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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

今年の蝉は・・・

2013-07-26 | 日記
これは私だけの印象かもしれないが、今年の蝉の鳴き声は少し例年と違う感じがする。

私の住んでいるあたりでは、特に大きな森も無いのにびっくりする程の蝉時雨で、毎朝それがなぜか「秋の虫の音色」そっくりに聞こえるのである。

それで、毎朝のことなのに、「あぁ、もう秋だなぁ~」と感じて、ふと我に返って「そうだった、今は夏で、これは蝉の声なんだ」と意識的に思い直すのである。


蝉というのは地中に長く居て、何年も経ってから地表に出て来て羽化するので、今鳴いている蝉が生まれたのはもう何年も前のことなのだ。

だからそれが例えば7年前のことだとすると、今鳴いている蝉は2006年頃の「情報」を持っているということになるのかも?しれない。

私たちが今見ている星の光が、実はもうはるか昔にその星を出発した光で、もしかしたらもうその元の星は消滅してしまっているかもしれないのに、私たちの目には「現在」のこととして、その星が存在しているかのように見えるのも不思議だ。


それで、話は元に戻るが、私の感じた今年の蝉の声の特徴は、一言で言うならとても「優しい」ということだ。
全くうるさく感じないのである。

そしてもう一つは、「いろんな種類の鳴き声が合わさって一つに聞こえる」ということ。
そんなこと当たり前じゃないかと思われるかもしれないが、私にはそれが例えばみんなが調和しようと一緒に声をそろえ、調子を合わせているように感じられるのである。


ネット検索で調べてみたら朝、夕、とか、蝉は鳴く時間帯によってもその種類を区別出来るらしいのだが、今年の蝉は私には(全種類が朝も夕も)「みんな一斉に鳴いている」かのように思えるのだ。

伊豆に十年暮らしていた時は、特にひぐらしの声が素晴らしくて、いつも聞き惚れていたものだったが、ここではほとんど聞いたことが無い。

もう何十年も昔、蝉が羽化するところを見に出かけたことがあり、その翅の色の美しさにほんとうに感動したものだった。
あのきれいな透き通るような「翠」(みどり)の色は今も忘れられない。


話が横道にそれてしまったが、それで何が言いたいかというと、今の世の中で起きていることのほとんどはずっと前から準備され、予測されていたのでは無いかということだ。
蝉がその何年も前から羽化の準備をし、暗い地中に潜んでその時期を待っているように、、。

そんなふうに思うと、今は「新しい光」などどこにも見えないように感じられても、もうすでにそれは始まっていて、あと何年か先になれば、その変化が誰の目にもはっきりと見えるようになるのではないだろうか。


今年の蝉は今年の「情報」や「波動」を感じ取って「卵」にして木に産みつけ、それが何年か先にふと現れるのだと思うと、本当に楽しみだ。

そしてまた、今年の蝉の声を聴いていると、あの頃(2005、6年頃~2009年頃)が一つの「分岐点」だったようにも私には思えるのである。

あの頃にはまだ世の中に「優しさ」が残っていたのだなぁ~と。

だからいつもの年よりは今年の蝉の鳴き声やその波動が自分には心地好く聞こえるのかもしれない。
もちろんこれは、私だけの個人的な「体感」に過ぎないと思うが、、。


ついでながら、最近の私の感じる「不思議な感覚」は、(個人的なことだが)「スケジュールが埋まるのが異常なぐらい早い」ということである。

有名人なら何年も先まで予定が決まっているということはよくあることで、全く不思議でも何でも無いと思うのだが、(私の場合はたかだか今年後半の予定に過ぎないのだが)次々に予定が決まっていくので、テレビの生番組のように、「巻(マキ)が入って(時間が)押している」ような、そんな感じを受ける。


みんなが何かとても「急いでいる」?
あるいは誰かに?なぜか理由はわからないが、まさに「加速」させられている?かのような、そんな印象を受ける。

そして物理的、空間的感覚としては、ギュっと圧縮されて、密度の濃いところと、薄いところとがだんだんに分かれて来ているようでもあり、またあるところでは、それらが混じり合ってぶつかり合いながらまるで大音量で軋んでいるかのように感じる。

まさに今は「曲り角」なのかもしれない、、。
なぜか理由もわからずみんなが大声で叫び声を上げながら、行く先もわからないまま無我夢中で走り廻っているような、、。


そして現在の世の中全体が、そのような「二極分離」のはざまで引き裂かれて振り回されているような、まるで「遠心分離器」の中に入れられて、「自動洗濯(選択)機」にかけられ、人々がどんどん追い詰められているような、そんな「危機感」と不安を感じさせられる。

心身共に余裕が無いというか、みんなほんとうに「どうしていいのかわからない」ぐらい、「切羽詰まっている」のではないだろうか?


そのような混乱したエネルギーを発散し、心に平安と静けさを取り戻すためにはどうしたらいいのか、、。

こういう時こそ蝉時雨でも聞きながら、座禅したり、瞑想したりするのがいいのかもしれない。


私にとってはどんな音楽よりも蝉の声の方がよほど「優しい」し、癒される。

と、いうわけで、今日も朝から蝉しぐれに包まれながら、集中して仕事に打ち込めるのは本当に仕合せだ。
天の恵みに心から感謝しつつ、、。



いつもご愛読いただきありがとうございます!
どうか皆さまも暑さに負けず、自分なりの方法と感性でこの夏を味わい、楽しんで下さいね。



下記の絵は『チャネル』です。






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「コンステレーション」を読み取る

2013-07-23 | 本の紹介
河合隼雄さんの『こころの最終講義』(新潮文庫)を読んでいたら、その中に「コンステレーション」という言葉が出て来ました。

まったく初めて聞く言葉でしたが、この本の「はじめに」の説明によると、「『コンステレーション』の語義は、『星座』ということであるけれども、ユング心理学では、出来事が全体の中で関連を持って生じてくることを意味している」と書かれています。

これは「共時性」とはまた違った概念ですが、例えば先日の参議院選挙のことなども「コンステレーション」の視点から分析出来ると、何か深く納得がいきそうで、これは実に興味深いですね。


ただ、このブログで自分がそれについて書く程この言葉を理解出来ているわけでは無く、もちろんそんな力量も無いのが残念ですが、この言葉の奥にはさらに深いものがあるようで、もしもそういう観点から「テレパスアート」を分析出来たら、どんなにかいいかなと思いました。
もちろん他のことにもこれを応用することが出来たら!どんなにいいだろうと感じました。


この本は私のような仕事をする人には「必読」といっていいぐらい、ほんとうに素晴らしい内容でした。
なので、私が下手に紹介するよりも、ぜひご自身で手に取って読んでみていただきたいです。
(ただし、「心理学」が苦手な人には果たして合うかどうか?はわかりませんが、、)

この「コンステレーション」については、また後日あらためて書きたいと思います。


それからもう一冊『いのちのエネルギー』(川田 薫 著/新日本文芸協会 文心BOOKS)もお薦めです。

同じ川田 薫 先生の本で(共著ですが)『クリーニングの真実』(星雲社発売)というのもよかったですが、こちらはまず『いのちのエネルギー』の方を先に読まれてからの方がわかりやすいかもしれません。


川田 薫 先生は、「魂=生命エネルギー の重さ」というものを実際に測定されたことで有名ですが、その折りの実験の様子、その結果、そしてその後先生が考えられたことなど、また、「水を中心にして物質を見る」という視点からもさまざまなことが解るようになられたこと等々、読んでいてこんなにワクワクしたことはありません。

先生は実際に生命さえも実験の中で生み出すことが出来た、世界で初めての人です。
山中教授も凄いけれど、私は川田先生もノーベル賞級の方だと心底感動!!!しました。

三上晃先生の「植物さんとの共同研究」も素晴らしいけれど、川田先生の「水の研究」もほんとうに底無しに深いです。
そしてさらにそこから川田流の「クリーニング」(蔵識=ぞうしきの浄化)の方法も発明され、また「空海」(弘法大師)の研究にも突き進まれています。

それでいてとても謙虚な人柄や、ふつうの人としての感覚も持っておられるところが私は大好きです。
(と言ってもこれは私が本から感じた印象で、実際にはご本人には未だ一度もお目にかかったことは無いのですが、、)


私は生まれて来てしばらくは自分の体と心(意識)とがどうも合ってないような?不思議な感覚があり、物心ついて以来、自分自身に違和感を抱き、自分が自分に疎外されているような気持ちでとても苦しい幼児期(かなり大人になってからも)を過ごしましたが、それが、どうしてだったのかも、今回川田先生の本で初めて腑に落ちました。

その他、これまで私が疑問に思っていたことも謎が解け、また自分の体験とも一致するところがたくさんありました。


「生命体」と一言にいうけれども、物質としての肉体と、そこに入っているエネルギーとの違いを、私が本当に知って納得したのは、この本が初めてです。

また、生まれて来る時の様子、死んで行く時の様子、その時にからだと生命エネルギーはどういうふうに反応するのか、についても(実験結果と共に)詳細に語られていて、とても参考になりました。
「臓器移植」をなぜやってはいけないのか、また、「脳死」=死では無い ということにも納得がいきました。


精神世界の本は数多く読んだけれど、それは頭の中での理解であって、このような「実験」という「科学的手法」で実にわかりやすく説明してくれている本は、他には無いと思います。

こんなに深い内容なのに誰にもよくわかり、納得のいくように書かれていて大変説得力があります。

この本『いのちのエネルギー』は、小学生や中学生にもテキストとしても役立つのではという気がしました。

この本を読めば、どの子もきっと自分のいのちや人のいのちを大事にするようになるし、生まれて来たことの意味を知り、生きる勇気が湧くのではないでしょうか。


私はこの本を読みながら何度も涙が出そうになりました。

そして読み終わったら、自分のからだがとても愛おしくなり、何をするにもこれまでよりも「丁寧に」心をこめるようになりました。
だって、自分自身の60兆の細胞の一つひとつにも想いがあり、それぞれの働きが(自主的に?)私を支えてくれていて、もちろんモノにもすべてエネルギーがあり、それを作った人の想いが入ってるのですから、、。

また、自然界の全てもそのように「創造主」?の意図や想いがあって(計画の元に?)生み出されたのかもしれないのですから、、。

だから「そうしなければ、、」という「義務感」や「倫理観」「道徳」では決して無く、何に対しても尊敬と尊重の気持ちがこれまで以上に自然に強まったのです。
また、「自己認識」だけでは無く、「他者に対する気持ち」も、これまでとは少し違った「あったかさ」をより感じるようになりました。

先日の「マトリックスの真実」のセミナーでも「どのひともすぐれている」という「対等な感覚」について教えられましたが、そこからさらに一歩進んだような気がします。


「劣等感」の強いところのある私ですが、この本を読んで以来、ほんとうに自分に対する意識(自己認識)が変化したようです。

生きることに苦しんでおられる人には特に!!!ぜひとも読んでみて欲しいです。
きっと「生きることの尊さ」や「生きる意味」を見い出すことが出来ると思います。


なお、「クリーニング」というのは、ハワイのヒューレン博士が提唱されている「ホ・オポノポノ」だけと思っていましたが、それとは関係無く、「自己流で」やっておられる方もたくさんおられるのですね♪

川田先生のクリーニングの仕方、そして共著者である山内尚子さんのやり方、また作家の加治将一さんの「セルフヒーリング」のやり方なども、もしかしたらそれらの一種なのかもしれません。


いずれにしても私はすっかり川田先生の大ファン♡ になってしまいました(笑)

特にその「水」を使ったクリーニングのやり方というのが新鮮でした。
そして何ごとにも「体験派」である私は、好奇心いっぱいに、(そこから派生した「我流」のやり方ですが)さっそくに「クリーニング」を始めました。
(これまでも、もちろん今もずっと「自分流のクリーニングの仕方」はいろいろ試していて、どれもそれなりに私には効果があったので、これも「具体的に」どんなふうに「効く」のか?楽しみです)


本を読んで知識や情報を得たり、いろいろなことに気付くだけでも、私にとってはまるで「魂のたべもの」のように、本当に役立っています。

体感には個人差があるので、みなさんにとってどうか?人それぞれ結果は違うかもしれませんが、まずは心からご紹介まで。

もしも何か一つでもヒントになりましたら幸いです♪

(故)河合隼雄さん、今も益々ご活躍されている川田 薫 先生、そしてよい本を出してくださった出版社の方や編集者の方々にも感謝です。



下記の絵は『スリーセブン 7・7・7』です。
(これももしかしたら「コンステレーション」と、何か関連しているのかもしれませんね?)

そして今日はたまたま「満月」ですが、月にも星にも平和を祈りたい気持ちです。






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二つの意志

2013-07-18 | 人物紹介
先日、神戸であった『マトリックスの真実』(新日本文芸協会発行)の出版記念講演会に参加しました。
(奇しくもこの日は「パリ祭」=革命記念日 でした)

その本の著者である「佐々木重人」さんの講演は、まだ本を読んでいないままに聴いたので、あまりよく理解出来ていないと思いますが、時々ハッとするような言葉があり、それをメモして帰りました。

このブログの読者の方々にもそれをシェアしたいと思います。

また、これは自分なりに感じたことですので、著者の伝えたいこととは解釈が違っていたり、私が聞き間違いしているところもあるかも?しれませんが、宜しくご了承ください。


…………………………………………………………………………

☆「問題を解決しようと思うな。ただそこにあるものを見るだけでいい」


☆ 考えるのをやめて気付けばいい

★ ただ二つの「意志」があるだけ。
 「創造」の意志そして「支配」の意志。

 創造の意志というのは、自然の摂理。
 支配の意志、すなわち、「ほんとうの支配者は誰か?」

 この実態を「まず知ること」が大事。


 この言葉(二つの意志)は、特に印象に残りました。

例えばこれは、「感情には二つしかない。『愛』と『怖れ』と」という言葉ともリンクします。

『愛と怖れ』という本を読んだのはもう20年ぐらい前のことかもしれません。
ー愛は怖れをサバ折りにする ー という副タイトルと共に、表紙も印象的でした。

これはVOICEから出た本で、著者はジャンポルスキーさんです。

その著者の来日講演が東京であった時に、当時交流のあった翻訳者&通訳の大内さんからせっかくお誘いをいただき、著者に直にお会い出来る機会を設けていただいたにも関わらず、(畏れ多くて?)遠慮してしまい、貴重な機会を無にしてしまったのは、本当に今思ってみても大変もったいなく、惜しいことをしてしまいました。

その時私は「愛」よりも「怖れ」の方にシフトしていたということかもしれません。


佐々木重人さんは『全ての人がすぐれていると心から思う』ということを強調されていましたが、私は人にはそれを当てはめても、自分自身に対してはなぜかそうは思えず、卑下してしまっていたのかもしれません。


また、佐々木さんは「悟りとは行為の結果に意味の無いことを知ることだ」という、『神との対話』の本の一節を引用されていましたが、そんなふうに例えばどんな人と会っても、その結果よりも(自分がどう思われるとか、あるいはその人がどういう人だったかということはさておき)、その行動や行為にこそ(またその過程にこそ)真の意味があるということなのかもしれません。


もう20年も前に読んで深く納得した『愛と怖れ』を、またもう一度読んでみたくなりました。
わかったつもりでいたけれど、ほんとうにはそれを理解出来ていなかったのだと思います。

だからこそ、今回佐々木さんを通して、「二つの意志」(自分はどっちを選ぶのか!?)を再び問われている気がしました。

…………………………………………………………………………………

☆ 権力とは何なのか?
 それは「自分の恐怖心以外の何ものでもない!」

 怖れというのは「刷り込み」に過ぎない。
 何があっても自分を裏切らないこと。


「マトリックス」というのは、「仮想現実」という意味だそうですが、それはいわゆる「ネットの中の世界」=「バーチャルリアリティ」とも似ているのかもしれません。


☆ 人間というのは、記憶(記録)を持たされたコンピューターと同じ。
 
★ 「カリスマ」に頼る時代は終わった。

☆ 私たちの本質は神であり、この地球とは「私たち=神 が神になる場」なのだ。
 「ピラミッド構造」というのは「支配」のためにあるのであり、「自然の摂理」はそうなってはいない。

★ 一人一人の意識で、望ましい世界をつくること。
 それは「天の理」「地の理」に基づいたものであり、地上摂理=神の摂理の合体した「小さな共同体」を目差していく。
(出来るだけ自給自足で、あとはなるべく自由に~♪)

佐々木さんは同志と共に、2013年8月から「戦争と核(原発)と貧困の無い社会をつくる会」を立ち上げる予定とか。
(これは「会則も規則も無い会」になるそうです)

☆ 「依存体質」を止める!

  佐々木さんはガンジーの言葉を紹介してくれました。
 「目的を見つけよ!(そうすれば )意志は付いて来る」

★ 憲法とは、本来は政府を縛る(監視する)ためのもの。
 (政府のしたい放題を抑えるためのもの)

☆ お金に振り回されない!
 仕事とお金を切り離す。

 ほんとうに大事な仕事(ライフワークや天命の仕事など)はあまり収入にはならない。
 けれども「最低限食べていける」。
 (それを「強烈に信じれば」大丈夫!)

★ エゴの根っこにあるのは「恐怖心」!!!

 恐怖心が無ければエゴは無くなる。
 欲を持つとあやつられる。

☆ 「創造主」はいると佐々木さんは信じているそうです。

  この宇宙には必ず創造主の「意図」が働いている。
  情報は空間の中にある。
 「そうなんだ!」と決めつけること。

★ 「仕事」が一番の「クリーニング」(浄化)になる。
  そのしごとの中に「いのち」がちゃんと入っているかどうか?

☆ 「霊能」「霊感」は不要!
  自分=地球そのものだと体感すること。

 私は会場で佐々木さんに、私自身のことを自己紹介し、「実証の必要性」とか、何か具体的な(科学的な)証明があった方がいいのでは?と質問したのですが、その答えがこういうことでした。

つまり、具象や実証は必要無く、「体感」が無くても、「知識」としてあれば大丈夫ということ。
「理解」(頭ででも)出来ればいいということでした。


その前にお話の中で『言霊はこうして現実化する』という本(大野靖志著/文芸社)の紹介もありましたので、私も帰宅後さっそく書店にて注文しました。

佐々木さんは、例えば出口王仁三郎(大本教)のことや、「白光」のことも詳しく、また東北石巻の復興プレジェクトにも関わっておられるそうです。


そして、かつて天皇=神代(かみしろ)であり、「心身一体の行」?も代々引き継がれていたのが、後に民間の「神おろし」として伝わったそうで、ほんとうの「祈りの力」の凄さについても熱く語られました。

ですから、この「霊感」や「霊能」がダメというのは、個人がそれを独占して、自分だけが特別な「能力者」として特権を持つということを否定しているのだと思います。


今や誰もがそのような能力を普通に持つことの出来る時代になって来ていると私も感じています。

ですから私のような仕事もそのうち不要になり、誰もが「直観」で、そしてインスピレーションによって何でも感じ取れたり、テレパシーで交流することも出来る世の中に変化していくのでは?と思っています。

私たちはみんな「ワンネス」だからです。


けれども今そのような「目覚め」や「気付き」を押さえ込み、阻止しようとして、極端な「分断政策」が進んでいっている気がします。
人と人、国と国を対立させているのは誰でしょうか?
その裏には「明治維新」からずっと続く闇世界の権力独占支配や、「武器を売って儲ける」仕組みなどがあるのかもしれません。

…………………………………………………………………………………………

このような「二つの意志」が、表の世界にはっきりと露呈されてきているのが、まさにあの米当局の「個人情報収集活動」を暴露した、CIA元職員エドワード・スノーデンさんの事件ではないでしょうか。

「自然の摂理」に基づくならば、決して彼は何も悪いことをしたわけでは無く、間違ったことをしていたのは当局の方であり、その「不正」を暴いた者の方が、「犯罪者」として扱われ、その亡命先も彼らの政治的な「国家的裏取引」で左右されて、なかなか決まらないというのは、ほんとうにおかしなことだと思います。

もしも例えば学校でイジメがあれば、それを通報するのは当たり前のことなのに、国家や企業や組織などが不正なことをしたことを暴き、公表した者がなぜかいのちまでも狙われる羽目になり、安心して暮らせることも出来ないなんて!?

まさに「愛」と「怖れ」に分断され、「創造」と「支配」の二つの意志がこの事件に象徴されていると感じます。


そんなふうに、今や世界は(あるいは自分の心も)二極化し、極端に引き裂かれようとしています。
その行く手には「世界戦争」や「地球の破壊」が待っているかもしれません。

それを「統合された平和な光の世界」にしていくのは、まず私たち自身の選択ではないでしょうか。

大きな成功では無く、小さな成功を積み重ねていくこと。

大きな政府は要らない、小さな村々の幸せな「当たり前の自然な生活」や、平和で安心出来る日常を取り戻すこと。

誰もが笑顔になれる社会。


その実現は実は自分自身の「選択」にかかっているのではないでしょうか。

今こそ「怖れ」を捨てて「愛」を取るチャンス!

結果はともあれ、私たちの「意志」(目的)を示し、表現する(創造する)こと。


☆ お金よりも「いのち」を選ぶ。
TPPに反対し、憲法を守る。
「原発」よりも自然エネルギーを♪

私は何よりも「自由」そして「平和」が好き。
「緑の地球」が大好き♡


★「支配」よりも、私たち一人ひとりの新しい世界の「創造」を!!!

誰かに「依存」してつくってもらうのでは無く、自らの手で「創造」(表現)していきましょう♪
それは可能なんだと、強烈に信じて・・・。



下記の絵は「リ・クリエーション」(再創造)です。






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永遠の少女

2013-07-09 | 日記
連日の猛暑!が続いていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

ブログの「プロフィール」のところのティアナの「似顔絵」が入れ替わったことに、気が付かれましたでしょうか?
あまりの暑さで、少し涼しい感じのイメージに変えてみましたが、どうでしょうか。


これは「似顔絵イラストメーカー」というソフト(アプリ?)をダウンロードして使わせていただきました。
ありがとうございます♡

無料で使わせていただきながら文句は言えないのですが、選択肢が少なくて、例えば配色とかは有料になっているので、もっと違う服の色とかにしたくても、また全体のデザインや雰囲気なんかも残念ながらあまり斬新なものが出来ないのです。

もっと自然なよい笑顔にしたいのですが、なぜか女性用の口元は決まりきった小さなものしか無くて、、男性用のものは逆にふざけていたり、舌を出していたり、大口で笑い過ぎていたり、、と、これまたぴったりのが無くて、結局前とあまり印象が変わっていないかもしれません。
それに、そもそも「似顔絵」が変化したことに気付いた人もあまりいないかもしれないですね?
前のも覚えておられないかも!?(笑)。


それよりも今はみんな「選挙」に熱中しているので?「外見よりもブログの中味の方が~」と言われてしまいそうです。
ほんとは私も先日「選挙に関してのコメント」を載せていたのですが、削除しました。
その理由について書くとまたまた長くなるので今はパスします。


それにしてもこんなに暑いと、涼しいスイスの高地とかに行ってみたくなりますね。
私の大好きな「アルプスの少女ハイジ」のように♪

私は「自己顕示欲」もほんとはいっぱいあって(爆笑)、たまさんには「ペーターの優しいおばあさん」のように思われているようですが、実はどちらかと言えば(孫も未だいないし)、自分では今でも(外見とは関係無く)心の中はずっとハイジのまま?だったり(爆笑)するのです。
せめてクララのようなお金持ちの「お嬢さま」♡ に思われたかったり!?して、、。


何歳になっても関係無く、いつまでも「思春期の少女」?みたいに、「夢見る夢子さん」のようなところがあるのは、例えば「赤毛のアン」とか、「小公女セーラー」とか、「日本昔ばなし」に出てくるような「鉢かぶり姫」だとか、、、といったロマンティックな「物語」や「童話」などに影響を受けたからかもしれません。


そんな私の秘かな目標は憧れの「ターシャ・デューダ」さんのような生活。

ささやかでも庭のある小さな可愛い家で、いろんな花やハーブなどの植物たちに囲まれ、一人で好きなように暮らしながらも、近くに住む友人たちや、娘夫婦に助けられて、最期まで自立して自由に愉しく仕合せな人生を全うすることが、私の心からの願いです。


もちろん好きな仕事も続けられたらなお嬉しいですね♪
場所はやっぱりさわやかな風の吹き渡る高原とか、緑の多い涼しいところがいいな!

なんて言ってますが、雪の降る頃になると、「やっぱりあったかいところに住みたい」と思うかもしれないですね(笑)。

どっちにしても、戦争があったり、原発があったりしたら、安心して暮らせません。
お金よりも、私は「いのちが喜ぶ自然な生活」がしたいです☆

ハイジの山小屋にはランプしか無かったけれど、ハイジはとっても幸せだったのです♪
足が悪くて都会では車椅子に乗っていたクララも、山で暮らすうちに、自分で立って歩けるようになったのです♡
(車椅子を蹴飛ばしたペーターのいじわるや嫉妬も実は役に立ったのですネ!)


ところで、皆さんはほんとうはどんな暮らしがしたいですか?
どんな願いを持っていますか?


私の知り合いの人で「ネオンキラキラ」が大好きで、そういうところで無いとさみしいと言っていた人がいますが、今彼女の住んでいるのはとても涼しい山の上の方です。
でも、何とその部屋(公共の団地ですが)の窓からは、下界のネオンがキラキラとまさに百万ドルの夜景☆ のように!美しく見えるのです!!

どんなかたちであれ、「自分の願っていることはいつかどこかで必ず実現する」のだな~と思いました。
だからこそ「自分のほんとうの願い」を知ることが大切なのかもしれません。


最近読んだ『アナスタシア』(ウラジーミル・メグレ著/発行 ナチュラルスピリット)は、まるでターシャ・デユーダを若くしたような感じの、森に一人で住む「妖精のような女性」の話ですが、あまりにも信じ難い話で、これを書いたのが女性なら私はたぶん信じると思うのですが、著者は男性作家なので、半分は創作かも?しれないなとも思いました。

けれどもこの中には、そのような「願いの叶え方」とか、「健康に暮らす方法」とか、「真実を知る方法」などが書かれてあるので、参考になるところも幾つかありました。


特に彼女は絶対に嘘が付けなくて、だから「一度言葉にして言うとその願いが必ず叶ってしまう」というところは凄く興味が湧きました。

しかも彼女は自分一人のためだけの願いを叶えるのでは無くて、他の人の純粋な願いにも共鳴してしまうところがあるので、いろいろな不思議なことやちょっと困ったことも起きるのです。

この物語はシリーズになっていて、本も何巻も出ているようですが、私が読んだのは「響き渡るシベリア杉 シリーズ1」だけ(日本での初版は2012年9月)です。
特にこの本をお薦めするというわけでは無いのですが、ロシアでは百万部突破、20カ国で出版されているそうです。


この物語のヒロインは、まるで「イシタバイ」を彷彿とさせる感じもあったので、ハイジの話からいつのまにかこのような展開になってしまいました。
少々「我田引水」で失礼します(笑)

私はいつも何も考えないで書き始めるので、話の終わりが全然関係の無いところへ逸れて行ってしまうことも多いですが、それにも関わらず根気よく?ブログを読んで下さっている方々に心から感謝です。




下記の絵は『イシタバイ』(木の精霊)です。




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最近のテレパスアートの傾向

2013-07-07 | シリーズ「テレパスアート物語」
マヤ暦終了の2012.12.21もとっくに過ぎたのに、そして時間の無い世界?に入った筈なのに、なぜかテレパスアートでは、その頃から画紙に日付を記入することが多くなりました。

理由はわからないのですが、時間の無い世界だからこそ、「今・ここ」をしっかりと意識する必要があるのかもしれませんね。
ただし、これは私が現時点で感じていることなので、この先に行けばまた違った観点での気付きもあるかもしれません。


さて、最近の絵の傾向の中で、もう一つの特徴はなぜか絵の裏面に詩のような?短い「言葉」(文章)を書くことが多くなり、これも不思議です。
(人によっては言葉で無く、裏面も絵だったり、また何も描かない場合もありますが、、)

詩というよりも、箴言(アフォリズム)?という方が適切かもしれませんが、絵でメッセージを伝えると同時に文章でも伝える場合があるのはどうしてなのか? これは絵の「補足」なのか??
この理由も実はあまりよくわからないのですが、まるで禅の「公案」!?のような感じも受けます。


ただ、私としては文章の方が簡単でいいな(書くのに時間がかからないから)と思う一方で、絵なら時を置いて眺めた時に、また新たな発見があるけれど、文章の場合は、何と言うか、もろ「そのまま」という感じなので、あまり二度、三度と見る気になれないのでは?という気もしますが、果たしてどうでしょうか?

そういうわけで、(お客様の方の反響はわかりませんが)私の中ではなぜ今このような生々しい?文章となって、(絵以外にプラスして)言葉も降りて来る?ようになったのか??と、少々戸惑っている面もあります。


それでも、これまでもヒーリングアートの時から、否それよりもっと前の彩色もしない線描画だけの時から、いろいろと変化し、絵も形式も彩色もシステムもさまざまな変遷を経て来ていて、それも自分が頭でこうしようなどと考えて意図的にその方向へ進むというよりも、どちらかと言えば自然の成り行きだったり、ふとしたひらめきでそんなふうに変わって来たりしているので、今回のこともまた何か意味のあることなのかな?と感じています。

これからもどんなふうに変化していくのか?とっても楽しみです。

15年以上も続けていると、ついマンネリになったり、初心を忘れがちになったり、気付かないうちに怠慢になってしまったりすることもあると思いますが、幸いにも私の場合は、たまわーるどのたまさんが、昔からずっと「テレパスアート研究」を続けてくださっているおかげで、とっても助けられています。

たまさん、いつもありがとうございます♡


そして、私が違った方向へ行きかけたり、うとうとしていると、パッといち早く気付いて声をかけてくれ、私の寝ぼけまなこを目覚めさせてくれます。
本当に心から感謝です。


ところで今日はたまたま七夕☆ ですね。
七夕とは何の関係も無い話ですが、生前の父が私によく言ってくれていた「戒めの言葉」を、ふと思い出しました。

「歳を取ると誰も何も注意してくれなくなる。人が注意してくれている間にちゃんと聞くように!」と。

今夜は星空を見上げながら、亡父に感謝の気持ちを送りたいです♪



下記の絵は『 7・7・7 スリーセブン 』です。





無断転載およびコピーはご遠慮ください。




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