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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は28年目 ブログ光のチャレンジは13年

阪神淡路大震災で授かった能力(13)

2012-02-05 | シリーズ「アズミックアート物語」1~20
阪神淡路大震災が起こる前年の話です。
先日読んだ『岡本天明伝』にも書いてありましたが、「神示」というのはある日突然にいきなり降りるというのではなく、例え偉人伝にはそのように書かれていたとしても、側近の話など聞くと、やはりその前からいろいろな「前兆」というのはあるようです。

私の場合もそうでした。前年の6月のいつだったか、友人への手紙を書いていると何枚も失敗して、おかしいな、不思議だなと思っていると、なぜか別のこと(自分が書こうとしていることとは違うこと)を書いてしまうというようなことがありました。
その頃から少しずつ何かおかしく? なっていたのかもしれません。

さて、その6月のある朝、いつものように職場へ行こうとすると、急になぜか「旅の用意」をし始めたのです。
からだが勝手に動いて、着替えや洗面具を旅行鞄に入れたりして、(もちろん意識ははっきりしているのですが)自分ではその動きを止められないのです。そして駅に着くといつもの路線へと向かわず、職場とは逆方向へと足が動き出すのです。

これは困った、遅刻は出来ないし、、と何度も足を元通りにしようとするのですが、すると、まるで「キツネ憑き」にでもあったかのように、からだがその場でくるくると廻ってしまうのです!

たくさんの通勤客が行き交う駅でほんとに恥ずかしくて、「何やっているんだろう?私は一体どうなったのだろう?」と頭は考えようとするのですが、何だか夢を見ているような感じです。そのうちに、今度は公衆電話に歩み寄って、職場に電話をかけ、「休暇を取る」と(口から勝手に「休む理由」なんかもスラスラと言葉が出て)同僚に話しているようなのです。
(自分が自分でありながら全く他人のしていることを見ているような?そんな感覚でした)

えっ、そんな!?まさか。とびっくりする間も無く、職場とは反対方向の電車へと向い、足は勝手に車中へと運ばれて行ったのです。そして気が付けばいつのまにか新幹線に乗っていました。
どうやって切符を買ったのか?覚えているようでもあり、催眠術にかかったようでもあり、ほんとうに夢の中に居るようでした。

その新幹線の中は空いていて(もしかしたらグリーン車だったのかも?)私の周囲はがら空きでした。
でも誰か私の他に三人の(目には見えない)存在が居るように感じられるのです。
私の頭部はクルクルと人形のように廻り続け、おまけに手も指先も勝手にクルクルと廻したりするのです!
(もし他に人が座っていたら、きっとヘンな人だと思われて敬遠されたことでしょう)

そして、着いたところは何と広島だったのです!
私はもうどうしていいかわからず、なぜ自分が(職場を休んでまでも)こんなところに来てしまったのか?
一体何の目的で!?とさっぱり意味がわからず、遠方の友人に電話をかけて訊ねました。
(この友人は「気」やそういう超常現象?のわかる人だったのです)
すると「青いきれいな光が見えるからヘンなものでは無いと思うよ」と言ってくれたのです。
(この電話をかけている間も頭がクルクルと廻ったりしていました)

それでもう着いてしまったことだし、引き返すのはあきらめてともかく一泊して帰るしかないので、せっかくだから宮島にお参りでもしようと島に船で渡った(宮島に行ったのはその時が初めて)のですが、霧が出ていてそれはそれは幻想的な風景でした。

宮島に着いて駅の観光案内所で宿泊先(その当日の飛び入りで空いていた部屋)を紹介してもらい、厳島神社へ向かって歩いて行きました。
その間にも手や指先がクルクルと動き、頭の動きもまだ続いていて止まりません。
それだけではなく、何かぶつぶつと聞いたことも無いような変なお経?のような文句を唱えながら歩くのです。
大声では無かったからまだしもましだったものの、もしもそんな人が歩いていたら誰でも思わず避けてしまうことでしょう!


そして海の中に立っている有名な鳥居(台風で倒れる前の旧のもので、その当時は朱色ではなく白木がくすんだような感じだったと覚えているのですが、もしかしたら私の記憶違いかも)まで来ると、はるか遠い空の向こう(海に向かって左の方向)から何か強いエネルギーの白い塊のようなもの(雲のような?)がやって来て、その鳥居を潜り、神社の中へとスッと入って行ったのです!
それはもの凄いスピードであっという間の出来事でしたが、そんなものを見たのはそれが全く初めてでした。
それが一体何だったのか?は今でも謎のままです。
(確か1994年の6月12日のことでした)

その雲のようなものが吸い込まれるように厳島神社の中に消えて行ったのを目撃した後も、何かぶつぶつとお経のような独り言を唱えながら神社の中を参拝して廻り、そこを出て今度は土産物屋の前を通りかかると、その店に居た真っ黒な服装の一組の男女の外国人に向かって今度は片言英語で何か話しかけたのです!

その二人は今思い返してみても、何か普通の人間では無い感じで、異星人か、あるいは高い次元の存在が人間の姿をして現れているかのような、そんな際立った気品のある美しさでした。二人共が同じ黒い服(上下共に)で、とても背が高く(外国人だとしてもさらに)体格が立派で、芸能人のおしのびというようなそういう雰囲気でもなかったのです。
色は少し浅黒く、私は彼らのことをなぜかインドのヒンズー教の「シヴァ神とビシュヌ神の化身」!?だと直観したのです。

私の拙い英語力では(そんな何かに取り憑かれている?ような時ですら、突然に英語がペラペラッと話せるようになったわけでは無いのが我ながら可笑しいのですが)挨拶以上の会話が続かず、私の彼らへの「感動の念」を伝えきれなかったのが、今も本当に心残りです。
もちろんもし彼らがほんとうに神の化身だとしたら、私ごときがそんなところで出逢えただけでも全く天にも昇る心地ですが。


それにまさか、その翌年広島に移り住むようになるとはその時は思ってもみなかったのですが、もしかしたらこの出来事があったので、阪神淡路大震災の後、広島に移る気になったのかもしれません。
(その時には気づいていなかった心理ですが、今このブログを書いていて、突然に気づきました)
この出来事はその前兆?もしくは私を広島へと導いてくれるための神の恩寵 だったのでしょうか?

余談ですが、そんなこともあって、阪神淡路大震災後に移り住んだ広島では、この同じ宮島の厳島神社の能舞台で「オノ・ヨーコと息子ショーンのコンサート」が催され、厳島神社の裏をリハーサルの合間に散策しているオノ・ヨーコさんに偶然遭遇することが出来たのです!
もしかしたらこれは神の化身に出遇ったよりももっとラッキーなことだったかもしれません。
(私の友人はサインをしてもらい、握手もしてもらって、おまけに写真まで一緒に!撮らせてもらったのです

ちなみに私はその友人と彼女の写真を撮るのに精一杯で、私自身は彼女とのツーショットは無いのですが、ただもう長年の憧れだったオノ・ヨーコさんに出遇えただけでも本当に幸せな一生モンの「宝の思い出」です。





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オーリングテストの話(7)

2012-02-04 | シリーズ「オーリングテストの話」
今日は立春ですね。今朝は銀世界で朝日が雪に当たって輝きほんとうにきれいでした。

さて、私はこれから出かけるために時間が無く、代わりにオーリングテストを使っておられる人の話(インタビューの中にちょこっと出てくるだけですが)をご紹介します。

すでにご存知の方も多いと思いますが、「スピボイ」というスピリチュアル世界関連のゲストの話が満載されたサイトです。
たくさんのインタビュー記事が掲載されていますが、その中の一つで「意識の進化と日本人の役割」 というタイトルです。

そのディヴィッド・R・ホーキンズさんという医学博士(米国精神科学会終身会員)の方が、話の途中に奥さんを呼んで、(インタビューの途中で)オーリングテストをされる場面が出て来ます。
ほんとに気軽な感じで使い慣れておられる様子が伺えました。

先日このブログを愛読してくださっているある方から、オーリングテストのやり方などについてご質問をいただきましたので、
他にももしかして興味を持たれる方もおられるのでは?と思い、ご紹介させていただきました。

下記がそれです。「スピボイ」というサイトには他にも素晴らしいインタビュー記事が満載されています。
ぜひどうぞごゆっくり味わってみてください。

http://www.spiritualvoyagers.jp/interview_vol015.html





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阪神淡路大震災で授かった能力(12)

2012-02-02 | シリーズ「アズミックアート物語」1~20
メキシコに行った話を続ける前に、少し違う話をします。

それは、突然にさまざまな能力が拓かれたり、「自動書記」でメッセージが降りて来たり、神懸かりになってしまったからといって、決してその人が「特別な人」 になったわけではないということ。
もちろん中には人格がすっかり変容してしまったり、実際に人生が急変して悟りを開いたり?新興宗教の教祖になる人もいるかもしれないが、だからといって「偉い」というわけではない気がする。

その伝える内容が正しいのかどうか?については、必ず審神(サニワ)が必要だと思う。
そういうことを考えている時にたまたま本屋で『岡本天明伝』(ヒカルランド/黒川柚月著)を見つけたので、さっそく読んでみた。

岡本天明さんはあの有名な「日月神示」(別名「ひふみ神示」ともよばれる)を書かれた方である。
私は、いつだったか、ある夫妻の案内で菰野にある「至恩郷」を訪れたことがある。
その頃はすでに天明さんは亡くなられていて、三典(みのり)夫人がひっそりと暮らしておられ、一緒に写真を撮らせていただいたりした。

私と相棒のそれぞれの誕生日を聞くと、彼女は「なるほどね」と一人納得したように頷かれていたが、私はその頃は「数秘術」なども全く知らず、何のことなのかさっぱりわからなかった。

今回この伝記を読んで、天明さんと縁が深かった人の中に、現在でもほとんどの占い師が勉強するという、その元になる「数字に関する研究」をした高名な学者がおられたことを知って、その意味を初めて知った。三典夫人もそれを学ばれていたのだ。
(その後私もそういったことにも興味を持つようになり、今ではたくさんの数秘術の本を出されている「はづき虹映さん」がまだ世に出る前?に、鑑定してもらったこともあるが、ほんとうによく当たっていて大いに参考になった)

話が横道に逸れてしまったが、その時私たちの通された部屋の壁面に天明さんの描かれた「クレパス画」がずらっと掛けられていたのを覚えている。惜しいことに後年にあった火災で全て燃えてしまったようだ。
その折船井幸雄さんが火事見舞いに駆けつけられたという話を聞いたことがある。

今回の本で、岡本天明さんが17歳の折に神戸で初めての個展をされたということもわかり、(「クレパス画」は晩年の作品だと思うが)もっとよく見ておけばよかったと、本当に残念だ。
せっかくほんものの絵を見る機会だったのに、正直な話、なぜかその時にはそれらの絵が私にはどれも暗く感じられて、あまり興味を惹かれなかったのだ。

天明さんの周囲にはその降りて来た神示を信奉する人たちが集まり、いつのまにか一緒に生活するぐらいにまでなっていったようだが、その周辺の人間関係やさまざまな出来事を時系列で詳しく調査して書いたのが、今回紹介したこの本である。
天明さんが「大本教」との関係が深かったということも、私はこの本で初めて知った。
写真も豊富で、(日月神示ではないが)「審神する情景」を撮ったものもある。

「おふでさき」で有名な天理教の教祖の中山みきや、大本教の教祖の出口なおなどに関する本も読んだことがあるが、みんなすさまじいまでの苦労をしている。本人だけではなく、その周囲の家族たちもとてもたまったものではなかっただろうと思う。

岡本天明さんは、二度も奥さんを亡くされ、三典さんは三人目の奥さんだったことも今回の本で知った。
三典さんは天明さんの神示を心底信じて一緒になったのに、そしてその神示の預言では(96才7ケ月!までも)長生きすることになっていた筈なのに、実際は昭和38年に満65歳で亡くなられ、しかもその神示の最終的な「カタ」は他に出る(天明さんのところへ降りるのではなく)ということが、(その生前に)天明さんの口から出て、三典さんはほんとにがっかりされたということも、本には書かれていた。
彼女のその心境は察するに余りある気がする。

また長年天明さんの信者だったある女性がある時期から離れていくのだが、「日月神示」の第24巻以降に関しては、その人は疑問を抱いていたという話も印象に残った。もしかしたらそういうこともあり得るのかもしれないなと感じた。
ともかくこの本を読んで私は、「ほんもの」と「ヒョウイ現象」を見分けることの難しさをつくづく思ったのである。

私も今でも「何がほんもので、何がそうでないのか」はわからないままでいる。
そして出来れば別の仕事をしたいとふと思うこともある。

『天から授かった能力はお金に換える(仕事にする)もんじゃない』と、かつてある人から面と向かって言われたこともあった。
また別のある人は私の話をじっくり聞いた上で、『自然な経緯で(自ら望んでそうなったわけではなく)結果としてそうなったのなら、それはやってもいいんじゃない?』と優しく受け止めてくれた。
『誰にも出来ることではないし、それが天から授かったものだからこそ尊いのじゃない!?』と、真剣に諭してくれた知人もいた。

広島の三上晃先生(植物さんとの共同研究をしていた人)はそんな私に、「普通の生活」をするようにと強く勧めてくれた。
こういう絵(突然の「自動書記」で始まった線描画)を描き続けていると、「身が保たない」からと。

そのアドバイス通りに、私は広島から関西に戻った後も(絵を仕事にしようなどと考えるまでも無く)、ある書店の店員として真面目に働いていたのである。
ところが、ある日、突然にリストラされてしまい、その結果として今日の私がある。

(その詳細はまたにするが)、最後の勤めの日の帰途、家に向かう坂道を登りながら、自然に涙が流れて仕方無かった。
でも心のどこかがふっと明るく、泣きながらもまるで空が抜けたような開放感と希望のきざしを感じてもいたのである。


だから、一体何が「天の采配」なのか?
たぶんその時が来るまでは誰にもわからないし、果たして自分の描く絵が真実を伝えているのかどうか?も今はわからない。
そういうわけで(「日月神示」をその参考にするのは畏れ多いが)、今回この『岡本天明伝』を読んでほっと安心したのである。
ああ、彼も普通の人だったのだと。そして岡本天明さんに対してさらなる親しみと尊敬の念が湧いて来た。

そして、巷に流布している「日月神事」や「ひふみ神示」に関する本なども、ごく一部だけを取り上げているに過ぎない(省略していることも多い)とわかり、これまでとはまた違った目で眺めることが出来るようになった。

個人に起こることと、その外側に起こる(公の)こととは関連していること。
時にはその周囲の人間関係や環境などもその神示の中に読み込まれる(反映している)こともあること。
後日必ずそのカタ(証拠)が示されるということ。


その他たくさんの学びがあり、読んで大変役に立った本だった。
私の絵もそんなふうに何らかの気付きの手助けになり、誰かのために「少しでも貢献出来たら」と願っている。



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