もう25年ぐらいも前の話だが、「内観法」というものを経験したことがある。
それは既述したように、私の不思議な癖(寝ている時の霊動?)を治すためにいろいろなことを試していた時のことで、ある人からの勧めだった。
それで当時奈良県の大和郡山というところにあった(故)吉本伊信先生の自宅(内観研究所)で行われた1週間の(泊まり込み)研修に初めて参加した。
(「内観法」の詳しい説明は省くが、吉本伊信先生はその創始者で、私は生前の吉本先生夫妻から直接にご指導いただいた)
研修の合間の食事時間などには放送があり、殺人を犯した人が「内観」によって立ち直ってゆく話(テープ)などを聴いたりした。
最初はとまどいもあって、なかなか内観が深まらなかったが3日目ぐらいになるとだんだん集中出来るようになり、間脳?が突然開いた?かのように、子供の頃の記憶が鮮明に戻ってきた。
そしてその頃の母が着ていた着物の模様や手触り、その匂いまでがふと甦り、私は思わず号泣してしまった。
それまで私は母にはあまり愛されていないと「思い込んでいた」のだが、実際はそうではなく、私の方が心を(脳幹を?)閉ざしていたのかもしれないと感じた。
私のことをいつもいつも心配してくれていた母の愛を思い出してはその後もどれだけ泣いたことか。
内観することによって、それまで「自己中心的に」眺めていた風景が一変し、相手の側からというか、(外側から)客観的に自分を眺めることが出来たのだった。参加者は何人もいたが、中にはひどい鬱で起きられない人もいた。その女性も帰る頃にはみんなと一緒に起きて掃除したり出来るまでに快復したことも記憶に残っている。
一週間があっという間に経って外へ出た時には、何もかもが新鮮に見えた。駅で電車を待っていると「回送」電車がホームに入って来たのだが、私はそれを見て「回送なんて随分珍しい駅名があるもんだな」と思ってしばらく眺めていて、ようやくして、「あぁ、そうか、これは『回送電車』なのか!」とやっと気が付いたぐらいに、自分のものを見る目が「ニュートラル」になっていたのだ。
さて、これからが本題なのだが、何年か前にふとまた内観に行きたくなり、どこがいいかと全国あちこちにある研修センターのHPを調べている時、ある高名な内観研究所長が書かれた体験談に目が止まり、それを読んでいるうちになぜか涙が滂沱と流れてきた。
それで、自宅からはかなり遠かったのだが、(何となくご縁を感じて)その内観研究所にしようと決めたのだった。
行ってみると、そこは本当に立派な施設で、まるで神殿か御殿かと言っていいぐらいにどこもかしこも真新しくピカピカだった。
設備も最新式で(ちょうどその時期は空いていて)十畳の和室に私一人だった。
(かつての内観研修では、屏風で仕切られているだけで何人かが同じ部屋で寝起きしていたが、最近は個室も増えているようだ)
最初は隣の部屋にも誰か居るようだったが(この研修所では女性と男性が上下の階に分かれていた)、そのうちその女性も研修を終えて帰りやがて私一人だけになった。ところが初日を終わる頃から急に始まった頭痛が、日が経つと共にだんだんひどくなってきたのだ。それでまだ途中だが切り上げて帰りたいと申し出たら「もう少し頑張ってみられてはどうか。それは内観への抵抗かもしれないから」ということで、担当の先生(そこの所長)にやんわり引き止められた。
それで我慢していたのだが、その先生が、なぜか私に対してひどい罵声を浴びせてくるのだ。そしてあろうことか、「君は嘘ばかりついている」と言うのだ。何を根拠にそんなことを言うのか!?とよく考えてみたら、その人は私が吉本伊信先生から直接の研修を受けたことがあると(申し込み時に)話したのを、当時の参加者名簿か何かで調べたようだった。
それでそこに名前が記載されていないので「不信感」を抱かれたようだったが、私はその当時とは氏名が変わりまた住所も全く違うので、誰が見てもそれは分らないことなのだ。
また、掃除をする時間帯に私が(ごまかして?)掃除をしていないと誤解されたようだった。
そこではあまりよく眠れなかったので、決められた起床時間の前からすでに起きていて身支度をするのだが、あまり器用な方ではない私はなぜかどうしてもその時間内(30分ぐらい)に全てをこなすことが出来ないのだった。
これは言い訳では無いが、私は決して手抜きしたわけでは無く、広い長い廊下や割り当てられたお風呂の掃除その他を済ませて、いざ自分の居室の掃除に取りかかろうとすると、もう正座(内観)する時刻になってしまうので、仕方無く(掃除機はかけずに)拭き掃除だけしていたのだ。
ところがこの立派な施設では全てが「監視」?出来るようになっているようで、二階の気配が全て下の階にある事務所(先生の居室)に伝わるように光センサーか何かで(あるいは掃除機の音や動きで?)分るモニターシステムになっているようで、施設の全てがリモートコントロール(遠隔操作)されている感じだった。
これは決して私の思い過越しでは無い。入所してまず最初の注意が、「夜に窓に触れると警報が鳴りますから気を付けてください」ということだった。長い廊下の全ての窓には全部「鉄格子」がはまっていて、まるで「牢獄」のようだと私は感じていたが、それは説明によると勝手に脱け出す人を防止するためで(外からの侵入防止策では無く)「自殺防止」のためでもあるということだった。
例えば鬱やノイローゼの人など心身が病んだ人たちも(それを治そうとして)内観に来るので、時にはそういう危険性もあることだろうとは思ったが、(いくら部屋が旅館以上に豪華であっても)私にはちょっとなじみにくい環境だと感じた。
あと、不思議だったのは洗面所の洗面器の上に、朝になると必ず男性のヒゲを剃った後のチリのような髪の毛が点々と落ちていたこと。その洗面所は女性専用で、その掃除は奥さんが担当されていたので、とてもきれいに掃除されていたし、先生方の居室(自宅)は一階にあったので、わざわざ二階の洗面所を使われるのは不自然に思った。
もしもそれとなく私の様子を見に来られる?にしても、まさかそんなところでヒゲをそられることは考えられない気がした。
(一階には男性用の研修室があり、そこにも広い洗面所もある)しかもその週は、館内には私以外に誰も研修生が居なかったのに、である。
そんなことが続いて、頭はガンガンするし、今度は奥さんに帰宅の許可をもう一度お願いしてみたが、「ここに来るとなぜか頭が痛くなったり、風邪を引かれる人が多くて、、どうしてでしょうかね?」と軽く言われ、「寒いようなら遠慮せずに暖房をどんどん使ってください」とまたまた優しく引き止められてしまった。
それでその後も真剣に内観を続けていたのだが、その先生が私の話を聴かれた後、何が可笑しいのか、去り際に片袖で口元を押さえながら「ククッ」と何とも不気味な笑い方をされた時には、心底ゾクゾクッとしてしまった。
(今思い出しても寒気がするぐらいだ)
しかもその後ろ姿や雰囲気があまりにも吉本先生にそっくり!で、その顔がまるで血の気が無く真っ青だったのだ。
ひえぇ~、きっとこの人は「ヒョウイ」されていると直観した私は、もうこんなところは何が何でも一刻も早く逃げ出そうと決心して、すぐに荷物をまとめて悟られないようにこっそりと階下に降りた。
すると事務所で(モニターで?)すでに察知していたらしい先生がすぐに出て来られ、私はその場で掴まってしまった。
けれども私の決心が固かったので、(普通は途中退所は許されていないのだが)向こうもそれ以上は引き止めることを諦められたようだった。
そういうわけで、(まるで脱獄囚?のような気持ちでいのちからがら)何とか無事帰宅出来たのだ。ほっ。
(その後頭痛はまだしばらく続いたが、そのうち自然に治まった)
このコワイ経験から私が学んだことは、何事も「凝り固まる」のはよくないということだった。
あの先生もあまりにも熱心で吉本先生に全身全霊をあげて心酔するあまり、自分自身の固有の(個性的な)人生を見失い、その悲しみがHPを通じて私を捉えて離さず、つい私も引き寄せられてしまったのかもしれない。
もしも凝り=狐狸だとすれば、彼にヒョウイしていたのは、決して吉本先生の霊などではなく偽物の、低次元の低級なものではないかと思う。
いずれにしても、何かを信奉し過ぎることは危険だ。オウムのような新興宗教にも気を付ける必要があるが、その先生のような立派なお仕事をされていても、そういうことに気づかない(自覚出来ない)のは、彼こそまさに自分自身の心に(魂に)「正直に」生きていないからではないだろうか?
(自分自身を信じることが出来ないから、人にも不信感を抱くのかもしれない)
例えば吉本先生は、(内観で)ただ泣いているだけの私に向かって、『何か私があなたにして差し上げられることがあるでしょうか?』と尋ねてくださった。また、お風呂に入る順番が来る前に(遅れては次の人に申し訳ないと思って)早めに廊下に並んでいた私に対して、『時間が気になるのですか?』と問いかけてくださったりした。(てっきり叱られると思っていたのに、、)
もしも疑問に感じることがあれば、直接その本人に訊いてみればすぐわかることなのに、それを聞くことをしないで、「君は嘘つきだ」などと人を(自分の思い込みで)決めつけるのはほんとうにおかしなことだ。
その人の口からいきなりそのような言葉が出た時点で、「これは何かちょっと違うのでは!?」と違和感があった。
(きっとそれはこの人本来の姿とは違っていて、たぶん何かにヒョウイされて?本人も知らないうちにいつのまにか魂の本質からずれていたのかもしれない)
この豪華な新築の?内観研修所には皇族の方も内観に来られることがあるらしい。そうか、だからあんなに立派な施設なのだと納得がいき、大都会のしかも凄い一等地であのような広い敷地と最新の設備を備えた建物を日々維持していくためには、一体どのぐらいの膨大な費用とエネルギーがかかることだろうと内心心配になった。
もしも吉本伊信先生が生きておられたら、果たしてどう思われたことだろうか。
私がそこに行ったのは、もしかしたら吉本先生がその方のことを心配されたからかもしれないという気もする。
私が内観の途中で逃げ出した!?(笑)ことはその人にとってはショックだったかもしれないが、もしもそのことで何かに気づいて
自分自身を取り戻し「正気に」なっていただけたとしたら幸いだ。
もちろん私にとってもこれは貴重な体験だった。
頭より体の方が正直だということ。自分の感覚や直観を信じるということ。どんな偉い人の言うことであっても相手の言うことを鵜呑みにしないこと。外見の立派な建物よりも中身の人間の方がずっと大事だということ。時には途中で止めても(逃げても)いいこと。等々。
たくさんのことを学べたので、今ではその先生にも(親切にお世話して下さった奥さまにも)とても感謝している。
それは既述したように、私の不思議な癖(寝ている時の霊動?)を治すためにいろいろなことを試していた時のことで、ある人からの勧めだった。
それで当時奈良県の大和郡山というところにあった(故)吉本伊信先生の自宅(内観研究所)で行われた1週間の(泊まり込み)研修に初めて参加した。
(「内観法」の詳しい説明は省くが、吉本伊信先生はその創始者で、私は生前の吉本先生夫妻から直接にご指導いただいた)
研修の合間の食事時間などには放送があり、殺人を犯した人が「内観」によって立ち直ってゆく話(テープ)などを聴いたりした。
最初はとまどいもあって、なかなか内観が深まらなかったが3日目ぐらいになるとだんだん集中出来るようになり、間脳?が突然開いた?かのように、子供の頃の記憶が鮮明に戻ってきた。
そしてその頃の母が着ていた着物の模様や手触り、その匂いまでがふと甦り、私は思わず号泣してしまった。
それまで私は母にはあまり愛されていないと「思い込んでいた」のだが、実際はそうではなく、私の方が心を(脳幹を?)閉ざしていたのかもしれないと感じた。
私のことをいつもいつも心配してくれていた母の愛を思い出してはその後もどれだけ泣いたことか。
内観することによって、それまで「自己中心的に」眺めていた風景が一変し、相手の側からというか、(外側から)客観的に自分を眺めることが出来たのだった。参加者は何人もいたが、中にはひどい鬱で起きられない人もいた。その女性も帰る頃にはみんなと一緒に起きて掃除したり出来るまでに快復したことも記憶に残っている。
一週間があっという間に経って外へ出た時には、何もかもが新鮮に見えた。駅で電車を待っていると「回送」電車がホームに入って来たのだが、私はそれを見て「回送なんて随分珍しい駅名があるもんだな」と思ってしばらく眺めていて、ようやくして、「あぁ、そうか、これは『回送電車』なのか!」とやっと気が付いたぐらいに、自分のものを見る目が「ニュートラル」になっていたのだ。
さて、これからが本題なのだが、何年か前にふとまた内観に行きたくなり、どこがいいかと全国あちこちにある研修センターのHPを調べている時、ある高名な内観研究所長が書かれた体験談に目が止まり、それを読んでいるうちになぜか涙が滂沱と流れてきた。
それで、自宅からはかなり遠かったのだが、(何となくご縁を感じて)その内観研究所にしようと決めたのだった。
行ってみると、そこは本当に立派な施設で、まるで神殿か御殿かと言っていいぐらいにどこもかしこも真新しくピカピカだった。
設備も最新式で(ちょうどその時期は空いていて)十畳の和室に私一人だった。
(かつての内観研修では、屏風で仕切られているだけで何人かが同じ部屋で寝起きしていたが、最近は個室も増えているようだ)
最初は隣の部屋にも誰か居るようだったが(この研修所では女性と男性が上下の階に分かれていた)、そのうちその女性も研修を終えて帰りやがて私一人だけになった。ところが初日を終わる頃から急に始まった頭痛が、日が経つと共にだんだんひどくなってきたのだ。それでまだ途中だが切り上げて帰りたいと申し出たら「もう少し頑張ってみられてはどうか。それは内観への抵抗かもしれないから」ということで、担当の先生(そこの所長)にやんわり引き止められた。
それで我慢していたのだが、その先生が、なぜか私に対してひどい罵声を浴びせてくるのだ。そしてあろうことか、「君は嘘ばかりついている」と言うのだ。何を根拠にそんなことを言うのか!?とよく考えてみたら、その人は私が吉本伊信先生から直接の研修を受けたことがあると(申し込み時に)話したのを、当時の参加者名簿か何かで調べたようだった。
それでそこに名前が記載されていないので「不信感」を抱かれたようだったが、私はその当時とは氏名が変わりまた住所も全く違うので、誰が見てもそれは分らないことなのだ。
また、掃除をする時間帯に私が(ごまかして?)掃除をしていないと誤解されたようだった。
そこではあまりよく眠れなかったので、決められた起床時間の前からすでに起きていて身支度をするのだが、あまり器用な方ではない私はなぜかどうしてもその時間内(30分ぐらい)に全てをこなすことが出来ないのだった。
これは言い訳では無いが、私は決して手抜きしたわけでは無く、広い長い廊下や割り当てられたお風呂の掃除その他を済ませて、いざ自分の居室の掃除に取りかかろうとすると、もう正座(内観)する時刻になってしまうので、仕方無く(掃除機はかけずに)拭き掃除だけしていたのだ。
ところがこの立派な施設では全てが「監視」?出来るようになっているようで、二階の気配が全て下の階にある事務所(先生の居室)に伝わるように光センサーか何かで(あるいは掃除機の音や動きで?)分るモニターシステムになっているようで、施設の全てがリモートコントロール(遠隔操作)されている感じだった。
これは決して私の思い過越しでは無い。入所してまず最初の注意が、「夜に窓に触れると警報が鳴りますから気を付けてください」ということだった。長い廊下の全ての窓には全部「鉄格子」がはまっていて、まるで「牢獄」のようだと私は感じていたが、それは説明によると勝手に脱け出す人を防止するためで(外からの侵入防止策では無く)「自殺防止」のためでもあるということだった。
例えば鬱やノイローゼの人など心身が病んだ人たちも(それを治そうとして)内観に来るので、時にはそういう危険性もあることだろうとは思ったが、(いくら部屋が旅館以上に豪華であっても)私にはちょっとなじみにくい環境だと感じた。
あと、不思議だったのは洗面所の洗面器の上に、朝になると必ず男性のヒゲを剃った後のチリのような髪の毛が点々と落ちていたこと。その洗面所は女性専用で、その掃除は奥さんが担当されていたので、とてもきれいに掃除されていたし、先生方の居室(自宅)は一階にあったので、わざわざ二階の洗面所を使われるのは不自然に思った。
もしもそれとなく私の様子を見に来られる?にしても、まさかそんなところでヒゲをそられることは考えられない気がした。
(一階には男性用の研修室があり、そこにも広い洗面所もある)しかもその週は、館内には私以外に誰も研修生が居なかったのに、である。
そんなことが続いて、頭はガンガンするし、今度は奥さんに帰宅の許可をもう一度お願いしてみたが、「ここに来るとなぜか頭が痛くなったり、風邪を引かれる人が多くて、、どうしてでしょうかね?」と軽く言われ、「寒いようなら遠慮せずに暖房をどんどん使ってください」とまたまた優しく引き止められてしまった。
それでその後も真剣に内観を続けていたのだが、その先生が私の話を聴かれた後、何が可笑しいのか、去り際に片袖で口元を押さえながら「ククッ」と何とも不気味な笑い方をされた時には、心底ゾクゾクッとしてしまった。
(今思い出しても寒気がするぐらいだ)
しかもその後ろ姿や雰囲気があまりにも吉本先生にそっくり!で、その顔がまるで血の気が無く真っ青だったのだ。
ひえぇ~、きっとこの人は「ヒョウイ」されていると直観した私は、もうこんなところは何が何でも一刻も早く逃げ出そうと決心して、すぐに荷物をまとめて悟られないようにこっそりと階下に降りた。
すると事務所で(モニターで?)すでに察知していたらしい先生がすぐに出て来られ、私はその場で掴まってしまった。
けれども私の決心が固かったので、(普通は途中退所は許されていないのだが)向こうもそれ以上は引き止めることを諦められたようだった。
そういうわけで、(まるで脱獄囚?のような気持ちでいのちからがら)何とか無事帰宅出来たのだ。ほっ。
(その後頭痛はまだしばらく続いたが、そのうち自然に治まった)
このコワイ経験から私が学んだことは、何事も「凝り固まる」のはよくないということだった。
あの先生もあまりにも熱心で吉本先生に全身全霊をあげて心酔するあまり、自分自身の固有の(個性的な)人生を見失い、その悲しみがHPを通じて私を捉えて離さず、つい私も引き寄せられてしまったのかもしれない。
もしも凝り=狐狸だとすれば、彼にヒョウイしていたのは、決して吉本先生の霊などではなく偽物の、低次元の低級なものではないかと思う。
いずれにしても、何かを信奉し過ぎることは危険だ。オウムのような新興宗教にも気を付ける必要があるが、その先生のような立派なお仕事をされていても、そういうことに気づかない(自覚出来ない)のは、彼こそまさに自分自身の心に(魂に)「正直に」生きていないからではないだろうか?
(自分自身を信じることが出来ないから、人にも不信感を抱くのかもしれない)
例えば吉本先生は、(内観で)ただ泣いているだけの私に向かって、『何か私があなたにして差し上げられることがあるでしょうか?』と尋ねてくださった。また、お風呂に入る順番が来る前に(遅れては次の人に申し訳ないと思って)早めに廊下に並んでいた私に対して、『時間が気になるのですか?』と問いかけてくださったりした。(てっきり叱られると思っていたのに、、)
もしも疑問に感じることがあれば、直接その本人に訊いてみればすぐわかることなのに、それを聞くことをしないで、「君は嘘つきだ」などと人を(自分の思い込みで)決めつけるのはほんとうにおかしなことだ。
その人の口からいきなりそのような言葉が出た時点で、「これは何かちょっと違うのでは!?」と違和感があった。
(きっとそれはこの人本来の姿とは違っていて、たぶん何かにヒョウイされて?本人も知らないうちにいつのまにか魂の本質からずれていたのかもしれない)
この豪華な新築の?内観研修所には皇族の方も内観に来られることがあるらしい。そうか、だからあんなに立派な施設なのだと納得がいき、大都会のしかも凄い一等地であのような広い敷地と最新の設備を備えた建物を日々維持していくためには、一体どのぐらいの膨大な費用とエネルギーがかかることだろうと内心心配になった。
もしも吉本伊信先生が生きておられたら、果たしてどう思われたことだろうか。
私がそこに行ったのは、もしかしたら吉本先生がその方のことを心配されたからかもしれないという気もする。
私が内観の途中で逃げ出した!?(笑)ことはその人にとってはショックだったかもしれないが、もしもそのことで何かに気づいて
自分自身を取り戻し「正気に」なっていただけたとしたら幸いだ。
もちろん私にとってもこれは貴重な体験だった。
頭より体の方が正直だということ。自分の感覚や直観を信じるということ。どんな偉い人の言うことであっても相手の言うことを鵜呑みにしないこと。外見の立派な建物よりも中身の人間の方がずっと大事だということ。時には途中で止めても(逃げても)いいこと。等々。
たくさんのことを学べたので、今ではその先生にも(親切にお世話して下さった奥さまにも)とても感謝している。