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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

ネット断捨離!

2013-08-26 | お知らせ&催しのご紹介
急にふと思い付いて、今日から月末までの6日間、「ネット断捨離」します。

いつのまにか知らないうちに私も「ネット依存症」!?になっていた気がするからです。
なので、仕事上必要なメールの返信をする以外は、「ニュースも何も一切見ない期間」を設けます。


そういうわけで、本日より来月までこのブログの更新も休みます。


妹尾河童さんの奈良での講演会「『少年H』で伝えたかったこと」はとても素晴らしかったので、ぜひまた日を改めてご報告したいと思います。
お楽しみに♪


いつもご愛読ありがとうございます。

ではまた来月。
宜しくお願い致します。

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自分が自分に追い付く♪

2013-08-24 | 日記
最近私の感じている、自分の周囲で起きていることや、次々に起きてくる現象について、どう説明したらいいのかわからないぐらい「異和感」(違和感)を感じていたのだが、昨夜やっと納得のいく答を見つけた。


その現象というのは、一方で何でもスイスイと、まるで空を飛ぶようにあっという間に全てがうまく「シンクロ」して進んでいく種類の人たちと、逆に、何かどこかぎくしゃくして、病気や事故やさまざまな不調やら、仕事面での減退やら、、といった「ネガティブ」に捉えられてしまっている種類の人たち、、になぜか「二極化」していっていて、しかもそれがもの凄いスピードで「加速」されていっているというような、不思議な感じ。

これは一体何だろう!?と思っていたのだが、驚いたことに、そんなふうに観察している私自身の姿が、たまさんの「ソウルアート」!にすでに描かれていたとは!!!
ほんとに驚きだった。


そしてこの現象を名付けるとすれば、一言で言うならどういう感じなのか?
なかなかぴったりの言葉が見つからなかったのだが、昨夜あるところから入って行って、「スピリチュアルテレビ」というものがあることを知り、それをユーチューブで見て、ようやく「これだ!」と思う答に辿り着いたのだ。


その一つは、ある若い女性が自分自身の「五次元体験」を図形を使って説明していて、それがとても解り易かったこと。
これまでの私の狭い見聞の中では、ここまでスッキリとした、シンプルでありながらもこれ以上無いような素晴らしい解説には巡り会っていなかったので、ほんとうに助かった。

しかもこの中に最初に出て来る図形というのは、どらえもんの竹コプターのような、「無限マーク」で、その意味が彼女の説明でようやくはっきりと解り、腑に落ちたのだ。
(この模様=シンボル は、宇宙画の線描画の中にもたくさん描かれている!)
そしてそれは、先日徳島で出逢った若い能力者のTさんの言っていたこととも合致していた。

言葉ではなかなか解りにくいところも、「図形」で説明されるとほんとうによく解る。
余談だが、ある意味で「テレパスアート」の使命もこういうところにあるのかも?と再認識した次第。

そういうわけで、それがこれからの私たちの向かう世界なのか!(すでにその世界に居るのだが)と、目からウロコの連続だった。


さらに、それと全く同じことを、別のところで「言葉」で「バシャール」が言ってくれていて、それは何とズバリ!これからの私たちの「2010-2015年の間の生き方」についての示唆を、非常に具体的に、的確に伝えてくれているのだ。


これまで私はあまりバシャールのそのエネルギーが強過ぎて少々反発(抵抗)してしまう面もあったのだが、この「スピリチュアルテレビ」の(ユーチューブ)画面では、それがちょうどいい感じで、とても聴き易かった。
そしてこれまで以上に深く理解出来たのである。


そのことは、あちこちで同じことが言われていて、自分でも頭ではわかっていたつもりだった!?のだが、真にはわかっていなかったということかもしれない。
なぜなら、もしほんとうにわかっていたなら、「自分が自分に追い付けていない」ような「ずれ」や、「違和感」(異和感)や、今私の感じているような不思議な現象などは起こらず、全てがシンクロして、飛ぶような速さでものごとが成就し、スムーズに実現していく筈だからである。


もう何十年も前?からバシャールは「ワクワクすること」をやるようにと奨めていたが、その意味がようやく「現実」に追い付き、もしもそのように「本音で生きる」ことが出来ていなかったなら、なぜかとてもしんどい、つらい現象の方が逆に起きて来るのだということが、「なるほど~そういうことだったのか!?」と、まるで今初めて耳にしたかのように、新鮮に、そしてまるごとスッと私の深いところに入って来たのだった。

そして何ごとも本音で無いことは、うまくいかないし、また、ぐずぐずしたり、躊躇したり、迷って決断を先延ばししているうちに、状況はあっと言う間に変化していき、そのスピードにあとからではとても追い付けない状況というのは、これからますます加速化されていくだろうというバシャールの予測も、ほんとうにそうかもしれないと感じた。

だから「今でしょ!」という言葉があんなにも流行ったのかも!?(笑)
もうそれさえも今や古びて響く程に!!! 


ところで、『シンクロニシティに導かれて』という本を書かれた人がおられるが、ほんとにその本を出された頃は、まさに「順風満帆」で、素敵なHPも開かれ、飛ぶ鳥を落とす勢い!で、あれよ、あれよと言う間に成功されていかれていたが、果たして今はどうされておられるだろうか?

もしも今は何かどこか違う、、あまり「シンクロ」も起こらない、、という状況で、「何かどこかずれている感じ」で、「何がどうなっているのだろうか?」と疑問に思われたなら、このバシャールの言葉はとても参考になると思うので、余計なお節介かもしれないが、もしよかったらユーチューブの「スピリチュアルテレビ」をご覧になられてはどうだろうか?
(著者が私のブログをご覧になっているわけでは無いので、たぶんここに書いても無意味かもしれないが、ご参考までに念のためご紹介まで)


私の周囲ではやはりそのような「乖離現象」(二極化)が激しくなっていて、「自分が自分に追い付く」(バシャールの言葉)のも、かなり大変な状況と思うが、焦らないで大丈夫!

なぜなら最後はみんなひとつになるというか、元々はひとつ(ワンネス)の世界に私たちは居るからだ。
その深い真理を知って、自分の「本音」を思い出し、ほんとうにやりたいこと、ワクワクすることをやっていくなら、きっと気が付けばその「ずれ」も解消されているのでは?と思う。


私も益々「自分らしく」、「ほんとうに自分のやりたいこととは何なのか」を思い出し、それをさらに追求していきたいと願っている。
それは、「いつかやろう」とかでは無く、気付いたならもう今ここで、「今すぐ」始めよう♪



下記は『チェンジ』です。





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一本の線の中に全てが、、

2013-08-20 | 本の紹介
あまりの暑さに「とても仕事どころでは無い!」なんて暑さのせいにすることなく、しっかり初心に戻って学ぶべく、前から憧れていた「松柏美術館」に出かけました。

この美術館は皆様もすでによくご存知のように、昭和23年(1948年)に画家として女性で初めての文化勲章を受章した上村松園の私設美術館(公益財団法人)で、嬉しいことに我が家からはすぐ近くなのです。
(と、言っても電車、バスを乗り継いで30分弱ほどかかりますが、、)

ここは池の側に建っていて、庭園が広くて松林の美しいことで有名です。
園内に茶室もあるようですが、残念ながらこの日は閉まっていました。


私の行った日はちょうど午後2時から館長の上村淳之(あつし)氏の講演もあり、ラッキーでした。

上村淳之氏は松園の孫にあたり、その父(松園の息子)の上村松こう(こうは竹冠に皇という漢字)氏も文化勲章を受章しており、親子三代にわたる日本画家です。
(正確にはこの美術館には親子三代の絵が展示されています)

松園は京都の生まれだそうですが、晩年は奈良の平城で暮らし、そこが終の住処となったことを知って、何だか嬉しくなりました。
だって、平城と言えばほんとにすぐそこで、こんな近くにそんな素晴らしい画家が住んでいたなんて、想像するだけでもワクワクします。


私の尊敬する女性画家は、他にも例えばジョージア・オキーフ、三岸節子、小倉遊亀、片岡球子、堀文子、等々たくさんいますが、上村松園(敬称略)のことを初めて知ったのは、確か宮尾登美子の新聞連載小説だった『序の舞』からだったかと思います。

宮尾登美子の小説を読んだのもその時が最初で、もちろん上村松園のこともそれまで全く知らなかったのですが、その小説は本当に面白く、二人の女性の名は深く印象に残りました。


その後、松園自身の書いた随筆『青眉抄』を読んだ時には、その文章や文体、言葉の一つひとつが、その頃短詩型文学に親しんでいた私にとってはこの上ないお手本のように思えて、その本の中から特に好きなところや気になるところを、自分のノートに書き写したものでした。
(その頃は彼女の絵のほんものに接する機会も無く、まずその考え方や随想に惹かれていたのです)


さて、話があとさきになりましたが、今回の企画展(8月13日ー10月14日)は「女性たちの物語」ということで、特に興味がありました。
なぜなら、「静御前」「楊貴妃」「草紙洗小町」その他「能」にまつわる女性たち(能面)の絵などが主に展示されていたからです。

そこで実にいろいろな発見!?がありました。
静御前が意外に華奢というか、小柄な感じで、外見はそんなに強そうな感じでは無かった(もちろん芯は強靭と思いますが)こと。

そして楊貴妃の上半身裸(上衣は着ていますが胸はあらわ)の姿をまじまじと観ることが出来たこと。
その胸はきゅっとアップして巨乳なんてことは全く無く、むしろ自然な感じて垂れて?いて、そんなに大きくも無く、お腹もふっくら?というか、決して「風と共に去りぬ」の主人公のようなウエスト53センチ!?みたいなことは無くて、柳腰というイメージでも無かったこと。

すなわち、もの凄く特別というのでは無く、「ごく普通の美女」のような感じに描かれていたのです。
喩えて言えば藤の木古墳の壁画に描かれていた美人画にも似ているような、、。

ほんとにこれならたまわーるどのたまさんだって決して負けないわ!という感じで、私の目から見ると、どうしてこの女性(楊貴妃)が国を傾けるぐらい?男性を迷わせる程の魅力があるのか!?と、思わず絵を凝視してしまいました。
(これならもしかしたらあのクレオパトラの方がさらに上だったかも、、などと内心思いながら)


もちろん松園で無ければ決して描けないぐらい優美で気品があり、非の打ちどころの無い超美人ではあるのでしょうが、私の想像では、もっともっと「妖艶」な筈と、なぜか勝手に思い込んでいたのです。
観るだけで男性なら思わずくらくら~っとなるような!?(まさか)


けれどもよくよく考えてみれば、まあ、自分の歳も関係あるのかもしれませんね。
きっと20代の頃にこの絵を観ればまた違った感想を抱くことと思いますが、今の私にとっては色気とか、女性の美というのは、宇宙よりもはるかに遠い話?なので、私の観る目も感性も曇って来ているのかもしれません。

それでもまじかに観た「楊貴妃」は、「女」というよりも、「小娘」というか、まるで少女のような清らかな雰囲気に思えたのでした。
もしかしたら彼女を溺愛した王も、その無垢さや純粋さにこそ惹かれたのかも?しれません。
おじいちゃんが幼い孫娘にメロメロになるようなそんな感じなのかもしれません。


いずれにしても上村松園の目からは「楊貴妃はこのように見えた」のだとしたら、その目はさすがだな~と脱帽しました。
そして彼女の描いた絵から、楊貴妃がそんな女性だったとわかって何だかほっとしたのです。
(まさかそれまで同じ女性として「競争心や嫉妬心を抱いていた」なんてことは、こと、私に限っては全くあり得ない話ですが、、爆笑)


さて、いつものごとく、話は長くなりますが、ここからが本日の本題です。

先述したようにこの日、上村淳之氏の講演があったのですが、時間は短いながらもほんとうに深い話が聴けました。

中でも私が感動したのは、日本画の神髄というものは、(日本画で無くても西洋画もそうかもしれませんが)一本の線にあり、しかもそれは
墨で描くので、油絵のように後で塗り重ねたり、鉛筆や木炭のデッサンのように消したりが出来ず、その一本の線の中に、全てがあるということなのです。

その一本の線の中に、色はもちろん、質感もあり、重みも空気感も、遠近感も上下も感じさせるということなのです。

例えば西洋画では、必ず天地を分ける線が描かれ、もののかたちには影が付けられることによって、立体感が出るように、また遠近感も付けられたりするわけですが、日本画では全てが平明に平面的に描かれながらも、その線だけで、全てが語られるのです。

だから天地を分ける線が引かれていないとしても、そこに描かれている立ち木が(根も無く)宙に浮いているように見えてはダメなのです。
何も無い中に鳥が描かれても、それがほんとうに空を飛んでいたり、水の上を泳いでいたり、そのリアリティというものが、ちゃんと区別が付けられて、絵を観ている者に伝わらなければ失敗作なのです。


何よりも描いた者の想いが伝わること。
その絵に込められた作者の想いや、気迫。それが何よりも大事だということ。

西洋画では、例えば天使の羽根が小さく描かれるけれど、あんな小さな羽根で空を実際に飛べる筈が無い。
日本画では「天女」に羽根が描かれることは無いけれど、何も無くても軽く浮いて確かに空を飛んでいるように、ほんとうにそのようにちゃんと見える。

つまり西洋画は「三次元」の絵だけれど、日本画では最初からさらにもっと上の次元を当たり前のように描けるのだということ!!!
これはほんとうに目からウロコのお話でした。
西洋画よりも日本画の方がずっと進化(深化)していて、「五次元すら描ける絵」なのだと知ったことはとても衝撃でした。


また、淳之氏は自宅で鳥をたくさん飼っておられるそうなのですが、鳥というのは、前と後ろを同時に囲まれることをとても嫌がるのだという、興味深いお話をしてくれました。

なるほど~。だから、あのカゴメの唄☆「後ろの正面だ~れ♪」というのは、切実感に溢れているのかもしれませんね。

私たちも今や、前も後ろも「三次元の現実」にびっしりと囲まれているような「閉塞感」の中で、誰もが相当に苦しい想いをしている気がしますが、実は羽根が無くても飛べるし、上へと、五次元へと、ガラスの天上をも「突き抜けていける」ということを思い出したいですね。


そんなわけで、今回の美術館巡りは私にとって、館長のお話と共に大いに参考になることがあり、とても有意義でした。
素敵な巡り合わせと、絵の制作にまつわるめったに聴けないような本音のお話に心から感謝です。


なお、私は館内で観た上村松こう氏の「蓮」や白い鳥(題名は忘れましたが、枝に止った鷹?が月を見上げている構図)の絵に、殊の外感銘を受けました。
絵の中にすっかり入り込んでしまい、眺めているだけでも時を忘れてしまいそうでした。

館内に今は飾られていない絵の「絵葉書」もたくさん売られていたので、何枚か気に入るのを選んで買って帰って裏を見たら、何と全部上村松こう氏の作品ばかりでした!

「美人画」もさることながら、やっぱり私は花やら、鳥やら、自然が好きなのかもしれません。
上村松園の絵はもちろん、その「生き方」もとても尊敬しているのですが、、。

そして私は(描くこと以上に?)「絵を観ること」がほんとうに好きなんだなということも再認識しました。


追記:下記の本もお薦めです。
(館内では画集や本などもいろいろ販売されていました)

☆『生きる 描く 愛する』四十二人の名画家物語 (田中 譲 著/婦人之友社)

☆ 上村松園全随想集『青眉抄・青眉抄その後』(求龍堂)







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桜島噴煙とおへその渇き

2013-08-19 | 「アズミックアート物語」21~ その後
連日のあまりの暑さ(異常気象)に何かあるのでは?と気になっていたら、何と桜島の5千メートルの高さにも及ぶ噴煙!

そしてそれとは全く何の関係も無い?筈なのだが、突然におへそが痒くなり、見てみるとなぜかカサカサに乾いて(渇いて)いる。

人のからだは「小宇宙」とも言われるし、また「人の振り見て我が振り直せ」ということわざもある。

外側の世界で何かがある時は、まず私はそれは「自分自身のこと」として、自分の「内側」(内面)を見直すことにしている。
自分の周囲に起きることの全ては「自分の内側の世界の反映」でもあると思うので、、。

それで、まずは自分の内面を見ること(瞑想等)の前に、久しぶりに「おへそのごま取り」をした。
普通はどのぐらいの間隔でおへそのそうじや手入れをするものなのか?はわからないけれど、私はふと気が付いた時にすることにしている。


そう言えばここしばらくというか、長い間「おへその存在」自体を忘れていた気がする。
こんな大事な場所なのに! 
おへそさん、放ったらかしていてごめんなさい!!


というわけで、まずはいつも使っている「健生会」のエドガー・ケーシーのオイルを何滴かおへそに垂らし、しばらくおいてから綿棒でそっと中を拭ってそうじをしたのである。
(念には念を入れて私は綿棒にも少しオイルを染み込ませるようにしている)

この方法はとても簡単で、安全。
しかもすぐにきれいになり、おまけにおへそを通してオイルがからだの中心に吸い込まれていくような感じがして、とても気持ちがいい。
おへそのそうじと手入れが終わったあとは、何だか気持ちも柔軟に「うるおい」が出る?ように感じる。

まさか、こんな方法で桜島の噴煙が収まるなんてことは無いだろうけれど!?


そしてその後、この突然の「おへその渇き」というのは、一体何だろう?と、(生理的、科学的なことはよくわからないので)ふと「哲学的」?思考をしたのだった。


おへそは「へその緒」の痕跡ということは誰でも知っていると思うが、ここは「母子」の繋がりを感じさせるところでもある。
そして「生と死」も連想させる。
昔からの言い伝えとして、もしもほんとうにいのちの危機を迎えた時は、「へその緒を煎じて呑ませる」といいと聞く。
それがどこまで効果があるのかはわからないけれど、その深い意味は人と人との「絆」や、つながりということでもあるのだろうか?


ところで「日本のへそ」は兵庫県の西脇市にあたるらしいが、「世界のへそ」というのはどこだろう?と、ついでにネット検索してみると、
アボリジニーの聖地「ウルル」(エアーズロック)だった☆

ここはかつては8千m級の高山が連なっていたところだと知ってびっくりした。
雨や風の浸食、大地の変動によって今のような一枚岩の形状のウルルになったらしいのだが、思わずウ~ムと唸ってしまった。


というのも、宇宙画(線描画)『アトラス』(この題は後で付けたのだが)を描いた時、「ここから人類のいのちが生まれた」場所として、その絵では(かつての)オーストラリア大陸一帯の海の中に、まるで「胎児」のようなかたち?の(鳴門の渦巻きのような?)「おへそ」!?を描いているからである。
そしてそれは例えば淡路島の「国生み神話」も思い出させるが、要するに地球の?エネルギーの誕生した場所ということかもしれない。


さらに偶然にも、今度その『アトラス』の曲をアズミックアートのHPに掲載する予定で現在準備中だったので、特にそれを意図したのでは無いけれど、もしかしたら、この桜島の噴煙も「出来るだけ強い『風』で高く遠くへ吹き飛ばして、その濃度が薄まるようにする」ということを意味しているのかもしれない!?と直観的に感じたのだ。

なぜなら、この曲は風がメインテーマになっていて、『アトラス』の絵そのものも、「草原に風が吹いている」イメージでもあるからだ。

そんな「草の波」の彼方から「宇宙の記憶を運んで来た白い船」がやって来るという、、そして私たちを乗せてほんとうの魂のふるさとへと連れて行ってくれる♪ というそんな風景が歌になっている。


私たちの地球は今やどんどん緑が失われ、容赦の無い強い太陽光線が降り注ぎ、大地はカラカラにひび割れて乾き、人々のこころもからだもカサカサに渇き切り、家族関係も民族間もうるおいが失くなり、ギスギス、ギクシャクとして、あっちでもこっちでも紛争だらけ、、。

そして先行きの見えない、まるで「濃霧」の中に入ったようなそんな世界の中で、みんなどうしていいのか? 不安に駆られ、また溜まった「憤まん」が爆発的な「噴煙」となり、空高く噴き上げられ、火口(おへそ)に詰まったゴミも巻き上げられているのかもしれない。


清らかな風がそのような汚れや溜まったゴミを吹き飛ばして、さわやかに浄化してくれますように!

これまでの記録に無いような豪雨の次は「風」なのか!?と、どうか決して心配をされませんように、、。
これも地球にとっては「必要なそうじ(浄化)」なのかもしれないのですから。

自然は「五風十雨」というように、五日に一度の風、十日に一度の雨で、これまでうまくバランスを取っていたのかもしれません。
もしかしたら今はその「崩れたバランスを回復する途上」なのかもしれないですね。

日本も世界も、、。地球自身も今や何万年に一度の?「遷宮」(アセンション)の時を迎えているのでしょうか!?


むしろ宇宙のひな形でもある私たち自身(小宇宙)の方も、身辺の整理や浄化をし、そして「禊」をする時なのかも?


自分自身にとっての「へそ」にあたるものは何なのか?
もっとも大切なものとは何なのか、、。

そんなことを思いながら、桜島の噴煙が収まるのを心から祈っています。



下記の絵は『アトラス』です。
この絵は未だポストカードにはなっていません。






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すっかりファンに☆

2013-08-08 | 人物紹介
つい先日、近くの町役場のホールで、落語家の「桂 春蝶さん」の講演会と落語があったのです。

この講演会は「男女共同参画」推進と「人権」啓発のための催しなので興味があったのと、落語も大好きなので聴きに行きました。
(会場まで電車で一駅。おまけに参加費も「無料」で超ラッキーでした♪ 主催者の方々とスタッフの皆様に感謝です。)

参加者はほとんど近隣の、定年も過ぎたような年配の方ばかり(私もその一員ではありますが)、若い人はあまり見当たりません。


桂 春蝶さん(三代目)の落語を聴くのは全く初めてで、講演ももちろん初めて聴いたのですが、両方共、もう何とも最高でした!!!

町役場が講師に招くのだから、たぶん年老いた落語家ではないかな~などと勝手に想像していたら、全く違ってました。

目が点になるような「可愛さ」!プラス、イケメンでもあり、しかも「イクメン」でもあり、何よりも彼の女性に対する感性がほんとに素晴らしいものがありました。


「近頃の若い者は、、」~~~~~あぁ、何て進んでいるのだろう!!!!!と、私は久しぶりに未来に「希望」を見い出せたのです。

しかも彼はほんとうに今どき珍しいぐらいの「スピリチュアル」な感覚を持った人でもあり、話の端々にも教養が溢れ出ていましたが、何と「心理学」の勉強もされていたのです。

あとでプロフィールをネット検索して拝見したら、大学でも教えておられたのですね。
まだ40歳前の若さなのに、ほんとにびっくり!です。


講演では、最初に、まず「自分自身の身近かなところから」話を始められたところにも大変好感を持ちました。
上から目線では無く、ご自分の結婚のいきさつから話されたのには、正直驚きましたが、それがまたとても「いい話」だったのです。

ご存知の方もおられるかもしれませんが、春蝶さんの結婚相手は、彼の仕事関係のプロデューサーだったらしくて、彼女は再婚だそうです。

その彼女は「人生の最高の喜びは離婚出来たことだった!」と彼に言ったそうで、結婚暦のある人を選ぶ春蝶さんも素敵だけど、そんなふうに離婚や前の結婚に何の気後れも失敗感も罪悪感も無く、堂々とそう言える彼女もまたきっと素敵な女性に違いないと確信しました。

ほんとにこのあたりの感覚は「草食系」というレベルをずっと超えて、全く新しい「自然派系」というか、「天然宇宙系!?」という印象すら感じさせられます。

そして彼女が自ら「専業主婦」を選んだ経緯も本当にユニークで、納得のいく話でした。
ほんとにお互いが尊敬し合い、また対等に助け合って暮らしておられる様子がよくわかりました。
こんな女性が妻なら夫はほんとに幸せだろうな・・・と春蝶さんの「選択眼」の確かさに思わず拍手したくなりました。


春蝶さんのお父さん(二代目春蝶さん)は生前桂枝雀さんとも親しかったそうで、そのため家にしょっちゅう遊びに来ていた枝雀さんに、子どもの頃の春蝶さんもとても可愛がってもらっていたそうです。

ところがお父さんも長年鬱の傾向があり、病気で亡くなられた何年か後、同じく鬱だった?枝雀さんも自死されたこともあって、春蝶さんは、心とからだの関係などを真剣に学ぶようになられたそうです。


それで、心理学も深く研究され、そのお話の内容の豊かさと深さにも、(まさか落語を聴きに来てこんな話が聴けるとは!?)ほんとうに圧倒されてしまいました。

そして単なる話だけでは無く、実際にその場で、ある「実践」を会場の人をサンプルにして眼の前でやってみせてくれたのです!
それはとてもシンプルなものでしたが、確かに効果のあるものだというのがよくわかりました。
私もさっそくやってみようと思いました。


一度聴いただけでは正確では無いので、ここに書くのはどうかな?とも思いますが、せっかくなので参考までに「こういう方法もある」ということで、お伝えします。
(興味のある方はもしよかったらネット検索して正確なものを見つけてください。もしもどこか間違っていたらごめんなさい!)


1)アルファベットをA~Zまで26文字、横にずらっと書きます。

2)そしてその下にLRTという文字を1文字ずつアトランダムに?書き入れます。

3)例えばこういう感じです。

A B C D E F G ・・・・・・・

L R T R L T L ・・・・・・・


4)そして、Aの時に、その文字を読み上げてエーと声に出しながら、L(レフト/左手を上げる)の動作をします。
Bの時には、R(ライト/右手を上げる)の動作。Cの時にはT(ツギャザー?/両手を上げる)の動作をするのです。

その他にも(LRT以外にも)、例えば J (ジャンプする)とか、S(シッティング/坐る)とか、いろんな動作を間に付け加えて変化を持たすのもいいそうです。どんどん複雑にしたり、スピードを上げたり、、いろいろ工夫するとなおよさそうです。

5)これをやると、文字を見る(視覚)「声に出す」(発声&聴覚)「手を挙げる」(身体活動)が同時に活発化され、これがとても脳や心に効く?らしく、春蝶さんの話では、この訓練を3ケ月ぐらい続けると、「鬱が改善された」という結果が出たということです。


そして、ここからがさらに感動的な話の連続でした。

春蝶さんは、自分のお父さんのことや枝雀さんのことなどもあり、鬱で自死する大人の人たちのこともさることながら、(最近は特に増えているそうですが)若者や子どもたちが自らいのちを絶っていくことに対して、本当に憂慮されていて、何とか助けになりたいと強く訴えておられました。

その熱意や情熱にはほんとうに真心が籠っていて、春蝶さんの真剣な訴えに、聴いている私たちの方も本当に心を動かされました。
私に出来ることは何かはわかりませんが、せめて春蝶さんのような方がおられることを皆さんにお伝えしようと思いました。


春蝶さんは「落語」もほんとうにうまくて、特に声がよくて、明確に話されるので、聞こえ易くて大いに愉しめました。

この日の演目(ネタ)は(題は忘れましたが)、山内一豊とその妻千代との出逢い、出世に至るエピソードなどを元にしたものでした。

馬が出て来るところなど、馬がしゃべったりする面白さもあり、夫婦の描写も現代風なところもあり、織田信長の方言もユニークで、話にめりはりとスピード感があって、流鏑馬の風景も眼に浮かぶようでした。

「古典落語」をそのまま演じるのでは無く、他の人とはまた違ったいかにも春蝶さんらしい独特の工夫が満載で、ほんとうに久しぶりにお腹の底から大笑いでした。


そういうわけで、すっかり春蝶さんのファン☆ になってしまいました♡

もしよかったら皆さんもぜひ一席、いかがですか。
落語はもちろん、春蝶さんの「笑顔」に出会うだけでも元気が出て、きっと癒されますよ♪



< 春蝶・萬橘 二人会 > (ゲスト ぴろき/ 開口一番 : 桂 紋四郎)
(落語は二席ずつ)

日時:2013年8月26日(月)午後7時開演 (開場/午後6時半~)

会場:天満天神繁昌亭(大阪)

前売¥2500
当日¥3000
(全席指定/税込)

……………………………………………………………………………………



8月9日は長崎「原爆忌」。

戦争も原発も人から「笑い」を奪う。

笑いの無いところには「平和」は無い。

笑う角には「平和」と「幸福」がやって来る♪

大人も子どもも、年寄りも若者も、女も男も、何人種も、、、
「共に笑える」世界でありますように。









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