メキシコに行った話を続ける前に、少し違う話をします。
それは、突然にさまざまな能力が拓かれたり、「自動書記」でメッセージが降りて来たり、神懸かりになってしまったからといって、決してその人が「特別な人」 になったわけではないということ。
もちろん中には人格がすっかり変容してしまったり、実際に人生が急変して悟りを開いたり?新興宗教の教祖になる人もいるかもしれないが、だからといって「偉い」というわけではない気がする。
その伝える内容が正しいのかどうか?については、必ず審神(サニワ)が必要だと思う。
そういうことを考えている時にたまたま本屋で『岡本天明伝』(ヒカルランド/黒川柚月著)を見つけたので、さっそく読んでみた。
岡本天明さんはあの有名な「日月神示」(別名「ひふみ神示」ともよばれる)を書かれた方である。
私は、いつだったか、ある夫妻の案内で菰野にある「至恩郷」を訪れたことがある。
その頃はすでに天明さんは亡くなられていて、三典(みのり)夫人がひっそりと暮らしておられ、一緒に写真を撮らせていただいたりした。
私と相棒のそれぞれの誕生日を聞くと、彼女は「なるほどね」と一人納得したように頷かれていたが、私はその頃は「数秘術」なども全く知らず、何のことなのかさっぱりわからなかった。
今回この伝記を読んで、天明さんと縁が深かった人の中に、現在でもほとんどの占い師が勉強するという、その元になる「数字に関する研究」をした高名な学者がおられたことを知って、その意味を初めて知った。三典夫人もそれを学ばれていたのだ。
(その後私もそういったことにも興味を持つようになり、今ではたくさんの数秘術の本を出されている「はづき虹映さん」がまだ世に出る前?に、鑑定してもらったこともあるが、ほんとうによく当たっていて大いに参考になった)
話が横道に逸れてしまったが、その時私たちの通された部屋の壁面に天明さんの描かれた「クレパス画」がずらっと掛けられていたのを覚えている。惜しいことに後年にあった火災で全て燃えてしまったようだ。
その折船井幸雄さんが火事見舞いに駆けつけられたという話を聞いたことがある。
今回の本で、岡本天明さんが17歳の折に神戸で初めての個展をされたということもわかり、(「クレパス画」は晩年の作品だと思うが)もっとよく見ておけばよかったと、本当に残念だ。
せっかくほんものの絵を見る機会だったのに、正直な話、なぜかその時にはそれらの絵が私にはどれも暗く感じられて、あまり興味を惹かれなかったのだ。
天明さんの周囲にはその降りて来た神示を信奉する人たちが集まり、いつのまにか一緒に生活するぐらいにまでなっていったようだが、その周辺の人間関係やさまざまな出来事を時系列で詳しく調査して書いたのが、今回紹介したこの本である。
天明さんが「大本教」との関係が深かったということも、私はこの本で初めて知った。
写真も豊富で、(日月神示ではないが)「審神する情景」を撮ったものもある。
「おふでさき」で有名な天理教の教祖の中山みきや、大本教の教祖の出口なおなどに関する本も読んだことがあるが、みんなすさまじいまでの苦労をしている。本人だけではなく、その周囲の家族たちもとてもたまったものではなかっただろうと思う。
岡本天明さんは、二度も奥さんを亡くされ、三典さんは三人目の奥さんだったことも今回の本で知った。
三典さんは天明さんの神示を心底信じて一緒になったのに、そしてその神示の預言では(96才7ケ月!までも)長生きすることになっていた筈なのに、実際は昭和38年に満65歳で亡くなられ、しかもその神示の最終的な「カタ」は他に出る(天明さんのところへ降りるのではなく)ということが、(その生前に)天明さんの口から出て、三典さんはほんとにがっかりされたということも、本には書かれていた。
彼女のその心境は察するに余りある気がする。
また長年天明さんの信者だったある女性がある時期から離れていくのだが、「日月神示」の第24巻以降に関しては、その人は疑問を抱いていたという話も印象に残った。もしかしたらそういうこともあり得るのかもしれないなと感じた。
ともかくこの本を読んで私は、「ほんもの」と「ヒョウイ現象」を見分けることの難しさをつくづく思ったのである。
私も今でも「何がほんもので、何がそうでないのか」はわからないままでいる。
そして出来れば別の仕事をしたいとふと思うこともある。
『天から授かった能力はお金に換える(仕事にする)もんじゃない』と、かつてある人から面と向かって言われたこともあった。
また別のある人は私の話をじっくり聞いた上で、『自然な経緯で(自ら望んでそうなったわけではなく)結果としてそうなったのなら、それはやってもいいんじゃない?』と優しく受け止めてくれた。
『誰にも出来ることではないし、それが天から授かったものだからこそ尊いのじゃない!?』と、真剣に諭してくれた知人もいた。
広島の三上晃先生(植物さんとの共同研究をしていた人)はそんな私に、「普通の生活」をするようにと強く勧めてくれた。
こういう絵(突然の「自動書記」で始まった線描画)を描き続けていると、「身が保たない」からと。
そのアドバイス通りに、私は広島から関西に戻った後も(絵を仕事にしようなどと考えるまでも無く)、ある書店の店員として真面目に働いていたのである。
ところが、ある日、突然にリストラされてしまい、その結果として今日の私がある。
(その詳細はまたにするが)、最後の勤めの日の帰途、家に向かう坂道を登りながら、自然に涙が流れて仕方無かった。
でも心のどこかがふっと明るく、泣きながらもまるで空が抜けたような開放感と希望のきざしを感じてもいたのである。
だから、一体何が「天の采配」なのか?
たぶんその時が来るまでは誰にもわからないし、果たして自分の描く絵が真実を伝えているのかどうか?も今はわからない。
そういうわけで(「日月神示」をその参考にするのは畏れ多いが)、今回この『岡本天明伝』を読んでほっと安心したのである。
ああ、彼も普通の人だったのだと。そして岡本天明さんに対してさらなる親しみと尊敬の念が湧いて来た。
そして、巷に流布している「日月神事」や「ひふみ神示」に関する本なども、ごく一部だけを取り上げているに過ぎない(省略していることも多い)とわかり、これまでとはまた違った目で眺めることが出来るようになった。
個人に起こることと、その外側に起こる(公の)こととは関連していること。
時にはその周囲の人間関係や環境などもその神示の中に読み込まれる(反映している)こともあること。
後日必ずそのカタ(証拠)が示されるということ。
その他たくさんの学びがあり、読んで大変役に立った本だった。
私の絵もそんなふうに何らかの気付きの手助けになり、誰かのために「少しでも貢献出来たら」と願っている。
それは、突然にさまざまな能力が拓かれたり、「自動書記」でメッセージが降りて来たり、神懸かりになってしまったからといって、決してその人が「特別な人」 になったわけではないということ。
もちろん中には人格がすっかり変容してしまったり、実際に人生が急変して悟りを開いたり?新興宗教の教祖になる人もいるかもしれないが、だからといって「偉い」というわけではない気がする。
その伝える内容が正しいのかどうか?については、必ず審神(サニワ)が必要だと思う。
そういうことを考えている時にたまたま本屋で『岡本天明伝』(ヒカルランド/黒川柚月著)を見つけたので、さっそく読んでみた。
岡本天明さんはあの有名な「日月神示」(別名「ひふみ神示」ともよばれる)を書かれた方である。
私は、いつだったか、ある夫妻の案内で菰野にある「至恩郷」を訪れたことがある。
その頃はすでに天明さんは亡くなられていて、三典(みのり)夫人がひっそりと暮らしておられ、一緒に写真を撮らせていただいたりした。
私と相棒のそれぞれの誕生日を聞くと、彼女は「なるほどね」と一人納得したように頷かれていたが、私はその頃は「数秘術」なども全く知らず、何のことなのかさっぱりわからなかった。
今回この伝記を読んで、天明さんと縁が深かった人の中に、現在でもほとんどの占い師が勉強するという、その元になる「数字に関する研究」をした高名な学者がおられたことを知って、その意味を初めて知った。三典夫人もそれを学ばれていたのだ。
(その後私もそういったことにも興味を持つようになり、今ではたくさんの数秘術の本を出されている「はづき虹映さん」がまだ世に出る前?に、鑑定してもらったこともあるが、ほんとうによく当たっていて大いに参考になった)
話が横道に逸れてしまったが、その時私たちの通された部屋の壁面に天明さんの描かれた「クレパス画」がずらっと掛けられていたのを覚えている。惜しいことに後年にあった火災で全て燃えてしまったようだ。
その折船井幸雄さんが火事見舞いに駆けつけられたという話を聞いたことがある。
今回の本で、岡本天明さんが17歳の折に神戸で初めての個展をされたということもわかり、(「クレパス画」は晩年の作品だと思うが)もっとよく見ておけばよかったと、本当に残念だ。
せっかくほんものの絵を見る機会だったのに、正直な話、なぜかその時にはそれらの絵が私にはどれも暗く感じられて、あまり興味を惹かれなかったのだ。
天明さんの周囲にはその降りて来た神示を信奉する人たちが集まり、いつのまにか一緒に生活するぐらいにまでなっていったようだが、その周辺の人間関係やさまざまな出来事を時系列で詳しく調査して書いたのが、今回紹介したこの本である。
天明さんが「大本教」との関係が深かったということも、私はこの本で初めて知った。
写真も豊富で、(日月神示ではないが)「審神する情景」を撮ったものもある。
「おふでさき」で有名な天理教の教祖の中山みきや、大本教の教祖の出口なおなどに関する本も読んだことがあるが、みんなすさまじいまでの苦労をしている。本人だけではなく、その周囲の家族たちもとてもたまったものではなかっただろうと思う。
岡本天明さんは、二度も奥さんを亡くされ、三典さんは三人目の奥さんだったことも今回の本で知った。
三典さんは天明さんの神示を心底信じて一緒になったのに、そしてその神示の預言では(96才7ケ月!までも)長生きすることになっていた筈なのに、実際は昭和38年に満65歳で亡くなられ、しかもその神示の最終的な「カタ」は他に出る(天明さんのところへ降りるのではなく)ということが、(その生前に)天明さんの口から出て、三典さんはほんとにがっかりされたということも、本には書かれていた。
彼女のその心境は察するに余りある気がする。
また長年天明さんの信者だったある女性がある時期から離れていくのだが、「日月神示」の第24巻以降に関しては、その人は疑問を抱いていたという話も印象に残った。もしかしたらそういうこともあり得るのかもしれないなと感じた。
ともかくこの本を読んで私は、「ほんもの」と「ヒョウイ現象」を見分けることの難しさをつくづく思ったのである。
私も今でも「何がほんもので、何がそうでないのか」はわからないままでいる。
そして出来れば別の仕事をしたいとふと思うこともある。
『天から授かった能力はお金に換える(仕事にする)もんじゃない』と、かつてある人から面と向かって言われたこともあった。
また別のある人は私の話をじっくり聞いた上で、『自然な経緯で(自ら望んでそうなったわけではなく)結果としてそうなったのなら、それはやってもいいんじゃない?』と優しく受け止めてくれた。
『誰にも出来ることではないし、それが天から授かったものだからこそ尊いのじゃない!?』と、真剣に諭してくれた知人もいた。
広島の三上晃先生(植物さんとの共同研究をしていた人)はそんな私に、「普通の生活」をするようにと強く勧めてくれた。
こういう絵(突然の「自動書記」で始まった線描画)を描き続けていると、「身が保たない」からと。
そのアドバイス通りに、私は広島から関西に戻った後も(絵を仕事にしようなどと考えるまでも無く)、ある書店の店員として真面目に働いていたのである。
ところが、ある日、突然にリストラされてしまい、その結果として今日の私がある。
(その詳細はまたにするが)、最後の勤めの日の帰途、家に向かう坂道を登りながら、自然に涙が流れて仕方無かった。
でも心のどこかがふっと明るく、泣きながらもまるで空が抜けたような開放感と希望のきざしを感じてもいたのである。
だから、一体何が「天の采配」なのか?
たぶんその時が来るまでは誰にもわからないし、果たして自分の描く絵が真実を伝えているのかどうか?も今はわからない。
そういうわけで(「日月神示」をその参考にするのは畏れ多いが)、今回この『岡本天明伝』を読んでほっと安心したのである。
ああ、彼も普通の人だったのだと。そして岡本天明さんに対してさらなる親しみと尊敬の念が湧いて来た。
そして、巷に流布している「日月神事」や「ひふみ神示」に関する本なども、ごく一部だけを取り上げているに過ぎない(省略していることも多い)とわかり、これまでとはまた違った目で眺めることが出来るようになった。
個人に起こることと、その外側に起こる(公の)こととは関連していること。
時にはその周囲の人間関係や環境などもその神示の中に読み込まれる(反映している)こともあること。
後日必ずそのカタ(証拠)が示されるということ。
その他たくさんの学びがあり、読んで大変役に立った本だった。
私の絵もそんなふうに何らかの気付きの手助けになり、誰かのために「少しでも貢献出来たら」と願っている。