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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

6月のテレパスアート新規受付☆

2014-05-31 | お知らせ&催しのご紹介
急に暑くなりましたね。

まるで真夏のような暑さが続いていますが、
皆様その後いかがお過ごしでしょうか。

5月はイベントのおかげであっと言う間に過ぎた氣がします(笑)。
氣が付くともう早くも6月♪


テレパスアートの新規受付が始まります☆

特に今回は「クーポン」を使っていただくのが楽しみです♡


クーポンを使われる方は、(ハガキになっていますので)
そのまま52円切手を貼って、絵をご希望されるご本人の
お名前、ご住所、お電話番号を書いてお申し込みください。


ご本人以外の方が代理で申し込まれるとか、
あるいはクーポンを誰かにプレゼントされて、
他の方がクーポンを使用される場合は、ご紹介者のお名前を
お書き添えいただけましたら助かります。



また「メール申し込みの方が馴れていて簡単!」とか、
例えば「クーポンは記念に手元に残して置きたい」と思われる場合は、
お申し込みの際に、クーポンのナンバーだけを
お知らせいただけましたら幸いです。

お手数をおかけしますが、どうぞ宜しくお願い致します。


新しい初めての試みというのは、何でもワクワク☆ しますね!

クーポンの有効期間は1年半で、来年(2015年)の年末までありますので、
どうぞごゆっくり~ そしてせっかくですので、
どうぞお忘れ無くお使いくださいね♪

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ところで、
一番最初に作成したたまさんの分のクーポンだけ、
なぜか年を間違えて
「2015年」と記入してしまっています。

たまさん、すみません!

これは私が「15」という数字を意識し過ぎていたためか、
2014と書くところをふと2015としてしまったようです。


これはほんとに不思議なんですが、
あの『スリーセブン』の絵の中の数字、7・7・7
制作年月日は、実は1996年なのに、
なぜか1997年というふうに一年先を記入しているのです!!!

それはどうやらその7という数字を意識してぞろ目に揃えるため?
だったのかもしれませんが、その絵の中に数字を書き込んだのも
(もちろん自動的なんですが)、何か意味のあることだったのかもしれません。


今回はどうやら「15」というのが
何か意味のある数字になっているのかもしれませんね!?


たまさんの愛息さんがたまたま今年15歳☆
これもシンクロニシティでしょうか!?


5/15のイベントにご参加いただいた皆さまにお願いして、
ハッピーバースデー♪を共に歌っていただき、
ささやかな御祝いとさせていただきました。


そして
川野さんが原爆に遭遇されたのも偶然15歳!
だったということも、何かのご縁かもしれません。


来年、2015年5月15日(5が3つ揃う=5×3=15)
その時★ には、拉致された人々の笑顔の全員帰国が
ぜひとも実現しているといいですね☆



そしてもしかして???
ホップ、ステップ、ジャンプ!!!

「5次元世界」への移行も!?



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「まさG」からの平和のメッセージ

2014-05-30 | 日記
本日5月30日は故・川野政次さんのご命日です。

愛称「まさG」のことについては、
過日(5/15)のイベントの中で、
彼の「テレパスアート」と一緒にご紹介しましたが、
(後ろの方の席の人は絵もよく見えず、話も聴こえにくかったようで)
「よくわからなかった」というご意見を後日いただきました。

そういうわけで大変失礼致しましたので、
あらためて本日彼のことについて掲載させていただきます。
(かなりの長文ですので、関心の無い方はスルーしてください♪)
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広島に住む川野さんと出遇ったのは、
阪神淡路大震災後に私が広島に移り住んだことがきっかけです。

そこでたくさんのスピリチュアルな人たちに出会いましたが、
彼はその中でも大変有名な方だったのです。


平成14年の8月4日付けの毎日新聞に、
川野政次さん(72)が紹介されています。


下記にその一部を抜粋転載させていただきます。
(表記や表現の仕方を変えているところもあります)

その折りのプロフィールには
「即興の唄と音楽に合わせて
<ヒロシマから新しい平和のメッセージ>を世界に向けて発信している

と書かれています。

また、見出しには
「少年時代 原爆を体験
ヒロシマの心を音楽で表現するメッセンジャー」

紹介されています。
この頃の川野さんは和太鼓を演奏されていたようです。

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原爆の落ちた1945年8月6日の朝、
川野さんは15歳にして、両親と姉妹4人を
いっぺんに亡くされたのです。



「私はあの日、学徒動員で工場にいました。
突然白っぽい光に薄い青やピンクなどの色が混ざった
パステルカラーの光が飛び込んできて、
何だろうと一瞬考えた後に、爆風がきました。

その時、私は無意識に足をふんばって
倒れまいと抵抗しました。
世界でただ一人、原爆に立ち向かった少年です。


次の瞬間、こなごなに割れたガラスが飛び散り、
建物が壊れて下敷きになりました。
なんとか外に出て大きな深呼吸をしたら、
コップ一杯ほどの血を吐きました。

比治山に登り、町を見下ろすと、瓦礫の平原という感じでした。
またたくまに火の手があがり、
私は茫然とその光景を眺めていました。


気が付くと上半身裸で、はだしでした。
そのまま家に向かいました。
途中、立ったまま黒こげになった馬や、
水をくださいと言って手を伸ばす人たちがいました。
爆心地から百メートル程の家(自宅)は跡形もありませんでした。

10日後、両親の骨を見つけました。
姉と妹のはどうしても見つからない。
あの日、私に向かって水を下さいと言っていた人の中に、
妹たちがいたのかもしれないと思い、
焼け野原で一人泣きました。



私の体には原爆で受けた傷跡が100カ所ほどもありますが、
何の症状も出ず、原爆症にもかかっていません。

私が望む「平和」とは
「心の平和」です。


皆が仲良く手をつないで輪になって平和運動をしても、
各自の心が平和でないと一時的でみせかけの平和しかできません。


「心」平安な人達が集まって「和」となる。
これが平和の意味で、和平ではありません。

まず自分の心の中の平和が先です。
自分自身が平和になれば、周りの人々の行為も許し、
愛せるようになり、おのずと平和になっていきます。

本人が光っていれば、周囲の闇は、
一瞬にして明るく輝き始めると思います」

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川野さんは過去に背を向け、原爆体験を忘れ去りたいと
長年苦しんでおられましたが、(この記事の出る)7年程前、
自分の心と直面し、考え方を百八十度転換してからは、
生活や環境すべてが良い方に変わったのだそうです。


(精神世界との出会いが彼を変えたのかもしれません)

「原爆の被害を訴えなくても、ヒロシマの心を
音楽でも何でも感動して発信すれば、
相手の心に響くことに気付いた」

と川野さんはこの記事の中でも語っておられます。


そして、1955年にはイギリスのエジンバラ音楽祭で、
「ラブ・ザ・アース・ウィズ・ヒロシマ」という、
平和のメッセージを伝えるミュージカルで
川野さんは主役を演じられたのです。


その後亡くなられるまで、自らの被爆体験の講演や
音楽活動を通し、平和のメッセンジャーとして
「まさG」は世界中を歩き廻られていました。

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そういう彼の信奉者?もたくさんおられ、
私はそのような人たちの中の一人から絵を頼まれて、
彼のテレパスアート(その頃は「ヒーリングアート」)を
何枚か描かせていただきました。

また彼は伊豆の我が家にも泊まりに来て下さったのです。
(残念ながらその折りは和太鼓の演奏は聴けませんでしたが、、)


その時、彼は「これからヒマラヤに行く」と言っておられました。
そして「自分はヒマラヤに行くといのちを縮めると予言されている」と
笑っておられたのです。

そして帰国後その予言通りになられたのでした。


彼の周辺の人たちは、
これまでまるで教祖のように崇めていた彼が
病気になり、弱っていく姿や、普通の人のように
弱音を吐いたり、ワガママ?だったりする彼の姿に、
少々がっかりして、亡くなられた後は

「彼も普通の人だった!」
(元々「普通の人」だったと私は思いますし、
周囲の人たちが勝手に思い入れをして崇めていただけでは?
と私は感じていますが)、という失望!?を
正直に吐露される方も、中にはおられたようです。


そのような時に(亡くなられた後)
たまたま依頼されて私は絵を描かせていただき、
(それが彼の真実の魂の正体!?なのかどうかはわかりませんが)
彼がなぜか「ホワイトイーグル」のような姿で、画面に
出て来られたことに、何か安堵の気持ちを抱きました。


外側の肉体次元、三次元の姿とはまた違った
絵の中の彼の姿に、神々しささえ感じました。
(たとえどういうふうな亡くなられかたであろうと、、、)

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そして亡くなられた直後にも私は彼からのメッセージを
受けて(個人的に)絵を描いてみたのですが、
(この話は以前このブログのどこかに書いたと思いますが)
その時の彼はとても苦しんでおられる様子でした。

それは「私たちに何とか向こうの世界からメッセージを
届けたい」という想いから、彼は「必死になって発信しようとされて
いた」ようですが、それは実は(彼が生前思っていた以上に)
大変難しいことだったようで、何とかならないものかと、さんざん
もがいておられる気配?や感じが深く伝わって来ました。


その後何年も経って、「今年になってようやく彼のメッセージが
スムーズに届くようになったのではないか」
という氣がしています。

そのメッセージの届き方というのは、具体的な言葉を通してでは無く、
「自然に起こってくるさまざまな出来事を通して」伝えてくれている
と私には思えます。


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例えば最近ではこういうことがありました。

まず「テレパスアート17周年」の記念の集い(交流会)で
どうしても彼の話をしたいと強く感じたこと。

(亡くなられて何年も経ち、最近はもう彼のことも
あまり思い出すことが少くなって来ていたにも関わらず、、)


それから、「位山」のことが
二次会でご一緒だった方の話の中でふと出て、
その時はどうってことは無く、「彼との結びつきはわからなかった」のですが、
その後不思議なシンクロ☆ がありました♪

つい最近、「伊豆の空家を借りたい」という方が現れ、
その仲介をして下さった方が、
「その家を借りたいという人と出遇ったのは、
実は川野さんの慰霊のための『追悼記念登山』で、
仲間と一緒に登った「位山」
麓の民宿でだった」と言われたのです!!!

これには本当にびっくりしてしまいました。

ちょうど私がその時読んでいた本(対談)の中で、
中丸 薫さん(明治天皇の孫)が、「自分は『位山』に呼ばれていて、
早く登りたい思っている・・」ということを話されていたからです。
(「位山」は天皇家ともご縁の深い重要な山だそうです)


このような「キーワード」となるような出来事を通して
彼は私に「平和のメッセージ」を送ってくれている氣がします。


そういうわけで、随分長い文になりましたが、
彼のこと、そのメッセージ、そして彼に関するテレパスアートの話を
以上で終わります。

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これからも彼が送ってくれるさまざまなメッセージを
楽しみにしています♪


そしてその平和のメッセージ☆ を通して
「真実の魂の仲間たち」ともこの星で、
きっと再び出逢えるのではと
ワクワクしています。


ちなみに、「位山」もいいですが、
恵那の「笠置山」はもっと凄い?パワースポットのようです。
UFOもよく出るそうです(笑)。

そして伊豆の空家の仲介をして下さった方が、
何とその恵那の笠置山にぞっこんで、
もう数え切れないぐらい登られているそうなのです。

(伊豆の空家の賃貸契約がスムーズにまとまるかどうかはわかりませんが)
「伊豆」と「恵那」との奇しきご縁にもびっくりでした!!!


「まさG」がこの結びつきを作ってくれているのでしょうか!?
彼との出逢いと深いご縁に心から感謝です。




下記の写真は、その「笠置山」の(2012年12月マヤ暦最終日)の大陽です。




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情報は自分で確かめる♪

2014-05-29 | 日記
昨日のことです。

私は用があってJR奈良駅方面に出かけました。

近鉄奈良駅とJR奈良駅の間は徒歩15分ぐらい?かかるので、
今回は電車を利用せず、家の近くのバス停から初めてバスに乗ってみました。


そしたらバスの中でおばあさん同士の会話が耳に入って来ました。

「JR奈良駅は今工事しているから不便やわ。前はすぐに向こうに出られたのに、
今はぐる~っと廻らなあかんから、面倒で、、」

「そうそう、表の通りに出るまでかなり歩かなあかんからな~」
と二人で話しているのです。


そこで、私はそれは困ったな~と思い、
「JR奈良駅の手前の近鉄奈良駅で降りて
そこからJR奈良駅まで歩いた方がいいのかも?」と、
(赤信号でバスが止まった時に)バスの運転手さんに尋ねてみました。

そしたら「どこまで行くの?」と聞くので
「ここです」「JR奈良駅の南側らしいのですけど?」と
目的地近辺の地図を見せながら言いました。


すると
「南側?よくわからないけど、バスが着くのは西口だからそこまで行くしかないよ」
「西から東に抜ける通路があるからそこを通ってまず東口に出て、、、」
と運転手さんは言うのです。

(だって、その東西の通路が今工事中だから、云々って
おばあさんたちが話していたじゃない!?)と心秘かに思いながら、

「そこはすぐに出られますかね?遠回りになりませんか?」と
さらに突っ込みを入れると、

「ともかく終点が西口だから、着いたらまた説明するから、、」と返されました。
(もしかしたら運転手さんもあまりよく知らず不確かなのかも?)

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おばあさんたちはもう途中のバス停で降りていなくなり、
どうやらどこかの病院に行くようです。

とても暑い日だったので、「遠回りになるのは、かなんなあ!」と、
半分あきらめの境地で正午過ぎの路上を汗を拭きながら
てくてく歩く自分の姿を思い浮かべていました。


ところがです。

実際にJR奈良駅西口に着いてみると、
確かに一部工事中ではありましたが、もう東西の通路は
すでに自由に往来出来るようになっていたのです!!!

よかったあ!!!!!
(おばあさんたちの口コミを信じて、手前の近鉄駅前で降りていたら
さらにもっと30分は歩く必要があったので)
ほんとにほっとしました。


これはおばあさんたちの言うことが決して間違っていたわけでは無いのです。

彼女たちが通った時は確かにまだ通路が塞がれていて、きっと
遠回りするしかなかったのでしょう、、。


ラッキーなことに今日は大丈夫だったのです!


これはほんの小さな一つの体験に過ぎませんが、
こんなふうに私たちは「古い情報」をうのみにしたり、
「かつての記憶に基づいて」生きているのかもしれないですね。


自分で行動して確かめ、「今を生きる」ことの大切さを
改めて教えられました。


ちなみに「オーリングテストではどうだったか」って!?

もちろんオーリングテストはしてみたのですが、
なぜかこの時オーリングテストは利かなかったのです。

なぜならバス代の方が近鉄に乗るよりずっと高かったのですが、
そして私はそれを知らずにバスに乗ったのでしたが、

いずれにしても
「バスに乗ってみたい☆」(一度バスで行ってみたい)という
私の意志がはっきりして、どっちになっても大した違いは無く、

また、「このことを体験すること自体がメインの目的」である場合は、

オーリングテストは「正しい答え」というのは実は無いということを
教えてくれていたのだと思います。

私にとってはこれはほんとに有意義な体験☆ でした♪


下記の絵は『チャレンジ』です。




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ウツ友からのたより

2014-05-28 | 日記
私には古くからの「ウツ友だち」が何人かいます。

今ではすっかり健康になりましたが、
私もこれまで精神的に何度か苦しい時がありました。


思春期の頃、学生から社会人になるのがコワクて?
「仮面うつ病」?のようになり、
大学構内の相談室で無料カウンセリングを受けたこともあります。

二度目は最初の結婚がダメになり、30代前半で離婚する前後です。
それまで例えば料理も家事も相手中心で相手に合わせてしていたために、
その相手と離れると、「今日何を食べていいのか?」さえわからなくなりました。

そのぐらい「愛し過ぎ症候群」!?で、「他者中心主義」の私でした。
だから「自分は自分であっていいのだ」という、
「自分の感覚」を取り戻すのに、かなりの年月が必要でした。


そして三度目のウツ症状は、現在は離れていますが、彼と一緒になった頃でした。
あまりにも感覚の違い過ぎる相手に戸惑い、お互いに理解し合うのに必死でした。

まるで「異星人」のような感性の違いがあったのです。
(ただ、絵や音楽に関してだけはなぜか不思議に相性がよかったのですが)
その頃は毎朝午前中はずっと泣いていて、起き上がれないぐらいひどかったのです。

それでも仕事になるときちんと出来たので、パートで働き続けていました。
(当時も絵は描いていましたが、それだけで食べていける程ではなかったのです)


この間には彼との二度の別居も経験しましたが、
私は「どうしても二人で続けていきたかった」
(それが私に与えられた天命だと思っていた)ので
「伊豆に転居する」ことで何とか乗り超えたかったのです。
(もちろん「くぬぎ」さんに呼ばれたからでもありますが、、)

そしておかげさまで伊豆での十年を経てようやくお互いの理解が進み、
仲良く共に仕事の出来る時が来て、「さあ、いよいよこれからこそ♪」と
「足並みが揃った♡ 」と思えた時に、突然の別離となってしまい、
未だに自分の中ではそのこと(アズミックアートのこと)が未整理のままです。

このことではほんとうに1年間も考え続け苦しみましたが、
未だに謎が解けていません。

それでも決して私はあきらめていません。

いつかきっと私たちの絵と音楽の「真実の平和のメッセージ」が
世界中の人々にもっと深く理解してもらえる日が必ず来ると信じています。
それこそが私たちの出逢った意味なのですから☆


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話がつい横道に逸れてしまいました。

そんなふうにウツで三度もの危機的状況になったことがありますが、
それでも一度も薬を飲んだり、お医者にかかったことはありません。

森田療法とか、瞑想とか、さまざまな「我流」の手段で治しました。

そしてスピリチュアルなものの見方、考え方が出来るようになったおかげで
(ハイアーセルフさんの助けもあり)精神的に打たれ強くなり、
今ではすっかり元気になりました。


またこのようなつらい経験があるからこそ、
それが現在の仕事にも活かされていると
感じています。


そしてまたそういう時に
何よりも力になってくれたのが
「友だち」の存在です。


私にはもう40年以上の付き合いになる親しい友だちもたくさんいます。
(還暦過ぎてから残念なことに亡くなる友達もぼつぼつ増えてきましたが、、)

昔からの川柳の仲間たち、女性運動の仲間たち、そして心理学の仲間たち、、
本当に彼女たちの存在によってどんなにか助けられたことでしょうか。
言葉に出来ないぐらい深く感謝しています♡

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

そんなふうに助け合ってきた友だちの中に、
実際に長年「抗ウツ剤」を飲み続けている人もいて、
躁鬱症状のために、元気な時とそうで無い時とが周期的にあります。

ウツの時にこちらから電話すると彼女の声が全く違いますし、
元気になると向こうから電話やハガキが来たりします。

そういうことも全部含めて、私は彼女のことが好きなので、
伊豆の家に遊びに来てもらったこともあります。


その彼女から最近届いた絵葉書(市販のもの)に
とても素敵な詩が書いてありました。

この絵葉書の制作者は「サリー」さんという方らしく、
連絡先を見ると神戸の方らしいのですが、
「SPACE GALLERY」となっていました。



今の私の心境にぴったりのその詩を下記ご紹介します。
(文字表記は原文のままです)
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かんぺきでなくてもいい

できること と できないこと 

両方 あるから 人は

助けあえるんだ

一人じゃ できない 

ステキな出来事

〝 あなた 〟といるから 

今日が 輝く

いつも ☆ そばにいてくれて

ありがとう


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こんなステキな詩を書いてくれたサリーさんと
ふと私に絵葉書を贈ってくれた「ウツ友だち」に
心から感謝です。

そしてこの詩の「言魂」が
みなさまの魂☆ にも響きましたら嬉しいです♪



下記の絵は『イシタバイ』です。





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驚愕情報満載!の本

2014-05-27 | 希望の光
まあ、ほんとに驚いたの何のって、
近年読んだ本の中ではランク3入り確実です。

何せ、アマテラスオオミカミの生まれ替わり!!!
だとか、OO天皇の転生だとか、
「UFO操縦」???の話などなど・・

真偽のほどはともかくとして、超ワクワクする不思議な話が満載なのです。
(中丸 薫さんは、正真正銘の明治天皇のお孫さんです)

もう面白くて面白くて一日で読破してしまいました。

UFOスピリチュアル対談(2014年2月発行)
『中丸 薫 × 秋山眞人 異星人が教えてくれた日本の近未来』(Gakken)

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そしてもう一冊は

(2000年1月発行/KYURYUDO)
『優しい宇宙人』


こちらは、「秋山眞人さんと坂本貢一さんとの共著」で、
対談本というよりも
坂本さんの質問に秋山さんが応える形式の「インタビュー本」です。

どちらかと言えばこちらの古い本の方が
私はさらに好きですが、久々に感動出来る本でした。

こちらの方には「宇宙語」とか、その記号(文字)や図なども
掲載されていて、それが私の描いた「線描画」の中の
図形や「宇宙文字」ともどこか似ている!?部分もあって、
「一気読み」する程、興味しんしんでした。

これを読んだ時には興奮し過ぎて誰かに話さずにはいられなくなり、
娘との電話で思わず熱弁してしまいました。


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この二冊の中味を私がここでお伝えするよりも、
もし興味をもたれた方は
ともかくもぜひご自分で読んでいただきたいです。


これらの本が世に出て、このような情報を知ることが出来たことに
ほんとうに感謝です。

まさに「生きててよかった!!!」と
大袈裟では無く、心底そう思いました。


ずっと昔、広島で受けた全く初めてのチャネリングで
「あなたはいずれ自分が宇宙人であることを思い出すでしょう♪」
と言われ、それを長年楽しみにしてきましたが、
その時がやっと来た!!!のだとわかりました。


自分自身の個人的なことも含めて
地球人類はこれからどういうふうに生きたらいいのか、、

これからの世の中はどういうふうになっていくのか

ということについても、多くのヒントが得られた本でした。


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なお、余談ですが、中丸 薫さんのお話から、私はこれまでとは違って、
「北朝鮮」という国に対する見方や認識が少し変化しました。

折しも中矢伸一さんの 5月26日付けのブログで

横田さんご夫妻があのモンゴル滞在時に
お孫さんとその娘さんに会われただけではなく、

実はめぐみさんとも再会されていた!!!!!

ということを知って、
ご夫妻の笑顔があんなにも明るく喜びに輝いておられ、

「夢のようだ」「奇跡が起きた」と言っておられたことの
その真の意味を知りました。


少しずつではあっても、確実に世界は変わっていっていると思いました。
本当に何よりもうれしいニュースでした♡

今回の日朝の会議でさらなる成果があり、
拉致された方々全員の帰国☆ が、ちかじか実現することを深く信じます♪



下記の絵は『ニューエージ』です。




無断転載およびコピーはご遠慮ください。



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