津波の跡の写真を見て、また昔撮った1枚を思い出した。
横浜大空襲の跡も、津波の跡ほど悲惨ではなく、占領軍の兵たちに土産物を売る店も、すぐにできていたかのように写っている。
いまになって、この写真の欠陥がわかった。粒子の荒れに釣り合わず、撮る眼が甘かったのだ。
火災だけはまぬかれた津波の跡から、思い出のものが見つかることがある。
カメラメーカーから、こんなことも参考に、と送ってきた。
「写真プリントや記録メディアが水などをかぶったときの対処法について」
http://fujifilm.jp/information/articlead_0094.html
こういうのを。抜け目なくと言ってはいけない。
親切にと受け取ればよい。
ひとの言動の受け取り方で品位は定まる。
品位を、他人の人物評の材料にしたり、自分で売りものにしたりというのは滑稽だ。それには放射線量のような基準値もなく、単位を都合に合わせて変える必要もない。
しかし、いったん水をかぶってしまったら、対処法は見つかり難い。