海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

辺野古ゲート前抗議行動/照屋寛徳さんの冥福を祈る

2022-04-18 23:59:19 | 米軍・自衛隊・基地問題

 18日(月)は午後12時頃にキャンプ・シュワブの工事用ゲート前に行き、この日2回目の資材搬入に対する抗議行動に参加した。

 20名ほどの市民がゲート前に座り込んだり、歩道でプラカードを掲げて、辺野古新基地建設に反対した。

 2回目には生コンのミキサー車7台のほかに、K8護岸の延伸工事に使う砕石が30台分ほど入った。

 K8護岸では今日も砕石の投入が行われていた。水深が深くなるにつれて投入する石の量も増える。辺野古崎の作業ヤードには石が山積みになっているが、その補充が行われていた。

 ゲート前では新型コロナウイルスの感染対策をとりながら、連日粘り強い抗議行動が続けられている。

 人との距離をとりたい方は、ゲート前の座り込みだけでなく、沿道でプラカードを掲げて抗議することもできる。ぜひ積極的に現場に足を運び、自分の目で工事の状況を見てほしい。

 午前11時2分頃、瀬嵩の森から大浦湾の様子を見た。

 K9護岸には2隻、N2護岸には1隻のランプウェイ台船が接岸し、土砂の陸揚げを行っていた。

 湾内にはガット船6隻(神峰、栄雄丸、marumasa6号、進朋、第十八藤進、第三十八ひなた丸)が停泊し、ランプウェイ台船やデッキバージに土砂の積み替えを行っていた。

 K8護岸では砕石が投入され、延伸工事が進められていた。

 四角い被覆ブロックより先の石が露出した部分が、先週月曜から1週間で延ばされた部分である。すでに30メートル近く伸びているようだ。

 実家の庭の池には白い水連が咲いている。

 社民党の前衆議院議員・照屋寛徳さんが亡くなった。また一人、戦後沖縄の反戦・平和運動を担った人が旅立った。

 2016年の4月1日に辺野古崎付近で米軍憲兵隊に拘束された。そのあと中城海上保安部に移されたが、弁護士として最初に接見してくれたのが照屋寛徳さんだった。

 弁護士・国会議員として早期解放のために尽力してもらい、とても有り難いことだった。今も深く感謝している。

 国会で守屋武昌氏を追及した時の「悪い奴ほどよく眠る」というのは名セリフだった。

 ユーモアと庶民性にあふれ、衆議院沖縄2区に立つ自民党候補者は、照屋さんには最初から勝てる気がしなかっただろう。

 冥福をお祈りします。うちなーぬくとぅ、みーまんていきみそーりよー。

 


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