動画配信によるグローバル化と印刷施設の縮小に
伴う設備売却と人件費カット 紙代金のカット
これが組織を残すために統治体のとった戦略だ。
こんご信者たちはえいえんと
動画をみせられて
世界的に同じ反応 同じ行動 同じ結論を下せる
クリスチャンを続々とつくるであろう。
その多くは組織上の調整に協力する信仰が
求められ、それに伴いワンパターンの祝福が
まっていることだろう。
そこにはイエス キリスト 個人に内面で
信仰を働かせることとは違う世界なのだが、
頭の悪い信者たちは
それをごっちゃにして
しんこう と表現することだろう。
映像により
モーセが紅海を分けるのを見るだろう。
箱舟が水に浮かぶのを見る
み使いが一瞬に人をうつのをみるだろう。
イエスが盲人の目を癒す場面も見るだろう。
ハルマゲドンも映像で経験し
楽園の約束すべても全部映像を流し
それが絶対に起きたことのように錯覚すること
だろう。
どの映像を見て 信仰がもてたとして
どれも映像は映像なのだ。
映像を見る時間が長い人ほど
信仰の強い人といえるのだろうか?
また映像により
あの7人 男 統治体が組織をコントロールしているかのように錯覚するであろう。
統治体が映像でたくさん露出し
個人の清く 美しい 良心はわきにおいやられる
いずれにしてもvisual christianの時代の誕生だ。
JW.ORGの映像を見た 今のクリスチャンと
JW.ORGをみなかった ひと昔まえのクリスチャン
どちらが信仰を培っていたのだろう。
モーセが海をわけたビジュアル
十戒の映像より
大魔神が真似をして海をわけている映像
どちらもみえてくる本質は所詮 映像処理にすぎないことがわかる。