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昔わからなくて今よく味わう言葉に
マタイ5章41節があります。
また,だれか権威のもとにある者があなたを一マイルの奉仕に徴用するならば,その者と一緒に二マイル行きなさい。
若いころはそんな不合理で無駄なことをなぜしなければならないか
反発していた。
しかし、この年になってみると人生の問題と対処をよくいいあてた言葉だと思い
ます。
よきにつけ、あしきにつけ人生のほとんどは
自分より上の誰かが1マイルの奉仕に徴用する
義務感や使命感で行う仕事がほとんどではないかと思います。
命令を出す人もその義務を果たす事しか期待しない
ゆえに成し遂げても命令を出す人も命令を行う人も何の喜びもない結末が待っ
ている。
そこをイエスはそのものと一緒に2マイル行きなさい。
と教えてる。
1マイルの徴用が終わってさらに歩き始めたら命令を出した人は何を感じるだ
ろうか?
この事態を作るのが人生の醍醐味なのだ。
義務感から始めたものを別の領域にもってゆく。
仕事にこれをあてはめていったら本当に楽しい結果の連続になります。
いかにサプライズで終わるか?
エホバの証人のブログサイトには、こうした不満が多いのは
奉仕に徴用されたことを使命感や義務感で行ってきたからではないだろうか?
明治維新の立役者 高杉新作の辞世の句に
おもしろきこともなきよを
おもしろく
とイエスの言葉に通じる心境があります。
私の司会者は巡回監督でしたが
彼が目標にしていたことの一つは
会衆の取りきめ表にのっていない良いことを一つ
会衆の長老に知られないようにすることで小さな幸せを見つけていました。
開拓者も補助開拓者も要求時間をこなしてたら何の喜びもないでしょう。
要求時間を越したあたりから事件は起きるのです。
イエスはいマイル徴用された時、一人で2マイル歩けとは言わなかった。
その不快な命令を出したその人と
一緒に2マイ
ル行きなさいと言われた。
私は何度も何度も1マイルでその人の役目は過ぎたと思った瞬間
さらに一歩踏み出したときの命令を出した人の仰天した顔を想像し
一人でニヤニヤしてします。
これが人生の醍醐味だ。
しなければならない世界を
したい世界に変えてゆけるのは
自分だけだから。。。。。。