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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

してやられた大家さんー落語で学ぶ 物理入門ー

2013-01-28 | 本の紹介
大家さんと八っつぁんの会話から、たのしい物理が見えてくる!!親子で楽しめる、“ 落語 ” 物理入門書。と帯に書いてある。
しかも何と練習問題つき!の本。
『してやられた大家さんー落語で学ぶ物理入門ー』(佐藤 旭 著/清風堂書店)を紹介する。

科学的なことにはさっぱり弱く、中でも物理はいつも落第点続きだった私。未だに物理と聞くだけで苦手意識が働く。でもこの本なら面白く読みながら物理も少しは解るようになるかな?ほんとになるかな?と半信半疑ながらもさっそく購入。

思っていたよりぶ厚くて、しっかり数学の図形も書いてある。わぁ、幾何学もさっぱりダメな私。
と、言うわけで、お正月に読むつもりで購入したのにちらっと広げて眺めただけで、そのまま机上に置いてある。

読んでもいないのに紹介するのは少々気がひけるが、受験シーズンでもあり、勉強の合間に大いに笑って気分転換してもらえたら、、と願っている。


ついでにもう一冊紹介、と軽く言うにはあまりにも大事な本がある。
こちらは友だちが貸してくれて、今読んでいるところ。

『 福島原発事故と女たちー出会いをつなぐ 』(近藤和子 大橋由香子 編/梨の木舎)
2012年10月26日初版発行。

読んでいるとあまりもの生々しい臨場感にまるで自分がそこに居合わせたかのように、否、今もそこに閉じ込められたままでいるような切迫感と危機感が迫って来る。
そして今この方たちはどうしておられるのだろう、、と彼女たちひとり一人を訪ね歩きたい気持ちになる。

昨秋に東北の被災地を訪ねたある知人夫妻が、「関西とはかなり温度差がある。向こうは全然違う!そんなもんじゃない」と声を揃えて嘆いておられたが、阪神淡路大震災で被災した彼らでさえもそう感じるほどに、現地とは乖離した日常を送っている私たち。

私もこの本を読みながらそういうことをひしひしと感じた。
「忘れないで欲しい」ということを被災された方々は誰もが口々に言われるが、その意味がよくわかる。
関西は特に距離的にも東北からは遠く、東京よりもむしろ危機感が薄い面もある気がする。

誰もが今安穏とした日々を送っているわけでは無く、皆必死に生きていることには変わりは無いにしても、それでもやっぱり私たちは被災地とは違う「普通」の日常を無事送ることが出来ている。
だからこそ、時にはせめてこのような本を読むことで、あえて忘れないように、しっかりと想いを向けることが出来るようでありたい。
そして「今自分に何が出来るか」を考え、行動に移そう。

私はこの本を読み終えたら感想を書いて送るつもりでいる。
とても素晴らしい本だったが、ただ一つ違和感を感じた絵もあったので。
自分が絵描きだから言うわけでは無く、女性としてちょっと気になるイラストがあったからだ。
そういうことも伝えることで再版の折りにはさらに読者が増えることを期待している。


昨夜から今朝方は我が家近辺も珍しいぐらいの一面の雪景色だった。
こちらでは雪が降ると何となくワクワクするが、東北の方ではそれどころでは無いことだろう。
仮設住宅で暮らす人たちのことを思いつつ、少しでも早い春のおとづれを心から願っている。


下記の写真はなつかしい伊豆の「河津桜」。
今年も2月初旬にはもう咲き始めることだろう。






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瞑想

2013-01-25 | 「アズミックアート物語」21~ その後
1983,4年頃、私はまだ30代の半ばだったが、その頃が一番よく瞑想していたと思う。
一人暮らしだったので、休日はほとんど一日中瞑想していたぐらい、「瞑想おたく」?だったこともある。

その時に全身を貫くエネルギーの衝撃的な上昇(今から思えばそれは「クンダリーニ」の上昇だった気がするが)を経験したり、周囲が急に黄金色に輝き出すような不思議な体験もあった。
尾てい骨が熱くなって困ったこともある。

けれどもそういう「指導者無しの瞑想は危険を伴うこともある」とある方から教えられ、それ以後はあまり凝り過ぎないように気を付けるようになった。
そういうわけで私の瞑想は未だに我流のままで、ちゃんとした瞑想になっているのか?どうかは今もわからない。

テレパスアート(以前はヒーリングアートと呼称していたが)を描くようになってからは、なぜかあまり深い瞑想が出来なくなってしまった。
それはどうやら絵を描いている間はすでに「瞑想状態」に入っている?らしいこととも関係しているのかもしれない。

もちろんそうは言っても例えばその途中で宅配便が届いたりといった時には、ちゃんとドアを開けて対応することも出来るので、意識がぶっ飛び過ぎてどこか異次元?や別世界を彷徨っているというわけではない。
半分の自分はちゃんと覚醒?していて、意識的に画面に向かっている部分ももちろんあると思う。

そして絵を描き出しての変化といえば、もう一つある。
自分のことについてはなかなか描けなくなってしまったことである。
その理由についてはわからないのだが、例えば描いてみても絵の中に自分が登場しないのである。

その代わりというわけでは無いが、他の人の絵を描きながら、その人のことがまるで自分のことのように思えたり、共時性というか、相前後してその絵と同じような体験をしたりといったことも多い。
例えば俳優さんたちがある鬱の人を演じているうちに、自分も鬱っぽくなってしまう?ということもあると聞いたことがあるが、こういうのを「イタコ体質」というのだろうか?

そういえば、恐山のある若いイタコさんが、その仕事を始めて間もなくの修行時代に(経験が足りなかったためか?)救急車で運ばれたこともあったという笑えない話も、どこかの雑誌記事で読んだことがある。

鮭が産卵のためにふるさとの川の上流を目差して遡っていく時、その身もぼろぼろになりながら泳いでいくように、こういう仕事をするものは誰も皆そのからだを(こころも)遣って、「真実」を得ようと真剣に努めていると思う。

それでも時にはうまく産卵場所まで辿り着くことが出来ずに、その一歩手前でダウンしてしまうこともあるだろう。
それは決してその固体の能力だけの責任というわけでは無く、その環境に阻まれたためということもあり得る。

手渡したかったもの(次世代へのいのちのメッセージ)をバトンタッチ出来なかったその無念を思う時、遺された者たちはそれをしっかりと引き継ぎ、伝えていく責任があると感じる。

………………………………………………………………………

アルジェリア人質事件で身代わりとして犠牲になられた十名の尊いいのちに、深い畏敬の念を持って心からご冥福をお祈り申し上げます。


下記の『メディテーション』の絵を追悼に代えて掲げ、
地球だけではなく「宇宙」の平和も心より祈りつつ。




(無断転載、コピー等はご遠慮ください)


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アトラス

2013-01-24 | 「アズミックアート物語」21~ その後
「アトラス」とはギリシャ神話に出て来る巨人という意味もあるらしいが、私たちの絵では「地図」。
この絵はポストカードに入っていないので、今回このブログで初めて目にするという人もおられるかも、、。

下記がその『アトラス』。




この絵の背景は(未彩色の線描画においては)ほんとうは「空」で、そこにエネルギーの波というか、「波動」がまさに波マーク~~~~~で一面に描かれているのだが、相棒が彩色するとなぜかまるで赤い大地のようになって、その出来上がりにびっくりした想い出がある。

基本的に私は彩色のことは彼にまかせきっているので、そういう場合でもほとんど何も言わず、むしろその発想のユニークさというか、面白さに、完成後にハッと気付くことも多く、そして絵の深い意味やメッセージを改めて受け取ることもあって、とても感謝している。

それからこの絵には音楽も付いていて、この曲がまた何とも言えないぐらいこの絵にぴったりで、この曲によって初めてこの波線~~~~~が実は「草の波」であったこと、ここは実は「草原」でもあるのか!?と知って驚いたのである。

こういうことが後から後からわかってきて、もう手元には無い絵なのに、思い出す度にもう一度原画を観てみたくなり、ふと絵に逢いに行きたくなる。
(この絵はたぶん今も津山にある筈)

またこの絵の四隅は宝石の色になっていて、(東西南北や五行の色にも対応するように)それぞれ違った色で塗り分けられている。

この中央のちょっと左下あたりに描かれている「赤ちゃん」のような島?は、ここからいのちが産み出されたかのような、(まるでイザナギ、イザナミのオノコロ神話のように?)掻き混ぜられている感じで、ふつふつと沸き立つような熱いエネルギーがある気がする。
言わば大地の「胎児」のような?

現在の地球とは違った地図(アトラス)だが、古代地図ともまた違っていて、もしかしたら違う次元に存在しているのだろうか?

この赤ちゃんのような小さな島?は、もしも今の地球に当てはめて言うなら、私にはなぜかオーストラリア大陸あたりの海域のように思えるのだが、果たしてどうだろうか。
もしかしたらこれはあのかつて沈んだと言われている「アトランティス」の一部の再現なのだろうか?

科学的にはあり得ないことかもしれないが、そんなあれこれを想像して、壮大なロマンに浸っている。
そしてこの世の憂さ晴らしというか、ここにさわやかな風が吹いて、滞ったものを吹き飛ばし、地球を浄化して欲しいと願う。


下記はその「アトラス」の歌です。

1番と2番の間にはピアノ曲で「間奏」が入るのですが、
それがちょっと不思議な?コード進行で、まるでほんとうに
風が草原を吹き渡ってゆくかのような、とても魅力的な流れです。

いつかぜひ皆さんにも聴いてもらいたいです♪


ーーーーー 『 アトラス 』ーーーーー by AZUMIC ART

1)はるかな草の波の彼方に
  白く輝く小さな船よ
  旅人を乗せて 遠い宇宙の
  記憶を運んで来た この船は
  どこへゆくのか 私を乗せて

2)はるか彼方のふるさと目差し
  私を乗せて帰りゆく船よ
  朝露に濡れて 光る草原
  なつかしい想い出の この地球(ほし)に
  いつか再び 旅する日まで

  草原に 風吹け~~~~~


(無断転載およびコピー等はご遠慮ください)



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『クリエーション』と『リ・クリエーション』

2013-01-22 | 「アズミックアート物語」21~ その後
ふだんあまり取り上げたことのない「宇宙画」作品2点を下記に掲載する。

一つは『クリエーション』(ポストカード第1集所収)



……………………………………………………………

もう一つは『リ・クリエーション』
(ポストカード未作成)




「クリエーション」は創造。「リ・クリエーション」は再創造という意味で名付けたが、この二つの絵の関連については実は私自身もあまりよくわかっていない。

ただもし卑弥呼のネックレスというものがあるとしたら、この「クリエーション」のようなイメージかも?と何となく想像する。

そしてまた、もう一つの「リ・クリエーション」の「リ」と「クリエーション」の間の「・」(中黒点)を取って文字を繋げると「リクリエーション」(レクリエーション、娯楽や慰め)となるのも興味深い。
すなわち、計り知れない大いなる宇宙の「気晴らし」とは、「再創造」でもあるのかもしれない。

宇宙の創造神は、自らも含めて?宇宙を創造したり、また時には壊したりして、遊んでいる?というと語弊があるかもしれないが、要するに(善悪関係無しに?)神も「気晴らし」(リ・フレッシュ!)の「創造と再創造」を無限に繰り返しているのだろうか?
これは宇宙の記憶の永遠の「ホ・オポノポノ」(クリーニング)でもあるのだろうか。

そんなふうに考えると、例えば世界が今どんなふうにひどいとしても、それは「再創造」のためのプロセス なのかもしれない。


今日私は趣味の会のある人とたまたま電話で話していて、なぜかふとネガティブでブルーな気分になってしまったのだが、それもまた宇宙の「創造」の一部(自分自身が創造したもの!?)だとしたら、もう一度主体的に「再創造」し直すことも出来る筈!?

というわけで、ふと思い付いて上記の2点の絵を掲載してみた。
(転んでもただでは起きない私!?)


もし今何かで落ち込んでいる人がいたら、しばらく仕事はさておき、「もっとも自分の好きなこと」に集中(リクリエーション☆ )し、自分のこころを立て直し、気持ちを新たに(クリーニング)して内面世界を「再創造」(リ・クリエーション)してみて欲しい。

たまにはこのような「宇宙画」を観て気分転換(リフレッシュ!)して、もう一度元気と勇気を取り戻してもらえたら、私たちにとってもこれ以上無いぐらいの最高の喜び♪です。


(上記の絵の無断転載およびコピー等はご遠慮ください)


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宇宙画『ペンギン』のこと

2013-01-21 | 「アズミックアート物語」21~ その後
アズミックアートの宇宙画シリーズの中に『ペンギン』という絵がある。
この絵はポストカード第1集(完売済)所収で、原画は早くに売れてしまったので、どんな絵なのか、あまり観たことがない人も多いかもしれない。
下記がその絵である。





ちょっとシビアな感じのする絵だが、題をなぜ『ペンギン』と名付けたかというと、宇宙船?のような乗り物の一番上に立っているのが、ふとペンギンのように見えたからである。

この絵はなぜか「親子関係」、例えば出産や出生にまつわる心の傷などとも関係している気がする。
特に根拠は無いが、何となく直観でそう思えるのだ。

たまたまこの絵と関係する「スピリットソング」もそういう「幼心」を歌ったものになった。
季節的には春先のなごり雪の頃の「幻想的情景」を思い浮かべていただけると嬉しい。
そして忘れている「おさなごころ」をほんわり取り戻していただけたら、、と願っている。

下記がその歌詞である。

ーーーーー『ペンギン』ーーーーー by AZUMIC ART

1)こなゆき さらりさらり 
  さざんか はらりはらり
  まどべに きらりきらり
  おさなごのひとみのように

  遠いあの日見つめている
  心の奥のぬくもりを辿りながら

  雪を見てる 夢を見てる
  白く輝く憧れ胸に

2)はるかぜ ふわりふわり
  しずくが くるりくるり
  おひさま ゆらりゆらり
  おさなごのひとみのように

  れんげ摘んで 帰る野辺に
  母の呼ぶ声 聞こえて来るよ

  雪を見てる 夢を見てる
  白く輝く憧れ胸に

 ………………………………………………………………………

もちろん歌詞だけでは誰も歌えない(笑)と思いますが、すでにこの曲は出来ているので、いつかユーチューブに投稿出来たら!と夢見ています。
いつになるかはわかりませんが、どうぞ乞うご期待♪


(無断転載、コピー等は固くお断りします)



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