リストというものは、作られては消え、また作られては消えを繰り返す。
こんどの災害でも、いくつかのリストが作られた。
被災された方々の悲しいリストもあれば、どさくさにまぎれて増やされようとしている閣僚の椅子に座る候補者のリストもある。
リストの性格は色で区別されることがある。ブラックリストとホワイトリスト。
ブラックリストはしばしば耳にするが、ホワイトリストという呼び方はあまり聞かなかった。何だろと思ったら、ブラックの反対で、警戒しなくてもよい相手の一覧表だった。
メールにも、お断りの対象のブラックリストと、どうぞどうぞという相手のホワイトリストを設定できる。
ただし、いい加減な設定にしておくと、来てほしい人のメール・アドレスがブラックリストに載ってしまい、届くはずのメールが迷惑メールのフォルダーに入ったり、振り分け削除されたりする。だが、これはしまったと気づきさえすれば、ホワイトリストに逆戻りさせることは簡単にできる。
ホワイトリストの泣きどころは、それを手に入れて、防備が薄いところを狙ってマルウエアがやってくることである。
攻撃の動機も、ちょっとしたいたずらから、カネ目当て、テロというふうに、だんだんまともな人間らしさを忘れたものになってくる。
攻撃対象も、コンピューターを動けなくすることだけでなく、コンピューターで動いている機械を眠らせ、生産システム、保安システム、戦略システムなどを麻痺させてしまうものもある。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Interview/20110322/358588/?ST=NC
人間は、とうとう自然にも負け、おのれの心にも負けるようになってしまった。
へらへら気分を捨てて、古い時代への逆戻りでない新たなルネッサンスに取り組まなければならない時が来ているものと思う。