きょうを生きて living in a moment アドラムの洞窟

できることに集中すると美しさが生まれる。

その美しさを感じて息を吸おう。

愛に関して もう少し

2012-11-03 09:48:46 | 日記
なぜ 自分には愛がないと感じてしまう人が多いのだろう。

それは、多くの人は愛されていないから、愛を示せないと考えてきた。

しかし、愛はほかの能力と違う点がある

他の特質は選べないけど、

愛という特質は本人の自由意思で選べる。

自分に音楽の絶対音楽があるかどうかは絶対に選べない特質だ。

しかしある人は完璧な絶対音楽を本人が選ばないですでに持っている。

同じように完璧な愛を最初から持ててる人は最初からいない。

そういった意味では神と人間は平等だと思う。

神も人間に対して最初から完璧に持っていたはずはないからだ。

人間とかかわる事で神自身も成長させなければならない特質だったから。

ものみの塔の小冊子に日本語に翻訳されなかった

ヒンズー教徒向けの小冊子にこの問題が少しふれられていた。

その小冊子をなくしたので

記憶がアバウトなのですが

表題に自由という言葉がある小冊子です。

そこに、自由意思と愛との関係が見事に説明されています。

もしも愛が強制されて持つならそれはもはや愛とは言えないと

コメントされています。

自由意思で選ぶとこにより初めて愛があるという考えです。


これは、素晴らしい洞察だと思います。

協会の執筆委員は時々素晴らしい洞察を述べる事があります。

この事をつめて考えたら

自分は愛がないと考えるのは異常ではなく

それが正解だという事です。

愛だけは音楽の能力と違う。

まず自分が興味を抱く対象を選び

かかわってゆく

その過程で広げたり豊かにしたり大きくしたり

自分で選んで行ける特質だから。

だから神との関係は毎日リセットした方がいいと思います。

神はただ一人の選べない環境で、

まして愛さなければならない命令形で強制されて愛するなら

もはやそれは、愛でなくなるから。