「山崎亮さんの講演会」(10月5日に高の原にて)の感想の続きです。
「3回に分けて」云々と前回のブログ(3人寄れば。。)に書きましたが、今回(計2回)でこの話は終わります。
山崎亮さんの話は私にはとても面白かったのですが、このブログを読んでくれている方々にとってはあまり興味の無い話題かもしれません。
おつきあいいただきありがとうございます♪
さて、「魅力とやる気ならどちらが先か。。」ということでお話された時、山崎さんは言下に「それは『やる気』が先!」と即、答えられました。
例えば高の原は木津川市にありますが、そもそも「木津川市がどこにあるのか?」知らない人も多いことでしょう。(答*京都府です!)
そしてまた木津川市の「名産品」が何なのか?どういう観光地があるのか?その「魅力」を見つけ出して町を活性化するよりも前に、(前回このブログに書いたように)まず「本気で町を変えたい」と思っている「志士」(やる気のある人)を探し出して、「仲間作りからスタートする」ということです。
(木津川市の人口が約7万2千人だとすると、たった7人の「志士」がいれば始められるそうです!)
実はこの講演会には(お忍びで?)市長も来られていましたが、木津川市の市長は女性なんです。
それで例えば市長である彼女が、誰よりも熱い情熱を持って生涯をかけて!本気でやる気に燃えているとするなら、彼女のフォロワーが6人いれば、この町や市も変えられるということなのです。
けれども私はこの講演会に行った時に、「それはどうも無理では無いか、これではこれからもあまり変わらないのでは、、」と、すぐに感じてしまいました。
会場で講演会の前に司会者から「山崎さんを歓迎する意味で、お面(山崎さんの顔写真を拡大したもの)をみんなでかぶってびっくりさせて笑ってもらおう~」という提案があり、すでにお面(紙製の手作り)は用意してあって参加者全員(約百名ぐらい?)に配られたのですが、その時点で私はもうこれは「あかん!」(何考えとるんやろ!?)と、その感性にアウト!!!でした。
「まさか幼稚園の園児では無いのだから!」(苦笑)そんなことで「山崎さんが喜ぶだろう」という発想がそもそも考えられないし、第一そんなお面を作るひまがあるなら、もっと有意義な時間の使い方があるし、この日の主役は山崎さんでは無く、むしろ自分たち(市民)なんだから、、彼を持ち上げてどうするつもり!?と唖然としたのです。
彼を呼んだのは何のためなのか? その「目的」を忘れていると感じました。
(彼にゴマスリして一体どうする気なのだ!!!)
この感覚のずれ~~~、これこそがこの町が、市が「遅れている」理由そのものだということに、なぜ気付かないの!?と、思わず叫びそうになりました。
そしたらやっぱり会場に入って来た山崎さんは一瞬たじろいで?「気持ちワル~~」と言いながら、少々顔をひきつらせて失笑。
それでもみんなの前では「いやぁ~びっくりしました。嬉しいです」と、明るく笑ってフォローされていましたが、内心ほんとにギョギョ!(じぇじぇじぇ)だったと思います。
そしてこういう時にすぐに「苦言」を呈しないところが、さすがに大人だなぁ~(プロ!だなぁ)と感じました。
お面を作ってまで歓迎してくれたその「気持ち」に対して彼は「感謝」♪されたのです。
私は何でもすぐに感じたままを言葉にして批評、批判してしまいがちですが、「コミュニティづくり」(仲間づくり)の基本は、「決して相手を否定しない」ことで、「最初の段階ではどんなアイデアもどんどん出し合う」のです。
その時にすぐに批判、批評したり、責任を問うたりすると、みんな「萎縮」してしまって次の段階に進めません。例えば日本のマスコミなどはこの典型かもしれません。
「叩いてばかりいるとよい芽もつぶしてしまう」ことがけっこう多いのではないでしょうか。
もっとよいところを取り上げてほめることをすれば、さらに伸びていけるのに、、と思うことも多いですが、今回の件では「そう言う自分自身もまさにそうだなぁ~」と、山崎亮さんに教えられた気がしました(大汗)。
前回のブログで書きましたが、山崎さんはスタッフには(プロとして鍛えるために)かなり厳しいそうですが、コミュニティづくりで関わる地元の人たちに対してはとても優しく、どんな意見も褒めて、そして「さらによくするためにはどうしたらいいか」を常に考えて、その先へ、次の段階へと人々が進めるように、「どんなアイデアも決して否定はしない」そうです。
最初に否定されると、そこで人はストップしてしまうのですね!
な~るほど~そうなんですね。「子育て」「夫育て」も全くそうかもしれませんね。
それが山崎亮さんがあちこちから引っ張りだこで、今や時代の寵児となっている理由なのかもしれません。
その「コツ」を私ももっと会得しなければと感じました。
余談ですが、帰り道に若いアーティストの女性に話しかけられた時、この「お面」の感想を話したら彼女も『(あれは)不気味でしたね!』と同感してくれたので、やっぱりナと思ったのですが、自分自身の感じたこと、「自分の感性」もまた「否定する必要は無い」のだな~と気付きました。
ただ、「これだけが正しい」とか、「自分の感性だけが優れていてる」というふうに、片寄って思い込んでしまうことなく、相手も尊重し、お互いにどんどん意見を出し合って、「さらによいものを創りあげていく」ことこそが大切なのだということを、(実に当たり前のことではありますが)再認識させられました。
ところで、話がさらに飛びますが、山崎さんは「コミュニティデザイン」という仕事の中で、「スタジオL 」としてやる「コミュニティづくり」と、いわゆる行政などが従来やっているような「まちづくり」とはどう違うかということも話され、その話も私にとってとても興味深かったです。
また話が横道に逸れますが、例えばそれは「園芸」と「ガーデニング」の違いのようなものかもしれません。
ある時、ある音楽を教えている先生が、私たちの世代のような4分の4拍子が体に染み付いている唱歌&フォーク調タイプ?の(リズム感がちょっと違う)人たちことを、「園芸派」と言い、ビートルズ以降の?もっとリズム感があってノリのいい、ロックやジャズ、ポップなどの洋楽派?のことを、「ガーデニング派」というふうに分けて、その違いをわかりやすく説明してくれました。
その「たとえ話」で言うなら、ふつうの「まちづくり」というのはそういう従来の園芸調!であり、新しい「コミュニティづくり」というのは、ガーデニングに似ている?ということかもしれません。
どっちも大した違いで無いと思われるかもしれませんが、この違いこそ「大きな違い」
なのです。
ここのところがわからないと、結局前とあまり大差の無い結果に終わってしまうことになるからです。
もうみんなうんざりしていて、「世の中が早く変わって欲しい」とか、「何とかもう少し住み易い、気持ちの好い世の中にしたい」などと願っているにも関わらず、そのヴィジョンがなかなか見えてこないで困っているからこそ、「新しいアイデア」と「新鮮な働き方」で動いている山崎亮さんたちに魅了されるのかもしれません。
彼は仕事を2つに分けて考え、プロとしての「営利業務」においてはこれまで一度も失敗したことは無いそうです。
そしてもう片方の「非営利事業」は全体の1%に留め、その中では「失敗してもいいような進め方」をするそうです。
そのような「頼まれてもいないのに」自分たちがやりたいからやる非営利事業をなぜ今もやり続けているかと言えば、それはそのような仕事を通して鍛えられるからだそうです。
例えば最初に取り組んだ「家島」においては、7年間、地元の人たちから叱られ放しだったそうです。
「家島」というのは、私が生まれ育った瀬戸内海沿岸の村からすぐ目の前に見えていた島で、私の子どもの頃はそこまでボートですぐに行けるので夏の浜辺では貸しボートが流行っていました。
山崎さんは「いえしま」と発音されたのでそれが正しいのだと思いますが、私たちの村では「えじま」と呼んでいました。
いずれにしてもその島が過疎になり、山崎さんたちがその活性化に取り組んだというお話を伺って、大変なつかしく嬉しかったです。
ところでそのような優れた(鍛えられた)プロ集団を率いた山崎さんですら、彼らの地元である「芦屋」では、一切何もやっていないそうで、とても意外!でした。
「自分の地元では仕事は引き受けない」(やらない)と決めているのだそうです。
それはなぜかというと、(「ふるさとは遠くにありて想うもの」ではありませんが、また、ふるさとでは石持て追われる石川啄木ではありませんが)はっきり言って「地元ではやりにくい」からだそうです。
ふつうに仕事しても、「えこひいき」したのではないかと思われたり、無い肚を探られたり、いろいろうわさの種になったり、、正統な評価が難しく、仕事がしづらいということのようです。
「そうなのか~」と、これには大変驚きましたが、それと同時に山崎さんぐらいの超プロでもやっぱりそうなのか、、とある面ではほっとしました。
そして、「やりたい人がやれるところからやっていく」というやり方(仕事の進め方)にも大変共感しました。
優先順位として、「うまくいったこと」やその体験、達成感などをまず最初に大事にしているそうです。
だから、例えば発想の仕方として、「地域の活性化」について考えるところから入るのでは無く、それよりも「自分のやりたいことから即やっていく」のです。
「日本でまだ誰もやっていないアイデア」を出し合ったり♪
何が自分にとっての幸せなのか?
遠回りしなくていい、ここでもう今すぐそれをやってしまえばいい!!!
山崎さんはそう言いながら「三年寝た郎」という「昔話」をしてくれました。
あるところに寝てばかりいる若者がいて、村の人が「仕事をしろ」と怒ると、「仕事をしたらどうなるのか?」と彼は聞き、村の人が「お金が儲かる」と答えると、彼はさらに「儲かったらどうなるのか」と聞くのです。
そこで村の人が「のんびり寝て暮らせる」と言うと、彼は「そんなら今寝ればいい」と言って、また寝てしまうという物語です。
山崎さんがこの昔話を通して言いたかったことは、「お金を介してでないと出来ないところは、もうとっくに過ぎている!」ということなのです。
キッパリと「発想法」そのものを変えなければ、「元の木阿弥になってしまう」ということなのです!
「アベノミクス」は、「前のデフレ以来20年かけてやってきたことを、30年元に戻してしまった」と彼は残念そうに語っておられました。
そういう「危機感」や「危機意識」というものが無いからこそ、「お面」を冠るというような、古い単純な「ワンパターンの発想法」
になってしまったのかもしれません。
(「木津川アート」の若者たちの、せっかくのアイデアをけなしてしまってごめんなさい♪)
たくさんの人が集まったこの日の講演会でも、会場に来た人たちが何らの出逢いも無く、新しい出遇いが「その場限り」に終わってしまって(若者は若者同士で固まって内輪の会話で盛り上がっても)、長年地元で暮らしているような年老いた人たちの知恵が活かされるわけでも無く、また連絡網一つ出来上がることも無く、この催し以降も「それが何の動きにも繋がっていっていない」ようです。
こんな好い機会を「活かし切れていない」のは、ほんとうにもったいないなぁ~と感じます。
「木津川アート」そのものはマスコミでも近年大きく取り上げられているので、表面的にはだんだん広がり評判になるかもしれませんが、実際のところ町が変わるとか、市が変わるとか、ということは(現状を見る限り)あまり無さそうに思えます。
付け焼き刃の「観光振興」では、長い目で見て「魅力」も続いていかないことでしょう、、。
今回のことから、何ごともまず「意識」が変わらなければ、、と、私はつくづく感じました。
若い人だからと言って発想も若い!?ということも無いし、また逆に年寄りだからといって必ずしも深い好い知恵があるとも限りません。
もっともっとお互いに話し合って顔見知りになり、コミュニケーションしていく必要があると思いました。
(あっ!な~んちゃって、またまた批判的コメントになってしまいました。スミマセン!)
ともかくそう思って、くだんの若い女性アーティストとも今後メール交換しようと約束したのですが、こちらの送ったメールに一切返信は無く、すっかり無視されてしまってとっても残念!でした。
メールアドレスを交換した折りに「個人情報ですから、、」とためらいながら彼女が言った時に、「この人、本気じゃ無いかも」(断りにくくてしぶしぶ、、?)とふと感じたのですが、やっぱりその通りでした。
たぶん彼女からすれば、「強引なおばはん!に負けて、無理矢理メールアドレスを書かされてしまった!!」
うんざり~~~と感じたかも!?
(「自分の感受性ぐらい」自分で引き受けろ、バカ者め!という、ある女性詩人の詩をふと思い出しました)
話はどんどん飛躍しますが、本日のニュースにもなっていましたが、日本の女性の地位(男女平等)が世界各国の中でも「一番下から数えて何番目という方が早い」ぐらいに、以前よりもさらに低下!していて、先進国とはとても言えないどころか、発展途上国よりも日本はもっともっと後進国になっていっているのです!!!
以前から日本がよくならないのは、女性があまりにもひどい状態におかれているからだと感じていましたが、まさにそれが証明されつつあるようです。
山崎亮さんが女性に対してどのような感覚を持っておられる方なのかは知らないのですが、ぜひそういうことにおいても、これまでに無いような斬新なアイデアと発想法、そしてユニークな行動力で「日本の女性が世界のトップに立ってリーダーシップを発揮出来るように」応援してもらえたらと思います。
「コミュニティづくり」の基本の基本は、まずそういうところからスタート♪
「女性の言葉に真剣に耳を傾ける」ところからではないかと思うのですが、どうでしょうか。
女性が幸せであってこそ、男性もそして子どもも幸せだと思うからです。
話があちこち飛んで文章が長くなり、少々解りにくかったかもしれませんが、最後まで読んでいただきありがとうございます。