海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

「佐藤優のウチナー評論」を読む 1

2010-06-27 15:54:53 | 米軍・自衛隊・基地問題
 琉球新報で毎週土曜日に連載されている〈佐藤優のウチナー評論〉で、佐藤氏が〈平成の琉球処分その4〉(2009年6月19日付)、〈平成の琉球処分その5〉(同6月26日付)と題して、沖縄の〈革新〉と〈保守〉への提言を行っている。一見、双方を対等に扱い中立の立場から提言しているかのように見せかけているが、内容はといえば〈革新〉を批判する一方で〈保守〉を礼賛し、〈目に見えない沖縄党を強化しよう〉という美名の下に、沖縄の総保守化を促しているにすぎない。自らは保守、国家主義者であると公言していながら、〈保守、革新という冷戦時代の残滓を引きずり〉などと恥ずかしげもなくよく書けるものだ。
 6月19日付〈平成の琉球処分その4〉で佐藤氏は、〈沖縄人〉の定義を〈現在、沖縄県に居住している人々だけではない。沖縄の血を引き、沖縄人であるという自己意識を持つ本土、全世界に居住する沖縄人、さらに既にこの世を去った沖縄人の魂を含む〉と規定している。自分も〈沖縄人〉だと言いたいわけだが、そのうえで〈米海兵隊普天間飛行場の沖縄県内への移設を強行しようとする東京の政治エリート〉に対して、〈巧みな文化闘争によって「平成の琉球処分」を撤回させる〉ために、〈「沖縄の敵以外は、すべてわれわれの見方である」という原則で沖縄県内の沖縄人が団結してほしい〉と呼びかける。
 そのために〈革新陣営に苦言を呈する〉として佐藤氏が提起しているのが、〈保守〉陣営を厳しく批判するなということであり、具体的には仲井真知事への〈評価〉を厳しくせず、〈非難〉をするなと主張している。佐藤氏はこう書いている。

 〈まず、革新陣営に苦言を呈する。あなたたちは、頭がいい。しかし、過剰な美学がある。小さなプライドが強すぎる。他者に対して厳しすぎる。「正しいことをやっているからわれわれについて来るのが当たり前だ」というおごりがある。結果としてそれが東京の政治エリートに事実上の白紙委任状を与え、「平成の琉球処分」の環境整備をしてしまう〉

 ここで〈革新陣営〉が具体的に何を指しているか、佐藤氏は規定していない。さしあたり社民党や共産党、社大党などの政党、労働組合、反基地・平和運動を取り組んでいる諸団体や知識人、市民を指しているものと解釈しておくが、〈あなたたちは、頭がいい〉といったん持ち上げたうえで〈革新陣営〉をこき下ろすその内容の浅はかさ、傲慢さには辟易させられる。
 〈米海兵隊普天間飛行場の沖縄県内への移設を強行〉しようという動きは、沖縄ではこの14年間最大の政治的争点としてあり続け、〈革新〉〈保守〉の対立、相互批判がくり返されてきた(このような二元論的把握への問題はあると思うが、ここでは佐藤氏の提起に対応して論じる)。その14年間の大半の期間、昨年8月の総選挙で政権交代が起こるまで、「県内移設」を推進してきたのは自公政権であり、県内の自民党や公明党、経済界などの〈保守〉陣営もそれに呼応してきた。基地問題と経済振興をリンクさせた日本政府の「アメとムチ政策」に乗っかって、沖縄の内から「県内移設」を推し進めてきたのが、沖縄の〈保守〉陣営だったのである。
 それに対して、沖縄の〈革新〉陣営は厳しい批判を行ってきた。同時に、名護市辺野古の現地では「移設」という名の新基地建設を阻止するたたかいが取り組まれ、沖縄や全国の各地でそれを支持、支援する取り組みがなされた。そこには佐藤氏がいう〈革新〉陣営の政党、団体のみならず数多くの市民が参加していた。
 「県内移設」を進めてきた沖縄の〈保守〉への批判は、たんに〈革新〉陣営だけによって行われてきたのではない。〈保守〉〈革新〉という二元論的な枠組みには収まらない多くの〈沖縄人〉が、「県内移設」を批判し、反対してきた。その大きな理由は、沖縄においてはこの問題が住民の生活に直接的な影響を及ぼし、日常的に被害と脅威をもたらすものとしてあるからだ。
 〈革新〉から〈保守〉に向かって、あるいは〈保守〉から〈革新〉に向かって批判がなされるとき、沖縄ではその批判は生活に密着した生々しい声として発せられる。東京の論壇で交わされている議論とは次元が違う。基地問題は住民の生活に深く関わりつつ、政治、経済、文化、風俗など多様な影響を沖縄社会に与えているのであり、それが多様な議論、批判を生み出すのは当たり前のことだ。それを〈革新陣営〉の〈過剰な美学〉や〈小さなプライド〉、自己絶対化から来る〈おごり〉からなされているかのようにとらえるのは、基地問題をめぐる沖縄内のダイナミックな動きから浮いた寝言に等しく、佐藤氏は自らが日々暮らしている東京の論壇の視点から沖縄を眺め回しているにすぎない。
 もとより、沖縄の〈保守〉になんの問題もなければ、だれがわざわざ批判をするだろうか。それは沖縄の〈革新〉に対してもそうだ。基地問題をめぐって相手の主張、政策に疑問を抱き、問題を感じるからこそ批判するのであり、沖縄の〈保守〉の具体的な問題は不問に付して、〈革新〉の批判の理由を〈過剰な美学〉〈小さなプライド〉〈おごり〉という心理的問題へすり替えるのは欺瞞でしかない。

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