ついにパソコンも音声に応えて入力できるようになった。
ごく短時間だが、入力の実験をする機会があって、実際にやってみた。
いまのところは、パソコンが入力者の音声を聞き取って動作するというよりも、専用ソフトの要求する話し方で吹き込めば、手を使わずに応答してくれるまでにはなったというのが実感である。
この音声認識ソフトは、それがカバーできる範囲に限度があって、OSの基本操作と、音声認識用に作られたアプリケーションが実行できる範囲に限られ、既存のアプリケーションソフトをこれで自由に動かすようにはできていない。
音声入力をいったん始めてしまえば手入力はしなくなるだろう。その結果、パソコンの用途は音声入力ソフトの適用可能範囲に限定されることになる。
音声認識を使いこなすには、パソコンが理解できる用語を使用者が覚えておき、それにしたがって明瞭な口頭入力をしなければならない。
文字入力も試みたが、発音がソフトの受容可能な音声に合致しない場合は、まったく見当違いの言葉が入力されてしまう。
私の実験では、いくつかの単語を吹き込んでみたが、音を違えずに入力されたのはただ1語、「改行」のつもりが「開業」となっていた。
使用者がパソコンの扱いから覚えなければならない場合には、音声入力の練習と、パソコンの練習とを併行して行うことになる。
パソコンは誰でも楽しみながら使えるようになるというのはほとんどうその皮で、販売者側の宣伝文句に過ぎない。
パソコンの特徴は多用途にある。楽しむことと多用途を両立させられるまでには、すべての過程をゲーム感覚でというわけにはいかない。何がしかの苦痛をのり越える努力がなければ満足に使えるようにはならないものである。
したがって、音声入力とパソコン操作の併行練習は、いわば二重苦を迫られることになる。
使用者が、まったく手を動かすことができず、音声入力に頼るしか方法がないのか、不自由でも自分の手で行いたいが、音声だけですむなら多少不便が募ってもそれを望むというのかによって、この方式を慫慂することの適否が左右される。
サポート側にも、通常のパソコンのサポートに加えて、音声認識方式のサポートを要求される。
サポーターは、ソフトに要求されるディクテイトができるように、まず用語の習得と発声訓練を、使用者の練習より一歩先んじてしておかなければならない。
もし、この準備が足りなければ、使用者側に気持と時間のゆとりが十分ある場合でない限り、サポートがかえって使用者に焦燥感情を持たせることになりかねない。
この方式で音声認識が「できる」状態から「使える」状態になるまでには、もう何段階かの改善が必要である。
それでもあえて使ってみよう、改善意見の具申にも協力しようという意思が使用者にあるならば、それはそれでこの方式を持ち込む意義はあると思う。
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