きょうを生きて living in a moment アドラムの洞窟

できることに集中すると美しさが生まれる。

その美しさを感じて息を吸おう。

ダビデの決断を励みに

2012-06-24 09:23:26 | 日記
聖書の中で魅かれる人物の一人にダビデがいる。

30年前に油絵で息子のアブサロムに追われてわずかに惜別の気持ちで

エルサレムを振り返るダビデの横顔の瞬間を描いてみた。

当時家を出されていた自分と気持ちを重ねてみていた。



集会を行かなくなって

今は、違う観点からダビデを重ねてみている。

当時の油注がれた王のやっかみで、彼が追われた時のダビデの決断だ。

彼が選んだ唯一の決定は

当時の神の組織との関係を一時的に断って



姿を消した



かれは、サウルと仲直りしようとしなかった。

また、イスラエルの組織の一員にとどまらなかった。

そんなダビデを超法規の原則でヨナタンが蔭ながら支援する。

ダビデは、2度サウルが回心したかのような

優しい言葉を聴きましたが信用しなかった。

時にはイスラエルの敵であったフィルスィア人の傭兵となり

組織されたイスラエルと闘うことにした。

さまざまな女性がダビデを感情的に支えた。

ダビデが逃げるとき手のひらを返すようなひどいことがかけられた。

ダビデはじっと黙っていた。

エホバが立場をおわれたなら、エホバが取り戻すダイナミックな信仰をもって

いた。

ダビデがエンゲディの荒野をさまよった時に400人の

どうしようもないものがついて行ったと記録にあります。

この人たちはおそらくサウルのキチキチの当時の神の民の組織の中で

居場所を失った人たちかもしれません。


こうしたダビデの生きざまが今の自分に力を与えています。










やせ蛙さんへの返信

2012-06-21 09:38:10 | 日記
やせ蛙さん

暖かいコメントと鋭い視点とをありがとうございます。

やせ蛙とは、小林一茶からでしょうか?

「やせ蛙 負けるな一茶 是に在り」

痩せた蛙でさえ、逆境に耐えつつ理想に向かって頑張って居るのであるから、私も蛙と同じくして頑張ろうではないか と云う、新たな決意。

32年前、私もJWの宗教のため 家を出されて、

凍てつく冬のある日、

借りていた家からも大家さんから明日出てくださいと言われたことがありました。


途方に暮れて、冬の凍てつく田んぼの真ん中にへなへなと倒れ込んだことが

ありました。

その時凍てつく氷の張った川の中に

一匹の鮒がわずかに動いたのを見たのです。

こんな寒い冬の水の中で鮒が生きてゆこうとしているのだから

自分も生きてゆこうと思いなおしました。

それから、自転車で10kmこいで伝道に出かけてゆきました。

1.5世という表現もいいですね。

ネット上の問題も理解できます。

私は基本いわゆるJW系のブログはほとんど読んでいません。

やせ蛙さんのような方が読んで頂けると思うと元気が出ます。

私も思うことをつづってゆきますので、折に触れて

意見を出してみてください。

ありがとう。


旅の中で

2012-06-18 18:44:57 | 日記
最近毎日目が覚めるとちがう場所で
自分がどこにいるか
しばらく考えなければわからない生活をしている。

いまの旅の途中だ。

人生で関わったひとは、新幹線のように

飛び去ってゆく。

だから、関わってる束の間の時間を大切に

してゆきたい。

しあわせな時間にしたい。

happy は、happen を いかに深く真っ正面から

受け止めることだから。

最近になって山上の垂訓の9つのしあわせな

人を思い巡らす。


日曜日の朝に

2012-06-17 09:04:46 | 日記
何十年も日曜日に集会に通っていた。

集会に行かなくなって何年時間が過ぎたのかも分からなくなってきた。

35年前初めて出席したとき

一人の姉妹のほほえみに平和なひきつけられる何かを感じた。

あのとき、あの姉妹がほほ笑まなかったら

二回目の出席をしなかったかもしれない。

後から聞いた話で、その姉妹はJWゆえの離婚を強いられていた。

極限の中におかれた人が見出している平安は

この世の誰が提供する何かよりもおそらく勝っているのだと思う。

ナチス・ドイツで銃口を向けた兵士が、JWのこの世のものとも

思われない平安さと喜びの表情にに、(撃て!!!)といった命令に

従えなかった話がある。

1970年前、ステファノが、石打ちにされたとき

その表情が神々しいまでに美しかったと記されている。


JWには、神だけが与えられる平安を得ている人たちがいる。

その平安は、どんなに批判されてもその人から取り去ることはないだろう。


逆に疑う人や批判する人からは平安がなくなってしまう。

世なのかに信じていける平安がったらそれはそれで貴重なことだと思う。



エードリアン・トムソン兄弟

2012-06-16 20:29:39 | 日記
バリー兄弟もトムソン兄弟もニュージーランド出身だ。

バリー兄弟はビル・バリーの息子で南島
トムソン兄弟は北島 の出身だ。

トムソン姉妹とはギレアデで知り合ったらしくトムソン姉妹はアメリカ人だ。

当時の教訓者はユダヤ人の俳優のマックスウェル・G フレンド兄弟

E・A ダンラップ 、アルバート D シュローダーだった。

稚内から鹿児島までの初めての巡回監督だったトムソン兄弟はどんなにか

苦労しただろう。トムソン兄弟が亡くなった時、荻窪会衆で服を分けようとした

大柄なので服に会う日本の兄弟がいなかった。

当時の兄弟たちにとってトムソン兄弟ときいただけで

背筋がピンとはったそうな。それほど兄弟たちにはきびしかった。

反面姉妹たちにはやさしかった。

トムソン姉妹はまだ元気に生きている。

トムソン兄弟はどんな兄弟だったかと聞くと

(theocratic 神権的な)と一言のべる。

トムソン兄弟と同じ会衆にいた兄弟からトムソン兄弟の話を良く聞きました。


トムソン兄弟と働いた姉妹から聞いた話では

鼻歌を歌いながら家から家を行き、

ノックしたかとおもうと

(ハーイ トムソンがきました。)

と紹介し、大柄のいで立ちに家の人だけ聞こえる消え入るような小声で

聖書の言葉をつたそうな。

そんなトムソン兄弟にあってみたかったとトムソン姉妹に言うと

フッカツデアウからモンダイないでしょ。

とぺろり。