☆ ブログ光のチャレンジ ★「魂の似顔絵」テレパスアートは「テレパスアート」のHPからお問い合わせ&お申し込み出来ます♪

1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

テレパスアート物語(3)<天候について>

2012-06-27 | シリーズ「テレパスアート物語」
ほとんどの絵の中には人物が登場しますが、背景にはいろいろな風景が描かれ、屋外であれば例えば月や星空、また太陽や風などの自然や天候が描き込まれることも多いです。
そして面白いことにその「絵の登場人物の内面の感情と天候とが一致している」というか、かなり関連が深い気がします。

例えばずっと昔のことですが、洞窟の中に居る人物(男性)を描いている時、なぜかその洞窟にひびや割れ目が生じ始めました。
「もしかしたらこの人は心にひびが入っているのかもしれない」と感じながら描き続けていたら、いきなりグラグラと揺れて、ほんとの地震だったりしたこともありました。

また、描いているうちに最初はいいお天気で、気分よく絵筆が進んでいたのに、どういうわけかどんどん絵が暗くなっていき、風雨や雷まで、、と思っていると、実際に窓の外の天候が急変し、いきなり雷が鳴り出してびっくり!したことも。
もちろんその逆の場合もあり、例えば描き始めは真っ暗闇の絵が、そのうち満点の星空になったり、満月が煌煌と照るということもあります。

これは描き手(私)を通して、描かれる側(絵を申し込まれた人)の内面と外側の天候とが繋がっていることを現しているのかもしれません。
古代中国から伝わったといわれている「もの凄くよく当たる占い」(詳細は森田健さんのHPをご覧ください)によると、これらのことは「外応」という現象でもあり、また(前回のブログにも書きましたが)宇宙の「相似象」=フラクタルによっても説明出来るかもしれません。

「晴れ女」とか「雨男」というようなジンクス?もあるようですが、テレパスアートでは大体画面右方を過去、左方を未来というふうに描き分けられていることが多く、過去の方角では雨が降っていても、未来の方角には太陽が照っているというふうに、一枚の画紙の上に過去、現在、未来が同時に存在していたり、正反対の天候が一つの場面の中に描き込まれていたりすることも多いです。
(画面の上下の関係や斜めその他についてはまた別の機会に詳述します)

そして例えば「傘」でも、いまどき珍しい和傘が出てきたり、楊貴妃の使っていたような傘だったり、あるいは天候とは関係の無い二人の「相合い傘」の場合もあって、途中でどんなふうに変化するかわからないので、描いていて最後まで興味が尽きません。

昨年の東日本大震災の前の絵はどうだったのか?そしてその後一年経ってみて最近の絵はどうなのか?
そのあたりのことはまだ十分に分析検証出来ていません。
こういう絵が研究材料としていつか何かのお役に立ったりすることもあるのでしょうか?(もしそうであれば大変光栄です)

描き終えた絵はお客様にお送りしてしまうと、(手元にはコピーなどは保存していませんので)「まとめてこれまでの絵を全部を観る」という機会も無いため、(個人的に印象に残る絵はたくさんあっても)全体として見た時にそれがどういう意味を持つのか?ということまで俯瞰するのは少々難しいのです。

ただ、これまで15年こういう絵を描き続けてきて思うことは、(天候の話題とは少しずれますが)人は誰もこの世に一人だけぽつんと存在するのでは無く、「みんな繋がって関連している」ということです。
それも生まれる前からまるで約束していたかのように、グル-プソウルやツインソウルと共に(「集団意識」として?)生きているという気がします。また人類だけでは無く、身近なペットや植物たちなどとも結ばれていると感じます。
(例えば絵に具体的にそういうことが出てくる例や不思議な「エピソード」などについてもまたいつかご紹介したいと思います)

私の感じるのは、一つの身体に一つの魂が宿っているというよりも、全体として大きなお餅のような魂(集団意識?)の一部分が自分であり、しかもそれは「固体」というよりもむしろ透明な「分御霊」?が幾つも重なっているというようなイメージです。

ですから誰も自分は「一個人」(一固体)と思っているかもしれないけれど、ほんとうはもっとたくさんの人が重なっていて、その中の例えば色の濃いい部分とか、突出した部分が自分だと感じているに過ぎないのでは?というような感覚を私は持っています。

例えば掌を眺めると分かれたところがあり、それが指となっていて、その「指先」が自分!?と思っているかもしれないけれど、ほんとうの自分とは実は掌全体というよりも、からだ全体さらにはそれよりももっと大きい(からだの外に広がっている)無限の空間(宇宙)とも連なって「分ち難く存在している」ものなのかもしれません。

科学的知識に弱く言葉ではうまく説明出来ませんが、大概の人がかなり自分を「過少評価」しがちであり、それはたぶん自分というものの「認識範囲が狭い」せいで、そのために孤独を感じたり、「孤立感」を抱きがちなのではないでしょうか。

けれども人は決して永遠に切り離された(分けられた)別個の存在では無く、いろんなもの全てと分ち難く結びついて存在しているとしたら、別れも(分かれも)一時的なもの(そう見えるだけ)なのかもしれません。

私の好きな川柳にこういう句があります。
(『 徳永政二フォト句集 1 カーブ 』より引用 )

悲しみはつながっているカーブする     徳永 政二


前回の「フィードバック」の一文を通して私がお伝えしたかったこともそういうことです。

ところで、ある方がさっそくにメールで近況を知らせてくださいました。
ありがとうございます!!
(とてもいいご報告でしたので、またいつか機会があればブログでもぜひご紹介させていただきたいと思っています)


下記はアズミックアートの宇宙画『メディテーション』です。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テレパスアート物語(2)<フィードバック>

2012-06-25 | シリーズ「テレパスアート物語」
あっと言う間にまた日が経ってしまって、久しぶりの更新です。
元気ではあったのですが、実は「風疹」?にかかってしまって、今ようやく治りかけです。
絵のお客様からのおたよりに「ご体調が良く無いそうですが、、大丈夫ですか? どうぞお身体ご自愛ください」などと書いてあって、どうやら「うわさ」が一人歩きして?皆様にご心配をおかけしているようですので、この場を借りてご報告致します。
風疹の間にも普段通りにちゃんとお仕事はしていましたので、どうぞご安心下さい。
お見舞いに心から感謝です。



と、いうわけで、今回は「フィードバック」に関して書きます。
(風疹とは何の関係も無い話ですが、、)

以前(「ヒーリングアート」という名称で描いていた初期の頃)は、絵の説明を電話でしていました。
なので、そういう時にはすぐその場でフィードバックしていただけるので、大変助かりました。

例えば「この絵に出て来ている男性は、、」と私が話し始めると、「夫にそっくり!で笑ってしまいました」とか、「思い当たる人がいなくて困っています」とか(後でそれは「弟」のことだとわかったと連絡いただく場合もありますが)、お客様の方では絵をパッと見るとそれが誰か大体わかってくださるので、とても説明し易かったのですが、現在はワープロ文で説明を書いてそれを絵に同封して郵送していますので、私がその絵の「結果について知る機会はあまり無い」のです。

それでも例えば十年ぐらいしてから、ふとお電話いただいて、「あの時の絵のことで、、」と話して下さる人がいたり、また、「赤ちゃんが生まれてすぐに描いてもらったのですが、今ちょうどその絵と同じ年頃になり、ほんとにそっくりになりました(笑)」などと、喜んでいただいたり、またメールで近況をお知らせしてくださったりして、それがとても私には参考になってありがたいです。

それは前回にも書きましたが、絵が当たっていた、当たっていなかった、ということのためのフィードバックではなく、その絵を通して「どういう気付きがあったか」、そして「その絵が果たしてほんとうにその人のお役に立ったのかどうか」ということを知りたいからです。それがまた私にとっての描き続ける動機ともなり、励みともなるからです。

そうでなければ、絵や説明が単なる私の妄想であったり、勝手な「共同幻想」?であったり、気づかないうちにそれが例えばオリジナル絵本や紙芝居のような?「創作」になってしまっていたりして?(それはそれとして「物語」としては面白いとしても)あまりにも現実とかけ離れた「非科学的なもの」になってしまって、まるでどこかの「開運商法」と同じことになってしまう懸念があるからです。

かつて私自身のために描いた絵でも、未だに実現していないものや、また意味不明で謎のままの絵もあります。
「いつかこの意味がわかるといいな~」と楽しみにしているのですが、その逆にすぐに不要になり処分してしまった絵もあります。

よく「この絵は飾っておく方がいいのですか?」という質問を受けますが、いつも「それは全く自由です♪」とお伝えしています。
決して「宗教」ではありませんので、破棄したりしたからといって、罰が当たる!?などということは全くありません(爆笑)。

もう用が済んだと思われたり、あまりにも暗い絵で(そういう場合でもどこかに「希望」は必ずあるのですが)見るのがつらい時などはどんどん処分してもらっても(それが時には「浄化」にもなることもあるかもしれませんし?)全くオッケーです。

もちろん、これまでの絵をすべて保存してくださって本当に大事にしてくださっている方もおられ、それは私にとっても貴重な資料でもあり、本当に嬉しくありがたく感謝でいっぱいです。

どこかに書いてあった話ですが、「記憶の保存方法」にもいわゆるパソコンファイルのように「上書き保存」もあれば、「別ファイルで永久保存」というのもあって、済んだものや終わったもの(過去)の保存方法もそれぞれ好きなやり方で大丈夫なのです。

ところで、「フィードバック」に関して印象に残っていることとして、ある海外在住の有名アーティスト(音楽関係)の絵があります。
それはそのファンの女性の方が彼のお誕生日にプレゼントとしたいということで依頼があったのですが、実際にそのご本人にまでその絵が届き、彼がそれを手に取って見られたかどうか?ということはわかりません。

その絵ではその人がまもなく婚約しそうな感じでしたが、(描いた絵の雰囲気では)「もし結婚すれば彼にとってはその後の人生がかなり窮屈なことになるかも?」という印象だったのですが、その後マスコミの発表でやはり一度婚約したものの、結婚までには至らなかったようで、それを知ってほっとしたのを覚えています。

この場合は直接本人や絵を依頼された女性からのフィードバックは一切何も無かったのですが、マスコミを通して絵と照らし合わせての「その後のこと」を知ることが出来た、これは非常に珍しい例です。

そういうわけで、いつも必ずフィードバックして下さる方☆には本当に心から感謝しています。
そういう方々が居てくださるおかげさまでこれまで何とか続けて来られたのです。
本当にありがとうございます!
私がこのようなブログを書くことも、ある意味で私なりのお客様への「フィードバック」と言えるかもしれません。
どうか、これからも宜しくお願いいたします。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

テレパスアート物語(1)<とっかかりは?>

2012-06-14 | シリーズ「テレパスアート物語」
お待たせ致しました。
更新がかなり間が空いたにも関わらず、たくさんの方が閲覧、ご訪問して下さっていて、びっくりしつつご愛読に心から感謝です。

さて、今日はテレパスアートに関し、これまでに寄せられた質問の一つについて書いてみます。

みなさんが一番疑問に思われるというか、知りたがられることは、「手がかりは何?」ということのようです。
初めてその種の質問を受けた時は、私は意味がわからず、「ハッ?それは一体どういうこと?」と思わずこちらの方が質問してしまいました。

要するに、何も手がかりが無いのに、どうやってその絵に(その人に)アプローチ出来るのか?
その「とっかかり」はどうやって生まれるのか?というのが、普通の人は気になるらしいのです。

「普通の人」と言いましたが、実は私ももちろん全く普通の人で(笑)、初めて出会った大概の人が『あらっ、普通の人なんですね!』とびっくりされます。
そうです、がっかりさせて申し訳ないですが、ほんとに私はごく普通のおばさん♡なんです。

もとい、話が横道にそれましたが、かくいう私も、長年プロの占い師(四柱推命、タロット、サイコロ、算命学?数秘術?姓名判断その他いろいろ勉強)をしている知人に会った時に、最初に質問したのがそれでした。

『占いがなぜ当たるの?その根拠は?』といきなり突っ込んでしまったのですが、『それは宇宙が相似形だから。みんなつながっているから』とさらっと見事にかわされてしまいました。
でもほんとにそれ以外に言い様が無いので、今でもこれはとてもシンプルかつ深い「名回答」と思っています。

彼女は宇宙の「相似象」(フラクタル)に興味を惹かれて、そこから占いの世界に入り、今も学び続けているようです。
さらに詳しく知りたい方は『宇宙のゆらぎ・人生のフラクタルー宇宙の星と人の体に共通する不思議な法則ー』
(天外伺朗・佐治晴夫/PHPビジネスライブラリー)をご参照ください。
ついでながら『宇宙はささやく』という本(佐治晴夫著/PHP研究所)もとても素晴らしい内容ですので、ぜひお薦め致します。

ところで、話を元に戻しますと、私は描く時に、ご本人の氏名や連絡先住所などを伺いますが、上記のような質問をされた方は、例えばそういう名前や住所などを「拠り所にしている」(それを手がかりにして描く)というふうに想像しておられたようで、そういう名前や住所も「全く無関係ということは無い」という私の答えを聞くと、なぜかほっと安心されたようで?「あぁ、やっぱりね!」と、急ににっこりされたのです。

そういうものが全く無いのに描けるというと、何となく不気味!?というか、人は畏れを抱いてしまうのでしょうか?
その人を他と区別して(番号でも何でも)「特定する」ことさえ出来れば、もしかしたら名前も住所も不要なのかも?しれません。
それでも、何か「その人はその人」であり、他の人とは違うもの(エネルギー)を発信していると私は思います。

これまで、名前も聞かず、住所も聞かず、例えばただ誰それさんの友だちとか、ある人の経営しているお店の従業員とか、会社の同僚など、、ということで、それ以外の何も伺わないで描いたこともあります。
(それはもうずっと前の「ヒーリングアート」の初期の頃ですが、、)

最近になって、その人の名前や住んでいるところや、会社や、「その人に関わりのある全てがその人と関連」していて、お互いに「影響を与え合っている」ということがよりはっきりわかってきたので、近頃は詳しい状況や情報を得てから、その人の知りたいことに焦点を当てて描くこともありますが、事前に何かを知っていても知らなくても、やはり「その人がその人である」ことには変わりは無いので、結局はそのメッセージの内容がそれによって変化するということはあまり関係が無い気がします。

ただ、具体的に画面に出て来た人が、例えば恋人なのか、夫なのか、弟なのか、父親なのか?(ほとんどが重なっていますが)分別しにくいために、説明の折にいちいち、その区別を付けて書くということは大変なので、出来れば既婚者とか、あるいは家族構成などを前もって伺っていると、大変「説明しやすい」ということはあります。
(その両者の関係性自体は、そのお相手が誰であろうと、あまり変わらないようなのですが、、)

ですから、今でもご氏名とご連絡先以外に何も伺わないで描くことがほとんどですが、時にはいろいろご相談を受けてから描く場合もあり、そんな時は少し肩の荷が降りる気がします。
絵自体はあまり変わらなくても「説明がスムーズに出来る」からです。
それに「その人の知りたいことだけに応える」方が何となく責任が軽い?ように思えて、私は気持ちが楽です。

ちなみに、その知人の占い師はさすがに何十年もプロとしてやっているだけあって、ほんとに明るくサバサバしていて、時には「当たっていなかったよ!」とお客さんに電話で文句を言われることもあるみたいですが、そんな折でも『あら、そぅお!?おかしいなぁ、ま、その時はそういう卦が出てたのよね。よろしく~』というふうに、実にあっけらかんとしています。

私がそれで「平気なの?」(大丈夫なの?)と聞いてみると、『どうして? その人の運命はその人のものよ。平気、平気!』と言うのです。占い師がその人の運勢を変え得るわけでは無いし、それはかえって傲慢な考え方だし、よい卦が出ても悪い卦が出ても、「それはその人の人生だから~」ということなのだそうです。

そういう彼女を見ていると決して冷たいわけでは無く、私以上にお客さんを信頼し、宇宙を信頼しているように思えます。だからこそ人気もあり、お客さんが途絶えることも無いのでしょう、、。

私がこういうことを仕事にして絵を描き出して以来、学んだことはたくさんありますが、その最初の驚きがそのような「つながり」を知ったことでした。

だから実際のところ、最初の「手がかり」や「とっかかり」が何であれ、この宇宙は全てがフラクタル(相似象)になっていて、何をどう描こうともそれが宇宙の一部であることに間違いは無く、人もまたそのような無限の宇宙のかけらの一つとして「全てが繋がっている」からこそ、私のような者にでも描けるということかもしれません。

それと同時に私に描けることやわかることは、その人のごくごく一部分でしかなく、広大無辺な宇宙にはどれだけの凄い情報が溢れているかと思うと、ほんとにもっともっと謙虚な気持ちにならなければ☆と思います。

それでは、次回をお楽しみに♪



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする