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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

テレパスアート物語(7)「卒業」について

2012-09-29 | シリーズ「テレパスアート物語」
ここ1、2年の間にたくさんの方にテレパスアートを「卒業」していただきました。
この「卒業」の意味について、ネガティブに受け止められる方もおられるようですので、今回はそれについて説明致します。

例えば美容院などでしたら、行きつけのお店からあなたはもう「卒業です」などと言われることは決してなく、髪はいくら切ってもまた必ず伸びてくるので、美容院との付き合いが一生ものである場合も多いことでしょう。

だからテレパスアートをご利用いただいている方も、同じように思っておられたとしても不思議では無く、お客様の方から「ここはもういいか!」と自ら「卒業」されるならともかく、反対の立場に立たされるのですから、ほんとにムッとしたり、「一体何よ」と不愉快に感じたり、私のことを傲慢に思われる方もおられるかも?しれません。

けれども、病院にも退院があり、またカウンセリングなどでも例えばアドラー心理学では(原則)十回までというふうにルール化されていることもあるようです。

ヒーリングアートを描いていた頃(2004年秋まで)のことですが、ある年配のお客様の絵に初めて「卒業」ということが描かれたことがありました。その絵に描かれたご本人が、丸めた「卒業証書」を自ら手にしておられたのです。

その方は大変ご苦労の多い人生を過ごされ、いつでも人のお世話ばかりでご自分の自由というものが全く無いような暮らしをしておられました。
最初に描かせていただいたこの方の絵でもやはり、箒やチリトリを手にし、頭には三角巾(タオル)を巻いて、いかにも「働き者」という感じで登場していました。

その後何度か描かせていただいているうちに、だんだん服装もおしゃれな感じになり、ある時、家の戸口の外に「五円玉」(ご縁)が落ちている絵になりました。
その絵ではこれからはこの方が外に出て趣味でも何でも好きなことをすることが出来、またそれがお小遣いも得られるようになりそうで、これからが楽しみ♪という感じでした。

その方の状況もまさにそのように進展していて、その方の人生においてはようやっとの平穏が訪れ、これからはそんなふうに何か自分にとっての楽しみを見つけて、「遊んでもいい!」というメッセージだったのです。
それで、私はもう絵は卒業されてもいいのでは?とおすすめしたのですが、うんと言われず、その後また頼まれた絵で、先述したような「卒業の絵」になり、ご丁寧にも「記念碑」(石碑)まで画面に登場していたのです。

それでも、その方は卒業することをオッケーされず、その後また頼まれました。
すると今度はその方のおつれあいがなぜか海の中でブランコに乗ってぶらぶらしているというような絵になりました。そしてその後そのおつれあいが倒れられて、結局彼女はまた介護とお世話の日々になってしまわれたのです。

それで、私は「卒業」というのは、例えば義務教育を終えて就職するか、進学するかというような感じで選択があり、また高校を終える時にも、大学に行くか、留学するか、専門学校に行くか、あるいは就職するか、家業を継ぐ等々(人によっては途中退学や留年もあるかもしれませんが)、次に選択があるのと似ているなと感じたのです。

そんなふうに、せっかくここで「卒業」して、また別の選択があるという時に(もちろん何を選択するかは全く本人の自由ですが)、その機会をふいにして同じコースを行ってしまうのは、ちょっともったいない気がします。

さらに学び続けたいというのもいいのですが、一方「もうお勉強はいいかな?」と感じたら、例えばフリーになって世界を放浪したり?どこか全然別のところで働いてみたり、あるいはボランティアをしたり、、いろんな体験をしてみるのもいいのではないかと思います。

ですから、「卒業」というのは、一つのチャンスでもあるのではないでしょうか?

もしそのままさらに上級コース(大学院?)へと進んで行かれた場合、これまでよりもさらに「課題」が難しくなり、人生においてもより学びが深まるようなシビアな出来事も起きて来るような、そんなことも多いようです。
これまで15年以上、テレパスアート(「魂の似顔絵」)を描き続けて、そのような絵をたくさん描いて来た体験から、以上のようなことを発見?したのです。

また、もうひとつの例として、ある女性がかなり年下の男性(親子ぐらい歳が離れている)と恋愛関係になり、絵ではそれは例えば深い「渓谷」に飛び降りるぐらいの凄い決意がいるという絵になっていたのです。

またそのお相手の男性は、やさ男?というか、かなり女性的なタイプで、たとえその渓谷に思い切って彼が飛び込んだとしても、向こう岸に泳ぎ着くことは難しそうで、溺れてしまうか、もしくは引き返すことになるのでは?という絵も描きました。

それでその頃はご本人に電話で絵の説明をしていましたので、この恋愛には相当の覚悟が要ることを伝えたのですが、彼女は彼を何とかしてあげたい、癒してあげたい、自分が治してあげたい(彼は何か心の病を抱えていたようです)という気持ちで、「自分はどうなってもいい」というぐらいに、彼女はひたすら彼に対する愛でいっぱいだったので、聞く耳を持っておられませんでした。

その後紆余曲折がありましたが、また絵を描いた時には、今度は彼女が黒枠の額縁に入っている絵になり、蓮の花も描かれていたので、私はドキッとして、これはまさに「命懸け」の恋になるのでは!?と直観し、彼女に気を付けるようにお伝えしたのですが、その不安感は的中してしまい、結局彼女は彼のDVが原因となったらしい怪我がもとで?急逝されてしまったのです!

それを知った時はかなりショックで、もっと強くはっきりと止めればよかったと、どんなに思ったことでしょうか。
彼女もどこかでそのことはわかっていたのか、自分は死んでもいいということを口にされたりしていたので、たとえそんなことになっても、決して彼を恨むことなく、もしかしたら、「自分の死を持って彼を立ち直らせたい」というぐらいの悲壮な決心をしておられたのかもしれませんが、それでも私はせっかくの絵が残念ながら何のお役にも立てなかったという無力感と、加害者へのくやしさで、かなり長い間落ち込みました。

一年ぐらい経った頃にその加害者の彼から、彼女の死を知らせる電話があり(私は彼女の死は他の方から聞いてすでに知っていたのですが)、また絵を頼まれたのですが、私は即お断りしました。
そしてそれ以降のお付き合いも(電話も)はっきりお断りしたのです。

プロの絵描きなら、どんな絵でも描くべき、頼まれたら相手が誰であっても、どんな状況であろうが、快く引き受けるべきという考え方ももちろんあるでしょうが、私はそうは思いません。
やはりお互いの信頼関係というものがあってこそ、このような絵は描かれるものだと思うからです。

絵を心のよりどころにしてくださるたくさんの方々に、ほんとうに心から感謝しています。
けれども人によっては、絵を「免罪符」にしたり、何かの証拠に使ったり?あるいは人との比較や優越感、また誰かを操作する?ためだったり、「自分にとってだけ」ものごとが都合良くうまくいくようにと願っている?わけでは決して無いのでしょうが、それでもあまりにも「自己中心的」な方も中にはおられます。

ある時、あるご夫妻の絵を頼まれました。妻の方は夫の身の潔白を疑っていて、絵を見ることで確かめようとされていたようでしたが、絵には両者が「狐と狸の化かし合い」をしている場面が現れました。
そして、それはグー、チョキ、パーのじゃんけんのように、勝ち負けでは無く、そのゲームをお互いが一生楽しむということが、そのご夫妻の(無意識の)楽しみ?(&学び)でもあるようでした。

そんなふうに、絵を通していろいろなことがわかりますが、その「意味」は人によってほんとうに多種多様です。
ですから、「卒業」をとても喜んでくださる人もいれば、ネガティブに解釈される方もおられて当然かもしれません。

けれども、どんな時でも私が勝手に(私利私欲や好き嫌いで)解釈して「卒業していただく」というわけでは無く、必ず「宇宙と相談」!?していますし、またオーリングテストでも確かめています。

これまで私の健在意識では、「もう卒業された方がいいのでは?」という方は何人もおられましたが、なかなか「卒業」(私の方が)させてもらえず、延々と描き続けたこともあります。

そして相手の方がそれで満足されたのかどうか、こちらが「卒業」と言わなくても、自然に頼まれなくなり、いつしかご縁が切れて、離れていかれた方もおられます。

ひどい絵!とご自身が思われたのかどうかはわかりませんが、私の目から見てもとてもぐちゃぐちゃの大変な状況にある絵(火山の噴火、大嵐、大げんか、家庭内暴力等々)を描いたことがあり、それはどうやら息子さんのことのようでしたが、親としてはそのような絵を見たくなかったのか、代金を支払ってもらえなかった(督促しても全く音沙汰無し)ということも、かつてありました。

自分にとって気持ちのいい、明るい素敵な絵だけがお役に立つとは限らず、時にはかなりシビアな内容であっても、人によってはそのような絵が必要なこともあり、また反対に、状況はほんとうに大変なのに、絵がまるで天国のような桃源郷になっている場合もあります。そういう絵によってしばしひどい状況を忘れ、希望を持つことが出来る場合もあるのかもしれません。

どんな絵もその人にその時必要な絵なのだと信頼して描いていますが、中にはこの人にはもう絵そのものが不必要なのでは?と感じることもあります。そんな時には私の方から「卒業」ということをお伝えしていますが、必ずしもその通りにする必要は無く、「どうしても」とまた頼まれたことも何度もあります。

けれどもこれまでの経験から言えば、その次の絵からは「さらに高いハードルにチャレンジする」段階へと入っていかれるような気がします。そのチャレンジのレベルの難易度が高いからと言ってそれが人格的な価値観の上下では無いとは思いますが、中にはそのように誤解されている方もおられるようです。

もしもどうしても「卒業」がお嫌な方は、例えば「再入学」!?するようなかたちで、また頼んでいただいても私の方は全くかまいませんし、お客様は一人でも多い方がありがたいですが(笑)、ただし、その先に待ち受けているものに関しては私は一切保証出来ませんし、責任も持てません。(決しておどかすわけでは無いのですが、、)

勉強熱心な方が多くて、最近は「卒業」したくないと思われる方が増えているのかどうか?定かではありませんが、私なら「もう勉強はいいよ」、フリーになって「自由課題」に好きなように取り組んでみては?(遊んでもオッケー!)と言われたら、どんなに嬉しくラッキー☆と思うかしれません。

かと言って、「人より早く卒業できたからエライ!」というわけでももちろんありませんが(爆笑)。
人それぞれの「ちょうどいい時期」というものがあり、皆さんそれぞれそのような「グッドタイミング」で卒業されるのだと信じています。

以上、かなり長文になってしまいましたが、ご理解いただけましたら幸いです。



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十三市と「シニア女性映画祭2012」

2012-09-15 | 映画の話題
今日から『人生、いろどり』という映画が封切りですね!
「もうヒトハナ、咲かそ。」というキャッチコピーが素敵です♪

この映画は、四国の小さな町でおばちゃんたちが中心になって「葉っぱビジネス」で「町おこし」をしていくという「実話」が元になっているそうですが、主演が吉行和子、冨司純子、中尾ミエの三人なので、これはぜひとも観たいと、私も楽しみにしているところです。

ところで、京都では、「年をとることは美しい!」というキャッチコピー通りの素晴らしい「シニア映画祭」が2012年10月13日(土)に開催されます。

「高齢者」とひとくくりにされてしまうけれど、シニアは生きて来た年数だけ個性的で、魅力的で、じつに多様。この映画祭は、さまざまなかたちで輝くシニア女性たちの人生を伝えます。
シニアまっただ中の人も、未来のシニアたちにも見てほしい!
……………………………………………………………………………

< 2012 シニア女性映画祭・京都 >

日時 2012年 10月13日(土)10:00~16:00

場所 ウイングス京都2F イベントホール 
   (京都市男女共同参画センター)
   京都市中京区東洞院通六角下る御射山町262 
   (駐車場無しのため、公共交通機関をご利用下さい)
……………………………………………………………………………

プログラム1 10:00~12:00
  「女書」監督:ユーチン・ヤン(中国・カナダ)58分
  「ファンボさんに春が来た」監督:チ・ミン(韓国)24分

プログラム2 14:00~16:00  監督トークあり
  「孤独の輪郭」 監督:三浦淳子(日本)53分
     ゲスト/三浦淳子監督
 「マルグリート:闘う自由」 監督:ミシェル・ヴァンデル・コルク(オランダ)11分

主催 シスターウェイブス「波をつくる女たち」
(共催 公益財団法人 京都市男女共同参画推進協会)

……………………………………………………………………

☆ チケット 前売り 一日券 ¥1000
       当日  ¥1400

    ★ 各プログラム前売り ¥600
          当日  ¥800  (定員240名、入れ替え制)

 ※ 車いすの方、介護同伴者は半額(予約は10月8日まで)
  保育(6カ月~就学前。有料)(予約は9月29日まで)

詳細を下記HPでご覧の上、メールでもお申し込み出来ます。

http://sister-waves.fem.jp/top j.html

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ところで10月13日に京都まではちょっと行けないけど、、という
シニア女性に朗報!

ちょうどこの日に、大阪の阪急「十三駅」東口下車、商店街から歩いてすぐのところにある「神津神社」境内で開かれている「十三市」が超お奨めです♪

ここは「ザ・淀川」というタウン誌の主催で、「毎月13日」にはいろいろな屋台が出たり、時には寄席があったり、午後からは川柳会も開かれたりしています。(問い合わせは「ザ・淀川」編集部へどうぞ)
今月13日には私も行って来ました。

そこで売られていた「手作り」の鞄。帆布で出来ていて、A4サイズのファイルが楽々入り、表にも内側にもポケットがあり、丈夫で軽くて、デザインもシンプルで私好み。しかもお値段もびっくりするぐらい安く、思わず「こんなのをずっと探していたのよ!」と飛びついて買ってしまいました(笑)。

それからもっと嬉しかったのは、シニア向け?の「女性用肌着のお店」が出ていたことです。
日本製、綿100%、ウエストゴムの入れ替えも出来るショーツがいっぱい。しかもレースもちょっぴり付いていてセンスも好く、丈夫で、はき心地好さそうで、パッと見ていっぺんに気に入り、タンクトップのシャツ(これも綿100%、日本製)と合わせてまとめて購入。「大人買い」!?(笑)してしまいました。
だって¥1000でこんな素敵なショーツが4枚も買えるなんて信じられないでしょう!?

お店を出されていた女性にお話を伺うと、何と彼女がデザインなど指定してこういう商品をあるところで作ってもらっているそうで、説明にも心がこもっていました。そして親切に私の希望通りの品を一緒に探して下さって、おかげで色もぴったりのものが手に入りました。健康的でからだにも好さそうです。

こういう肌着は今ほんとうに少ないので、例えば年取ったお母さんのために~とか、介護中の人たちなど、固定ファンも多く、遠くから求めに来られて大変喜ばれているとのことでした。

「ザ・淀川」のスタッフの人に私の買ったものをちょっぴり自慢したら、「そう、そう、どちらも人気のあるお店だよ」と言っていました。
他にも着物地で手作りした衣服や、鞄、ポーチ、また手作りのアクセサリーのお店など、それから珍しい食べ物や名産品の店、おまんじゅうやポン菓子を売っている店もありました。占い(易)のお店も!

中でもとびっきり美味しい「たこ焼き」が、何と5個で百円!!さすがに大阪十三です。
お弁当も売られていましたので、朝から出かけて境内でのんびりお昼を食べるのもよさそう。
10月頃には気候もちょうど良く、さぞ愉しい☆「シニア天国」♪ を味わえるのではないでしょうか?
もちろん、若い人たちも♡「レトロ」の味わいをぜひどうぞ、、。

今日(9月15日)は実はこの「ザ・淀川」の名編集長だった故・南野佳代子さんの命日なのです。

彼女が中心になって呼びかけて始まったこの「十三市」の益々の繁栄と地域の活性化、そしてお店を出しておられるシニアのみなさんと未来のシニアでもあるスタッフのみなさん方のさらなるご活躍、またここを訪ねて来られる人々が幸せでありますようにと、笑顔の彼女と共に祈っています。





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200種類のブルー

2012-09-11 | 人物紹介
先日京都で画家の司修さん(1936年 群馬県前橋市生まれ)のお話を聴く機会がありました。
(司修さんは数々の優れた装幀で有名な方で、著書もたくさん出されています)

「宮澤賢治の世界」と題する「夜話講座」で、司修さんがどのように成長されたか、お兄さんと原爆の話、焼け木杭で家族が建てた家や「竹」で出来た家のこと、武満徹さんとの出逢いや音楽の話、そして宮澤賢治に関する本を出した経緯等について、非常に興味深い話の連続で、一言でも聞きこぼすともったいないぐらい面白かったです。

どれも司修さんの「創作の原点」に触れるとても深いお話の数々でしたが、司修さんのお顔はどんなつらい体験を語られる時も終始おだやかで、優しい口調の端々にどことなくユーモアがあり、私は何度も笑ったりうなづいたりしながら聴かせていただきました。

数々の賞も貰っておられる偉い先生なのに、ほんとに朴訥というか、シャイな面やまるで少年のような可愛さ?や純粋さを持っておられ、笑顔が魅力的なとても謙虚な方でした。
それでいて「質問はナシでいいでしょう、、わからない話はしないつもりですから」と、話し始める前に毅然として言われ、かなりぶ厚い原稿を手にしてちゃんと時間を見ながら配分を考えられ、長時間ノンストップで話される姿に、プロとしてさすがだなと感心しました。

あの東日本大震災のあった3月11日から今日でちょうど一年半になりますが、震災後司修さんは「今、賢治が生きていたら、どう思うだろう」と考えられたそうです。
講演会場のギャラリーには新作絵本『グスコーブドリの伝記』(ポプラ社刊)や『雨ニモマケズ』(偕成社刊)の原画や、描きおろしの新作が展示されていました。

その中の「賢治」の横顔に私はとても惹かれました。それは現実の写真に残っている賢治の姿では無く、司修さんの想う「賢治」の像ですが、私にはそれこそがまさに「賢治」だと感じられました。

言葉で説明するのは難しく、司修さんも「絵を観ていただければわかると思います」とおっしゃっておられましたが、私には例えば村上華岳と共通するような、そこに描かれているのは何か「光そのもの」(波動そのもの)と感じられました。そしてそれこそがまさに「賢治」の本質なのだと。
しばらく眺めているだけでも心が鎮められ浄められるような、初めて見たのになぜかなつかしく思わず泣き出したくなるような、そんな絵でした。

『グスコーブドリの伝記』はアニメ映画にもなっていますが、司修さんの絵とは全く何の関係も無く、たまたま出版社が宣伝のためにタイアップしただけとのことでした。
…………………………………………………………………………

今回伺ったお話の中で圧巻だったのは、司修さんの描かれた『グスコーブドリの伝記』のその原画に使ったブルーの色のことです。

この絵本はほとんどブルー一色と言っていいぐらいなのですが、描き出すにあたってまずありとあらゆるブルーの絵の具を集めてみたら、それだけでも何と200種類もあったそうです。
そしてそれらをいろいろ混ぜ合わせて試し塗りを重ねていくわけですから、全部で果たしてどのぐらいのブルーの数になったことか!? 想像するだけでもビックリしてしまいます。

もちろんちゃんと使い分けて塗るわけですが、一旦塗ってしまうと、出来上がった色はほとんど(見た目には)変わらず、ご自分でもそれがいったいどういうブルーの掛け合わせによって出来た色なのか、ほとんどわからないぐらいになってしまうとのこと。

それでもやはりそれはどこかに違いがあるので、決してこのブルーはあのブルーとは違い、ここはこのブルー、そこはそのブルーでなければならないのです。別のブルーでは表せないものがあるのです。

200色のブルーをただそのまま塗るのでは無く、司修さんの想う「賢治のブルー」(グスコーブドリのブルー)を求めて、あらゆる色の組み合わせを試され、工夫をし尽くされた結果出来上がった、どれもが最もぴったりの、どうしてもそこはそのブルーでなければならないという「唯一のブルー」なのです。

そしてそのたくさんの「司修さんのブルー」の絵を観られたある心理学者の方が、「見た目ではそのブルーの色の違いを見分けることが出来なくても、そこに使われているブルーの色は全部どれもちゃんと脳や心には響いている筈(科学的にも)」と言われたそうです。
(この話を司修さんはもっと素敵な詩的な言葉で的確に表現されたのですが、私流の要約でごめんなさい)

これらのブルーはどれもまさに「魂の色」なんですね。
一人ひとりが「自分だけのブルー」の色を見つけた時、それは自分自身の魂と出逢ったということなのかもしれません。

ところがそれほど苦労して描き、塗り分けたたくさんのブルーが、残念なことに印刷してしまいますと、この数え切れないぐらいのブルーの色の、繊細で微妙な違いが平板になってしまい、本ではせっかっくのその色の美しさや感動の全部を伝え切れていないのは本当に惜しいです。

ですから、ぜひ、ぜひ原画の前に立って直截にご自分の目でじっくり味わってご覧いただけたらとお奨めします。

★ 司修展「宮澤賢治の世界」~ 賢治の東北への思い ~  
  9月16日(日)まで。(12:00~19:00 )
  ギャラリー「ヒルゲート」(京都 寺町通り/本能寺のすぐ近く)にて開催中!
 (2F はカフェ・ギャラリー ヒルゲート ここに展示されている「賢治」の横顔をお見逃し無く!!)

原画とは少し色が違っていますが、もちろん絵本も素晴らしく、パッと見た目にはその色の違いがわからなくても、この本を読んでいる間にここに使われている「全てのブルーの色の影響」を受け、そのそれぞれのブルーの色の波動がその人にとって必要な箇所にちゃんと届くことと思います。

『イーハトーヴォ幻想』(岩波書店刊)、『孫文の机』(白水社)と合わせて、ぜひこの絵本『グスクーブドリの伝記』を手に取っていただけたら幸いです。

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最後に、色のこと(カラー心理学)等について、とても深くて面白い、そして役に立つインタヴュー記事を見つけましたので、司修さんとは関係無いのですが、ついでながらご紹介します。

「スピボイ」(クエストカフェ)というスピリチュアルなサイトに掲載されている「関口智恵さん」という方のお話です。こちらもぜひ訪問してみてください。

司修さんの「200種類のブルー」の話や、関口さんの語られた色の話から、そう言えばアズミックアートの色の塗り方もまさにそういう感じかもしれないとふと思いました。

例えば下記掲載の『アルシス』の深いブルーの色も一体どうやってこの色に辿り着いたのかわからないぐらい、いろんな色が塗り重ねられています。そしてどうしても「この色」でなければこの絵のメッセージを伝えることは出来ないのです。

この絵をご覧になった方々が矛盾や葛藤を「止揚」して、「上昇気流」の流れにふわっと乗り、新しい世界へと旅立つ勇気がどうか出ますように☆ と願っています。
亡くなられた方々、行方不明の方々、遺された方々のこと、そして東北の大地の鎮魂と復興を心より祈りつつ、深い感謝と共に。





(この絵はすでに予約済ですが、現在展示中で「らく~ら」にて原画をご覧いただけます)

無断転載、コピー等はご遠慮ください。



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ヤング@ハート コーラス(from USA) 来日コンサート♪

2012-09-08 | 音楽の話題
明日9月9日(日)は堺市民会館大ホールで「ヤング@ハート」のコーラスコンサートがあります。
15:30開場、開演は16:00~からです。(指揮 ボブ・シルマン)

私はこのコンサート情報を知ってすぐに前売り券を購入したのですが、当日券もまだいけるのかどうか?
残念ながらもしかしたらチケットはすでに完売しているかもしれません。
日本では他の会場でもまだこれから聴けるところがあると思いますので、興味のある方はぜひどうぞ♪

私が「ヤング@ハート」のことについて知ったのは、パートナーと一緒に観た同名の映画によってです。
そのコーラスの素晴らしさ、彼らの一人ひとりの深い人間性とその物語(実話)に強く惹かれました。

まさか来日公演があるとは知らなかったのですが、ネットで調べてみるとこれまでにも来日したことがあったのですね!
知らぬは私ばかりなり(笑)。情報を教えてくれた妹に感謝、感謝です。

毎年9月9日(重陽の日?)はパートナーと一緒に何か記念に残ることをしたり、イベントを探して出かけたりしていますが、今年は都合で私一人で聴くことになったのが大変惜しいですが、仕方ありません。
これもそれぞれの「選択」ですし、誰でも「全ての願いが叶うわけでは無い」からです。

「ヤング@ハート」の音楽を聴くとほんとに元気が出ます。
年齢に関係無く、何歳になってもイキイキと歌い続けている彼ら。
その輝く姿を観るだけでも価値があります。幸せな気持ちになれます。

決して安くは無いチケット代ですが、確実にその何倍ものエネルギーが貰えることは保証します!
今年一番のお奨めと言っていいぐらいです。英語(歌詞)がわかればもっといいのですが!?(笑)

そういうわけで、るんるん。明日はとっても楽しみです♪




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テレパスアート物語(6)<技法と色について>

2012-09-04 | シリーズ「テレパスアート物語」
久しぶりにテレパスアート物語の続きを書きます。

ほんとはみなさんから何かご質問をお寄せいただき、それに答える方が簡単というか、みなさんがどんなことに興味や関心があるのかわからないので、「Q&A方式」の方が面白くまたお役に立つのでは?と思うのですが、、。

さて、今回は「技法」と「色」についての話です。

いつだったか、ある人から「先にボールペンで線を描いてからその上から彩色しているのですよね?」と尋ねられたことがありました。
かつて「ヒーリングアート」という呼称で描いていた初期の頃はそのような絵がほとんどで、その時期は「水彩絵の具」での彩色でした。
(2004年秋からは技法や絵の具を変更。「テレパスアート」という呼称になりました)

今はほとんどアクリル絵の具で、まず最初に「ある色」をパレットに絞り出して、その色を使って輪郭や全体の大体の線を描きます。そしてほとんどの人はそれだけで、その後は普通に彩色していき、ボールペンでくっきりさせることは少ないのですが、最近はなぜか以前の逆バージョンのように?後からボールペンで、例えば目の感じをはっきりさせたり、指先など細かいところに手を入れることも多いです。

その時のボールペンというのは、なかなかぴったりのものが見つかりません。
線が細すぎても絵の具に埋もれて消えてしまうし、線が太すぎたり、水に溶けてしまう水性のものも不可です。
今日も新しいボールペンを見つけたので、3種類ぐらい試し書きをしてみたのですが、まだしっくりきません。

以前は先にボールペン(油性)で描いて、その後に水彩絵の具による彩色だったので、その時に使っていたボールペンは(まとめ買いしていたので)今も持っているのですが、それは今のやり方(アクリル絵の具)ではうまく効果が出せません。ボールペン一つでも自分のイメージにぴったり合って、使い易いものとなるとなかなか難しいものですね。

ところで、最初の「ある色」というのは、例えば、オレンジとか、紫とか、緑、肌色、土色、黒、灰色、ブルー、イエロー、などですが、最近はアクリル絵の具以外にもクレヨンを使って最初の輪郭線を描くことも多いです。
また最後の仕上げにいきなり太いマジックペンを使ったりして、我ながらギョッとすることもありますが、それは例えば何か「気合い」を入れるためであったり、迫力を出したり、強い効果を上げるためのようです。

自分で描いておきながら「~のようです」なんて無責任な言い方ですが、(半無意識状態で描いていますので)「自動的に」そんなふうにしてしまい、自分としては「このままの方がずっと感じいいのに、、」と思っても手が勝手に動いてしまうので、どうしてもそんなふうになってしまうのです。

「印象に残っている絵」としては、目の不自由なある方の絵を描かせていただいた時に、最初は黒とか灰色だった画面が、描くにつれてどんどん明るくなり、色数も増えていったことです。
(原画をそのままお送りしコピーなど手元に保存していませんので、少し記憶違いもあるかもしれませんが)
その人は誰かからの紹介で描かせていただいたのですが、その紹介者の方からも、ご本人からも目のことについては何も伺っていなかったので、後でそのことを知って、びっくりした次第です。

けれども「心の目」があまり見えていず、気持ちが暗かったり、その人の状況が「闇に閉ざされている」ような場合など、たとえ視力はあっても(健常者であっても)無彩色(モノトーン)の絵になる場合もあります。

そういうわけで、まず最初にその人の下地の色が何色であるか、何色にするかは、「手が勝手に決める」という感じですが、この最初の色はとても大事な気がします。

いろいろな絵の具を手に取ってみる場合もあれば、一瞬に色が決まってパッと描き出す場合もあります。
絵の具を手に取ってみると、これじゃないなとか、これにしよう!と直観的にわかるからです。

そんなふうにして選ばれる「その人の色」(下地の色)というのは、とても深い意味があるのかもしれません。
ほんとはどれも例えば明るいオレンジ色とか、黄色とか、肌色などで描き始めることが出来ると、全体が明るいイメージなっていいなと、私の意識では思うのですが、どうしてもそれが「その人に合う色」で無ければ、スムーズに描けないのは不思議です。

ですから、顔の輪郭線がブルーだったり、グリーンだったり、土色や紫だったりする場合もあるので、見方によっては少し不健康に見えてしまう?こともあるようですが、これはこれでちゃんと意味があるのです。

大抵はそういうわけで、一つの画面に下地は一つの色なんですが、時には途中で色を変えることもあります。

ある人物を描く時と別の人を描く時で線の色が変わることもありますし、一人の人でも途中で変化することもあります。
もちろんそんなことは「テレパスアート」でなくても、普通の絵描きさんなら誰でもしていることだから、
「一体何を大袈裟に言ってるんだ!?」と思われる方もあるでしょうが、十年以上同じ仕事をしていると、やはりある一つの法則?というか、「こういうわけでこの人はこの色なんだな」ということがよくわかります。

私は「カラー心理学」についてはそれほど詳しくはありませんが、「オーラソーマ」の勉強を少ししたことがあって、その折に色の持つ意味についていろいろ考えさせられる機会がありました。
また、専門家による「オーラソーマを使ったカウンセリング」やセッションを個人的に受けたこともあります。

余談ですが、その時選んだ好きなボトルはまだ持っています。
一度も直接使ったことが無く、ただ飾っているだけなのには理由があります。
その初めてのセッションで選んだ4つのボトルを手にしただけで、なぜかその夜ジンマシンのような発作が急に起こり、ボトルの蓋を開けてそれを直截肌に付けたら一体どういうことになるんだろう!?と、秘かにひるんでしまったからです。

それでそのまま今に到るも一滴も!使うことなく大事に飾っていますが、そのきれいな色をただ眺めているだけでもたぶん何かの役には立っているのだろうと思っています。

話が長くなり、つい横道にそれてしまいました。

それではまたのお話をお楽しみに、、。 ご愛読ありがとうございます。







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