13年前。
シアターコクーン主催、シェークスピア作『夏の夜の夢』は、横浜ボートシアターの遠藤啄郎氏の脚本演出で、バリ島を舞台にした物語として作られた。
本物のバリのミュージシャンやダンサーを日本に呼んで共演する、という事から、稽古をバリ島で行うという贅沢なものだった。
バリを訪れた出演者スタッフの一行は、ウブドに住むジャカルタ人のイスハックさんにお世話になった。
大豪邸の広大な庭に、コンクリートで稽古場を作って下さり、我々はそこで思う存分稽古をする事が出来た。
バリのミュージシャンやダンサーの指導で毎日バリダンスをし、それから芝居の稽古に入っていった。
私は東京での劇団前進座の公演が済んですぐにバリに乗り込んだため、着いた段階で既に疲労困憊であった。
当時のバリの暑さにもやられて意識も朦朧としていた。
パック役だった私は、登場の長台詞の途中でバク宙をする、というプランだった。
元々私はバク宙が得意だった。
しかし、感が狂った。
二日目の稽古の時着地に失敗して、右足を思い切りコンクリートの床に叩き付けてしまった。
激痛が走った。
病院に運んでもらった。
当時はまるで体育館の様な病院しかなかったが、レントゲンの機械は最新の日本製だった。
結果は、右足小指の付け根の剥離骨折。
治療はただ包帯を巻くだけ。
骨折というものが、どれほど痛いものであるかという事を、初めて知った。
痛くてとまともに歩けない。
せっかくバリ島まで来ていながら、稽古へは声だけの参加。
毎日足を引きずり、悶々としていた。
一週間後に帰国して病院に行くと、膝までのギブスを填められた。
公演10日前だった。
それを見たキャストもスタッフも、皆絶望的になった。
私は諦めずに、長年お世話になっているトレーナーの先生のところへ直行。
先生はすぐにギブスを取り外し、薄いボール紙で作った副木を当ててテーピングをした。
「飛び跳ねてごらんなさい」
と言われて、その通りにした。
まったく痛みを感じなかった。
すぐに稽古場に戻り、皆の前で飛び跳ね回った。
皆は悲鳴と感嘆の混ざった叫び声をあげた。
この方法で本公演20日間をやり通した。
私にとって忘れられない思い出である。
今はイスハックさんも亡くなり、豪邸は他の人の手に渡っている。
その家を見付ける事が出来た。
稽古場の屋根は無かったが、昔のままの位置に残っていた。
私はここで骨折したのだ。
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