「常識」で画像検索したら、非常識という言葉と組み合わさったイラストがいくつか見つかりました。
非常識も常識の仲間かと思ってもみましたが少し違うようです。
常識と非常識は、家族同士のような相補関係にあるのでしょう。
常識が育つ場は非常識の渦の中です。
正常な常識というものが、初めからあるわけではありません。
非常識からの転換と、外れた常識からのの回復が、正常な常識の誕生と復活の過程です。
常識はときどき道具として悪用されます。
非常識なことを言わせるように仕向けておいて、失脚に至らないまでも勢力減退に役立たせる、外れた常識策略が、とくに選挙期の前には飛び交います。
「常識の範囲内」というたとえがときどき持ち出されます。
しかし、常識は、その場でそれぞれが、言わず語らずに持つ共通認識ですから、その範囲には、境界柵も標識も目盛もありません。
それを教えてくれと言うのは、常識の働かない告白にしかなりません。
技能オリンピックというのはありますが、常識オリンピックというのはありません。
ルールの組み立てようがないからです。
いや、常識パラリンピックなら、ギャグ・フェスタとしては成立するかもしれません。
いかがでしょうか。