きょうを生きて living in a moment アドラムの洞窟

できることに集中すると美しさが生まれる。

その美しさを感じて息を吸おう。

おもうところがあって

2012-05-28 07:43:59 | 日記
最近 旅をするごとに いろいろな会衆をみてみようかなーって

思っています。

自分の人生に生じたことでこのグループを全否定する気持ちだったけど

その傷も哀しみも怒りも毒を舐めたような気持も

自分の心の中で過ぎ去っていく感じがする。

極めない科学者は、神に気がつかない

周りには、ほかの科学者の理論に埋もれてしまうから。

でも極めたアインシュタインのような科学者は神を見ていた。

なぜなら、周りに人がいないから。

エホバの証人も二通りしかいないと思う。

エホバを見ている証人と

どこまで行っても組織しか見えない証人たちだ。

いろいろ間違った事がこの宗教にあるかもしれない。

でも、かれらがもった創造者に基づいた結論を自分は否定する気になれない。

ちゃめっけのあった織田正太郎兄弟

2012-05-19 09:41:45 | 日記
織田兄弟は、まじめそうですごくちゃめっけがったと思う。

時々、ヘルメットをかぶってベテルの全ての部門をパトロールしていた。

自分が思うにこうしたルーティンに飽きていたのだろうと思う。

そのヘルメット姿がGHQににていたのだが。

ベテルで一生懸命に業務に働く元地域監督が

後ろに固くあたるものを感じ、後ろを振り向くと

ヘルメットをかぶった織田正太郎兄弟が

きっとみすえ

(手を挙げろ!!)

とせまってきたそうです。

このことをきいて、この人は本当はハチャメチャな人じゃないかと親近感が

持てました。

支部委員の長崎兄弟が車を買って

日曜日に丁寧に洗車していると

(長崎兄弟、車買って嬉しいからみせびらかしたいんだろう。。)

といってみたり、

リチャード、ベーリー兄弟が初めて支部員になって

まじめでこちこちになってるとき、初めての支部委員の会合の時

(日本支部では、初めて支部委員になったと人に伝統行事で歌を歌うことになっている。。。)

と切り出し、横の池畑兄弟や杉浦兄弟に話を合わすように目配せをする。

池畑兄弟と杉浦兄弟は心得たという顔でその通りだとうなずいて見せる。

かわいそうなのは、ベーリー兄弟

憔悴しきった顔で会合を後にし

本当に歓迎会の時に歌い始めたのだ。


面白いことのないベテルでどうしたら面白く過ごせるか知っていた。


だから、記念式の翌日に桜を取ろうとして亡くなったのも理解できそうな

出来事だったと思います。

あんな幅の広い理解のある責任者はなかなかでないだろうなぁ。

織田兄弟の感心なところは人に言うだけでなく自分で行っていた所だと思います。

たとえば、多忙なベテルの生活の中で未信者のご主人さんと聖書研究も司会していました。

地域大会では、主要な話をしてプイッと帰る今の責任者と違い

らならず時間の許す限り自発奉仕者に混じって椅子を片づけていました。








理想的な会衆

2012-05-16 19:08:36 | 日記
現在 日本各地の会衆に出席してみると、QBで建てた王国会館のように

金太郎飴のようなつまらない時間が待っている。

まず公開講演が非常につまらない。

筋書きをただ読むだけで、くらだらないたとえを思いついて悦にいる講演者

ものみの塔の研究がまた注解もふくめて追及力なくなっている。

そんな中、ある外国語会衆に出席して非常に驚いた。

講演者が、SPIRITのコア部分を熱く語っている。

思考力とイマジネーション力があるので、聴衆が思考力を働かせて

引き入られている。

本当にびっくりした。

いまどきこのような長老がいるのだ。

また、ものみの塔の司会者がいい。

ひとりひとりコメントしている方を向きじっくりと耳を傾けている。

コメントしている人の個人に関心があるメッセージが伝わってくる。

だから、会衆の成員は伸びの伸びと記事から適用した

前向きな言葉をどんどん出してゆく。

決して組織礼讃をしない。

こうした会衆が日本にもまだ存在しているのだ。

それに比べて日本語会衆派だめだ。

ほとんど死んでいる。

組織人間に集会が牛耳られ、

そつなくプログラムをたんたんとはたすことが、


心からの時間よりも重視されている。

このことの改善は本当に難しいだろうと思う。

遺書

2012-05-05 07:50:17 | 日記
新約聖書

英語でNEW TESTAMENT

このTESTAMENTには、遺書という意味があります。

この説明を中学生のころ読んだ時になんとなく気になっていました。

自分にとって、ブログは遺書みたいなものです。



最初は、



ブログをみなさんの意見を交えながら書いてゆこうと思いましたが、

結局読んでるみなさんのために書くというものではないことに気がつきました。

このブログによってエホバの証人の何かを変えるというものでもありません。


コメントがあればうれしいし、なければさびしいという


感情にも左右されないで。


書いてみたいことを書いていこう。