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うっかりユーザのパソコン奮闘記

パソコンを使っていて感じたあんなこと、こんなこと、気ままに書いていきます。

貯め込む

2010年12月16日 | 忘れかけていたこと
パソコンの画像ファイルは知らず知らずのうちにどんどん貯まる。自分で貯めておいて自分が困っている。日銀の絵ハガキならこうなるとよいのだが。

自分で貯めた覚えがなくても貯まってしまうもの、クリップアート、グラフィック・ライブラリー、フォントなどがその仲間である。
クリップアートも、はじめにずらずらっと出てきたときは「ああこんなにあるんだ、すばらしい」と嬉しがる。だが、それが大いに勘違い、無料という名の負担に気付かず、使う宛てのないものを貯め込まされているのだ。

ワードの動きが鈍い。
[挿入]→[クリップアート]→右脇の窓で対称を絞り込む、たとえば「うさぎ」→[検索]
ここで全然動かなくなる。マウス操作もきかない。
じれて[終了]→もう一度起動し同じことを繰り返す。
同じことは一つこと。状況は変わらない。

たくさんの画像をいっぺんに見せるには何ページものサムネイル画面が要る。
紙に印刷されたものでは、山になっている絵の中から「これ出して」と言われたものを探し出し、縮小コピーを並べ、また綴じ合わせて「はいどうぞ」と出さなければならない。
コンピューターならそんな作業はお手のもの。そのはずなのだが、もしデータ量が無限にあればその作業は無限に続き、終わることがない。

パソコンは探し出すデータを積んだ山が、普通の大きさならパッと片付けてくれる。
パッと片付かないのは、山が大き過ぎるのだ。つまり、クリップアートの画像の数が多すぎるのである。

積み込む側で仕事をしている人は、そこから目当てのものを探し出すのに便利なようになどとは考えない。
探し出す早さはパソコンの能力次第だからと、どんどん積み込む。そうすれば、動きの早いメモリー容量の大きなパソコンが売れ、また積み込みができる。

ごくたまに、たかが1枚のクリップアートを探すためだけに、普段使わないですむ高速、大容量の機能を持ったものにしておく。こんなばかげたことはない。

いま目の前にあるパソコンを、並みの早さで動かすには、貯めこんだ要らないデータを整理するのがいちばんということになる。

透写

2010年12月15日 | 忘れかけていたこと
頭に描いた図形のイメージが手に伝わって図になっていくなどと、12月12日に、簡単に書いてしまったが、それが簡単にできれば苦労はない。

マウス・ポインターやカーソルが指先のように、あるいは手に持ったペンの先のように動かせるようになっても、ペンがどう動くかには天賦の才がものをいうから、何もないところに曲線コマンドでいきなり線画を描き出すのは難しい。

むかし筆文字を習うときに、下に手本を置いて白い紙を乗せ、なぞるようにして形を頭の中に入れていく、言ってみれば姑息な手段を試みたこともあった。

パソコン描画にもその手は使えそうだ。

写真でも絵でもよい、こういう形を描きたいというものを、ワードの白紙に先に挿入しておく。
その上にオートシェイプの曲線を描いていき、形ができたら透写台にしていた画像を削除すれば、おおよその輪郭を描き出すことができる。
デッサンの稽古などまともにしてなくても、難しい人物の姿態なども、これならなんとかなりそうである。

パソコンの画像は、伸縮自在だから、ピサの斜塔のテッペンで逆立ちをしているボク、紫式部にお酌をしてもらった私などというふざけた絵もできそうだ。

用意万端

2010年12月14日 | 忘れかけていたこと
「段取り八分」、これを「段取りを8プンでやれ」あるいは「段取りには少なくとも8プンはかけてあわてずにやれ」と読む人がことによるといるかもしれない。
ヤレヤレやってみろの時代になって、大臣もいまは仮免とうそぶく。冗談ではないのだが、苦笑でも怖い顔よりしのぎやすいと思えばそんな冗句も出るだろう。

パソコンもゲーム機も、やってみてうまくいかなければ何度でもやり直しがきく。
その場その場をしのいでいけば、瞬時の快感が得られる。それに浸ってしまえば、次にやるときにはどうすれば巧くいくかということはあまり考えない。
手際のよさは数をこなせば身につくが、準備が良くて手際がよければ、仕上がりは格段によくなる。
なによりも、途中でイライラを起こさなくてすむ。

「段取り八分」は、わざわざ説明することもないが、ものごとは準備が整えば八ぶどおり終わったと同じ、時間の勘定ではなく、作業の核の部分に入ってから安全にあわてずにできる、そのことをだいじにしようという、職人の知恵なのだ。

ワードに画像ファイルを挿入するときにも、段取りがものをいう。
それは2種類の「ゼン」である。「善の研究」という本があったがそのゼンではない。
挿入場所の準備を「前面」と「全面」の三次元でやっておけという、勉強会で教えてもらった手法である。

図でもテキストボックスでも、「どこに」挿入するかを決めておくことは、こういう作業の「面倒感」をなくす上で有効である。
引越しを想像してみよう。運び込んだものが、違う部屋に置かれてしまったり、並べる順序を違えてしまったりでは、引越し屋の腕の悪さの宣伝になってしまう。

挿入した図やテキストボックスは、ここへと思った位置に入り、どこかへ潜り込まずにすぐ見えるのが望ましい。
「ここへ」を決めるのはカーソルの位置だが、画面上に何も入力してないところにはカーソルをもって行けない。
どこにでもカーソルを置けるようにするには、ページ全体を未入力状態から空き段落状態に変えておけばよい。つまり Ennter, Ennter を繰り返して、全面に曲がり矢印マークを入れておけばよいのである。

また、ワードの初期設定では、挿入オブジェクトが[行内]となるように設定されているが、Word 2003 以降のバージョンでは、下記のサイトに図入りで示されている手順にしたがって設定変更しておけば、挿入したオブジェクトがどこに入ったのか探さなくてもよい。

「初心者のためのOffice講座ーはまちゃんらんど」
「私の場合は、図を挿入すると躊躇なく「前面」に設定することにしている」
11月19日の記事にはこう書いたが、Word 2000 を使っていた私は、「既定」が変更できることを知らなかったのだ。

「前面」と「全面」、先日の勉強会までは、このことに全然気付かなかったのである。

シンメトリー:2

2010年12月13日 | 忘れかけていたこと
12月11日に、さくらの花びらの画像を1枚作ってみた。
これを5弁組み合わせると花の形になる。
なぜ5弁なのかは、さくらが説明してくれないからわからない。こういうのを神秘という。
どんな理屈をつけようと、そう考えた人の思い込みに過ぎない。
なるほどと思わせればノーベル賞、この賞の値打ちもさまざまである。
ずっと前の話だが、賞をもらって、いまは国外に行ってしまっている博士様のご講演を聞いたことがある。講演のうちはまあまあだったが、質疑応答で馬脚が顕れた。

花の形を作ってみる。
1.花びらを並べる台にする星形図形を作る。
[図形選択]メニューから星形を選び、[Shift]+ドラッグでゆがみのない形を描く。

2.星形は線を太めに、[塗りつぶしなし]にしておく。

3.花びらを並べるのに便利なよう、補助線を引く。
星の左右の先端から反対側の凹みの交点に向かって直線を引いておく。

4.星型と補助線をグループ化しておく。これは後の削除の用意。

5.1枚の花びら画像からコピーをとって5枚にする。

6.1枚の花びらを、星の垂直片に移動する。

7.他の花びらは、回転させながら星の補助線と花びらの中心線が重なるように移動する。

8.花の形が出来上がっって、位置の調整がすっかり終わったら、星型図形を削除する。

9.いったん花びらのグループ化を解除し、花びらの中心線を削除する。
間違って花びらを削除しないよう、もし間違えたらその場で曲がり矢印の「元に戻す」操作をし、復元しておく。別のところからコピーし直そうなどと余計なことを考えると破綻に陥り、全部やり直しになる。
 
10.5弁の花びらだけが残り、綺麗になったところで、全画像を再びグループ化する。

これで花の形はできた。あとはおしべを植えつければ開花バンザイとなる。

イメージ

2010年12月12日 | 忘れかけていたこと
花びらの画像をを作る途中で、線がねじれてしまう人がいる。
これを直すにはどうしたらよいかと聞かれる。
CADならば、ねじれの上下でカットして、またつなぐ方法はあるが、ワード上のオートシェイプでは手立てを思いつかず、描き直したほうが早いでしょうと答えてしまう。

もう一度試みる。またねじれる。同じようなところでねじれる。

描いている人から少し離れて見ていて原因がわかった。
その場所に来るといったんマウスの動きを止めて描画手本のほうを見ている。
止めているつもりのマウスが動いていて、そのときに知らず知らず何回かクリックを繰り返しているらしい。

途中で手本を見るのは、描く図形のイメージが頭の中に出来上がっていないのだろうかとも思う。
あるいは、何か始めても途中で確かめないと気がすまない、用心深い几帳面な方なのかもしれない。

頭に描いた図形のイメージが手に伝わって図になっていくとき、そこでは情報伝達が行われている。
情報には、伝え方、確実性、真実性がだいじなのだが、確実性重視に凝り固まれば、情報の流れが滑らかでなくなってしまう。
ときには不幸なことに、確実だけれどもウソだった、確実にガセだったという珍奇な情報が、タネ切れのマスメディアに手を貸すこともある。

余計なことを考えていて、ふと気付いた。
ねじれの部分に、ねじれてない線を重ねてしまえば、ねじれたところが見えなくなるではないか。
ただし、線はつながって見えも、ぼかしの着色が巧くいくのかどうか、そのあたりのことはイメージが湧きにくい。
やはりねじれにフタをして見えなくすると、そこにまたフタがいることになりそうだ。だめだ、こりゃ。

シンメトリー

2010年12月11日 | 忘れかけていたこと
ものごと、つり合いが崩れると不安になる。
生物の外見がほぼつり合いのとれたものになっているのは、互いに不安にならないよう作り上げてきたかたちなのだろう。
内臓は外から見えないから、左右のつり合いを保つよりも相互の機能連携が巧くいくように配置されている。

花は見事なつり合いを保って咲く。
花びらのひとひらずつ、葉の一枚ずつ、それらが必ずしも幾何学的対称を保っているわけではないが、生きている花は、全体ではすっきりつり合いが保たれている。

人間は、木を伐り倒し花を切り取ることができても、木や花を作り上げることはできない。育てるといっても、植物が自分で大きくなっていくのを見守って、いくらかの手助けをするぐらいのことである。

人間が花を描く場合、優れた画家は描かれた花のつり合いを含め、画面全体がつり合いを保ったように描く。

私たちがパソコンを使って花の絵を描こうとするとき、自然の花のように非対称の中につり合いを描きあげるのは難しい。
だから、つり合いを保たせるには、まず描く花の部分部分でつり合いを考えながら画像を作っていくことになる。

パソコン勉強会で、ワードを使ってさくらの花を描く方法を教えてもらった。
それを思い出し、我流の副手順を加えながら復習してみることにする。

ワードの新しいファイルに、最初に1枚の花びらを描く。
花びらは、いくつも集めて花に組み立てるには左右対称がよい。
1.オートシェイプの[直線]を使って、花びらの中心線を1本垂直に引く。
2.オートシェイプの[曲線]を使って、花びらの片側を囲む縁の線を引く。
曲線の起点と終点は、中心の直線上から始まって直線上で終わるようにする。
3.花びらの片側の曲線は、[頂点の編集]で形を整えておく。
4.形の整った花びらの縁の曲線を中心垂直線上に少しずらせてコピーする。
5.2本の曲線の一方を、図形の横寸法を縮小する方向にずらせていき、中心線を通り越すまでドラッグすると、左右反転した形の曲線になる。
6.一方の曲線をタテに移動させ、起点、終点をもう一方の曲線に一致させると、1枚の花びらの形になる。
7.起点と終点のそれぞれが結ばれた二つの曲線と中心線をグループ化する。
中心線は、あとの作業の都合上、花の外側方向にやや長めにしておく。
8.曲線の内側に着色する。

これで花びらが1枚出来上がった。

使い方

2010年12月10日 | 忘れかけていたこと
「バカとハサミは使い様」子供のときに何度も聞かされた。
よほどバカだったとみえる。
多分、目から鼻に抜けるような利発さをもっておらず、反応が鈍かったのだと思う。

雑誌の記事の表題にも、単行本の書名にも「○○の上手な使い方」という字がよく現れる。
「こういうのは嫌いだ」とひとこと、話に横を向いてしまった友達がいたが、頭がよすぎて腹を立てやすいと血圧の上下が激しくなるのか、いまは入院してしまっている。

Google で「上手な使い方」を検索してみる。
ずらっと並んだ10項目の中には、途中に「の」が入るか入らないかの違いだけで別の検索条件にしているマヌケなのか利巧なのかよくわからないのが2ペアもある。
夏にはそういうことがなかったが、寒くなってどこかの油が切れたのか。
時間の上手な使い方というずいぶん皮肉なのもある。
何が並んでいるのか想像するのも一興だから、わざわざ開けては見てないが、Web を検索する人は、時間を節約したい人と、時間をつぶしたい人に、層別できることに気付いた。
検索サイトも、検索条件にそれを入れたメニューを作ってくれるとよいのではないか。
これはこれは、また時間の無駄遣いのようなことを思いついてしまったものである。

下書きフォルダー

2010年12月09日 | 忘れかけていたこと
Outlook Express の下書きは、便利であって不便でもある。

便利なのは定型文の発信用の場合である。
下書きのフォルダーには、常に同じ下書きファイルを2個置いておく。
下書きから送信してしまうと、そのファイルは下書きとして残らないから、1個は保存用、1個は送信用なのである。
送信後にコピーをとって2個にして置くことは、習慣にすれば忘れることはない。、何回かのクリック操作だけで、メール送信と次回のためのコピーも含めて10秒ぐらいで終わるから、一気にやってしまえばよい。

不便と言ったのは、下書きという名前がついているのに、そのフォルダーに入れたままでは修正ができないことである。
下書きフォルダーからファイルをダブルクリックで呼び出して送信直前の状態にすれば、もちろん修正はできる。
だがそれでは、発車前の列車に乗り込んでから、見送りの人にこうしてくださいああしてくださいと用事を告げているような落ち着かない気分にさせられるのだ。
修正途中でもうっかり送信ボタンに触れてしまえば、粗忽の宣伝効果100%ということになる。相手が一人ならまだよいが、メーリングリストの場合は街なかに裸足で飛び出したような気分になる。

そこで考えたのが、本文空白の下書きファイルである。
宛名面だけ書いたはがきのようなものを下書きとは言いにくいけれども、目をつぶるしかない。
このフォルダーは名前が気に入らないからと言ってその変更はできないのだから。

ショートカット

2010年12月08日 | 忘れかけていたこと
朝、目が覚めるとラジオを聴く。ラジコがパソコンの朝イチのはたらきである。
いちばん始めは1アクションで起動、それが気分がよい。デスクトップにショートカットアイコンが欲しい。
前に、デスクトップに置くアイコンは、ごみ箱とスタンバイだけでよいと書いた。
だが、すぐ使うものは机の上に置きたい。実際には、あれこれそのときの思いでアイコンの数は増えがちになる。

インターネットで何かを見たり聴いたりしているとき、アドレス欄に出ているアイコンをデスクトップにドラッグすれば、そのサイトのショートカットはすぐできる。
ラジコのショートカットもそうして作っておいた。

平日の朝はN局を聴く。土日にはN局とB局を交互に聴く。
土日にB局にするときは、ラジコの画面の選局ボタンで操作する。

ところが、月曜日の朝に聴き始めたら、アナウンサーの声が違うではないか。
画面を見るとどういうわけかB局になっている。
いつものNに切り替えていったん閉じ、またラジコを起動してみる。やはりBなのだ。
土日にゴチャゴチャやっていたのでそのときに入れ替わってしまったのか。わからない。
それではと、Nのホームページから入ってラジコに行き、そこであらためて終了しても同じこと。
さて困った。困ったときのプロパティ。ラジコのショートカットのプロパティを見る。
[Web ドキュメント]のタブに URL 欄があって、その末尾が #QRR になっている。これはB局の記号だ。
なんだこれかと、N局の記号 #LFR に書きなおす。これでOKだった。

N局だ、B局だと、記号がどうしてわかったのか。
それは、実際に聴いているときのアドレスからアイコンを引っぱってきて開いてみただけのこと。
もういちど「困ったときのプロパティ」

実は探りを入れる方法が別にあるのだが、実用上要らないことを書いても仕方ないからやめておく。

セーフモード

2010年12月07日 | 忘れかけていたこと
98時代を思い出す懐かしのセーフモード、ひさびさにお世話になった。
XPユーザーになってからはじめてである。

98のときは、起動不全がしばしばで、その都度見るからにあわれなセーフモード画面との対面を強いられていた。

Google Chrome に乗り換えれば、もう Internet Explorer に用はないから、アンインストールしようかと、コントロールパネルから「プログラムの変更と削除」のウイザードを開いたが、「現在インストールされているプログラム一覧表を作成しています。お待ちください・・・」のメッセージが出たままで、いつまで経っても一覧表が現れない。
こういう待ち方で我慢の限度はせいぜい30秒、業を煮やしてとうとうセーフモードとの再会。

セーフモード、無事安全方式、余分なことは何もしない、どこかの国の政府モードと似ているが、ウィンドウズのほうは必要なことを素早くやってくれるところが大違いである。

「プログラムの変更と削除」、「変更」でなく「追加と削除」としているバージョンもあるが、中身は変わらない。ところどころ目先を変えるのはチェンジ大好国の産物の特徴である。

呼び名のことはともかく、セーフモードでは「プログラムの変更と削除」のプログラム一覧表がパッと出てきた。

Internet Explorer に特別未練があるわけでもないが、何かやり残したことをあとで思い出したときにまた厄介だから、削除はもう少し待とう。
時が来てサッとできるようになっていればそれでよい。
置いて邪魔にならなければ、捨てるのはいつでも捨てられるのだから。

ただし、常用ブラウザーにする Google Chrome のアイコンは、I E と離してデスクトップの最下端に置き、うっかりに歯止めをかけておくことにした。

声で動く

2010年12月06日 | 忘れかけていたこと
ついにパソコンも音声に応えて入力できるようになった。
ごく短時間だが、入力の実験をする機会があって、実際にやってみた。

いまのところは、パソコンが入力者の音声を聞き取って動作するというよりも、専用ソフトの要求する話し方で吹き込めば、手を使わずに応答してくれるまでにはなったというのが実感である。
この音声認識ソフトは、それがカバーできる範囲に限度があって、OSの基本操作と、音声認識用に作られたアプリケーションが実行できる範囲に限られ、既存のアプリケーションソフトをこれで自由に動かすようにはできていない。
音声入力をいったん始めてしまえば手入力はしなくなるだろう。その結果、パソコンの用途は音声入力ソフトの適用可能範囲に限定されることになる。

音声認識を使いこなすには、パソコンが理解できる用語を使用者が覚えておき、それにしたがって明瞭な口頭入力をしなければならない。

文字入力も試みたが、発音がソフトの受容可能な音声に合致しない場合は、まったく見当違いの言葉が入力されてしまう。
私の実験では、いくつかの単語を吹き込んでみたが、音を違えずに入力されたのはただ1語、「改行」のつもりが「開業」となっていた。

使用者がパソコンの扱いから覚えなければならない場合には、音声入力の練習と、パソコンの練習とを併行して行うことになる。
パソコンは誰でも楽しみながら使えるようになるというのはほとんどうその皮で、販売者側の宣伝文句に過ぎない。
パソコンの特徴は多用途にある。楽しむことと多用途を両立させられるまでには、すべての過程をゲーム感覚でというわけにはいかない。何がしかの苦痛をのり越える努力がなければ満足に使えるようにはならないものである。
したがって、音声入力とパソコン操作の併行練習は、いわば二重苦を迫られることになる。

使用者が、まったく手を動かすことができず、音声入力に頼るしか方法がないのか、不自由でも自分の手で行いたいが、音声だけですむなら多少不便が募ってもそれを望むというのかによって、この方式を慫慂することの適否が左右される。

サポート側にも、通常のパソコンのサポートに加えて、音声認識方式のサポートを要求される。
サポーターは、ソフトに要求されるディクテイトができるように、まず用語の習得と発声訓練を、使用者の練習より一歩先んじてしておかなければならない。
もし、この準備が足りなければ、使用者側に気持と時間のゆとりが十分ある場合でない限り、サポートがかえって使用者に焦燥感情を持たせることになりかねない。

この方式で音声認識が「できる」状態から「使える」状態になるまでには、もう何段階かの改善が必要である。

それでもあえて使ってみよう、改善意見の具申にも協力しようという意思が使用者にあるならば、それはそれでこの方式を持ち込む意義はあると思う。

入れ子

2010年12月05日 | 忘れかけていたこと
Internet Explorer から Google Chrome への乗換えで、お気に入りに詰め込んであったアドレスリストを、捨てるのは惜しい。思いついたときすぐ呼び出せるようにと、ブックマークのショートカットアイコンをデスクトップにおいてみた。
一見便利になったようでも、名前こそ違え Google Chrome のアイコンが二つ並んでいるのはなんとも気がきかない。
おなじ図柄が並んでいることより、インターネットを見ているとき、ブックマークのアイコンが隠れてしまうところが気がきかないのである。
もう少し巧い方法があるはずだ。

考えてみれば、このアドレスリストは .html ファイルではないか。
 .html ファイルは、ブラウザーで開くように作ったもの、それならこれをブックマークに入れておけば、デスクトップのアイコンはいらないのだ。
これはうっかりではない、ぼんやりだった。

ロシアあたりのみやげ物に、人形の中に人形が入っていて、またその中に人形が入っていてというのがある。マトリョーシカと呼んだか。

ブックマークの中にまたブックマーク、あのどこかぼんやりした人形の顔つきを思い出した。

わからん:3

2010年12月04日 | 忘れかけていたこと
Internet Explorer から Google Chrome に乗り換えるには、持って行かなければならない荷物がある。
だいぶ中身の増えたお気に入りのカバンである。
IEでは「お気に入り」、GCでは「ブックマーク」と呼んでいる。
お気に入りという呼び名は、このソフトに馴染んでもらおうという気配りからつけたのだと思う。
しかし、中途半端な気配り、というより気配りの振りは、言葉を怪しくする。
「1万円からでよろしいですか」あのへんてこりんなレジ用語と同じだ。

お気に入りはお好みに合ってこそなのだが、ここに入れておくアドレスには、気に入っているわけではないが、後でほかと比べて見たいからというのもある。
もう一度探すよりさしあたりここに置こうというのもある。

ブックマークは、必要な印し付けだから、好き嫌いとは無関係である。
気に入らないという印の付け方もある。

むかし事件記者というTVドラマがあって、いつも出てくる小父さん記者の口癖に「気に入らないなあ」というのがあった。
ちょっと引っかかることのあるできごとを指しているのだが、あれも好き嫌いとは無関係、あたまの中での印し付けだった。

呼び名はともかく、「お気に入り」から「ブックマーク」へ、移転にとりかからなければならない。
Internet Explorer の「エクスポート」を使って、D:に作ったフォルダーへ押し込んだ。

そのフォルダーを見ると、「お気に入り」の中身が .html ファイルになっていて、開けばずらっと並ぶ。
さて、これをGCにインポートするにはどうしたらよいのか。それがわからない。
なるべく「使い方」などという面倒なものを見ないでやりたいのだが、キョロキョロ探し回ってもパイラーさえ見つからない。

とりあえず、ホシ印のボタンから、ブックマークベルトにいつも使うフォルダーを作った。名前は面倒だからコピペ。
このフォルダーに、見たいところを一つずつ、つないでみては入れていくことにした。
一度にパッと入れる方法が見つからないが、まえの「お気に入り」カバンはそのままになっているから、そこから小出しにしたほうが、新しいブックマークがゴチャゴチャにならず、整理ができてよいのかもしれない。

珍妙な格言ができた。「不便は整理整頓の母」

わからん:2

2010年12月03日 | 忘れかけていたこと
どういう弾みか、また Internet Explorer のご機嫌を損ねた。
昨日の朝、いつものようにラジコでラジオ放送を聴いた。
ラジコが接続されればブラウザーを止めても聴くことができるので、いつもラジコだけを接続した状態で使っている。

しばらくしてから、いったんスタンバイにして朝食を済ませ、また使い始めようとクリックを1回。
これまでラジコは、接続したままでスタンバイから再使用状態に入ると、メモリーに残っていた二言三言の音声データだけを再生して止まってしまい、休止状態になっていた。
それが今朝は放送の声が長く続いている。おかしいなと思いながら、いまはラジオを聴かないからとラジコを停止。そのあとインターネットにつなごうとしたら見慣れないメッセージが大小2個出た。
またやられたか! 9月にこけてからまだ2ヶ月。秋の虫と同じぐらい短命ではないか。

インターネットにつないだ最初のとき、アドビの真っ赤な催促ウインドウが出て、よく確かめずにインストールしたのがいけなかったのか、それもわからない。
だめになったきっかけがいつだったのかがつかめない。

とりあえず Internet Explorer を再ダウンロードしてみる。
やはりだめ。
それならいっそと Google Chro0me に乗り換えてしまおうかと試してみる。
早い、はるかに軽い。
面倒なのはお気に入りの始末だが、乗り換えにはちょうどよい機会かもしれない。
やってしまおう。

わからん

2010年12月02日 | 忘れかけていたこと
「わかるわからん、それわからん」何かわかりにくいことに出合ったとき、母親の口からよく聞いた言葉である。
ただわからないと言っていないで、自分からわかろうとせよ、という意味だった。それを直接言わずに、少しは頭を使え、自分で考えよと、謎めいたことばをわざわざ使ったのだろう。

ダメと思うのが挫折の始まり。
モノ探しで、あると思わなければ見つからないように、未経験のことも、できると思わなければできるようにはならない。

パソコンの仕組みにも、わざわざわかり難くしたのではないかと思うようなところがたくさんある。
たいがいのソフトには、メニューバーの右の方に「ヘルプ」があって、すぐ見つかるようにしてある。
入り口はすぐ見つかるが、開いてみれば中身はわかりにくく、簡単にはヘルプしてくれない。
見切りをつけて、Webで別のルートを探り当てていけば、一場面一場面ずつ手順を解説している親切なサイトもある。

「ヘルプ」のわかりにくいのは、迷路好み、ガイド好みなどいろいろな趣味を持つ人への、おいでおいでのサインではなかろうか。こういうのを推理小説型ソフトウエアとでもいうのか。

業務用なら話は別だが、どうせ暇つぶしに使うなら、少しはわかりにくいほうが楽しみ方が増えるだろう。
TVの下手な推理ドラマでも、ただ見ているだけでは何をやっていたのかわからずじまいということもある。

「わかりません」より「わかってみせるぞ」と思ったほうが楽しみの機会を捨てずにすむ。と、これはうっかりユーザーの、あまり張り甲斐のない意地っ張りだが。

おっと、うっかり忘れていたが、「わからない」と言って見せると、聞いた人が安心する、あるいはかわいげに見られるということもありそうだ。
後のほうは言葉が少し違う。「わかーんなぁーい」