出します。

そういえば、織田正太郎兄弟も自分の結びの主要な話を終えると

さっと腕まくりしてみんなといすを片づけて、東京に帰っていたのも

思いだします。

池畑姉妹の隣に座ってプログラムを聴いたとき、

丁度模範的な夫とはどんな人かをこぶしを上げて池畑兄弟が力強く説明してい

た時、

池畑姉妹が、

(夫が前で偉そうに話してたみたいだけど。。。。。実際はねぇ~。)

とちくりと皮肉をいっていたのがおかしかったです。



何事にも控え目な池畑姉妹は、薬剤師の資格が買われて珍しく女性として昔の

ベテルに独身で入りました。

ベテルに入った翌日バリー兄弟に日々の聖句が割り当てられて面喰います。

それでも一生懸命最初の割り当てを果たしたそうです。

池畑姉妹も全然いばらないありのままで

ただ真面目腐ってなく面白いことを本当は好きな姉妹だと思います。

今では、たしかトランスレーションサービスのチームに入っていたかと思いま

す。

池畑兄弟は、本当にエホバに力強く身をささげた兄弟です。

以前国際大会で統治体が時間を守って話したのに励まされたと言っていたけ

ど、昔は励まそうとするあまり20分超過はざらだったことが懐かしいです。

それでも聴衆はその場を去ろうと思わず、もっと聞きたいという熱意がありま

した。

以前地域大会で他の支部委員の中島 誠  兄弟がきたとき

話す前にさっとストップウォッチをだしピッと音を出して時間を意識しなが

ら話す姿に興ざめしました。

彼の最大限の関心は聴衆の心に訴えることでなく、時間どおりにプログラムを

終えることだからです。

また、大会に隣接する高級ホテルの最上階の高級中国料理で中島兄弟が

もてなされてるところにも出くわしました。

このひと、最上階で高級料理を食い散らした後、口をふいてエレベーターで降

りてステージに上がり王国を第一にするよう励ましてるかと思ったら

興ざめして聴けませんでした。