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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

528の扉

2013-06-30 | 音楽の話題
今週末は、還暦を迎える旧友と一緒に螢を観に行き、ラベンダーの香る高原の素敵なホテルで彼女のお誕生日を祝いました。
その時二人で泊まった部屋の番号が、な、な、何と、「528号室」だったのです!

と、言ってもこのブログをずっと愛読してくださっている方以外には、「えっ、何の話?」「その番号がいったいどうしたの!?」ときっと意味不明に思われることでしょう。


それで、念のためもう一度その話を書きますね。
もしよかったらこの「音楽の話のカテゴリー」で前のところも読んでいただけましたら、さらによくご理解いただけるかと思います。


実はこの「528」というのは、私が今毎日聴いている「音叉セラピーCD」の中の、「528Hz」の音階のことなのです。
これは、グレゴリオ聖歌にも用いられた「古代6音階」の一つで、「傷付いたDNAの修復」をしてくれるのが、まさにこの528ヘルツらしいのです♪


毎日ただひたすらこの音だけを聴き続けていると、この “愛の周波数 ”が如何に心身を癒してくれるかが、本当によくわかります。

いつだったか、「らく~ら」のブログにも「全ては波動」という話が書かれていましたが、全くその通り♪
この音の波動(ヘルツ)によって、(その「振動数」に合わせて)自らの心身を自動的に、調和的に調整していくのですね。

メロディーは無いので、聴いてそれがただ単に心地好いというよりも、むしろ「何かもっと深いところで作用する感じ」がします。

例えば「アルジー」を摂取すると、体の底の方で本質的に安定する感じ?というような愛用者の感想が「らく~ら」のブログにも出ていたように覚えていますが、もしかしたらそういう感じにもどこか似ているかも?しれません。
(正確な言葉遣いのニュアンスと、もし少し表現が違っていましたらどうぞご海容ください)


それで、ずっと聴いていると、癒されるというより以前に、まず「浄化」もいっぱいあるような。

そのために苦しい想いも(泥を掻き混ぜたように?)時には感じられますが、上澄みを漉すようにして、いつの間にか心が軽く澄んでいくというか、それがむしろ「自然」で当たり前な感じに落ち着いていくように思います。
(もちろん、人それぞれで体感には個人差があると思いますが、、)


私も未だ途中なので、その効果については今はまだあまりはっきりとは自覚出来ていない面もあるのです。
それで私は何ごとも「体験」してからでないと人にはお勧めしないようにしているので、以上はこれまでに感じたことの「中間報告」です。


話は長くなりますが、そんな「528Hz」を毎日「摂取」!?ならぬ、愛聴する日々でしたので、その泊まった部屋の番号に思わず反応してしまったというわけです。

一緒に泊まった友だちは、何故私がその番号にそんなにも喜ぶのか?一瞬きょとんとしていましたが(笑)、後で理由を知って、「ええ番号なんやね♡」と、ラッキー☆ を共に喜んでくれました。


さて、その「528の扉」が、これまた重くてしかも鍵の開け方が難しくて(ややこしくて)二人で交互にやってみたりしてもなかなか一度では開かず、ちょっとイライラさせられました。

それがきっかけとなって、ふと「思い出したこと」があります。
以前にどこかにも書いたかと思いますが、昔、倉敷のある教会で歌手のミネハハさんの有名な『扉』という歌を聴いたことです。

私にとってその時の『扉』が、今ようやく目の前に「528の扉」として具現化して、実際にここに現れて来たのだな~☆と感じて、番号とも重ね合わせて大感激してしまいました。


その扉は今はまだ「重くて少々開けにくい」ものですが、次に現れる時には、きっと「自動ドア」のようにスルスルと開かれたり、あるいは透明なドアや、ドラエモンの「どこでもドア」☆ となっているかもしれないと大いに期待しています♡


また、過日「奇跡の時代」について武田葉子さんの講演会の話を書きましたが、その時に彼女以上に奇跡の連続でありながら、それをふつうに生きているのが、今回一緒に過ごした(還暦を迎えた)友だちなのです。
なので、もしかしたら今回の「扉」の件でも、その彼女の「引き寄せの力」(「奇跡」を引き寄せる力)!が私にも作用していたのかも?しれません。


ところで、選挙の告示ももうすぐですが、今度の選挙では果たしてどんな「扉」が開かれるのでしょうか!?
そして「新しい次元への光の扉」を押し開けるのは誰でしょうか。

そう言えばどこかの何かの物語に、盗賊がこっそり「ドアに印を付けて廻る話」がありましたね。
そして賢い智恵のある主人公が、それを消して廻るのでは無く、逆に全てに同じ印を付けて廻ったのでしたよね。
何だか最近の、政党と候補者の乱立、混線、脱退、入会騒ぎetc.. ともどこか似てませんか?


どのドアを開けてもいいけれど、間違っても絶対に開けてはならないのは、原発の釜の蓋です!


さあて、選挙のその前に何はともあれ、まずは自分自身の「胸の奥の扉」を開けなければ、、♪
押してもダメなら叩き割ってでも、って!?

否、静かに引いて、たまには「心臓の鼓動」など聴いてみませんか。









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家電年代記

2013-06-25 | 日記
有名なSF小説『火星年代記』(レイ・ブラッドベリ著/早川文庫)を読んだのはいつ頃だっただろうか。
友だちがSF小説が好きでその紹介で初めて読んで以来SFにハマり、特に彼の短編は他のものもとても面白くていろいろ読んだが、何せ今から35年以上も前のことなので、もうその内容などはすっかり忘れている。

ところで、最近我が家もSFブームのようで?なぜか次々に家電製品が壊れる。
元々私はどうやら器械類とは相性が合わないようで?静電気が多いためもあるかもしれないが、それにしても家電の寿命が短いのには本当に困っている。


まず春先にトースターが突然に発火して、もう少しであわや火事!?になるところだった。
トースターはかなり古かったので、これはもうそろそろ買い替えなければ、、と思っていたので、値段もそれほどしないから、いずれ新しいのを購入するつもりでいる。

それでも大体が「買い物嫌い」の私で、買い物が苦手なので、それ以来ずっと毎朝のパンはフライパンにオリーブオイルを少し垂らして両面をこんがり焼いて仕上げているため、朝食に手間と時間がかかる。

それから、冷蔵庫は、これももう十年以上は経っていると思うが、少し前からパーン、パーンと大きな音を立てて爆ぜるようになり、その度にドキッとして、爆発するのでは?と少々コワイ。

実はそんなふうに爆ぜる前までは、やたらにモーター音がうるさくて、眠れないぐらいの騒音だった。
それが、なぜかいつの間にか静かになり、「やれやれやっと静かになった、、よかったぁ~」と思っていたら、今度は冷蔵庫の中のものが次々に腐ったり、カビが生えたりするので、「おかしいな~不思議だな・・」としばらく様子をみていたら、何と全く冷蔵庫が冷えていなかったのだ!

その前には温度調節がかなりおかしくなっていたのだが、遂に!全く冷蔵がきかなくなるとは!?
しかもこれから真夏に向かう時、まして今は食中毒とかも多い梅雨の季節である。

それでも、「冷凍庫」の方は何とか使えているので、(これも時々冷えていなくて、ストック用の氷が融けていつのまにか水になっていることもあるが)今は小さな冷凍庫のみを頼りに細々と暮らしている。


そして、洗濯機だが、これも、やっぱり十年以上は経っているかもしれない。
脱水の時にモーレツにうるさい音を立て始めたのだ。

今は我が家の上は空き室になっているのでいいのだが、もしかしたら3階まで響いているかもしれない。
それで、それはたぶん洗濯物が片寄るためと思うので、洗濯機のバランスを戻せばいいだけかもしれないが、容量の大きい大型の洗濯機なので、とても一人では動かせず、脱水が始まる度に飛んで行って、側に付きっきりで手で支えて様子を見ている。

それでも騒音がうるさ過ぎる時には、一旦停止ボタンを押して回転を止め、それからまた開始するというふうに工夫している。そうするとどうやら「ご機嫌」が治って?何とか脱水が終わるのである。ヤレヤレ・・・。


と、まあ、そんなわけで、家事をするのにもけっこう時間を取られている次第。
人間で言うならちょうど「思春期」!?に入り、我が家の家電たちは今や「反抗期」なのらしい。

それで、親である私の方が、オロオロ、オタオタして、彼らの面倒を見るはめになっている。
トホホ・・・であるが、これももしかして、家電が「自意識」に目覚めて、人類に対して実際に謀反や、反乱を起こし始めていると考えると、何だか面白い。

いや、いや、面白がっている場合では無い。
もしこれらの家電製品が一切使え無くなったとしたら・・・と考えるとゾッとする。


それでも、いざとなれば、(時間はかかるが)パンを焼くのにトースターは無くても大丈夫とわかった。

冷蔵庫も私の場合はもしかしたら無くても案外大丈夫では?(近くに毎日買い物に行けて新鮮な野菜が手に入れば)と思う。ビールは飲まないし、氷も不要、でっかいスイカとかも買わないし、肉も食べないので、そんなに保冷するものは無いのだから。

最後に洗濯機だけは、シーツとか大きなものを洗うのにどうしても要るかな?
近くに川はあっても昔のように川で洗濯なんてとても出来ないし、お風呂の湯船で洗うとしても絞るのに、私の力ではうまく絞れ切れず、ぼたぼたのまま干すことになりそうなので、それはやっぱり困る。
「乾燥機」があれば便利だが、乾燥機を買うぐらいなら新しい(小型の)洗濯機を買う方がいいかも?(笑)


そんなことを考えながら、最近はまるで昭和30年代のような!?生活を送っている。
それでも、私はどんなに不便になってもいいから、「原発」は要らない!
不便で人は死ぬことは無いが、原発はいのちそのものを奪うのだから、、。


東京都の選挙では自公民が圧勝したと言っても、投票率そのものが半分以下。
それに自公民に投票した人たちだって、必ずしも全員が原発再稼働や原発の輸出に賛成しているわけでは無いと思う。

今年、来年ぐらいまでは何とかいけたとしても、3年後ぐらいにはおそらくそのしっぺ返しが来るのでは?というのが、私の予測である。もしかしたら再び同じような地震や原発事故が起き無いとも限らない。
(この予測が当たらなくても責任は取れないけれど、、。むしろあまり当たって欲しくないぐらいだ)


今や秘かに水面下で「家電」だけでは無く、さまざまなモノや人たちの「静かな抵抗の動き」が起きているのではないかという気がする。
もしかしたら我が家の家電たちも、その動きを察知して連動しているのかもしれない!?


力づくで、あるいはお金の力で言うことをきかせようという時代はもうとっくに終わっているのである。

だから、私は毎日「家電たち」に話かけて、熱心に対話を試みている。
そして、「お願い、あともうしばらく、私がこの家を引っ越すまでは何とか元気に働いてね♪」と(猫撫で声で)優しく頼み込んでいるのである。

きっと彼らにも立派に「意識」があると信じているので、まさに全ては「波動」の時代になったことをいよいよ痛感しながら、、。


人を人とも思わない傍若無人で不遜な政治家たちには、そのうちに「家電」のみならず、植物や、自然界や、全ての生き物たちの「総叛乱期」が待っているに違い無い。

むろん、私たち一人ひとりも「家電たち」を決して奴隷のようにこき使うこと無く、秘かに「提携」しつつ、
人が人としてまともに扱われる幸せで「持続可能な社会」☆ を目差して、静かに落ち着いて暮らしていこう♪



下記の絵は『チェンジ』です。




無断転載およびコピーはご遠慮ください。






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奇跡の朝

2013-06-21 | 「アズミックアート物語」21~ その後
「奇跡のりんご」という映画が現在全国上映中ですが、これはもう奇跡の、、というよりも私からすれば「努力のりんご」と言っていいぐらいな気がします。

私は映画はまだ見ていないのですが、ずっと以前に木村秋則さんの書かれた本を読んで以来の彼のファンです。

ところで、今日は「夏至」ですね!
伊豆に住んでいた頃はいつもこの日には平和を祈る儀式を二人でやっていました。
ケーナーを吹いたり歌を歌ったり、、。

ログをオーリングテストをしながら建てた話は以前書きましたが、そんなふうにして建てたら全く意図せずに(出来上がってみて初めてわかったのですが)建物の四面がほぼ東西南北にきっちり合っていたのです。
それで、夏至の日にはちょうど朝日がまっすぐにログの入り口(東)から入って来たのです。


さて、昨年末12月21日の冬至にはやはり木造りのアークエンジェルのイネリムホールで、アズミックアートの展示会をさせていただきました。日本時間では22日になるそうですが、その日が「マヤ暦最終日」ということで、、。

それでもその後特に何もなかったじゃないか!?
「何も起こってないよね」と思われている方も多いことでしょう、、。
実は私も半信半疑のままでした。


先日参加したTHD主催の「奇跡とコンタクトする時代」と題するセミナーの中で、近藤洋一氏がそのことについて、
少し触れておられたので、ついでながらお伝えします。

コールマン博士によりますと、実は正確には「マヤ暦最終日」はその前年の秋、2011・10・28だったそうです。
が、いずれにしてもその日の手帳を見てスケジュールなどを見直してみても、私には特に印象に残るような出来事も起きていませんでした。

ただ、その日からやはり(目に見えない)変化が起きているそうで、それは下記の3つの点においてだそうです。

① 「宇宙計画」に地球人類が「共同参画」するようになる
② 右脳と左脳が統合されていく
③ 時間が変わる

そして、近藤洋一氏は「イヤシロチ」についても話されていました。
例えばある場をよくするためにはそこのウイルスを殺すのでは無く、その場をイヤシロチ化するということです。

そのことに関してふと思い出したのは、たまさんの言葉です。

たまさんは(伊豆に行く前に私たちが住んでいた)大阪の郊外の狭いアパートにも訪ねて来てくれたことがあり、また恵那にも来て下さったのですが、その時その「空間」がとても澄んでいて、まるで森の中に入って行くような不思議な感覚がしたそうなのです。

そんなふうに言っていただいてとても嬉しかったのですが、私はそれまでも15回以上もの転居をしていて、その中でもとてもヒドイ劣悪な最低の(今思い出してもゾッとするような)環境にも暮らしたことがあります。
けれどもいつもその中でも精一杯そこをきれいにしようと自分なりによくやったと思います。

どこのどういうところで暮らそうともそういうふうにしなければ、自分自身が苦しくてその場に居られないからです。
そういうことを振り返った時に、「あぁ、もしかしたら(無意識的に)自分がやろうとしていたのは、その場の『イヤシロチ化』だったのかも?」ということに気付きました。

そういう意味では唯一自慢出来ることがあるとすれば、「努力のりんご」では無いですが、「努力の家」!?だったかもしれません。
ただ、私の場合、とても残念なのは、そこが居心地好く気持ち好くなってきた頃には、なぜか宇宙からの?「転居命令」の辞令!?が降りて来て?どうしてもそこに居られなくなり、また、次へ移ってはせっせっせとそこを磨くというような運命(宿命!?)のようなのです。

それでもさすがにもう還暦も過ぎて今は「大還暦」(120歳)へ向けての旅の途上なので、これ以上の「転勤命令」は受けられないな~と思っています(笑)。
その最後の幸せな「終生の住まい」が何処になるのかは未だわかりませんが、これまで以上の最高に素晴らしい☆さわやかな自然に囲まれたところがいいなと願っています。


他のことには何の欲も無い私ですが、これまで住むところや家にこだわってきたのは、決してぜいたくとか、ワガママからではなく、ちゃんとしたそういう理由があったのだということに、近藤洋一氏やたまさんの言葉から気付かされました。
そしてそういう自分なりの、どうしても譲れない「こだわり」もあっていいのだな~と思えて、ほっとしました。


また、同じセミナーで「夢を叶える時代」と題して講演された武田葉子さんは、どうやら関西出身?らしく、とても気さくなお人柄で、言葉もところどころ関西弁でとっても楽しく、私は不思議な話の連続にびっくりしたり、笑ってばかりいました。

彼女は「奇跡あたり」(食中毒では無く、奇跡あたり♪)と、周囲の人に言われるぐらい、まさに奇跡の連続の日々を送っておられるようですが、そんなふうに「夢を叶えるコツ」は

① 人の奇跡の話を聞いた時、そんなことは自分にはあり得ないと思わず、「私にも起きるかも?」 と信じること
② 生まれて来たことがもうすでに「奇跡」であり、そのことに感謝する
③ 「魂からの夢」(ほんとうの願い)に気付く

そして、「自分が自分を信じられるような自分になる」ということだそうです。

思い、言うこと、そして行動が一致するということ。
ほんとうはどうしたいのか?どうなって欲しいのか?を深く考え、意識する。

例えば彼女は具体的な(「一人コーチング」の)方法として、ルーズリーフ(ノート)に、自分の悩みや課題、問題、「プチムカ」(ちょっぴりムカッとしたこと)について書き出し、まずそれを「認める」。
自分がそのような気持ちを持っていることや、その時のうまくいっていない状況や事態を客観的に事実として認めること。

そして次に、それを流す。「ストッパーを外す」のだそうです。
それは、「ほんとうはどうなりたいの?」と自分自身に聞いていくということです。

最後にどんな絶望的な状況の中でも最後の最後まであきらめないで希望を持ち続けること。
彼女は自分自身の介護体験を話してくれましたが、本当にそれはまさに「奇跡」としかいいようのない出来事でした。

それでもやはりそこには凄い「努力」もあり、決して自分は一切何もしないで、「ただ奇跡が起きるのを待つ」だけとか、何かが突然天から降って来るというような、そういう丸投げの「依存」では無いのです。
最後まであきらめないで信じ続けるにもエネルギーが要り、それも「努力」の一つではないか、と私は思うのですが、皆さんはどう感じられるでしょうか。


そして、彼女の話の中で最も面白かったのは、「幸せは伝染する」ということです。
幸せな友人を持つと、自分の奇跡率!?も15%ぐらいUPするそうです。
また、全く知らない人にも自分が幸せであることは影響を及ぼすということを知って、ほんとうにそれは素晴らしいなと思いました。

武田葉子さんは、これまで無料で「夢を叶える学校」をやっておられたそうですが、これからは有料になるということでした。それでも年間¥12000でその学校に通えて、幸せ力や奇跡力がUPして、もしも自分の長年の夢が叶うとしたら、例えば「婚活」に払う活動費よりはずっとラッキーかも!?
(詳細は彼女のブログや「夢を叶える学校」のHPをご参照ください)


私の場合、武田さんと同じか、それ以上の?「奇跡力」を持ったとても幸せな友人たちが側に何人もいてくれているので、おかげさまで「奇跡の学校」にもうすでに毎日通っているかのようです(笑)。本当に感謝です。

そして私自身も、テレパスアートのお客様がそんなふうに、(例えば絵を手にされることで)幸せ力や「奇跡力」が少しでもUPするお手伝いが出来ればいいなと心から願っています。

決して「霊感商法」ではありません(笑)ので、科学的な効果の証明や再現の出来ないことは、大きな声では「効能」は言えませんが、出来れば海外のお客様にももっと広くご利用いただけたらいいなという夢☆ もあります。

これからもどうぞ宜しくお願い致します。


いつもご愛読ありがとうございます♪


下記の絵は『マドンナ』です。




無断転載およびコピーはご遠慮ください。




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花にインタビュー(その4)

2013-06-19 | 花のつぶやき
近くの公園で「合歓の花」が咲き出しました。

通りがかりに今日初めて気が付いて、「ねんねのネムの木 眠りの木♪」なんて口ずさみながら、淡いピンクの花を見上げていると、亡くなった友達のことをふと思い出しました。


彼女は岩手の人ですが、あの東日本大震災の前の年に病気で亡くなったのです。
彼女がふるさとの岩手に戻る前に岡山の牛窓で開いていた素敵なお店の近くにも、大きな合歓の木がありました。
「日本のエーゲ海」と呼ばれてオリーブで有名な牛窓には、あちこちにたくさんの合歓の木があったのです。

植物はみんな繋がっているから彼女のことももしかして知ってるかな~と思って、目の前の合歓の花に尋ねてみました。

「あのね、ねむの木さん。彼女のこと、覚えてる?」
突然の質問だったのに、すぐにやさしい声が返って来ました。

「その人のことは知らないけれど、何となく気持ちはわかる気がするわ。あなたの気持ちも、ね」
そう言われて何だか涙が出てきました。

明日(20日)はその彼女の命日なのです。


思わず涙ぐんでしまった私に、合歓の花がまたそっと声をかけてくれました。
「つらい時はね、目をつぶってね、眠ればいいのよ」
「そしたら、目が覚めたらあれはみんな夢だったのね って、思えるから・・・」


そんなふうに忘れてしまっていいのかしら、、と心の中で少しとまどっていると、
合歓の花がまた言いました。
「忘れてもいいのよ。全部覚えてなくてもいいの」
「あ~、いい夢だったな って、いいことだけ覚えてればいいのよ」

「ありがとう、合歓の木さん。ありがとう!」


よいことならいっぱい覚えてて忘れない。
いつかまた牛窓の合歓の木も訪ねて行くね。待っててね♪


笑顔になって歩き出した私にまるで手を振るように、公園の合歓の花が風に揺れていました。



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今日の不思議

2013-06-18 | シリーズ「テレパスアート物語」
午後3時過ぎ。外は31℃以上はあろうかというくもり空の下。
突如として「いし~焼き~~イモ~~~」「美味しい美味しい石焼き芋」「ほっかほっかの焼きたて~~」
というマイクの声がどこからか風に乗って聞こえてきて、思わず目が点に!

我が家から見えるのは道路の一部だけでその石焼き芋屋さんの姿は見えてないのですが、その声が遠くの方からこちらへとだんだん近付いて来るようです。
今日は風もあり、くもり空でいつもよりは少しましとは言え、部屋の中でも扇風機だけでは足りず電気代を気にしながらもクーラもかけたいぐらいの蒸し暑さ!

それなのになぜ?しかもこの最も気温の高い真昼間に!?
一体ほんとに石焼き芋を買う人はいるのかしら???


余計なお世話かもしれませんが、もしかしたら石焼き芋のおじさんは車の運転席がガンガンクーラーが利いていて、外の暑さがわからないのかもしれない(まさか!?)と想像してみたり、、、あるいはクーラーで冷え切った室内で働いている人がいて、ふと熱熱のものが欲しくなるのかも? などとあれこれ考えてみたり、、。

「そんなことをのんびり思い巡らしているなんて、よっぽどひまなんだな~」とみなさん思われたかもしれませんが、実はそんなことはありません。
朝からずっと根を詰めて仕事をしていて、お昼ご飯が遅くなり、ようやくほっとした時だったのです。


やがてふぅ~とかき消すようにその「石~焼き~~芋~~~」の声が遠ざかり、いつの間にかスッと消えてしまった後で、ハッとしてようやく我に返ってみると「あれっ!?もしかして今のは私の幻覚? 幻聴?だったのだろうか、、」と急に気になって来たのです。


みなさんはこの暑さの下で石焼き芋の車が本当に走っていたと思われますか?

まっ、そんなことはどっちでもいいことかもしれませんが、私にとっては一大事!

次元の違う(あるいは季節や時間帯が違う?)世界がこの「現実」の中にふと混入して重なって存在していて?それが時々そういう現象を引き起こしているとしたら?
わぁ、それはちょっとコワイですよね!

それとも私が仕事に没頭し過ぎて少々頭が疲れていただけなのでしょうか、、。


朝から仕事をしていてふと気が付くともう辺りが薄暗くなっていた、、なんてことはよくあります。
どうしてそんなに時間がかかるのかな~と思ってつくづく考えてみたら、どうやらそれだけ筆が遅くなっているのですね。

よい絵と言うのは勢いがあってあまり時間のかからないものらしいのですが、そう言えば初期の頃はもっと簡単に気軽に描けていたような、、。ともかく今よりももっとずっと仕上がりが早かった気がします。

「自動的」に描いているので、自分自身の「能力」とはもともとあまり関係無いと思うのですが、これは一体どういうことでしょうか。

もしかして受信する私のからだ(受信器)の衰えか?感度が鈍くなったのか?集中力が落ちたのか? etc...
と思っていろいろ考えてみたところ、どうやらあちこちに飛び回っている携帯電話などの電波やパソコンなどの電磁波、その他受信を妨害するものが15年前よりは飛躍的に増えたためかもしれないと思いました。
そのためかどうか、実際、「疲れ方」も以前とは違う気がします。

けれども例えばたまわーるどのたまさんなんかは、20年前も今も全く同じ!で、子どもの頃からその能力は変わっていない(それどころか進化&深化している!?)みたいなので、これはやっぱり私の「言い訳」なのかなぁ?(汗) 
それとも気付かないうちに「時間が加速化している」のでしょうか!?


「プロなら言い訳はゆるされない」とは承知していますが、あえて言わせてもらうと、それだけ一人ひとりに時間をかけている(丁寧になっている?)ということかもしれない、、という(自己弁護の?)結論に達しました。

それはつまり一人ひとりの抱えている問題や課題も、今はそれだけ深く重いものになっていたり、未来も不透明で現在の社会もまた以前よりはずっと深刻な状況に追い詰められていたり、、誰にとっても簡単に答の見いだせる現状や環境では無いからかもしれません。
それに病気を抱えた人の絵を描くのも、以前は今よりもずっと数が少なかったと思います。


それに、以前よりは今の方が説明も具体的でより細やかなものになっているからではないか、、等々、
自分で自分を励ますことをいっぱい書きましたが、皆さんは果たしてどう思われるでしょうか。
(「実は批判はいっぱいあるけど伝えてないだけよ~」なんて言われたら、ひぇ~~~どうしましょう!)

たくさんの人に広く浅く~のコンサルから、今はだんだん一人ひとりの人生に深く寄り添うようなかたちに変化し、関係性がそれだけ太く強くなってきているのかもしれないと、都合好く?自分流に解釈しているのですが、もしかしたら皆様のご要望に応えられるだけの力量が不足しているのだとしたら、もっとパワーUP!しなければ、、。

いずれにしてもそのような過大な責任を感じ過ぎるがゆえに?私の絵筆も、また説明も「より慎重に」ならざるを得ない面もあるのかもしれません。
(絵そのものよりもその説明の方にさらに多くの時間がかかるぐらいです)

そういうわけで、今は速度はかなり遅々としてはいますが、一人に一冊の「絵物語」を描くようなそんな気持ちで日々精一杯絵筆を握っています。


また、話は変わりますが、(自己流)オーリングテストで今月は何名のお申し込みということが前もってだいたいわかる?というのも不思議です。

5月も、「あと8名」と言われた時点で、「ほんとにこれからまだそんなにたくさんお申し込みが!?」と半信半疑だったのですが、締切を過ぎてから後にきっちりその通りになりびっくり!!!でした。


今月はスタートがゆっくりでしたが、「あと5名」と言われています。
それでいつもなら中旬を過ぎると定員枠を超え、もうそろそろ締切ろうかな、、と考えるのですが、今月はまだ店を開けています。

それから、以前はたくさんの方々に「卒業」していただいたのですが、それは私の描ける枚数というか、お引き受け出来る数が限られているため、なるべく初めての人や新しいお客様を優先したいという願いがあり、何度も描いている方々や、もうこの方は大丈夫だなと安心感の感じられる方々に、ご無理とご負担をおかけしてしまったのですが、最近はなぜかまた一旦卒業された方でも再度申し込まれる方もおられ、そのような時にはお断りせずに出来るだけお引き受けすることにしています。

ただ、年月が経ったからと言って私の絵の技量がUPしているとは限らず、期待外れになられるかも?しれませんが、それもまたすべて「宇宙におまかせ」で、絵が気に入られる時も、そうでない時もあるかもしれませんが、今後共にどうぞ宜しくお願い致します。


それでは、あと5名!?の方々とのご縁を楽しみに、お申し込みを心待ちしています♪
ご愛顧まことにありがとうございます☆







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