三國連太郎さんが亡くなられました
寂しい
私にとってとても大きな存在でした
憧れでした
三國さんと初めてお会いしたのは映画『海軍特別年少兵』('72年公開:今井正監督)。
その後、映画『釣りバカ日誌』シリーズの10('97年)から、
花のお江戸の釣りバカ日誌、11、12、13、15ー20、まで、
計11作品で秘書の草森として共演させて頂きました。
現場では秘書役として常にお側に居させてもらい
血液型が同じAB型だったせいか、なんだか気が合って居心地の良い空間でした。
様々なお話を聞かせて下さいました。
こんな若造の私にも気を使ってくださる、優しい方でした。
25歳年下の寿子と結婚した私と、26歳年下の友子さんと結婚された三國さん、
いつも現場には夫婦で来ている二組。
何となく似たものを感じられたのか、
私が劇団から独立する時に、夫婦で自分達の会社を立ち上げる様にアドバイスしてくださいました。
心細かった私達に、大きな勇気を与えてくださいました。
私の音楽活動にもとても興味を持って下さり、
六本木STB139スイートベイジルでの【中村梅雀Bright Fortune LIVE】('09)にもご夫婦で観に来て下さいました。
客席で立ち上がって手を振るご夫妻の姿が忘れられません。
そして『釣りバカ日誌ファイナル』('09年公開)撮了後に、沼津の別荘に私達夫婦を呼んで下さり、
四人で一緒に食材を買いに行き、
奥様の手料理を楽しみ、私の手料理もご披露し、
皆で美味しい美味しいと連発しながら、朝の5時まで、
映画や演劇や音楽や、家族や社会や人間の事など、
音楽を聴きながら、様々な事を語り合いました。
日本酒やワインやウイスキーや、私達はかなり飲みましたが、
三國さんは一滴も飲まずに、ずっと付き合ってくださいました。
翌日は一緒に御殿場の温泉に行ったり、沼津港で寿司を食べたり、
それはもうとてもとても楽しい、素敵な時を過ごさせて頂きました。
そして2010年には、私が主演する舞台のために、直筆の楽屋暖簾を作って下さいました。
勇気を与えてくれる様な、とても力強い文字。
私の出演する公演にはいつも欠かせない、大のお気に入りの暖簾です。
役を、作品を、深く深く追求し、絶対に妥協しないあの役者魂
哲学書を読み、深く思いを巡らせるプライベート
驚く程素直に興味を持ち、何でも知ろうとする好奇心
良いものは良い、嫌いなものは嫌い、ハッキリとした意思表示
悪戯っぽさ、ズルさ、柔軟さ、頑固さ
全てが役者としての心意気、輝きに繋がっていました
三國さん
お疲れ様でした
ご苦労様でした
様々な事を教えて頂き
ほんとうにありがとうございました
合掌