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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

阪神淡路大震災で授かった能力(17)

2012-02-13 | シリーズ「アズミックアート物語」1~20
太陽のフレア活動が活発になるとオーロラが増えるそうで、昨日もニュースで話題になっていました。
また別のニュースでは『 宇宙の地図 Cosmic Atlas 』(朝日新聞出版/2100 円)という写真集が紹介されていましたが、これはぜひとも手元に置いて眺めたいと思いました。

私は科学的知識には弱く、子供の頃から理科系は苦手で、今でもさっぱりわかりません。わからないながらも興味だけはいつもあって、11日に封切りされた映画「はやぶさ はるかなる帰還」もさっそく観てきました。

はやぶさは物体であるにも関わらず、映画を観ているとそれがほんとに意識のある、心を持った存在(生き物)であるかのように、(まるで我が子のような?)愛おしさがこみあげてきます。そしてイオンエンジンの開発者たちが神社へお詣りする場面にも自然に共感してしまいました。(アメリカでもたぶん教会でお祈りを捧げるのだと思いますが)そこには何か「理屈を超えた」ものがあるような気がします。

昨年読んだ本の中では、筑波大学名誉教授の村上和雄氏が書かれた『人を幸せにする 魂と遺伝子の法則』(致知出版社)が印象に残っています。とても読み易くわかりやすく書かれていますが、その内容は深くて感動させられました。

話があちこち飛びますが、「宇宙は人体と同じかたち」をしていて、その子宮の位置に地球があるから、地球にはこのような生命(いのち)が宿っているのだということを、ずっと昔に夢で見ました。それからもう何十年も経ちますが、今でもありありと記憶に残っています。

そして同じ頃に見た夢の中で、「あれが私の生まれた星だ!」と、なつかしいふるさとの星を目差して(意識だけが)飛んでいくという体験?をしたこともあります。
それがほんとうかどうかはわかりませんが、この地上からはるか彼方の夜空に輝くその星を見上げる度に、何となく勇気付けられます。

阪神淡路大震災がきっかけで始まった「自動書記」の線描画の中には、いろいろなかたちをしたUFO?だけではなく、人体実験の図や地図(アトラス)、その他何かの工作図?や記号、電気配線図?のようなもの、潜水艦?あるいは人体のチャクラ図形など、さまざまなものが描かれています。またなぜかピラミッドの構図も多いのです。

自分で描いておきながら自分自身では解明出来ないというのは残念ですが、これらの持つ意味がいつ証されるのか?とても楽しみです。

下記の絵は『メディテーション(瞑想)』という題です。これは私のとても好きな絵で、いつだったかこの構図とそっくりの写真をNASAの発表している宇宙写真の中に見つけてびっくりしたことがあります。
(もしかして今回発売された『宇宙の地図』という写真集の中にも載っているのでは!?とワクワクしているところです)




(許可無しに転載およびコピーすることはご遠慮ください)




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阪神淡路大震災で授かった能力(16)

2012-02-11 | シリーズ「アズミックアート物語」1~20
自慢するわけではありませんが、私には30代の後半頃から始まった不思議な癖?があります。

最初の頃は寝ている時に足をバタンとさせるぐらいだったのが、次第に進化して?そのうちどこの言葉かわからないような「異言」を唱えたり、またパンパンと「柏手」を打ったりするようになりました。

ある時知人のアパートに泊めてもらった時、そういう「霊動」?が激し過ぎて、夜中に下の階(他所の家)の赤ちゃんが泣き出し、知人はびっくりして目を覚ましたそうです。私の方はその瞬間には「あっ、またやってしまった!」と一瞬目が覚めるものの、半覚醒状態からすぐまた眠りに入ってしまうのですが、知人はその後も気になって眠れず私の様子をじっと眺めていたそうです。

そして翌朝、さも気味悪そうに「身体から白いものが出かかっていた」と私に告げたので、我が身のことながらとても不気味な気がしました。(たぶんそれは「幽体離脱」しかかっていたのではないか?と思うのですが、その頃は私にそういう知識が無く、まだ今のようにインターネットも普及していない時代で情報も得られず、その意味がわからなかったのです)

また別の折には、ある友人の家で、私が夜中にガバッと半身を起こして突然にお経を唱え出したりしたこともありました。
自分の口から「お墓に参ってください」などという言葉が飛び出して、手をついて頭を下げたり、両手を合わせて拝み出すのです!
姿の見えない誰かがそこに訪ねて来ていて、その人の供養と墓参りをなぜか私に頼んでいるように感じられました。

まるで「キツネ憑き」のような?そんな経験は全く初めてでしたが、その時はコワイと感じる前に、むしろその依頼を「断ってはいけないのでは?」などと思って、律儀にもどこの誰なのかを確かめて(頼まれたお墓にお参りしてあげねば)と思うぐらいに、「お人好し」の私でした。

友人はそんな私に「親切の度が過ぎる!!死んだ人も生きてる人も同じだよ。相手は、この人なら自分の願いを叶えてくれそうと思う人のところにすがってくるんだから!」とあきれかえっていました。
彼女の説得力ある一言に、「なるほど」と初めて「目が覚めた」私でした。

私の父が亡くなった通夜の折にも、この癖で本当に困りました。仮眠したり、うとうとした入眠時に特にひどくなるからです。
疲れている時や新しい場所に行った時などにも多い気がします。
また電車の中でも眠りかけるとひとりでに身震いしたり、奇声を発したり、足をドスンと鳴らしたりして、赤面してしまうこともあります。

それで知人の紹介やツテで、私のこの奇癖を直すために、「霊能力者」とか、チャネラー、ヨガの先生などを訪ねて廻ることもしました。

この詳細についてはまたいつか書くつもりですが、ともかくそういう癖が(いろいろバターンは変わっても)今もまだ続いていて、最新バージョンは「自分で自分の名前を呼ぶ」という、けったいなものです。

この癖があるために、どこかに団体旅行する場合は必ずシングル部屋を予約するようにしています。
でもある時、「趣味のグループ」の旅行で、どうしても部屋が取れずに大広間でみんな一緒に雑魚寝という羽目になり、その夜は特にこの癖が激しくて、もう自分でもどうしていいかわからないぐらい凄まじい状態になってしまったのです。

もちろん眠る前に私のそういう癖については説明していたのですが、みんなは気にも止めず「あら、そんなの、大したこと無いわよ。私だって歯ぎしりもするし、寝言も言うし、、」なんて口々に言って、それがどれほどひどい状態なのか想像だにぜず、誰一人何の興味も持っていませんでした。

ところが朝になってみると、もうみんなの私を見る目がすっかり変わっていて、それ以来そこのグループの中ではその話がおひれがついて広まり、まるで伝説か神話のように!?すっかり後々の「語りぐさ」になってしまったのです。嗚呼!

私も自分に出来る対策として、例えば手袋をはめて寝たり、マスクをしたり、足の下に座布団を敷いて出来るだけ音を立てないように工夫をしたり、これまでもいろいろやってみたのです。でもダメでした。寝ている間にいつのまにか全部外してしまうからです。

ところで説明が遅れましたが、この癖は「阪神淡路大震災」がきっかけで始まったというわけでは無く、その頃の私は自己流で瞑想三昧の日々を送っていたので、もしかしたらそれが原因では無いかな?という気がしています。
それまでの私にはそういう癖は全く無かったのですから。

それにしても(この癖のおかげで途中で縁が切れてしまった人もいる中で)こういう私でも今も変わらずに付き合ってくれる友人、知人、そして家族には本当に感謝です。

「線描画を描くようになったこと」と、このこととは何か関連があるのかどうか?は今はまだわかりませんが、いつかこの真相が証される時が来るといいなと願っています。

つらかったのは、こういう「霊動」?を「ヒョウイ現象」?だと見られたり、霊的修行が足り無い?とか、足が地に着いていないせい?などと「上から目線で」アドバイスされたりして、なかなか「共感」や理解をしてもらいにくいことでした。

その反対に友人の中には面白がる人もいて、ぜひ私のその寝言!?を聞いてみたいと、わざわざ私の側近くに並んで寝る機会を持った人もいたのです。そしてその時を楽しみにワクワクしつつ、起きて待っていたらしいのですが、いつのまにか眠ってしまって、彼女は朝まで何も知ることが出来ず、大いに残念がっていました。

またある時はこの現象に興味を持ってくれた友人が私に協力してくれて、彼女の家に泊めてもらった機会に(「異言」を録音してみては?と提案してくれたので)枕元に録音器を置いて寝たこともあります。

朝になって二人でその録音を楽しみに聞いてみると、そこに入っていたのはきれいな口笛の音とさわやかな小鳥の声だけでした!





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阪神淡路大震災で授かった能力(15)

2012-02-09 | シリーズ「アズミックアート物語」1~20
今日の話(旧セルヴィスギャラリーでの展覧会のこと)は、「家と自尊心(9)」に書いた話とも関連しています。

なぜこの会場(宮迫千鶴さんたちと同じギャラリー)で私たちが展覧会をすることになっのたかという詳細はまたの機会にしますが、ともかくとても良い立地(改装される前の大阪駅コンコース内)でした。

そのためもあって、この展覧会では(寒い時期だったにも関わらず)思いがけずたくさんの方にご来場いただきました。
その季節としては記録的な?入場者数だったようで、この企画を手伝ってくれた関係者やプロのスタッフの方々も驚いて、不思議がられたぐらいです。

私は心の中で、この展覧会は阪神淡路大震災で亡くなられた方たちへの鎮魂と思っていたのですが、なぜか絵を観て涙される方々も随分おられたのです。
まるで彼らが甦って共に観に来てくれたようなそんな気がしました。

3週間の会期中にポストカード(第1集と第2集/この頃は第3集はまだ発行出来ていませんでした)を求めて下さった方も大勢おられ、そして絵を観られたたくさんの方が一言メッセージを書いて下さいました。
(この展覧会をきっかけにして実にいろんなご縁が広がっていきましたが)それから11年経った今も、思い返す度に感激と感謝の想いを抱きます。
昨年の3・11 東日本大震災以降は特にその想いが深いです。

ところで、最近『バシャール × 坂本政道 人類、その起源と未来』(ダリル・アンカ 坂本政道 / VOICE)という本を読んだのですが、その中に出て来る話と「宇宙画」(線描画)との共通点などにもいろいろ気が付きました。
詳細はまたの機会に書きたいと思いますが、特にUFOに関する話題が興味深かったです。

下記の絵のタイトルは『スペースハーモニー』です。
2001年の展覧会で全40作を展示した折に、一番最後に仕上がった作品です。
(この作品はまだポストカードになっていません)




(無断転載およびコピーはご遠慮ください)

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オーリングテストの話(8)

2012-02-08 | シリーズ「オーリングテストの話」
新年から、三つの話題(「阪神淡路大震災で授かった能力」/「家と自尊心」/「オーリングテストの話」)でブログで書き続けていますが、実はアクセスランキングを見ると、なぜか「オーリングテストの話」を書いた時に訪問する人がぐっと増えるようなのです。

私にとってはオーリングテストの話を書くのは「息抜き」のようなもので、他の二つの話の方がずっと書くのが大変で時間もかかり、真剣にエネルギーを注いでいるつもりなのですが、逆に「肩のこらない軽い話」の方が受けがいいのかもしれません(笑)。
それに現代人は忙しく、深く考えさせる話よりもさらっと読める短い話の方が楽でいいのでしょうか。
いえ、いえ、ほんとうに「オーリングテストをもっと知りたい」と思っておられる方も多いのかも。。

だからといってそれにおもねるわけではなく、(オーリングテストの結果に基づき)本日はこの話題です。

たまたま最近読んだ『熊野の百姓地球を耕す』(麻野吉男著/はる書房)の中に、思いがけず「オーリングテスト」に関する話を見つけましたので、まずそれをご紹介します。(この本の256頁の後半より一部抜粋、転載します)

著者の麻野さんが上京した際に、友人である瓜生良介さんと会い、彼に自分の身体をチェックしてもらう場面の話です。

……………………………………………………
(以下転載始め)

矢来町(神楽坂の隣)の診療所に行き、ライフエネルギーテスト(大村恵昭氏が開発したバイ・ディジタル・オーリングテストを瓜生さんが独自に進化させたもの。詳しくは瓜生良介著『快療法』参照)を受ける。すると「出るわ、出るわ」悪い所だらけで、正常な所を探すのがむずかしいほど。

見舞いに来見舞われているお年頃  吉男

私も既に65歳、そこここに故障があってもおかしくない。自覚症状はあまりなく、比較的元気なのだが、それを神様が油断大敵と戒めて下さったのだと素直に感謝している。勿論瓜生さんの友情には大感謝。ライフエネルギーテストは未病の段階で傷んだ所や弱い所が分るし、一般の薬や民間薬、薬草等の適不適も調べられる。指2本を使ってするこの検査方法は実に簡単だし、身体にやさしく短時間で出来、場合によっては現代医療の検査より的確で詳しいことが分る。
この検査法に出会った人は、その不思議さに、まるで手品か魔法を見た如く、心を動かされる。    

(以上、転載終わり)
…………………………………………………………………………

確かにその通りだと思います。オーリングテストは文字で説明するよりも、実際にやってもらうのが一番です。
この方のやり方は実際にはどんなふうなのか、本ではちょっとわかりませんが、興味しんしんです。
そしてこの他にもオーリングテストにはずいぶんいろんなやり方があるのではないかと思います。
いつか「オーリングテストを教える道場」のようなものが出来たらいいなというのが、私の夢の一つでもあるのです。

「スピポイ」のインタビュー記事の中にもオーリングテストを使っておられる外国の著名人の話が掲載されているので、前回のブログではそのことを書きましたが、もしリンクがうまく開かなかったらごめんなさい!
その場合はネット検索でアクセスしてみてくださいね。
(私はパソコン操作が苦手でブログのこともまだよくわからず、リンクの仕方を間違えているかもしれません)

さて、他にも独自のやり方でオーリングテストを使っている方がおられます。
エドガー・ケーシーのリーディングに基づく治療法を実践しておられる高名な整体師の福田高規先生です。
(興味を持たれた方は、名古屋で長年健康グッズの販売や福田先生の基礎講座等を開いておられる「健生会」のHPを訪問してみてください。アズミックアートのHPの「リンク」からも飛べます)

この基礎講座は、福田先生独自のやり方のオーリングテストや、振り子を使ったチェックの仕方なども実際に学べるという、とてもユニークな講座です。私も一度(基礎講座の中のごく一部だけの参加ですが)行ったことがあります。

ところで下記は、オーリングテストを初めてやる人に、私が最初に伝えている方法です。

自分の腕を真横では無く、胸の前にまっすぐに上げて(肩の高さと全く同じでなくても、ほんの少しぐらい低くても大丈夫、掌は開いて自然な感じで)、チェックする人(腕を下げようとする人)の方はその横に並んで立って(向かい合わせになるのではなく)、二の腕(肘と手首の間)の中間ぐらいところを押さえようとします。

この時本人(自分)は自身の腕を下げられないように、押し下げて来ようとする相手の力を上に跳ね返すぐらいの強さで、しっかりと腕を伸ばしたまま、頑張ります。

もしそのチェックするモノや事柄が、自分に必要で心身にも好いものなら腕が下がりにくく、自分にとって不要な有害なものなら力が弱まって、なぜか腕が下がってしまいます。

そんなふうにしていろいろ試してみてください。
慣れてくれば、まっすぐではなく、自分の腕を曲げた状態で、相手に「肘」を押し下げてもらうやり方でも、同じようにチェックすることが出来るようになります。

間違え易い点ですが、相手の人がこちらの腕の上に「ただ単に手を軽く置く(乗せる)だけでチェックする」というふうに、勘違いしやすいことです。

そうではなく、ぐっと力を入れてこちらの腕を(あるいは肘を)下げようとしてもらうことです。
そしてこちら側(自分自身)はそれを下げられまいとして頑張る(抵抗する)、ということです。
どうでしょう、オーリングテストのやり方がうまく伝わったでしょうか?

それでは、今回はこれで。 ご愛読に感謝です。

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阪神淡路大震災で授かった能力(14)

2012-02-06 | シリーズ「アズミックアート物語」1~20
これまでの経験の中から、(狭い見聞ではあるが)私の心に残っていることを幾つか書いてみる。

1)ある日突然メッセージが降りて来た場合、そのことを「秘密」にしない方がいい。
誰かに話してみることで、客観性が得られるから。そしてそのメッセージが、ヘンなものか、そうでなく「ほんもの」かどうか?もある程度知ることが出来るので、身の危険を避けられる。

阪神淡路大震災のずっと前にある知り合いから聞いた話だが、その人の友人だったある若い男性にある時からいろいろなメッセージが降りてくるようになったそうだ。最初はとてもそれがよく当たったらしい。それでどんどん信じるようになり、すっかりのめり込んでしまったようだ。そうしてその言う通りに行動しているうちに、やがて、そのメッセージがその彼に「死んでしまえ」というようなものに徐々に変わって行き、最後は彼は遂にその通りにしてしまったという。

かつてはインドに行くとインドに魅入られてしまって日本に帰ってもなじめず、一生を棒に振ってしまう「インド病」?のような若者も多く、ヒッピーの文化が盛んだった時代があったが、彼もその一人だったと聞く。自分の人生の指針や拠り所をそのメッセージに求めようとしたのかもしれないが、その話を聞いた時には本当にゾッとしたものだ。
でもその話を聞いていたおかげで、私はかなり「気を付ける」ことが出来たことを今も感謝している。

2)メッセージの価値を「数値化」しない方がいい。「天狗」にならないで済むから。
これは広島の三上晃先生に教えていただいた教訓でもある。

三上先生は植物さんを通して何でも知ることが出来、現在のようにMRA(磁気共鳴装置)?などがまだ普及していない頃から、数値でエネルギーや波動の高さを測定することが出来る器械も発明されていた。

それで、(今でも存命だと思うが)かつてある女性画家(花や植物の絵ばかりを描く)から頼まれてその絵の測定をし、「お墨付きを与える」ことをしたそうだが、その後発売された彼女の画集にはその数値が掲載され、その絵の価値が証明された?ことによって、それまで以上に人気を博し、その後彼女は少し天狗になってしまわれた?らしい。

三上先生はそのことを嘆かれ、私に少々後悔めいたことを言われたのだ。そして何度も「普通に生きなさいよ」と諭して下さったのだ。その言葉を私は今でも自分への「戒め」と思って大事にしている。

私も広島でその人の花の絵を観たことがある。その折は三上先生の講演とセットの展覧会で、会場に飾られていた絵は大作揃いだった。また大阪でも彼女の個展があり交流会にも出席したが、その時のその人のいかにも時代がかった(まるで神代の巫女さんのような?)衣装と雰囲気に驚いたことがある。もちろん何を着ようと本人の自由ではあるのだが、なぜか「場違い」な?印象を受けて私は少々違和感を覚えたのかもしれない。

(これまでのブログに)笛を作った話や線描画の話を書いたが、もちろんそれらの線描画や笛も三上先生はその器械で測定して下さったのだ。
そして「これ(線描画)をこれから研究してみますが、でももしかしたら宇宙のマンガやポルノかもしれませんよ?」と言って呵々大笑されたのだ。

その笛の裏には三上先生が書いてくださった数値が今でも残っている。線描画の測定結果も教えていただいたが、それを人に公表しないようにと言われたので、私はこれからもその約束を守っていくつもりだ。

線描画の研究結果の方はどうなったのか?は、三上先生が亡くなられてしまった今となっては、知るすべも無い(お渡ししたその全部のコピーもその後どうなったのかも分らないのが、残念だ)が、きっと向こうの世界でも研究を続けておられるに違いない。
三上先生と私は同じ星に生まれ替わるらしい?ので、また再会してお話を聞かせていただくのを楽しみにしている。

3)手の冷たい人には気を付けること。

広島で出遇った人の中に、ある宗教家の女性がいた。どういう集いで誰の紹介で知り合ったのか?(最初は宗教家とは知らず)出会いのきっかけはもうすっかり忘れてしまったが、今でもはっきり覚えているちょっとコワイ出来事がある。

ある時、この女性に誘われて何とかという有名な神社に一緒に行くことになった。彼女の運転する車に乗せてもらったのだが、彼女がなぜか高速道路の降り口を間違えてしまい、車は目的地をどんどん離れてはるか遠くまで進んで行ってしまった。

その車内で彼女と私はいろいろな話をしていたのだが、「阪神淡路大震災が起きたのは、あなたをこの広島に招くためだった」と彼女が言ったので、「まさか、なんぼなんでもそれはあり得ないでしょ」 とあきれて反論しようと思って彼女の顔を見ると、本当に真剣そのもので冗談でも無さそうだったので、「もしかしてこの人はアブナイ人かも?」と気が付いたのだ。

それで用心していたのだが、どうやら彼女は私を彼女の始めた新興宗教?の教祖に祀り上げたかったようだ。
ともかく適当に話を聞いていると、彼女が「これから共に日本の世直しをやりましょう。宜しく」と、握手を求めるように手を差し伸べて来た。助手席に座っていた私は仕方無く彼女が差し出した手を握ったのだが、その手が氷のように冷たかったのだ!

その後ようやく辿り着いた神社(当初の予定とは違っていたらしいが、もしかしたら最初からそこへ私を誘導したかった?のかもしれない)で車から降りるなり、彼女は急に裸足になり、長い数珠を振り回しつつ何やら祝詞を大声で叫び、鐘を搗いたり、持参していたらしい小太鼓やら彼女の信教の道具らしいものを出して来て、大暴れした(私の目にはそのぐらい傍若無人に映った)のだった。(しかもそこには別のルートで先に到着していたらしい彼女の娘が待っていて、全く同じ振る舞いを始めたのだ)

それに私も感応してしまったのか、ここではある神秘的な出来事も体験した。
その詳細は省くが、もしかしたらもう少しで私は彼女に「拉致」されるところだったのかもしれない。

強制的な勧誘では無く、例えば私は彼女の家に泊めてもらった折に、下にも置かないもてなしで家族みんなで凄い「歓待」を受けたりしたが、そういうことの方がもっと危険だ。知らないうちに「洗脳」されてしまうこともあるので、ほんとにアブナイ、アブナイ!

ところで、私が広島を離れて関西に帰ることになった時、あろうことか彼女は頭を丸めて三上先生を訪れ、「あの人(私のこと)が広島からいなくなるのは私の不徳の致すところだ」と土下座して?おわびしたそうだ。
(この話は後日、三上先生が私に伝えてくれました)

それ以来、私は人の「言葉」もさることながら、その「行動」(ふるまい)の方により注意を払うようになった。
特に「手」の冷たい人には要注意である。



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