私たちに罪を犯す: 直訳,「私たちに負債がある」。人は,自分が罪を犯した相手に対していわば負債を負う。つまり責任を負う。相手に罪の許しを求めなければならない。イエスは,山上の垂訓で教えた模範的な祈りの中で,罪の代わりに「負債」という語を使った。(マタ 6:12の注釈を参照。)許しに当たるギリシャ語は,字義的には,「手放す」という意味。つまり,支払いを要求せずに債権を手放すということ。
わたしたちは
人生で人との関係で
手放せない負債をかかえてしまう。
それが言わば罪意識の重みをもたせてしまう。
解決は
許す
つまり負債を手放すことにあるのだろうか。