覚醒映画『くう』を観たからなのか、その夜不思議な夢を見ました。
亡くなった娘と一緒に娘の親友のところへ行ったら、その友だちはお風呂に入っていました。
私は実際にはその家に一度も行ったことが無いにも関わらず、夢の中ではなぜか私が娘を案内してそこに連れて行っているようでした。
そしてお風呂の洗い場に娘を服のまま押し入れて扉を閉めました。
(娘の友だちは浴槽に浸かっていましたが、はたして二人はどんな会話を交わしたのでしょうか?)
浴室の扉を閉める時、娘の上衣の両ポケットにそれぞれ鍵束が入っているのがちらっと見えました。
その鍵束の一つは娘の友だちに、そしてもう一つは娘が私にくれるために持っている氣がしました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そんな夢を見て目が覚めた朝、服を着替えようとすると、小指の爪よりも小さな真っ白い羽根がセーターにくっついているのを見つけました。
なぜかこれまでも亡娘はそんなふうにして度々羽根を送ってくれるので、もしかしてこの夢も「娘からのメッセージ」かもしれないと感じて、掌の中のちっちゃな天使の羽根を見つめながら少し涙ぐんでしまいました。
私は羽毛ふとんに寝ていたり、ダウンジャケットを着たりすることもあるので、その羽根もそういうものから付着した可能性ももちろんありますが、そのセーターは薄手のウール百%のものなので、先日自宅で洗って干して箪笥の引き出しの中に仕舞っていたもので、その日の朝、着ようと初めて出したものだったのです。
ですからそんな羽根がくっつくなんてちょっとあり得ないのです。
しかも私は重ね着する場合、綿シャツの上にそのセーターを着て、その上からまた綿のTシャツを着るので、そのセーターに羽根がくっつく機会はシャットアウトされて、頻度はかなり少ない筈なのです。
(それに箪笥の引き出しの中はほとんどが綿の衣類ばかりで、くつしたも含めて、羽毛類などは一切入っていませんし、ベランダに干した洗濯ものに鳩や小鳥の羽根がくっついていたこともこれまで一度もありません)
そんなことがあったので、起床後しばらくして娘の友だちにこの夢の話をしたくてメールしました。
そしたら、翌日返信が来て、私がメールした日は、なんと彼女の誕生日だったことがわかりました!!!
しかも娘の友だちもやっぱり私と同じようにその少し前に羽根を見つけたそうなのです。
元々、その「羽根の話」はその親友が言い出したことで、ふと氣づくと目の前に羽根が落ちていたり、空から舞って落ちて来たり〜と、いろいろな場面で遭遇し、それは「娘からのメッセージ」では無いかと彼女が教えてくれて、そう言えば、、、と、私にも思い当たる同じような現象が度々あることに思い至ったのです。
それ以来、二人の間では何かあるとまるで合い言葉のように「羽根」の話をお互いにするようになったのです♪
しかも今回さらに興味深かったのは、彼女の誕生日は16日で、私が夢を見たのは15日の夜でしたが、彼女が言うには、生前、娘は彼女の誕生日を「阪神淡路大震災」の翌日(18日)と勘違いしてお祝いメールをくれることがよくあったそうなのです。
今日は「阪神淡路大震災」から22年目の1月17日です。
娘が亡くなったのは2014年の秋ですが、娘は亡くなってから初めて友だちの誕生日を正確に思い出して!?
「ちゃんと覚えてるよ〜♡」(忘れてないよ)ということを、親友に伝えたかったのかもしれません。
ちなみに私の誕生日は18日で(1月ではありませんが)、娘は私にも同じことを言いたかったのかも・・・。
夢の中で娘の両ポケットに入っていた二つの鍵は、もしかしたらこの謎を解く鍵だったのかもしれません。
もしも私たちが「阪神淡路大震災」のことをたとえ忘れていたとしても、亡くなった人たちはいつまでも私たちのことを覚えてくれていて、今もなお応援してくれているのではないでしょうか。
そしてもちろんこれから先も『ずっと共に生きていくよ』と!!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
奈良で上映された覚醒映画『くう』の感想はまた後日ご紹介いたしますね♪
本日もブログ『光のチャレンジ』に遊びに来ていただきありがとうございました♡
(今回の記事より、ジャンルを「ウェブ ブログ」から「スピリチュアル」☆ に変えました)
亡くなった娘と一緒に娘の親友のところへ行ったら、その友だちはお風呂に入っていました。
私は実際にはその家に一度も行ったことが無いにも関わらず、夢の中ではなぜか私が娘を案内してそこに連れて行っているようでした。
そしてお風呂の洗い場に娘を服のまま押し入れて扉を閉めました。
(娘の友だちは浴槽に浸かっていましたが、はたして二人はどんな会話を交わしたのでしょうか?)
浴室の扉を閉める時、娘の上衣の両ポケットにそれぞれ鍵束が入っているのがちらっと見えました。
その鍵束の一つは娘の友だちに、そしてもう一つは娘が私にくれるために持っている氣がしました。
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そんな夢を見て目が覚めた朝、服を着替えようとすると、小指の爪よりも小さな真っ白い羽根がセーターにくっついているのを見つけました。
なぜかこれまでも亡娘はそんなふうにして度々羽根を送ってくれるので、もしかしてこの夢も「娘からのメッセージ」かもしれないと感じて、掌の中のちっちゃな天使の羽根を見つめながら少し涙ぐんでしまいました。
私は羽毛ふとんに寝ていたり、ダウンジャケットを着たりすることもあるので、その羽根もそういうものから付着した可能性ももちろんありますが、そのセーターは薄手のウール百%のものなので、先日自宅で洗って干して箪笥の引き出しの中に仕舞っていたもので、その日の朝、着ようと初めて出したものだったのです。
ですからそんな羽根がくっつくなんてちょっとあり得ないのです。
しかも私は重ね着する場合、綿シャツの上にそのセーターを着て、その上からまた綿のTシャツを着るので、そのセーターに羽根がくっつく機会はシャットアウトされて、頻度はかなり少ない筈なのです。
(それに箪笥の引き出しの中はほとんどが綿の衣類ばかりで、くつしたも含めて、羽毛類などは一切入っていませんし、ベランダに干した洗濯ものに鳩や小鳥の羽根がくっついていたこともこれまで一度もありません)
そんなことがあったので、起床後しばらくして娘の友だちにこの夢の話をしたくてメールしました。
そしたら、翌日返信が来て、私がメールした日は、なんと彼女の誕生日だったことがわかりました!!!
しかも娘の友だちもやっぱり私と同じようにその少し前に羽根を見つけたそうなのです。
元々、その「羽根の話」はその親友が言い出したことで、ふと氣づくと目の前に羽根が落ちていたり、空から舞って落ちて来たり〜と、いろいろな場面で遭遇し、それは「娘からのメッセージ」では無いかと彼女が教えてくれて、そう言えば、、、と、私にも思い当たる同じような現象が度々あることに思い至ったのです。
それ以来、二人の間では何かあるとまるで合い言葉のように「羽根」の話をお互いにするようになったのです♪
しかも今回さらに興味深かったのは、彼女の誕生日は16日で、私が夢を見たのは15日の夜でしたが、彼女が言うには、生前、娘は彼女の誕生日を「阪神淡路大震災」の翌日(18日)と勘違いしてお祝いメールをくれることがよくあったそうなのです。
今日は「阪神淡路大震災」から22年目の1月17日です。
娘が亡くなったのは2014年の秋ですが、娘は亡くなってから初めて友だちの誕生日を正確に思い出して!?
「ちゃんと覚えてるよ〜♡」(忘れてないよ)ということを、親友に伝えたかったのかもしれません。
ちなみに私の誕生日は18日で(1月ではありませんが)、娘は私にも同じことを言いたかったのかも・・・。
夢の中で娘の両ポケットに入っていた二つの鍵は、もしかしたらこの謎を解く鍵だったのかもしれません。
もしも私たちが「阪神淡路大震災」のことをたとえ忘れていたとしても、亡くなった人たちはいつまでも私たちのことを覚えてくれていて、今もなお応援してくれているのではないでしょうか。
そしてもちろんこれから先も『ずっと共に生きていくよ』と!!!
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奈良で上映された覚醒映画『くう』の感想はまた後日ご紹介いたしますね♪
本日もブログ『光のチャレンジ』に遊びに来ていただきありがとうございました♡
(今回の記事より、ジャンルを「ウェブ ブログ」から「スピリチュアル」☆ に変えました)