きょうを生きて living in a moment アドラムの洞窟

できることに集中すると美しさが生まれる。

その美しさを感じて息を吸おう。

一休み

2012-01-30 18:07:08 | 日記
ブログを書き始めて、

思いがけないコメントにでくわして、ありがたく思っています。

ここまでで、読んでいただいたみなさんが何を考えたのかを知りたいです。

最近つくづくと感じるのは、現役のころ組織は詩編119編176節を引用し

ていました。

(私は失われた羊のようにさまよいました。ああ、あなたのしもべを捜し求め

てください。)

組織は、この聖句から離れた人も神は羊とみているから会衆の各成員もそうみ

るように励ましていました。

自分が離れてみてこのことをよく考えます。

エホバの証人を物理的になはれた人が実は、いま物理的に交わっていて心が

離れている人よりも、はるかに神や神の民のことを考えていることがありま

す。

questionは、本当に神はその人を探し出すだろうかという疑問です。






最初は統治体という概念がなかった。

2012-01-29 18:56:22 | 日記
JWのころ、個人研究で統治体に関して研究してどうしても腑に落ちなかった記憶があります。公の記事でその始まりがかなりあいまいなのです。突き止められるのは、ものみの塔聖書冊子貴協会の7人の理事は統治体と同じかというないようだ。この点にかんしてはフレデリック・フランズ兄弟が説明を試みている。

つまり、統治体とペンシルバニア州の7人の理事は同じなのかという疑問が長年本部組織にありました。

この点で、バプテスマの討議で、司会している長老もほとんど答えられない質問が今の組織の本の前までありました。それは、忠実で思慮深い奴隷をどのように見分けるかといった質問です。世界的な伝道の業にどの法人機関が統治体によって用いられているかという質問です。現代の組織の本はこの部分は削除されています。ほとんどのバプテスマ希望者が答えられるはずもない質問です。

長老たちの学校でのこと、何千人の長老そして注解席に座った模範的な長老が

全員統治体はどの法的な法人機関を用いているかにこたえることができなかった。

答えは、ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会だ。

では、統治体はどのようにうまれたのだろうか?

長年 統治体というグループでなく、意思決定権はものみの塔協会の会長の独占状態だった。ノア兄弟に至るまでそのようにされていた。

もちろん、ノア兄弟は聖書的なアドバイスは、フレデリック。フランズ兄弟に求めていた。

ところが、聖書理解の助けという今の洞察の前身の聖書百科事典を編集する時、ノア兄弟は編集者のレイモンド・ビクター・フランズやギレアデ学校の教
授E・Aダンラップ兄弟らに一般の文書からも調査するように命じたことに発します。彼らは調べているうちに会長一人が権限を持つのは聖書的でないことを確信するようになり、その考えをノア兄弟やフレデリック・フランズに伝えることになります。二人は最初認めたがらなかったがしぶしぶ認める結果になります。それで、理事会の司会がある日ノア兄弟でなくアルファベット順になり大いに驚かせることとなった。

面白いのは、今の統治体に概念を作ったのは、背教したとされてるレイモンド・フランズとダンラップの聖書研究のたまもので設けられたのが最初だったということであある。

ちなみに、排斥という教義を導入したのもレイモンド・フランズだ。皮肉なことにレイモンド・フランズは後日自分の導入した教義によってご自身が排斥されるという結果に追い込まれてしまう。

この権力が会長から1団のグループに全員の発言権があることをものみの塔の理事に示され時グラント・スーター兄弟が印象的な発言をしている。

グラント・スーター兄弟は自分も尊敬するものみの塔の会計秘書をして知性的なジェントルマンの兄弟だ。その兄弟が興奮し、耳まで真っ赤にして(我々もその統治体とやらになってやろうではないか?)といったそうです。

かくして、人間が人間を支配するエホバの証人の独特の権力構造が生まれてしまいました。

支部も巡回監督も地域監督もこの虎の皮を着たキツネになれば自分たちが安泰だということを知っています。

此処に悲劇が生まれているように思います。

統治体のメンバーとの思い出

2012-01-28 08:40:29 | 日記
エホバの証人と研究してはじめてそうした人たちがいることに気がつきました。
1976年の年鑑でアメリカの歴史を読むにつれアレクサンダー・ヒュー・マックミラン兄弟のウィットにとんだ言葉を読んでそうした兄弟たちの言動が信仰のお手本のように思えてきました。ジョージア州のアトランタ刑務所にラザフォード兄弟たち入所した時、ラザフォードが浮かない顔をしていました。刑務所の留守中に自分の会長職を奪われるのでないか心配していたので。マクミラン兄弟はラザフォードに向って、兄弟そのことより。自分はこのテニスの試合にけりをつけることに関心がありますと言ってラケットを高く上げボールをラザフォードに打ちつけます。この記述を初めて読んだ時に、何かの固定観念が崩れすごく自由な風を感じ取りました。以来統治体の兄弟たちは何か素晴らしい信仰を持っているんじゃないかと考えて全員に会ってみたいという衝動が生まれました。周りの兄弟姉妹は統治体の兄弟に信仰をしているえあけじゃないんだからとなじられたのですが。私はこの信仰を続けた人が言ったどんな人格になるのだろうかということに関心がありました。

以来いろいろな場面で統治体の兄弟と個人的に会い個人的な話し合いをする努力をしてきました。

中央にいなかったし、中央にコネがなかったので本当に大変な努力がいりました。

これまであった統治体や元統治体の成員は以下の兄弟たちです。

ロイド・W・バリー兄弟 2回面会
ダニエル・シドリック 兄弟 2回
レオ・K・グリンリース兄弟
フレデリック・W・フランズ兄弟
ミルトン・G・ヘンシェル兄弟 4回
ジョン・E・バー 兄弟  2回
セオドア・ジャラズ兄弟 1回
アルバート・D・シュローダー兄弟 1回(因みに息子のベン・シュローダー)
ケアリー・W・バーバー兄弟 2回
ゲリト・レッシュ兄弟 3回
カール・F・クライン兄弟 1回
ライマン・A・スウィングル兄弟 2回

の12人の統治兄弟たちに会い。人生の美しい断片の思い出があります。

あと統治体でないですが、ロバート・ウォーレン兄弟
チャールズ・モロハン兄弟(ノア兄弟の秘書だった)
ジェームズ・マンツ兄弟 (現執筆部門 元日本支部委員)

などと個人的な質問を交わした内容がいまでも信仰の支えになっています。

確かにこれらの兄弟たちは一般のエホバの証人と違った大きなものを感じました。

また、一般信者が常套句にしている忠実で思慮深い奴隷 特に統治体の兄弟たちというひとまとめの権力集団という意識をほとんど持ち合わせていない
素晴らしい信仰とユーモアの持ち主でした。

この人たちの事をたくさんみなさんとも分かち合いたいのですが、まだその決心ができません。




記事に関して

2012-01-27 16:07:48 | 日記
いろいろと考えましたが、やはりこちらも情報を提供するし、見た人も賛否両論

の忌憚のない意見を聞きたい気持ちもあります。

JWの場合現役のころからコメント(注解)が少なかったし、まして自分で

思考力を働かせて公の場で意見を言う人が少なかったように思えます。

その反面日常生活では、独創的なことを話す人がいっぱいいました。

それで、あらたまったものでなく田んぼのあぜ道で会話しているかのように

自然に意見を表現していただきましたら嬉しいです。

私の立場としては何かの組織を擁護するものでもないし、擁護しないものでもあ

りません。ただ、「あのなかで全人生をかけて頑張ってきましたが、

今はありのままを考え。ありのままの意見を言おうと思っています。


この件で意見がありましたら、気軽にコメントしてください。

雪のなかで

2012-01-26 07:41:03 | 日記
今日でブログを閉じようと思いましたが、もう少し様子を見ます。
最初は、ただ表現してみようと思って書いていましたが、
このブログをフォローしている固定の人が80人いることに気がつきました。

この80人の人はどんな人だろう。
どんな人生を送っているのだろうということが気になりました。

長年JWの世界を離れた身として、情報を共有する人が信頼できる人と感じ

なければ、情報発信が難しく感じます。

此処で、発信する情報を持ち逃げして、その人たちは情報を善用するのか?

あるいは悪用するのか?

3人の善意のひとが誠意あるこめんとしてくださいましたが、その後の質問に

対して考えが発展できないのも不安を覚えます。

出された情報発信に対して、ほかの人は何を感じて、何を考えるのかを知りた

いです。

そのMUTUALな関係が成立できると確信できましたら、ブログの情報を

発信したいです。

無反応で、一方的な情報提供になるようでしたら閉鎖を選択しようと思いま

す。