今月から新しい仕事に就かれた方がご家族におられるだろうか。
自分用のパソコンと、仕事をするためのパソコンには、それなりの区別が必要で、違いを知っておかなければならないだろう。
役立つかどうかはそれぞれだが、まあご参考までに。
http://pc.nikkeibp.co.jp/article/knowhow/20110405/1031088/?f=topic
今月から新しい仕事に就かれた方がご家族におられるだろうか。
自分用のパソコンと、仕事をするためのパソコンには、それなりの区別が必要で、違いを知っておかなければならないだろう。
役立つかどうかはそれぞれだが、まあご参考までに。
http://pc.nikkeibp.co.jp/article/knowhow/20110405/1031088/?f=topic
座っていても、また揺れているのかと思うとそうではないことがときどきあるようになった。
汽車の長旅をしたことのなかった子供のころ、甲府から横浜まで来たあと、いつまでも体が揺れていたような、あの変な感じを思い出す。
動いていないのに動いて見える。止まっているのに動いて見える。
そんな画像がある。
http://www.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/
これをじっと見ていて何も感じない人は、錯覚を知らない幸せな人だ。
政府の意思決定手続きで、もっとも格が高いとされているのは閣議決定だが、急いで決めなければならないことは、「持ち回り閣議」と称して、閣議書を持って回り、閣僚に署名をさせることがある。
会社の稟議でも似たようなことをやっていた。決裁権限を付託された人が稟議書に捺印する前には、関係部署の合議を得ることになっている。書類を籠に入れて温める癖のある人もいるので、急ぐ稟議は、さっさと捺印させるように持ち回る。
ついでに最終決裁ももらってしまえと決裁者のところに持って行き、「これをやれば事故は絶対起きないようになるのか」などというバカな質問に「ものごとに絶対はありません」などと利いた風な返事をして判を押させたこともあった。
原発の設計条件を決めるときも、「事故は絶対起きない」つもりでいたのだろうか。
「持ち回り」に似た言葉に「持って回った」というのがある。
直接に表現せず遠まわしにものを言う、「角が立たないように」と、よく言えばやまとごころのやさしいところ、有態に言えばやわな面をだいじにする言い方である。
これを「ツノが立たないように」と読んだ人がいる。すぐツノを立てる人には気を付けてものを言えという意味かと思ったらしい。
こんなことを書くのも、言ってみれば持って回った話で、自分で滑稽に思えるのだが、こういうのを内部矛盾とでもいうのだろうか。
本題に入ろう。
エクセルにも「持って回った」関数があるのだった。Hさんも勉強会で説明されていたような気がするが、ボケ頭の記憶には確証がない。
日付データを曜日で表示させる場合、入力される日付を直接使わずに、=WEEKDAY(A1) などとわざわざ持って回った計算をさせる WEEKDAY関数というのがあるのだった。
横文字文化の人は、ものを直接言う習慣を持っていて、こんな回りくどい関数はないものと思っていたが、関数を作るのが楽しみという人の作品なのかもしれない。
ちなみに、曜日の表示は、そのセルをユーザー設定書式で aaa にすればよいだけのことなのだ。
市内各所で測定している空間のγ線放射線量が、ここ1週間で20%ぐらい減ってきている。
それでも自然放射線のレベルとされている10~50nGy/h の1.5倍ぐらいはある。
福島の水蒸気爆発のあと、このグラフでは数値が目盛の外に飛び出して時系列変化の状態を読み取れなかった。
グラフの目盛ぐらい簡単に変えられそうに思ったが、担当部署では忙しくてそれどころではなかったという。
ワードやエクセルはバージョンが新しくなるたびに機能が追加され、その編集結果がデータに組み込まれるので、新しいバージョンのデータは古いソフトでは読めなくなる。 そういうことがあると、数値の大きさによって目盛が自動で切り替わるようにしておけばよいだろうと考えていた放射線量の公表グラフなども、簡単に設定変更というわけにはいかないかとも思う。 パソコンのデータの寿命は、それを作ったアプリケーション・プログラムの寿命に依存するともいえる。
逆に古いバージョンのデータを新しいソフトで読むのには、何も問題がないと思っていたがそうでもないらしい。
たとえばグラフの目盛なども、データの領域の取り方が変わって、画面に表れる図柄が変わってしまうのだ。
http://pc.nikkeibp.co.jp/article/basic/20101224/1029326/?f=ranking
ごくまれにしかない場合にも、システムが具合よく働くには、平常時はまったく用のないシステムチェックを、常に新しい目で見ながら続けていかなければならない。
安全、安心などと言葉では簡単にあらわせても、それを実現し継続していくのは大変なことなのだ。
あれもこれも、いついつまでもと、たくさんのデータを保存して置く貯め癖は捨てて、一度表に出した時がそのデータの寿命末期ぐらいに考えたほうがよさそうである。
震災便乗のウイルスメールが続出している。
http://pc.nikkeibp.co.jp/article/news/20110406/1031119/
一見まともなメールに添付された Word や Excel などの文書ファイルを開くだけでも、ウイルスに感染する恐れがあるという。
こうなると送信者への信頼しか判断基準がなくなる。
知らない人から送られてきたメールに、災害・被曝・停電関係の「件名」あるいは「添付ファイル」があったときには、ただちに削除したほうがよさそうだ。
折角だから、まさか、私のパソコンには、こういうのがいちばん危ない。
情報は、やはり取りに行くもので、待っていてもらい受けるものではなかった。
リストというものは、作られては消え、また作られては消えを繰り返す。
こんどの災害でも、いくつかのリストが作られた。
被災された方々の悲しいリストもあれば、どさくさにまぎれて増やされようとしている閣僚の椅子に座る候補者のリストもある。
リストの性格は色で区別されることがある。ブラックリストとホワイトリスト。
ブラックリストはしばしば耳にするが、ホワイトリストという呼び方はあまり聞かなかった。何だろと思ったら、ブラックの反対で、警戒しなくてもよい相手の一覧表だった。
メールにも、お断りの対象のブラックリストと、どうぞどうぞという相手のホワイトリストを設定できる。
ただし、いい加減な設定にしておくと、来てほしい人のメール・アドレスがブラックリストに載ってしまい、届くはずのメールが迷惑メールのフォルダーに入ったり、振り分け削除されたりする。だが、これはしまったと気づきさえすれば、ホワイトリストに逆戻りさせることは簡単にできる。
ホワイトリストの泣きどころは、それを手に入れて、防備が薄いところを狙ってマルウエアがやってくることである。
攻撃の動機も、ちょっとしたいたずらから、カネ目当て、テロというふうに、だんだんまともな人間らしさを忘れたものになってくる。
攻撃対象も、コンピューターを動けなくすることだけでなく、コンピューターで動いている機械を眠らせ、生産システム、保安システム、戦略システムなどを麻痺させてしまうものもある。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Interview/20110322/358588/?ST=NC
人間は、とうとう自然にも負け、おのれの心にも負けるようになってしまった。
へらへら気分を捨てて、古い時代への逆戻りでない新たなルネッサンスに取り組まなければならない時が来ているものと思う。
ACのCMは、本のCMにもなっていた。
見事なもじりを一つ紹介しよう。
これテレビで見たといえば 見たという
みんな持ってるといえば 持ってるという
これ買うといえば 買うという
こだまでしょうか いいえ消費者です (NAGA)
http://k23ot.at.webry.info/201104/article_2.html
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
これくっつきやすいといえば くっつきやすいという
どこでもといえば どこでもという
みんな気にしてないといえば 気にしてないという
こだまでしょうか いいえウイルス
安穏な状態が何十年も続くと、危険なことはもうないものと思うのが常識のようになっていく。
「災害は忘れた頃にやってくる」
これには寺田寅彦の言葉という説と、中谷宇吉郎が書いたという説とがあるという。
名言がことわざにまでなると、出所がはっきりしなくなるらしい。そのくらいになってこそ周知徹底がはかられたと言えそうだが、さて、この名言、予防意識の効果はあまりなく、それ見たことかの言い換えに使われるほうが多そうに思える。
被災された方々や、災害現場で苦闘を強いられている方々にはまことにお気の毒だが、人間は、自分がひどい目に遭わないと、妙な確率論的考察で、困ったことが続いて起きればその後は当分大丈夫と、都合よく安心してしまう。
参照: http://special.nikkeibp.co.jp/ts/article/aa0b/108265/
パソコンに襲いかかるウイルスも、メールに乗ってくるほうには用心しても、ハードメモリーにくっついてくるのには、皆さんあきれるほど大らかなのである。
インフルエンザの空気伝染には気を使ってマスクをし手を消毒しても、持ち物や衣服についたウイルスはあまり気にしないのと似ている。
USBメモリーに自分の作品を記憶させ、皆が集まるところに得意げに持ち込む。
一昨日ホテルのパソコンで最終仕上げをしたイラスト、苦心の作である。
「あなたもよかったら使って」と仲良しさんのパソコンにも読み取らせておいた。
こうして、あちらこちらとUSBメモリーは歩き回る。
行く先々で、ウイルスに感染しないという保証は一切ない。
怖さはうすうす話に聞いて知っていても、私のところにそれはやってこないと、皆思っている。
そしてある日、画面が突然真っ暗になり途方に暮れる。
http://pc.nikkeibp.co.jp/article/basic/20110207/1030032/?P=2 より
委託犯罪で検索したら、「もしかして: 委託販売 」と上位2件の検索結果が出た。
そんな物騒なことは考えてほしくないという検索サイトの良識なのだろう。
良識より猟識を目指す人もいる。
知識を漁りまわると言えば多少聞こえはよいが、自分で考えることをやめておいて、知っておくと何かに役立ちそうだからと、ほとんど無目的に検索を繰り返す。
そうして仕入れた話のタネをたくさん持っていて、TPOに応じて巧みに披露すると、雑学の大家などとはやされる。
それが目的になると、無目的の定義も怪しくなって、「モノシリの尺度は目的を持たない知識の量である」という奇天烈なことになる。
むやみに押し寄せる迷惑メールも、モノシリを目指す人にはサプリメントにもなる。
その迷惑メールの送信を、国内ではバレそうだから海外に委託する手もあるという。うまいこと委託を偽装した、リモートコントロールという方法もあるらしい。とんだアウト送信だ。
どうにも抑えきれなくなった放射性物質を、添付カプセルに詰め込んで、迷惑メール好きな宇宙人に向け拡散発射、そんなことを引き受けてくれるような委託先はないものだろうか。
ネット詐欺をはたらくやつらは、あたまがよいかというとそうでもなさそうである。
http://pc.nikkeibp.co.jp/article/basic/20110207/1030035/?f=tok
なぜかというと、手口と結果が1対1で対応してしまう、つまりやり口が定型的だからである。
鷹揚さにつけ入る、用心深さにつけ入る、好奇心につけ入る、欲ばりにつけ入る、すべてつけ入り型、心の隙間を目当てに、ただ悔しがらせるだけの決まり型なのである。
もし、本当にあたまのよい詐欺師なら、ひっかる人たちを悦ばせながらそれ以上の稼ぎをしてみせるだろう。
ある種の無料プロバイダーなどは、そのお利口さんの仲間かもしれない。
カメラの前では笑顔見せ、後ろを向けば赤い舌。それでも楽しみの手伝いだけは忘れない。
とりあえずのご用心・・・
まあいいや、おどおど、きょろきょろ、もうかった、そこが付け目のネット詐欺。
もう一つご用心・・・
ちょっとうれしいムーニャムニャ。
隠しておかなければならないような、たいした情報を持っていなくても、個人情報という四文字名詞が、何か隠さないと人並みでないような気になって、自分の住むところに表札さえ出さない人がいる。
日常の郵便配達の人は心得ているから、共同住宅の入口にずらっと並んだ郵便受けに間違わずに配達してくれる。
しかし、年賀状や選挙の投票券などを臨時の配達人が扱うと、表札を出さない人のことろに入れることをためらってか、どこかへ入れておけばまあ入れなおしてくれるだろうと思ってか、100番違いの人のものを入れられることがある。
まとめて持ち帰って誤配に気付くと、また郵便受けのところまで持っていかなければならない。
他人に来た年賀はがきを、こちらは読む気もないからよいが、誤配先が野次さん井戸さんだった場合には、こんなことが書いてあったとひそひそ話の種にされかねない。
個人情報を隠したつもりが、逆に私文書公開同様の結果と相なる。
( http://pc.nikkeibp.co.jp/ より)
迷惑メールは、ブロックしなければ、アドレスを誰にも教えた覚えがないのにドカドカやってくる。
知人にさえアドレスを教えず、個人情報を自分で保護したつもりになっても、コンピューターがはじき出す無限の文字の組み合わせから、ピタッとあてられるものは必ず出てくる。
そんなばかげたことを、と思ってもメールが放り込まれるのが実在の証で、自分だけで保護したつもりの白いマスクと、効き目は変わらなさそうだがどうだろうか。
原発が水のやり場に困っている。
あちこち移し替えても、最後の行く先がないのでは、被曝の犠牲と引き換えに時間を稼いでいるだけだ。
超大ポットでもつくって、それに入れておいて、圧縮凝固してから核好きな星にプレゼントというのはどうか。
使用済み核燃料を地中深く埋めようぐらいの人類の浅知恵は、そこがいっぱいになったらどうするか、埋めたところの地殻が割れたらどうなるのかは、問題の外に追い出してしまっている。
バカでか・ポットと大して変わりがなさそうである。
http://pc.nikkeibp.co.jp/article/basic/20110207/1030032/
ポットもいろいろで、パソコンにいたずらを仕掛ける道具としてのポットもあるというから始末が悪い。
そう聞こえてよく調べたら、ポットでなくボット、ドイツ訛りを聞き違えていた。
ウイルス感染ずみの病気持ちのパソコンを呼び集めて、ボットネットという仮想のネットワークに仕立て、そこから大量の迷惑メールをドカドカ送り出すらしい。
ウイルスは日に日に入れ替わり立ち替わり押しかけてくるから、ウイルス退治のうがい薬は、いつも新しくしていなければ効果がどんどん薄れる。
昨日までは大丈夫だったから今日もというわけにはいかないのが、放射性汚染空気と似ている。
ウイルス退治は毎日自動でやってくれるソフトがあるけれども、放射線のほうはこちらから毎日データを見に行かなければ、見張っていて危険を知らせてくれるようにはなっていない。
時代におくれをとったシステムが、だいじなところにまだまだあるような気がする。
津波の跡の写真を見て、また昔撮った1枚を思い出した。
横浜大空襲の跡も、津波の跡ほど悲惨ではなく、占領軍の兵たちに土産物を売る店も、すぐにできていたかのように写っている。
いまになって、この写真の欠陥がわかった。粒子の荒れに釣り合わず、撮る眼が甘かったのだ。
火災だけはまぬかれた津波の跡から、思い出のものが見つかることがある。
カメラメーカーから、こんなことも参考に、と送ってきた。
「写真プリントや記録メディアが水などをかぶったときの対処法について」
http://fujifilm.jp/information/articlead_0094.html
こういうのを。抜け目なくと言ってはいけない。
親切にと受け取ればよい。
ひとの言動の受け取り方で品位は定まる。
品位を、他人の人物評の材料にしたり、自分で売りものにしたりというのは滑稽だ。それには放射線量のような基準値もなく、単位を都合に合わせて変える必要もない。
しかし、いったん水をかぶってしまったら、対処法は見つかり難い。
今年はどこでも花見の宴などイベントを自粛して、上野の山もひっそりしているという。
飲んで騒ぐだけが花見ではないと、思ってみても何かもの足りない。
そう思う人には、いま買わなければ意味のない、さくらの蒔絵で飾ったUSBメモリーがある。
和歌山の山家(やまが)漆器店が作って売り出している。
イベントといえば、定期検査を、繰り返し行われるイベントのように扱っていた間違いを、人間は犯していなかっただろうか。