きょうを生きて living in a moment アドラムの洞窟

できることに集中すると美しさが生まれる。

その美しさを感じて息を吸おう。

スナフキンさんへ 捧げる詩

2015-08-31 07:07:07 | 日記
手に 鋤をとり

最初に

鋤をかけ

夢中になり

鋤をかけてきた

あのとき

様々な土地で

かけた鋤で芽がで

子どもたち笑った

一度もうしろを振り返らず

僕は鋤をかけ続けた


いま


ぼくは

歳をとった。

ひと鍬かけてはうしろを振り向き

この鍬のかけ方で

いいのか考えるようになった


掌をじっと見ると若いころの

まめの跡が

ごつごつと


やがて鋤に手をかける力もなくなった。

疲れ果て


大地にへなへな座り


天を仰いだ

天を仰いで気がついた


そもそも鋤は最初から


いらなかったのではないか


這うように


畑から山の頂上にめざした


おや?


いつのまに滑り台ができてるではないか?

ぼくは


まめだらけの手を祈るように

前に突き出し

頭から麓へ


滑っていった


ヒューン


ヒューン


僕は目を瞑り


風にあたっていた














89歳の大芝居

2015-08-30 19:34:46 | 日記
先週 89歳の母親が救急車に担ぎ込まれた。

89歳の父親が明け方未明に

緊急電話をかけたのだ。


心配する状況だった。



実は父親の大芝居だったことが


判明した。


ケアマネージャーから母親を検査入院を


すすめるも母親が応じない。

母親は洗濯途中や椅子にでも


どこでも寝て 父親が寝れない状況だった。


思いあまった父親が


救急車で強制入院させることを思いついたのだ。


救急車が到着したのに


頭をとくとか母親はゆったりと支度をして


救急車の隊員が父親に救急でないと叱る。


それでも父親はこの大芝居をやり遂げた。


見事母親入院できたのだ。


車椅子の母親は死んだように寝ていたが

見舞いにいって


母親の車椅子を舞踏するがごとく

クルクル回してやった。


母親は喜んだ。

次は


病院の廊下を車椅子で思いっきり速度をあげて


走ってみた。

母親は気分がいいといった。


病人を病人のように扱わないなら

人は元気になる



そんな感じがする。



いなかったはずの信者

2015-08-29 20:24:42 | 日記
長崎に大浦天主堂をたてたとき、







フランス人の司祭が立てたこの天主堂ですが

日本人のキリシタンにもわかるように、漢字で

天主堂と書いて日本人に教会があると知らせたようだ。




その献堂式に日本人がひとりもこないで


司祭は失望してしまう。



大浦天主堂の献堂から約1ヵ月経った3月17日に事件がおきます。

司祭が12時半頃至聖所で跪いて祈りを

捧げていたときです。

振り向くと


ひとりの婦人が近づいてきた。

いなかったはずの信徒が
姿を現したのです。




男女子供負わせた12名から10名の1団が、天主堂の門に茫然と立ちます。

そして司祭にこういったと言うのです。


ここにおります私どもは、全部あなた様と同じ心でございます。浦上では、ほとんど全部の人が、私たちと同じ心思っております。

こうして、250年もいないとされていた、キリシタンの信者が公に姿を現したのだ。


彼女たちはマリアの像はどこと聞き、マリアの像を見つけるやいなやほんとにサンタマリア
様だと叫んだそうな。


当時は禁令下で

役人がある婦人に

貴様が拝んでるこの像はなんだ!?

と詰問すると


とっさに婦人は


お役人さま

田舎婆がそんな難しい説明できるでしょうか?





見物客のふりをしたようだ。


そして

夜間や雨の日 早朝を選んで

天主堂にしのびこんだ。


噂は長崎近郊の島

外海

五島列島からもキリシタンが姿をあらわした






お役人はお役人で 信者だと気がついていたが


天主堂の参観禁止をした程度で

弾圧はしなかった。








1592年の当時


日本でキリシタンの人数は

217500人


今のエホバの証人と同じ人数だ。


ところが


1570年には


信者は26520人しかいなかった。


わずか22年で

日本のキリシタンは10倍に信者を増加させたのだ。


日本のエホバの証人が恥ずかしくなるような、


素晴らしい増加率の伝道活動を展開させた時代が

あったのだ。


かれらは世の終わりを信じて

ひたすら伝道活動していった。


ちなみに昔日本の各家庭には仏壇がなかったようだ。キリシタンであるかどうかを見分けるために各家庭に仏壇を置くようになったという説がある。






当時の日本人はなにに夢見て


キリシタン信者になっていったのだろう?






























身を沈め

2015-08-28 07:13:11 | 日記
いま


この景色を眺めながら


宿主の朝食をつくる


切れのわるい包丁の音をききながら


緑のソファーに身を沈めている。


あしたのジョーの目を瞑る


あのような気持ちだ。





1週間で2000キロ近く走った。


毎日様々なひとと出会い


人生の僅かな時間を共にして


わかれた。


ソファーに身を沈め


疲れ切ったしあわせを味わう



静かだ














人生の積み上げたものは


砂の山のように


風に脱がされてゆく







疲れ切った


ソファーにホッペを擦り寄せ


仔犬のチンになった気持ちだ。




ただ


只管


目を瞑り

緑の沈黙の声を聴いてる



おや?
















なまくら包丁の素晴らしいフレンチトースト





わたしの望む 化学反応

2015-08-26 05:54:06 | 日記
わたしの人生は


毎朝


新鮮な五感で生きている


わたしが読者に期待することは


このみずみずしい感覚でとらえた


その人にしかできない表現だ。


ところがほとんどのコメントはそのひとの


経験や持論の枠組みからジャンピングしない。


否定的なひとは否定的な持論


肯定的なひとは肯定的な持論のスリットを


通してわたしの記事を読んで一部を解釈したり


一部の情報をとるだけにおわったり


結論もその枠をでない。


こうしたコメントをよんだときは



記事を書かなければ良かったと感じてしまう。


しかし、わたしが感じとろうとしたことを


読者の方も白紙の思いで


そのひとしかもてない世界で感じ取り


表現しようとしてやくピュアな姿勢を感じとれたら


記事を書いて良かったなぁ~とわたしも感じて


つぎにゆこうと感じてしまう。


まず素敵なハンドルネームで おっ! と思わせて


ください。


ブログのコメントに


こんなふうにケチをつけてしまうのは


贅沢な世界だなぁ~とわかりつつも