いよいよ明日から『信濃のコロンボ14 死あわせなカップル』のロケが始まる。
シリーズも14作目。
今回は諏訪湖でのロケからだ。
心中サイトで知り合ったカップルを救ったと思ったら、すぐに新たな心中事件。
しかし、どうも不信な点があることに気付いた竹村警部が、しぶとい捜査を続ける。
息の合ったメンバーでまたまた現場は盛り上がることだろう。
楽しい現場が一番だ。
初日から30ページ23シーンを一気に撮る、という大変さもいつもの事だが…
気持ち良く仕事が出来るからこそ続くのだ。さあ!!走るぞ~(^o^)/



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私が刑事役ばかりやっているせいか、警察庁のこんな映画のMC役を依頼された。
近頃の飲酒運転による事故は悪化する一方だ。
いくら罪を重くしても、毎日の様に悪質な事故が起きる。
もはや事故では無い。
飲酒運転がいけない事を知りながら酔って運転し、あげくに事故を起こし、何の罪もない人を死なせてしまう。
これは明らかに殺人である。
映画の中では、実際に2005年11月に、飲酒運転のトラックに追突されて20歳の娘さんを失った方が出演され、悲痛な訴えをされている。
自分の家族が命を奪われたら…
そんな事を考えられないから、平気で運転するのであろう。
私がMCを務めるこの映画は、来年度から免許講習の時に上映される。
少しでも運転者の心に響けば幸いである。



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長い長いと思っていた京都南座初春公演。
明日はもう千穐楽。
苦戦した『魚屋宗五郎』も、20日夜の部に気持ちが自由になり、30回を越えた辺りから中村梅雀らしさが出せる様になってきた。
38回目はどこまでいけるか…
次はいつ出来るのか…
とにかく今回の初挑戦は、明日終わってしまう。


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私は実は、昨年から【龍谷大学客員教授】に就任した。
京都で中村梅雀を後援する『梅雀を支える会』に、歴代の龍谷大学学長が参加されており、その先生方のご依頼を受けての事であった。
昨夜は、龍谷大学国際文化部のジョナ・サルズ教授と、そのゼミの生徒さん達が芝居を観に来られた。
サルズ先生は日本に来て25年。
茂山千之丞さんに師事され、能・狂言・日本舞踊などの日本の古典文化と、べケットやシェークスピアや三島由紀夫等、様々な演劇を融合させたり、日本の舞台芸術文化の研究をなさっている。
'84年【トラディショナル・シアター・トレーニング】を設立され、以来、国籍・年齢を問わず、日本の伝統芸能を三週間にわたって体験学習出来るコースを、制作・監督されている。
終演後、南座近くのアイリッシュパブ・レストランで、感想を語り合い、様々な演劇や音楽の話で盛り上がった。
若者達が自由な発想のもとに、様々にチャレンジしている熱気が嬉しかった。


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ハスキー犬のマーニャ。
このお嬢ちゃんは幼い顔をしているが、既に8歳。
京都『れんこんや』の美紀ちゃんの愛犬である。
子犬の頃は正に縫い包みだった。
私は0歳の頃から犬と供に育って来たから、犬が大好きなのだ。
もしかしたら、自分の前世は犬だったかもしれないと思うくらいだ。
京都を訪れる度に、必ず一度はマーニャに会うことになっている。
この子は私の『供奴』のビデオを見せると、ジッといつまでも見ているらしい。
私に何か近しいものを感じているのかもしれない。


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初春南座公演も中日を過ぎた。
『魚屋宗五郎』が20回を越えた。
ようやく舞台で自然に呼吸出来る様になった。

写真は翫右衛門の『魚屋宗五郎』を描いた絵と、使っていた【芥子粒】の手拭い。
この手拭いを梅之助も使い、今は梅雀が使っている。
実はこの手拭いを作る人が、もういないらしい。
細かい点々模様を染め上げる技術が大変らしいのだ。
現在、予備を含めて四枚だけ残っている。
しかし、はっきりとした模様が出ていてお気に入りは写真の一枚。
手拭いは使っている内に、段々ほずれて短くなっていく。
使える長さに満たなくなったらどうしよう…

どこかにいらっしゃらないだろうか
芥子粒の手拭いを、手染めで作ってくれる人が…


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私の魚屋宗五郎は今日の二回で14ステージになる。
去年の12月23日に稽古入りして、1月3日に初日を開け、あっと言う間に10日になった。
だがまだ14回しか経験していない。
毎日必死だ。
観ているお客さんを気持ち良くさせなきゃ駄目なのに、余裕が無い。
翫右衛門は149回(もっとやった様に思うが…)
梅之助は405回
梅雀は千穐楽で38回
比較に値しない数である。
100回やってもまだまだ発見があるのが舞台だ。
果たしてどこまでのものに出来るか…



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安藤百福さんが亡くなった。
世界初のインスタントラーメン『チキンラーメン』をたった一人で発明し、'58年8月25日に48歳でこの世に送り出した。
そして'66年には世界初のカップ麺『カップヌードル』を出し、世界的にカップ麺文化を広めた。
食文化に大変な歴史を残された人だ。

私はNHK朝ドラ『てるてる家族』で、百福さんをモデルにした【安西千吉】を演じた。
ご本人にはお会いできなかったが、インタビュービデオ等で拝見し、人物を研究させていただいた。
その好奇心、観察力、発想、行動力、忍耐、諦めない持続力。それらを総合した人間力。
それを生き生きと魅力的に存在させるのが、私の仕事。
現存される偉人を演じるプレッシャーより、魅力的な人物を演じられる喜びを楽しんだ。
百福さんが毎日欠かさずチキンラーメンを食べていらっしゃる事を知り、私も役づくりとして実行してみた。
発売当時から変わらない素朴な美味しさ。
商品の長生きの秘訣だと思った。
撮影現場では、日清食品の方達が付きっきりで、劇用の特製インスタントラーメンを毎日作ってくださった。
これが実に美味しかった。
何杯食べても飽きなかった。
ドラマはミュージカルの様だったし、かなりデフォルメされてた。
私は『バック・トゥー・ザ・フューチャー』の【ドク】のイメージを少しだけ混ぜて演じた。
「人類は麺類だ~!!」
と空を指差して叫ぶ台詞が楽しかった♪

偉大な人物を演じられて光栄だった。
インパクトのある演技が出来て楽しかった。

即席麺の文化は今も発展を続けている。

百福さん、ありがとう。
長い間ご苦労様でした。
安らかにお眠りください。

合掌



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劇団前進座とは長い長いおつき合いの『れんこんや』
祖父翫右衛門の頃から、どれだけ座を助けて下さったことか。
私もまだ小さい頃から、初代女将の【斉藤はるえ】おばちゃんに可愛がられてきた。
温かく厳しく情の深いおばちゃんだった。
父がよく、おばちゃんに説教されていたのを覚えている。
私が酒を覚えた頃は二代目の【きみちゃん】が女将だった。
元気で明るくて気が強く、大きな声でズバズバとものを言うきみちゃん。
私がまだ劇団に入りたてでオロオロしていた頃、よく元気をもらったものだった。
'99年にはるえおばちゃん、'00年にきみちゃんが相次いで亡くなり、きみちゃんの娘の【美紀ちゃん】が三代目として店を継いだ。
最初は寡黙だった美紀ちゃんもよく喋るようになり、今や女将としての風格と色気と気迫を感じさせる。
次々と様々な料理を作る手捌きは見事で、縁側(カウンター)に座っていると思わず見とれてしまう。
今夜も美味しい料理と酒で満足満足


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京都  



朝の大文字山(右)と瓜生山。
毎朝この東山連峰の景色を観ながら朝食をとるのが好きだ。
3日から京都南座の初春公演が始まった。
初役の『魚屋宗五郎』
初日はどうやら無事に終えた。
25日までの公演。
どこまで自分のものに出来るか…
祖父翫右衛門の様に、一人の男の生き様として、生き生きと舞台に存在したい。
殆ど毎日昼夜2ステージ。お客様との交流会も多い。
毎年、前年からの疲労を回復出来ないままなだれ込むこの正月公演は、最もハードだといえる。
だから、朝の気分はとても大切。
今年は妻と一緒だ。
お互いに仕事は大変だが、一緒にいられることが何より幸せだ。
千穐楽まで無事に公演出来ますように。
そして、良い成果を残せますように。


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12月31日
沖永良部島出身だったおばあちゃんの血を受け継ぐ瀬川家
おばあちゃんの四十九日には40人以上集合して大賑わい
翌31日にもまたまた集合
賑やかな事が大好きだったおばあちゃんのために、沖縄料理を並べ、泡盛を呑み、三線を弾き、呑めや語れや唄えや踊れやのドンチャン騒ぎ♪
全員がカチャ-シーで踊り捲る有様は圧巻!!!
みんな仲良く賑やかで笑いの絶えない熱い年越しになった


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神戸市中央区にある別格本山再度山大龍寺
私にとって大切な年になる2007年
願いを込めて鐘を撞く


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