海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

抵抗は次世代への義務

2015-11-01 23:50:17 | 米軍・自衛隊・基地問題

 以下の文章は2015年10月12日付琉球新報朝刊に掲載されたものです。

 九月十九日夜から二十日未明にかけて、キャンプ・シュワーブ・ゲート前に設置されている新基地建設反対を訴えるテントを、右翼団体の街宣車に乗った二十人ほどの男女が襲撃するという事件が発生した。

 右翼グループは酒を飲み、テントを破壊したり、横断幕を切り裂いたりしただけでなく、止めようとした男性を殴ってけがを負わせている。男女五名が傷害と器物損壊の疑いで逮捕されているが、右翼団体の街宣車による嫌がらせは今も続いている。

 十九日の午後五時ごろ、辺野古の海でカヌーを漕いで海上抗議行動に参加したあと、帰宅するため同ゲート前を通った。そのときすでに右翼団体の街宣車三台がゲート前を往復し、車から降りた男たちがテントにいた市民にビデオカメラを向けたり、暴言を吐いて挑発を行っていた。

 そのあとテントから二百メートルほど離れた歩道に街宣車を止め、そばに座ってたむろしているのを目にした。テントにいた人の話によれば、右翼グループはそこで酒を飲み、深夜になってテントに押しかけて暴力を振るったという。人が少ない時間を狙った悪質な犯罪行為である。

 事件が起こる前、テントにいた市民たちは警察に対し、嫌がらせをやめさせるよう何度も訴えている。しかし、警察の対応は襲撃が起こるのを黙認するかのような鈍いものだった。

 ゲート前で新基地建設反対の抗議活動を行っている市民に対しては、何人もけが人が出る過剰な弾圧を加えているのに対して、沖縄県警・名護署の右翼グループへの対応は、実に甘いものだった。このような警察の対応は、右翼グループの襲撃の背後に政治的意図が働いていたのではないか、という疑いを持たせるものだ。

 十九日は未明に安保関連法案が参議院で可決、成立した。辺野古テント村への襲撃はその直後に発生した。安倍晋三政権は、安保関連法が成立すれば次は辺野古に力を注ぐ、ということが言われていた。右翼グループの襲撃は、安倍政権の意図をよく理解したうえで、反対運動を暴力的につぶすために、タイミングを計って実行されたものと思える。

 このような襲撃事件が起こると、報道に接した市民の中には、怖いと感じてゲート前のテントに行くことをためらう人も出てくるだろう。それこそが右翼グループの狙いである。警察権力を使って国が弾圧を加えるとともに、民間からは右翼団体が暴力と恐怖で反戦・平和運動をつぶしていく。それは一九三十年代にも行われたことだ。

 そうやって戦争への道が掃き清められた。アジア・太平洋戦争に日本が敗北し、沖縄が日米の戦闘で壊滅的打撃を受けてから七十年の節目の年に、日本が米軍の下働きとして海外で戦争に参加する法制度が整えられた。そして辺野古では新基地建設に向けて海底ボーリング調査が強行され、高江ではヘリパッド建設が進められている。

 私たちは今こそ歴史に学ばなければならない。右翼団体を使った反戦・平和運動つぶしを許してはならないし、暴力で心理的に委縮させようとする狙いに対しては、毅然として積極的にゲート前に行くことで、それを跳ね返していくことが大切である。

 ネット右翼による嫌がらせも以前から活発化している。沖縄の反戦・平和運動は中国や北朝鮮の工作員が裏で操っている、という妄想にもとづく低次元の誹謗中傷から、ありもしないことをでっちあげて不信あおりをやるものなど、辺野古新基地建設に反対している団体や個人への攻撃が、インターネット上で繰り返されている。

 翁長雄志知事や県内メディアもネット右翼の標的となっているが、それは彼らがその影響力を恐れている証拠でもある。

 ネット右翼が垂れ流しているデマの一つに、ゲート前やカヌーで反対運動に参加している人たちは、金(日当)をもらっていやっている、というのがある。それがデマにすぎないことは、自分で実際に参加してみれば分かることだ。

 私自身、この数年高江や辺野古で新基地建設に反対する運動に参加してきたが、金銭をもらったことなど一度もない。むしろ、ガソリン代や食費、ウエットスーツの購入など、自腹を切って負担になることが多い。原稿執筆や読書時間も大幅に削られ、実生活でプラスになることはほとんどない。

 それでも行動せざるを得ないのは、新基地建設を許せば、生まれ育ったやんばる・沖縄の将来は暗いものになり、いざ戦争となれば真っ先に攻撃を受けて、壊滅的打撃を受けるのが目に見えているからだ。一人のやんばるんちゅ、うちなんちゅーとして、それに抵抗するのは次世代への義務である。

 かつて日本の文学者の多くは、ペン部隊や文学報国会に参加し、積極的に国の戦争政策に加担した。時流に乗ったにしろ、流されたにしろ、そうやって生き残りを図り、若者たちを戦争へ駆り立てた。文学者の戦争責任の問題は、簡単に葬り去ってはいけないものだ。

 一介の物書きができることなどたかが知れているが、少なくとも七十年前と同じ愚だけは犯したくない、と思う。

 


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