きょうを生きて living in a moment アドラムの洞窟

できることに集中すると美しさが生まれる。

その美しさを感じて息を吸おう。

愛に関して もう一度

2012-11-11 10:54:56 | 日記
ホチキスさんが

問題の資料をコピーしてくださいましたので、ここで転用して

論じてみたいと思います。


元の資料はヒンズー教徒向けの小冊子 

The Path of Divine Truth Leading to Liberation(1980)

自由によって導かれる神の真理の道

「これは日本語に翻訳されなかった)


13 Yes, it is man’s capacity to love that proves he has a free will.
人に愛する能力があるという事は、そのことに人に自由な(フリーな意志をも所有していることを証明しています。 If “love” is fated, or coerced, it is not love.もしも愛が最初から運命づけられていたり、誰かに強要されるものだったなら、もはや それは 愛とは呼べません。 It is necessary that love be optional―a true consent of the soul―and, consequently, man’s will to love had to be free in order that his love for God be true and real.
もしも人間に対する神への愛が本物で現実のものであるためには、必然的な結果として愛するという人の意志が自由でなければなりません。 So God invested man with a free moral will,それで、神は人を発明した手作ったときに自由な道徳感覚のある意志をもつ者として造り、 that the very purpose of man’s first religion could be realized.人の最初の宗教がそのようの感覚を感じられる宗教にしたかったのです。 Man, therefore, could have made an intelligent choice and demonstrated his love―out of gratitude to his heavenly Father.天の父に対するありがたく思う感覚かから人は自分の知的な選択と自分の愛の表明を持てるような存在になれたのです。 Love can be known only from the results it produces,愛はその生み出したものの結果からのみ知られますので、 and love for a self-sufficient God can be proved only by man’s obedience to Him.自分を満足させたい神に関しては、人の神への従順によってのみ証明されることになります。 As the Bible says, at 1 John 5:3: “This is what the love of God means, that we observe his commandments; and yet his commandments are not それで、ヨハネ第一5:3にありますようにこれが神への愛を意味します。私たちが注意深く神のおきてを守り行う事、しかしその起きては「おもにではありません。burdensome.”


これは、最初から宗教に選択の余地のないヒンズー教徒に啓発を与えるために

書かれた事ですが、

宗教に選択の余地のなくなっているエホバの証人の方にも

考えさせる原点が書かれていると思います。

この資料にもとずいて皆さんが考えたコメントを募集いたします。


アドラムの洞窟から

2012-11-11 08:16:18 | 日記
ダビデがサウル王に追われた時、一人でなかった

サムエル第一22章2節にこう書かれています。

そして、困窮している者、債権者のいる者、魂の苦しむ者 400人が

彼とともにいるようになった。

魂の苦しむ者 とは 英語で

all men bitter in soul です。

このブログをアドラムの洞窟のような場所にしたいです。

ここにきていただいているひとたちを

bitter class とでも呼べたらうれしいです。

ここは、音もなく 暗く 外に出たら照りつける乾ききった場所だけど

ここが好きな人は歓迎たします。

この洞窟でいろいろと話し合いましょう。

ダビデがサウル王が来たときに、裾スカートを切ったという記録があります。

ほとんどのエホバの証人は油注がれた人への敬意があったとよくコメント

されていますが、

自分から見たら、ダビデのぎりぎりの油注がれた者への挑発に読み取れます。

首は切らないが、裾は切り取る抵抗です。


このアドラムの洞窟から

組織人間に陥ってしまった現役のエホバの証人を自認するひとたちに

一石を投じてみたい。








このブログに来られる方へ

2012-11-11 08:03:45 | 日記
自分が思っているのは

いずれ、自分も死んでゆく身です。

わたしがいなくなっても

この1週間いろいろコメントしていただいたように

わたしがいなくなっても、盛り上げていったり

追求したりしていただけたら、本望です。

これまで、コメントにはできるだけ全て返す努力をしていましたが、

多くなってゆくと私のコメントが表面的になってしまって

逆に失礼になりますので

すべてのコメントにコメントを返さない事があるかもしれません。

それをご容赦ください。

この1週間コメントしていただいた方ありがとうございます。

また、現役のエホバの証人でネットを最近始めた方からの

失礼なコメントを出される方が時にありますが、

客観的に恥ずかしい内容だと理解いしていただくために掲載したままに

しておきますので、ご理解ください。


ブログを再開いたします。

2012-11-11 07:52:01 | 日記
昨日のホチキスさんの地のにじむような黙想や追求する心に触れ

久しぶりにひたむきな何かに感動いたしました。

何かをしなければならないという衝動に駆られました。


先々週1晩で訪問者が100IP増えるのを見て、疑問を感じていました。

また、コメントを返してもその後ぷっつりいなくなってゆく

不安定な人間関係にもむなしいものを感じていました。

JWの権力者の二重人格的な人間関係がいやになってすべてを断ち切ったのに

ここで、また同じ関係を結ぶ事に矛盾を感じ始めました。

ここにくる、ほとんどの人はただ単に興味本位で

その人たちに自分の人生で生じた事を共有することにもむなしさを感じました。

でも、わずかながら本当に考えている人たちがいる

わずか数人でもそうした人たちがいるなら

もう少しSHAREしたい気持ちもわきました。

まだ揺れていますが、少しずつ書いてみようかなっと。